月光国国家図書館所蔵ー月光国歴史書より一部新訳

・少年と帝国の転換


 一人の少年が、一国の運命を変えた。


 恐怖政治が長らく続き、誰も逆らうことができず、国民は隷属し搾取されるだけだったこの帝国。


 しかし、ある日突然現れた一人の少年はその流れを断ち切るきっかけを作る。


 少年は単なる旅行者だったという。

 だが、この帝国は観光地とは程遠い。


 むしろ、旅行者が避ける場所として知られ、年若い男が一人で訪れて楽しめるような場所では決してなかった。


 ……いや、唯一特定の層には人気の場所がある。

 それは花街——女郎屋が立ち並ぶ区画だ。


 しかし、この少年に花街は不釣り合いに思える。実際、彼が歩いていたのは花街ではなく、店舗や民家が並ぶ街だった。


 人通りはまばらで、店の棚には商品がほとんどなく、飲食店の看板は錆び、閉まっている店も多い。


 開いている店でさえ、出されるのは僅かな野菜が浮かぶスープと、固く小さなパン。


 店内の客も数人が暗い顔で食べているだけ。


 裏通りでは生死の分からない人々が横たわり、雑草すら食い尽くされた荒廃ぶりが目に余る。


 それでも人口が減らないのは、国が実施する不気味で人権を無視した政策が原因だった。


 少年がこの国を訪れたのは、ほんの気まぐれからのことだ。


 彼が暮らす国からそう、遠くないところにある謎めいた帝国で、旅人が突如として姿を消すという噂を聞いてしまう。


 少年は——


 ——城内の一角にある一室を借りて住む少年は、この国の城において少し異質な存在だった。


 皇帝とその妻である女帝と親しく、城内に部屋を与えられているが、それだけで場内に住まわせている事実は、周囲の目には少々奇妙に映るのも無理はないだろう。


 しかし、その少年は優れたコミュニケーション能力と整った容姿を持ち、城で働く若い女官やメイド、使用人たちの間では人気が高い。


 一方で、「あの人って一体何者なの?」と興味本位で囁かれることもしばしばだった。


 さらに、身長について「あの人、もっと背が高ければいいのに」「まだ成長期なんでしょ?」と小声で話す者もいる。


 少々失礼な話ではあるが、この世界では背が高い男性が好まれる傾向が強いのかもしれない。


 少年のように見える男は、実は見た目に反して相当な年齢を重ねており、とっくに成長期を過ぎているので、背は伸びないだろう。


 しかし、当の本人はそんな噂や評価、つまり小柄であることを全く気に留めておらず、飄々としていた。


 男が城内や城下町を気ままに歩き回る姿は頻繁で、日常の光景となっている。

 

そして所定の場所で街で小さな敷物を地面に広げると『魔法屋』という木札を立てるのだ


 この男は魔法の腕前が非常に高く、あらゆる種類の魔法を自在に扱う。


 そのため、城下では「街の便利な魔法屋さん」として知られ有名になり、さまざまな頼みごとを引き受けている。


 そのおかげで収入には全く困っていない。

 むしろ貯蓄がどんどん増えていいった。


 増える貯蓄と暇。


 そして行方不明事件とくれば、その男のように好奇心豊かな者であれば行きたくなるのだろう。


 行方不明事件があり、観光地ではないにもかかわらず、入国は簡単だった。


 それでも旅行者に避けられる理由は、寂れた街並みと人々が消えるという不気味な噂。


 特に、若年層は性別を問わず行方不明になる可能性が高いとされている。


 謎を解き明かそうと「俺も消えるかもしれないな」などと軽口を叩きながら、その地を訪れたのだった。


 もちろん、本当に消えるつもりはない。

 ただ、噂の真相を知りたかっただけだ。


 帝国に足を踏み入れた彼の第一印象は、「さびれている」である。


 廃墟同然のボロボロの家々、ボロボロの服をまとった生気のない人々。わずかに営業中の店も、商品らしい商品はほとんど並んでいない。


 これが国と呼べるのか。

 あるいは、単なる廃墟ではないのか。そう思うほどだった。


 もし行方不明事件がアンデッドの仕業なら、わかりやすい話だ。アンデッドが若者の生気を吸い取り、身も骨も貪っているのだろう。


 だが、その気配はない。

 他のモンスターも見当たらない。


 となると、この謎の背後には人間が関与していると考えるのが妥当だった。


 街の人々に話しかけても、ほとんど返事がない。店員に尋ねても「ここにはいいところがないから、早く出た方がいい」と小声で促されるのみ。


 人々が口を閉ざす時、その背後には必ず何か理由があるものだ。


 彼は安宿に泊まりながら街を歩き、やがて最初に訪れた街より少し人の多い場所に辿り着く。


 そこで事件の現場を目撃したのだ。


 軍服を着た男たちが、若い女性を連れ去ろうとしていた。


 幼い男児が軍人を蹴り、女性の前に立ちはだかり「逃げて!」と叫ぶ。ようすから察すると、おそらく彼らは母子おやこなのだろう。


 周囲の人々は気にしつつも手を出さない。

 無理もないことだ。


 武装した兵士たちに挑むのは、巨大な熊に武器を持たず素っ裸で立ち向かうようなもの。それを他人のためにしようという者はいないだろう。


「無礼者が!」


 軍のリーダーらしき男が怒鳴り声を上げ、魔法により電気を帯びた鞭を振り上げ、男児が打ち据えられると誰もが思い目を閉じた瞬間。


 鞭は場に割って入った少年ぽい男の手に握られている。


 ここから、アスパー・ギド帝国の終焉がはじまったのである——

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