4. 賑やかな塔

 それからカレルは、三度の食事を塔に持ってくるようになった。

 普段は屋敷のほうで、他の使用人たちと同じように寝起きしているらしく、彼がいない間は塔もいつものように静かだ。

 でも彼は、食事のたびにわたしを一階から呼びつけるから、やってきた途端に塔は騒がしくなる。


「お嬢さまー! ツェツィーリエお嬢さまー! お食事ですよー!」


 わたしが三階で寝ていようが、二階でのんびり本を読んでいようが、おかまいなしに、決まった時間に大声で呼ぶ。


 わたしが反応するまで呼び続けるに違いないから、その日も仕方なく一階に下りた。

 テーブルの上に皿を並べているカレルに、文句を浴びせる。


「そんな大声出さなくてもいいじゃない。うるさい」

「ではお部屋まで迎えに行ってもいいですか」

「……だめ」


 なんとなく、私室にズカズカと足を踏み入れられるのは嫌だ。いや、掃除なんかもしてもらっているから、わたしが別の部屋にいるときにはズカズカ足を踏み入れているのだが……やはり適切な距離というものがあると思う。


「置いておいてくれればいいわよ。そのうち適当に食べるから」


 と何度も言ったのだが、彼は頑として譲らなかった。


「いいえ、お嬢さまには温かいものを食べていただかなくては」


 一階にある四枚の扉は、ひとつは玄関、ひとつはお手洗い、ひとつは浴室で、残りひとつは、小さな調理場に続いている。


 その調理場にはかまどがあって、食事を温めることができる。いちいち火を起こさないといけないから、今までの使用人たちも、ほとんど使っていなかったはずだ。

 わたしも水瓶の水を飲みたくなったときに、一応は沸騰させたほうがいいかと火を入れたりもしたが、すぐに面倒になって、食事とともにやってくる飲み物を待つようになった。


 だがカレルはその調理場で、ご丁寧にも温め直しているのだ。

 屋敷からスープを持ってくるにしても、ちゃんと容器に蓋をして厚手の布でくるんでいるので、冷めているということもない。冷めたところで、食べられなくなるわけでもない。わたしにはそれで十分なのに。


