3. 新しい従者
「お嬢さまー! ツェツィーリエお嬢さまー!」
三階で惰眠を貪っていたわたしは、そんな呼びかけに目を覚ました。
一階からだ。どうやらわたしを呼んでいる。
ゆっくりとベッドから起き上がり、恐る恐る一階へと階段を下りていく。
呼ばれたのは、いつ以来だろう。何年前のことだったのか、思い出せない。
一階の部屋がギリギリ見えるか見えないかのところで立ち止まると、そうっと顔を覗かせる。
するとそこには、黒い執事服を着て、銀色の長い髪を無造作に後ろでひとつに束ねた、スラリと背の高い青年が立っていた。
彼は壁に並んだ本の背表紙を、物珍しそうに眺めている。
その姿を見るに、新しい使用人のようだ。
それとも、王家の使いの人だろうか。まさか、わたしを処分しに来た……なんてことはない、と思いたい。いやいや、絵本にあった通りなら、殺されることだけはないはずだ。
「……誰?」
わたしは階段の中腹から、そっと声をかける。
彼は慌てたように、こちらを振り向いた。
空色の瞳が、わたしを捉える。切れ長の目をした整った顔立ちの男性だが、肌の白さが中性的な印象を与える人だ。
わたしに向かって、彼は途端に頰を緩める。
「ああ、お目にかかれて光栄です!」
そして、明るい声音でそう声を上げた。
外見だけなら、どこか涼やかな雰囲気を纏っているのに、そうして破顔すると、急激に親しみやすい感じがしてくる。
これは、嬉しそう、ということでいいのだろうか。
なにせ、もうずっと他人と目を合わせたことがない。確信が持てない。
彼は戸惑うわたしに向かって、深く腰を折った。
「お嬢さま、はじめまして。僕は今日からお嬢さまのお世話係を仰せつかりました、カレルと申します」
「へえ……」
王家の使いの人ではないらしい。
わたしは少々安心しながら歩を進めて、一階に降り立つ。
彼もわたしのほうに歩み寄ってきた。
「これからよろしくお願いします、ツェツィーリエお嬢さま」
「……よろしく」
彼の挨拶に、とりあえず返事をすると、すぐさま踵を返す。
するとわたしの背中に、慌てたような声がかけられた。
「あっ、お嬢さま、どちらへ」
「どちらへって……部屋に戻るのよ」
振り返ってそう答えると、彼は小首を傾げた。
「お嬢さまから、なにかご所望いただけるかと思ったのですが」
「わたしから?」
「指示してくだされば、お応えします。そうですね……たとえば、僕が淹れる紅茶が美味しいかどうか、試してみるとか」
いいことを思いついたとばかりに、人差し指を立てて上に向けると、そんな提案をしてくる。
意味がわからない。
「紅茶なんて、不味くなければ、それでいいわ」
「そんなあ。やはりお嬢さま付きの従者としては、主人の好みというものは知っておきたいものなのです」
両手を胸の前で組み、懇願するような声を出す。
わたしは腰に手を当てると、はあ、とこれ見よがしにため息をついた。
「どうせすぐにいなくなるのに、そんなことを知ってどうするの」
「すぐにいなくなる? あっ、いえ、僕は期間限定で雇われたわけではありません。本採用です。頼りなく見えるかもしれませんが、本当です」
身を乗り出して、そんなことを訴えてくる。
そういう意味ではない、とわたしは呆れ声で返した。
「研修期間だと思ったわけではないわ」
「では?」
「みんな怖がってしまって、いつの間にかいなくなったの。あなたがそうでないと、どうして言えるかしら。いえ、きっとすぐにいなくなるわ」
顔を合わせることはほとんどないが、塔のてっぺんから塔を出ていく使用人たちの姿を見かけることがある。何度か同じ人間が続いたかと思えば、いつの間にか見知らぬ人になっていたりする。
酷いときには、塔の前で足を止め、そのあたりをウロウロしたあと一歩も入ることなく、背中を向けて立ち去ってしまう人もいた。
また、食事を置く気配を階段の途中で窺っていると、話し声が聞こえたりもする。
『そこに置いたら、あとは水瓶の水を入れ替えて。終わったらすぐに出て行っていいわ。しばらくしたら、また取りにくればいいの』
『楽な仕事じゃないですか。水だって、外に出てすぐのところに井戸があるし』
すると一人が声を潜めて話し出す。
『でも、『黒き魔女の魂のカケラ』を持っているのよ。決して粗相しないように細心の注意を払ってね。怒りを買ったらいったいどうなることか。慣れた頃が危ないわ』
『わかりました』
『ばったり鉢合わせることもあるし、気を付けて』
『大丈夫ですよ。だって魔女なんて、おとぎ話の中にしかいないでしょう? 魔法を使えるものなら使ってみろって感じです』
『しっ、聞かれたらどうするのよ。声を落として』
『平気ですよ』
そんなふうに、気にしてなさそうだった使用人も、しばらくすると、同じように違う人に引継ぎをしているのだ。
カレルはわたしの話を聞いたあと、首を傾げる。
「怖がる……お嬢さまを、ですか?」
「そうよ」
するとカレルは、うんうん、と頷きながら口を開いた。
「なるほど、だからでしょうね」
「なにが?」
「特になんの審査もなく、すぐに採用されました」
「ああ、そう……」
もうこの際、誰でもいい、となったのだろう。そんなに成り手がいないのだろうか。
カレルは続けて、ふるふると小さく首を横に振った。
「こんなにいい条件の職場を離れるだなんて……僕には理解できません」
「いい条件?」
『黒き魔女の魂のカケラ』を持つわたしの世話をしなければならない職場が? 皆が怖がってしまい、人の入れ替わりが激しい職場が?
わたしの問いかけに、カレルは大きく頷いた。
「はい、一人のお嬢さまのお世話をするだけでいい、それなのに」
そりゃあ確かに、たくさん仕える人のいる、屋敷全体とかの世話をするのは大変だろうけど。
すると彼は華やいだ声を上げた。
「お給金がいいんです!」
「え?」
「みんな怖がったから、お給金がどんどん上がっていったんでしょう。ならば、むしろ僕としては、もっと怖がってもらって構いません」
「はあ……」
「となると、お嬢さまには感謝しかないです。ですから、なんなりとお申し付けくださいませ!」
ニコニコとした笑みを浮かべて、ハキハキと話している。
どうやら変わった人らしい。あるいは、現実が直視できないか。
なるほど、特になんの審査もなく採用しただけはある。
「まあ……そう思うのなら、いいんじゃないの」
ため息交じりでそう答えると、カレルはさらに続けた。
「しかしそれだけではありません」
「ふうん」
さすがにお給金がいい、だけでは魔女の不興を買うと思ったのかもしれない。どんな言い訳をするつもりかしら、と思っていると。
「なんとお嬢さまは、あの『白き魔女』の末裔! さらに言えば、『黒き魔女の魂のカケラ』をお持ちだとか!」
彼はそんなことを声高らかに話し始めた。
なんですって?
「ええと……」
「最高です! まさかお側に仕えることができるなんて!」
キラキラと瞳を輝かせてわたしを見つめている。
冗談や嘘を言っているようには見えない。
いやでもそんなこと。
「あの……まさか、本気で言っているの?」
「失礼な。僕はいつでも本気です!」
彼は胸を張ってそう自信満々に答える。
これは本格的な変人がやってきた。
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