【第5話】事件から2週間後

 入学式の日に起こった虚侵入事件のその後――

 志乃は瘴気の影響を受けていないか念入りに検査させられた。虚人に触れられたのだ、当然の結果だろう。検査の結果、異常は何もなく、むしろいつもより元気なくらいであった。

 そして、顔色の悪かった彼女は志乃の方に虚人が襲いかかった後、すぐにその場に倒れ込んだらしい。幸い、彼女自身が取り憑かれていたわけではなかったので、大事には至らなかった。彼女――宮下萌黄みやしたもえぎは2週間経った今は元気に学校に登校している。萌黄は茶色がかった肩ぐらいの長さのボブヘアをしていて、優しげな黄緑色の瞳は全ての罪を許してくれそうなそんなおっとりとした女の子だった。彼女は高入生で、入学式が終わった後学内で迷ったらしく、途中からの記憶がないらしい。今は志乃と大変仲良くなっている。


 そう、あの事件から2週間が経過したのだ。

 2週間で校舎の修復は普通は無理であるが、陰陽術やら人外の技術でなんとか2週間で修復できた。勿論2週間は学校は休みであった。また、この期間で今後起きうる虚侵入などの不測の事態に備えて学内ガイドラインが大きく見直された。教師陣への指導のやり直し、生徒への緊急授業のカリキュラム作成……等等。

 


 そして2週間が経ち、授業が再開された今日この日、どのクラスでも虚に関しての授業を取り行っていた。


「この前のように虚が侵入してきても対処できるように、この授業を急遽執り行うことになったんだ。寝てくれるなよ?」


 猫矢が「寝たら補習だ」と追い足して告げると、今まで惚けていた顔の生徒たちが見紛うように姿勢を正して真剣な表情になった。




***

「にしても、虚っていうのはなかなかに難しい存在ですよねぇ」


 授業が終わり、志乃は日南と萌黄の3人で談笑していた。突然、萌黄が唐突に話をふってきた。日南がお菓子を頬張りながら答える。


「どうしたのよ、急にさ」

「いや、ふと思ってしまって……虚は人間が生み出しているんですよね? なのに人外たちの脅威にもなっているって……人外からしたらいい迷惑ですよね」

「おーまぁ考えてみれば確かに?」


 日南は萌黄の以外な着眼点に驚き、目を見開く。


 先ほどの虚の授業では、虚はどう生まれるのか、どういった脅威があるのか、という基本的な知識だけを教えられた。虚は生きている者でも非生物でもなんでも取り憑くので、人外にも被害は及んでいるのだとか。


「萌黄ちゃんは難しく考えすぎだよ。人外の中でもそこまで考えている人は少ないんじゃないかなぁ……」


 志乃は机に置いていたいちご牛乳のパックを手に取って、ごくりと一口飲む。萌黄が「そんなもんなんですかねぇ」とうんうん唸っているのを日南は何を考えているのか分からない顔でじっと見ていた。チャイムがなって、10分の休憩時間に終わりを告げる。志乃は慌てていちご牛乳を飲み干し、そのまま2限目の授業に突入した。

 今は知らないが、志乃はこの2限目の授業で盛大なため息を吐くことになる。



「2限目はゲストがいる。入ってきてください」


 ガラララ、と戸が開かれた。いかにも先生、というような男性が入ってきた。色素の薄いミルクティー色の髪がふわふわと歩くごとに動き、眼鏡の中に見える黄色い瞳は知性を感じる。

 

「彼は我が天明学園大学の虚専攻の教授、鳴宮天麻なるみやてんま先生だ。鳴宮先生は虚研究の第一人者として有名な方だ。心して聞けよ、お前ら!」


 猫矢は意気揚々に鳴宮の紹介をする。

 

(多分あれだ、さっきの授業で最初の方は補習回避のためにみんな必死に受けてたけど、最後の方がだらけてたから、それについてちょっと怒ってるんだろうなぁ)

 

 志乃は中等部の時、猫矢にそれはもう大変お世話になったので、猫矢の作られた笑みの中に含まれる若干の邪悪に気付いていた。鳴宮は日南の方を一瞬チラと見だが、すぐに全員の方に向き直った。