「さあ、どうぞ」


 その日の夕方にも、ちゃんと温められたオニオンスープが出された。

 サラダにパンに、そしてこちらも温められた牛肉のソテー。

 わたしはおずおずとカトラリーを手に取り、食事を進めていく。


 でも、落ち着かない。

 脇ではカレルが、ニコニコと笑いながらわたしの食事を眺めているのだ。


「もう、いいわ」


 すべてを三口ずつほど食べてから、わたしはフォークをお皿の上に置いた。

 するとカレルは顔をしかめる。


「いけません、お嬢さま。出された食事はなるべく食べましょう」

「でも……そんなにいらないし」


 階段の上り下りくらいしかしないからだろうか、お腹は空かない。いつもこれくらいで満腹感を覚える。

 けれどカレルは、首を横に振った。


「いやいや、魔法を扱うには、強靭な肉体も必要です。大いなる力を発現するのに、その細すぎる身体では頼りない。ほら、腕だって、枯れ枝のように細いです」

「ええー……」

「いっぱい食べて、いっぱい動く。内なる衝動に耐えうる肉体を手に入れましょう!」


 なにやら力説されてしまった。

 いや、そんなことを言われても。


「あのね、カレル。何度も言っているけれど、そもそもわたし、魔法なんて使えないのよ」


 そんなものは、おとぎ話の中にしかないのだから。


「今はそうかもしれません。でも、お嬢さまの中には『黒き魔女の魂のカケラ』があるのですから。いつか発現するときのために備えなければ!」


 グッと拳を握って、カレルはそんなことをのたまう。


「さっ、無理やりにでも、食べてください。せめてあと三口ずつでも! さあ!」

「ううー……」


 それでも、と拒否する元気はわたしにはなく、もそもそとどうにか完食した。出されたものをすべて食べきったのは、いったい何年振りなのか。胃が大きくなった気がする。


「偉いです、お嬢さま!」


 カレルはパチパチと拍手しながら、うんうん、と頷いている。

 やっぱり変人に違いない。


   ◇


 カレルがいる生活にも慣れてきて、毎回大声で名前を呼ばれるうちに、わたしは根負けした。

 つまり、彼がわたしがいる場所までやってくることに、許可を出したのである。

 慣れとは恐ろしい。気が付いたらカレルが側に控えている状況にも、まったく違和感を覚えなくなってしまった。


 そんなある日カレルは、二階のソファでだらしなく背もたれに身体を預けて本を読むわたしをまじまじと見つめたあと、口を開く。


「お嬢さま……こう言ってはなんですが」

「なによ」


 わたしは本から顔を上げて、彼のほうを振り返る。


「……淑女として、身だしなみは整えるべきかと」


 不服そうに眉根を寄せて、そう進言してきた。


「お嬢さまは、確かに可愛らしい外見ではありますが」


 黒髪と赤い瞳のわたしを、よくも可愛らしいなどと言えたものだ。さすが変人。


「それにかまけて、あまりにも気を使わなさすぎです」

「別にいいじゃない。くつろいだって」

「くつろぐのは別にいいんですが、身だしなみの話です」


 言われて、わたしは自分の身体を見下ろす。

 飾り気のないシンプルな形の、若緑色のワンピース。白い布靴。もちろんアクセサリーなどひとつも付けていない。

 髪もいつものように、適当に何度か梳いているだけで流しているし、化粧もしていない。

 ちなみに、一階に置かれた水瓶から汲んだ水で、身体は清拭している。それが最低限の身だしなみ、と言えなくもない。


「……だって、誰とも会わないし」


 もし家族や友人や、そういった人たちと会う予定があるのなら、彼の進言も受け入れればいいのだろうが、当然のことながら、まるでない。

 なのにカレルは眉根を寄せた。


「僕と会うじゃないですか」

「まあ、そうなんだけど。じゃあ、カレルのためだけに身だしなみを整えろというの?」

「いいですね、それ。素晴らしいです! 特別感が満載です!」


 嬉しそうに満面の笑みでそう答える。

 わたしは手をひらひらと振った。


「嫌よ。面倒くさいもの」


 服を着るにしても、髪を整えるにしても、自分一人でしなければならないのだ。

 だったら簡単なほうへ簡単なほうへと流されるのも、致し方ないのではないだろうか。

 たった一人のために、しかも、いついなくなるかもわからない人のために、面倒なことはしたくない。


 しかしわたしの返答を聞いたカレルは、いいことを思いついたとばかりに、パンッと手を叩いた。


「では、僕がやりましょう」

「はあ?」


 ちょっと待って。とんでもないことを提案してきた。


「おまかせください。髪を結うのも、着替えも、妹でやったことがありますから」


 拳で自分の胸を叩きながら、誇らしげに言う。

 いや、できるかどうかを不安に思っているわけではないので、そんな自信満々に返されても。


「ちなみに、妹は何歳なの」

「僕の三歳下ですから、十七歳ですね」


 つまり、カレルは二十歳なのか。初めて知った。


「その十七歳の妹が、兄に髪を結われたり、着替えを手伝ったりされているというの?」


 わたしが読む本の中には、そんな兄妹はいない。それとも外ではそれが常識なのだろうか。そんな馬鹿な。


 するとカレルは、くっ、と悔しそうに歯嚙みした。


「そうなんですよね……。小さい頃は、『お着替えさせてー!』っておねだりしてきたというのに……最近はさせてもらえないんです。あんなに可愛かったのに、いったいどうしてこうなったんでしょう」


 いやいや、そりゃそうでしょうよ。


「なんなら入浴もお手伝いして差し上げます。僕、こう見えても、妹をお風呂に入れるのが上手いって褒められてました」


 それ、本当に幼い頃の話だと思う。

 冗談じゃない。

 わたしは両腕を身体の前で交差させてバツを作ると、反対の意思を示す。


「とにかく、全部却下」

「なぜ」


 なぜもなにも。


「淑女として身だしなみを整えるって話よね」

「そうですね」

「じゃあ、異性に肌を見せるのは、淑女としてどうなの」

「それもそうですね」


 あっさりと納得すると、カレルはそれ以上食い下がることはなかった。

 でも帰り際、彼は言った。


「これは、もう一人、女性の従者が必要ですね。僕、屋敷のほうで訊いてみます」

「そう」


 でも、そんな簡単に従者なんて見つかるわけがない。

 仮に来たとしても、また真っ青な顔色で渋々と世話をするのだろう。


 そんなのは嫌だ。

 それにきっと、すぐに辞める。

 それなら今まで通り、身だしなみに気を使うこともない生活が続いていくのだろう。

 どうせ、カレルにしか会わないのだし、問題などないのだ。

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