2. 経緯

 この塔にやってきたのは、わたしが八歳のときのことだった。


「こんなに小さな女の子をあんな暗くて狭い塔に閉じ込めるなんて」


 と、両親が王家に掛け合ってくれて、そこまで待ってもらえたのだ。

 だが八歳までが限界だったのだろう。王家の中に不安に思う人がいたようで、最後は強行に命令が下された。


 ただ、わたしが出られないだけで、人の出入りは自由だった。

 元々住んでいた屋敷からも近かった。塔のてっぺんに昇れば、小さくヘイグ公爵家の屋敷が見える距離だ。


 だから、せめてわたしが住むこの塔を華やかに、そして綺麗にしよう、と使用人たち総出で掃除をしたり崩れかけた外壁の補強をしたり家具を持ち込んだりもしてくれた。

 その様子を見ながら、わたしだけのためのお城のような気がして、少しワクワクしていたことを覚えている。


 それに、最初の頃は、お父さまもお母さまも頻繁に訪れてくれていた。


「ごめんなさい、ツェツィー。こんなところに閉じ込めてしまって」

「王家の命令とあらば、逆らうわけにはいかなくて」


 申し訳なさそうに眉尻を下げて、両親はわたしに何度も謝罪する。


「いいの、大丈夫。お父さまもお母さまも王さまに仕える身だもの。わたし、がんばるね」

「ああ、ツェツィー。お前は本当に聡い子だ」

「おとぎ話を信じ込んで、こんなに可愛い子を閉じ込めるだなんて、王家の命令とはなんと非情なものなのでしょう」


 両親に抱きしめられて、わたしは少し誇らしく思ったものだった。

 初めての晩は、わたしのために整えられた塔の三階のベッドに、三人でくっつくようにして眠った。


 あの頃はまだ、誰もがわたしに対して、同情的だったと思う。

 なのに、少しずつ、少しずつ、境目がいったいどこだったのかもわからないまま、いつの間にかわたしは畏怖の対象になってしまったようだ。


 配膳してくれる使用人は、何人か入れ替わったが、皆、そそくさと食事を置くと去っていく。

 毎日のように塔を訪れてくれていた両親は、一日が二日に、二日が三日に、と足を運ぶ頻度が徐々に減っていった。


 ある日、お父さまだけが塔を訪れ、わたしに向かってこう説明した。


「すまないね、ツェツィー。お母さまは身体の調子が良くなくて、今日は来られないのだよ」

「えっ、お母さま、大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。心配ない。実は、妊娠したことがわかってね」

「わあ! おめでとう、お父さまお母さま。じゃあわたしの弟か妹が生まれてくるのね!」

「そうだよ、ツェツィー。楽しみにしてくれるね?」

「うん、楽しみに待ってる!」


 けれどわたしが、生まれたという弟に会えることはなかった。


「お母さまは、出産をしてから体調を崩してしまって」

「えっ、そうなの……心配だわ。大丈夫なの?」

「ああ、心配だ。だから……お母さまの傍についていてやりたいんだ。ここには今までのように来られなくなるかもしれない」

「……うん、わかった。それじゃ仕方ないものね。わたし、大丈夫よ」

「ツェツィー……本当に、すまない」


 そう言ってわたしの頭を撫でるお父さまの表情に、安堵の気持ちが滲んでいたのを、わたしはなぜだか気付いてしまった。

 そして、きっともうお母さまはこの塔に来ることはないんだ、と悟ってしまったわたしは、お父さまたちの言うように『本当に聡い子』だったのかもしれない。


 その後、妹も生まれたという報告を最後に、お父さまも塔を訪れることはなくなってしまった。


 その頃は毎日のように、ベッドに潜って泣いていた。

 でもそのうち、泣いても無駄だと諦めた。泣いて過ごしたって、なにひとつ変わりはしない。


 そんなふうに、十六歳の今では少々擦れた性格になってしまったが、わたしがそれなりにまっすぐに育ったのは、まだ愛されていた、幼い頃の記憶のおかげの気がする。


 あと、一階の壁を埋め尽くす、本のおかげ。

 本はわたしを違う世界に連れて行ってくれた。本を読んでいる間は、この小さな塔から飛び出して、わたしは世界を旅していた。喜怒哀楽という感情も、常識も、善悪というものも、わたしは本で学んだ。

 この小さな塔の外に出ることはなくても、わたしの世界は広がるのだ、と何度自分に言い聞かせたか知れない。


 壁際に四枚の扉と階段の上り口がある以外は本棚で埋められている、塔の一階の真ん中には、テーブルと、椅子が四脚設置されていて、ここにいつも食事が置かれている。そのまま食べることもあれば、気分次第で二階に行ったり三階にまで持って上がることもある。


 塔の内壁に沿うようにある螺旋階段を上って二階に到着すると、来客用のテーブルセットがあり、そこでお茶など飲みながらのんびりと読書ができる。

 ここにも一人掛けのソファが二台と、二人掛けのソファが置かれている。


 当時はお父さまとお母さまとわたしでここで語らったものだが、今はわたしが一人で二人掛けのソファのほうに足を伸ばして寛ぐことが多い。


 一階の椅子も、二階のソファも、わたしが使わないものは無用の長物というやつだ。


 そして三階は、わたしの私室だ。ベッドも置いてあり、一日の大半の時間をここで過ごす。

 一日最低三回の階段の上り下りは、ほとんどは食事のためだ。


 一階のテーブルの上にトレイに載せられた食事を置いていくのは、ヘイグ公爵家に雇われている使用人たちの仕事だ。

 最初はそれでも会話を交わしたりしていたのだが、そのうち相手が慄いているのを感じ取るようになり、顔を合わせないように階段の上で待ち伏せるようになった。


 わたしだって、真っ青な顔色の使用人たちに、無理に話しかけようとは思わない。


 それでも、その三度の食事が欠けることはなかった。いつも温かくて美味しいものが提供された。最初は会話のない食事を味気ないと感じていたが、それも慣れた。

 欲しいものがあれば、テーブルに置かれた小さな黒板に板書しておけば支給された。本だって、もう読まないだろうな、というものをテーブルの上に置いておけば、適当に新しい本と入れ替えてくれる。

 使用人が来ている間は二階か三階に閉じこもり、空いているほうの部屋の扉を開け放しておけば、誰かが掃除してくれる。

 なんでも一人でできなければならない、と着るものも質素なワンピースを希望した。

 そのワンピースも出しておけば綺麗に洗濯されて戻ってきたし、定期的に新品が差し入れられた。

 一階の小さな調理場にある水瓶には、いつも新鮮なお水が用意されていて、身体を清拭するのに使える。

 自分で髪を結うのは難しかったから、黒髪は背中に流したままだ。


 でもどんな格好をしていたって、誰にも会わないのだから、構わない。

 特に困ることはない。


 だがある日、自分が声を出しにくくなっていることに気が付いた。使わないものは衰えていく。だからなるべく、ひとり言をつぶやくようにしている。


 困らない。声が出なくったって、困らない。

 だって誰とも話をしない。

 でもいつかまったく喋れなくなる日が来るのは怖かったから、ときどき、本の朗読をしたりした。

 なんのために、という疑問は、考えないようにしたままで。

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