「ご紹介に預かりました、鳴宮天麻と言います。この見た目ですが、れっきとした人間です。まあ、祖先に人外と交わった方が居るみたいで、それが強く出ているだけですので、怖がらないでくださいね」


 そして、あらかじめ用意されていたプロジェクターを使って、彼は説明し始めた。


「虚の基本知識は先ほどの授業で大いにわかったと思います。さて、ここからはどうやって虚を払うのか、という話です」


 やはり先ほどのただ知識を知ってもらうだけの授業よりも、対処法の授業の方が皆聞きたいらしく、前のめりになっている。そんな中、後ろのドアに1番近いところら辺に座っている生徒たちだけはやる気がなさそうに話を聞いていた。


「皆さん知っているとは思いますが、虚は普通の武器では倒せません。それが戦車であろうが、なんであろうがです。そこで、普通は呪術的薬剤を塗り込んだ武器を使います。その呪術的薬剤が日本では柊桃香しゅうとうこう、海外では聖水です」


 鳴宮はそう言うと、隣にいた副担任の国永満くにながみつるが持っていた段ボールを受け取り、中から2つの試験管と試験管立てを取り出した。どちらも無色透明で見分けは全くつかない。しかし、1つの試験管の蓋を開けると甘い桃のような花のようないい香りが漂ってきた。


「柊桃香は強い匂いがするので、邪気避けとしてフレグランスみたいに使うことも可能です。柊桃香の方が虚に特化していて、聖水は邪悪なるものなら全て払ってしまうので、人外たちは柊桃香を主に使っていますね。柊桃香は陰陽連と呼ばれる陰陽師が所属する日本の組織が製作しており、聖水は聖なる神に使えるエクソシストたちの総本山であるヴァチカンが製作しています」


 おそらく柊桃香である方の試験管の蓋を閉じると匂いはしなくなり、聖水の方の試験管を開けても何も匂いは感じなかった。クラスのほとんどの生徒たちが感嘆の声を上げる中、小さく舌打ちをする音が聞こえてきた。先ほどのやる気がなさそうだった3人の生徒たちだ。その3人のうち茶髪の生徒が意外にも手を挙げる。


「どうしたのかな?」


 鳴宮は見事なアルカイックスマイルを浮かべ、茶髪の生徒――来栖旬くるすしゅんを見遣る。来栖は大袈裟にため息を吐きながら手を首に置いてやけに気取った様子で喋り出した。


「そんな簡単なこと、誰でもわかるからさ、さっさと開花武器の話してくんないかなぁ? 俺ら寝そうなんだけど?」


 鳴宮のアルカイックスマイルが一瞬ピキと動いたが、持ち直したらしく「そうだねぇ、確かに時間は有限だしねぇ」と言って場を緩めた。

 

 来栖旬――彼は日本でも有数の大企業、来栖グループの社長子息である。来栖家は今は陰陽師の力を持つ人間はいないと言われているが、平安の世――人外が当たり前のように闊歩し、人間を襲ったり騙していた時代ではそれは優秀な陰陽師の家系だったらしく、それが天皇の耳に入り、現代までその栄華が受け継がれている。政界にまで届く声は国を裏側から操っているとも言われるほどで、この天明学園も来栖家の絶大な寄付金のおかげで潤っていると言っても過言ではない。そんな来栖家の当主の息子である来栖旬に誰も逆らえるはずがなく、横柄な態度も許されているのだ。


 志乃は来栖のことは何も知らない。それは来栖旬が高校から入ってきた高入生だからだ。志乃はこの時点で来栖の好感度がマイナスになった。これからもっと下がるとも知らずに。

 鳴宮が咳払いをして話を続ける。


「先ほど来栖くんが言ってくれた通り、開花武器と言うものがあります。それが薬を使わなくとも武器だけで虚を払えるものなんです。実際に見せた方が早いですかね。嗚呼、猫矢先生も国永先生もちょっと下がっていてください」


 生徒たちの期待が高まる。そこら辺から「まさか、まさかの?」なんて声が聞こえる。しかし、志乃も謎の高揚感に包まれていた。鳴宮は教卓を退けて広いスペースを作ると、手を前に出して囁いた。


「轟け、界雷剣かいらいけん


 眩い光とバチィッという音がしてそれは現れた。

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