第1話 銀灰色の新参者(ニューカマー) その1

『サーシャ、どうして人間の眼が真っ直ぐ前に付いているのか、知ってる?』





 集中する時、少女は必ず姉の言葉を思い出す。


 十二も歳の離れた姉。


 両親のいない少女にとって、時に母の様に優しく、時に父の様に厳しく、時に友の様に無邪気だった姉……。


 今はもういない……姉。





『紗々……?紗々!?』



 インカムから響く、微かに酒焼けした女の声が、少女を……【月美つきみ 紗々さしゃ】を現実へと引き戻す。


 紗々はドライビングシートに座していた。


 真っ先に目に入ったのは、武骨なステアリングを握る、黒いドライビンググローブに包まれた細長い手だ。


 姉の手に似ている。


 しかし、違う……。


 その手は、姉の歳に追い付いた、紗々自身の手だ。



『どうした紗々?腹でも痛いのか!?』

「ごめんなさい、夜子ママ。お姉ちゃんのことを思い出してました」



 紗々が正直に応じると、継母の溜め息がインカムから紗々の鼓膜へと届いた。



『紗々……気持ちは分かるが、余り死人に耳を貸しちゃいけない。は特にね。引き込まれちまうよ』



 継母の声に深い悲哀を感じた紗々は、薄い桜色の唇に微笑を作る。



「……少しナーバスになっていたみたい。ありがとうママ、もう大丈夫」

『お前なら問題ないさ……!全世界のヴァルヲタどもにお前の美技ドラテクを見せつけてやんな……!』

「はい、ママ……!」

『そろそろスタートだ。楽しんで来い!通信終了オーバー!』



 継母の声の心地好い余韻が、紗々の芯を徐々に熱くさせる。



『ゼッケン50、車両異常無し、AIMユニットの装着を確認しました。スタート地点へ移動してください』



 フロントガラスに映る誘導員に従い、紗々は愛車をゆっくり発進させる。



【ホンダ NSX タイプS】



 その鋭い、流線型の車体が、滑るように料金所入り口へと侵入していく。



『これより、第19回【ブリッツ・ヴァルキリー】、予選タイムアタックを開始します。出走者、ゼッケン50……月美 紗々!』



 誘導員が退避する。料金所の天井に増設された、シグナルが起動し、紗々は全神経を集中してそれを睨む。


 紗々は冷静を無理矢理自身に命じるが、ドライビンググローブの中は既に緊張と期待で汗まみれだ。


 それでも、ステアリングを強く握り締める。コーナリングを切る以外は死んでも離さない。


 アクセルを噴かす。V6エンジンがスタートを待ちわびて唸りをあげる。


 赤色の灯が三つ並んだ。


 シグナル……青へ!


 十二年間待ちわびた時が到来した刹那、紗々は銀灰色の瞳を見開いた。瞳孔が縦に細く引き絞られる。


 アクセル、踏み込む!


 エンジンが咆哮!タイヤがアスファルトを蹴る!



 ゴッーーーーー!



 その瞬間、運転手紗々の瞳と同じ色――銀灰色のNSXマシンは翔び出した。


 空気を切り裂き、シグナルの青い残光も、周囲の景色も置き去りにして。


 開始早々、NSXは時速一二〇キロメートルに達する。



『人間の眼が、どうして真っ直ぐ前に付いているのか、知ってる?』



 慣性に押し潰されそうになりながら。


 やはり、思い出す……かつて姉の出したクイズに、つい……紗々は答えた。



「前を見て……未だ見えない世界に向かって、何処までも駆け抜けたいから……でしょ?」



 紗々の脳裏で、姉は笑って頷いた


 NSXは更に加速する!


 二車線の上り山道ヒルクライムを、臆することなく更に、更に!力強く!


 夢を叶える為に、紗々は走る!



ブリッツ・ヴァルキリー公道乙女の祭典



 その出場権チケットを、その手に掴み取る為に――!



 続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年12月5日 12:00

ブリッツ・ヴァルキリー 乙女たちの最速神話 比良坂 @toki-315

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画