【第4話】始まりの記憶

 3階の教室に着くと昔から知っている馴染みのある顔も全く知らない顔もいた。その中で一際目立つ女子が1人。先ほど志乃に話しかけてきた生徒、水無瀬アリスだった。アリスは群を抜けて煌めく容姿と面白い会話で、生徒らは男女構わずアリスに釘付けである。


「うぇ、やっぱ、こういうタイプか」


 隣で日南が何かを呟いたが、それは志乃には届いておらず、キョトンという顔をした。

 黒板に張り出されている座席表のプリントを確認すると、なんと日南と志乃は前後だったのだ。


「今年はついてるぅ! やったね、志乃!」


 日南は志乃の手を握り直して後ろの方の席に移動する。志乃も日南の腕に手を回して、きゃっきゃと喜んだ。

 この様子を見ていた小・中等部から一緒だったメンツはニンマリと優しく見守っていた。当の本人たちは知らないが、癒し要因として学校内でそれなりに有名なのであった。

 

「せんせー来たぞ!」


 顔見知りの男子が叫ぶ。ガラララと扉が開き、生徒たちは慌てて席に座った。


「おはよう! 初めましての人は初めまして! 顔見知りのお前らは久しぶりだな! このクラスを担当する猫矢菜子ねこやなこだ。この通り猫又だ。よろしくな!」


 ピコピコと動く耳。髪色からして錆猫だろう。肩くらいまでの髪を外巻きにしている。彼女は黒板に名前を書いて自己紹介をした。その瞬間、うおおおおぉと主に小等部、中等部からエスカレートしてきた生徒は男女共に雄叫びをあげて、歓喜した。やったぞと、なーこ先生だと。高等部からの生徒は雄叫びを上げているヤツらを見てドン引きしていた。

 


――ガラララ、


 歓喜の雄叫びを遮るようにして女子生徒が遅れて入ってきた。猫矢が呆れた表情で注意をする。


「入学式当日から遅刻だぞ。早く席につけ」


 先生の声を聞いて、彼女は顔を上げた。彼女は今にも倒れそうなくらい顔色が悪かった。


「お前、顔色悪すぎるぞ……! 早く保健室に行ってこい!」

「……せんせー、黒猫を拾ったんですけど、どうしたらいいんですか?」


 猫矢の問いかけには応じずに、訳の分からない返事をする。

 

「黒猫……? なんのこ……!? まずい、みんな逃げろ!」


 猫矢が突然叫んだ。

 すると、女子生徒の影からどぷりと黒いものが溢れ出し、あっという間に猫の姿になった。


虚人うつろびとだ!」


 猫矢のその言葉に皆、各自行動を起こした。戦える者は手早く武器やら何やらを取り出し、戦えない者は後ろの扉から逃げようとした。

 虚人である猫が本物の猫のように伸びをする。そして、閉じられていた目が開かれた。


 黄色の瞳がぐるぐると廻る。黄色い瞳がこちらを見つめる。


 その瞬間から生徒たちそれぞれが起こそうとしていた行動は何も意味をなさなかった。

 動けないのだ。虚人から発せられる妙なオーラのようなものによって、指先でさえ動かない。誰もが未知への恐怖を感じた。


「……ィタァ」


 虚人が真っ赤な口を開けて嗤った。

 そこで、その場にいた者たちの勘は当たってしまった。ありえないのだ。虚人は理性がない化け物、喋るわけが無い。皆が畏怖の表情を浮かべる中、志乃はなんとも言えない恐怖に包まれていた。だっては志乃の方を見て「いた」と言ったのだから。


 皆が動けない中、志乃が後退りすると教室の前方にいた虚人が居なくなっていた。

 

 影が落ちる。黒い影が。

 ふと、上を見遣ると、黒い厄災はいた。あの小さかった黒猫は志乃をすっぽりと覆うくらい肥大化していて、天井にくっついていた。ニチャアと赤い口を変形させて、まるで獲物を見つけた獣のように嗤う。


「……っ! 日南ちゃんはダメ!」


――ドォン! ガシャーン!


 虚人は志乃を巻き込み、窓ガラスを割って3階から落ちた。志乃は間一髪のところで日南を突き飛ばして、自分だけが落ちるように仕向けたのだ。


「志乃っ!」


 日南が割れた窓から乗り出し、叫ぶ。

 志乃は決して手を伸ばさなかった。日南を巻き込まないために。

 落下の途中で志乃は自分に張り付いていた虚人を力一杯蹴り飛ばした。すでに黒猫とは言い難い形の虚人は校舎に激突し、志乃は綺麗に地面に着地した。そして全速力で人気のない校舎裏へと向かった。虚人も激突したことに全く動じず、8本足をジタバタさせて志乃を追う。



「ハァッ、はっ、やっぱり私が狙いなのか……!」


 志乃は走りながら武器の代わりにと思い、いい感じの棒を拾って校舎裏で虚人を待ち構えた。


 何故私を狙うのかなどと言う思惑にふける時間も無く、虚人は志乃を襲う。虚人の足のようなものがしぱと頬を掠り、鋭い痛みを感じた。血がたらりと滴り落ちる。眼鏡も吹き飛び、志乃の新しい制服はすでにボロボロである。何度も反撃をするが、ただの棒では叶うはずがない。そして虚人の攻撃がお腹に直撃してしまい、そのまま校舎に叩きつけられた。


「かふっ……」


 校舎に叩きつけられた反動で、うつ伏せに地面に倒れ込み胃の中のものを吐き出してしまう。そんな好機を見逃すはずが無く、虚人は志乃の上に覆い被さった。上から志乃の頬の傷を舐め取られる。


「びミ、ヤはり、ャハり」


 喋るはずのない虚人が血の味の評価を述べる。

 志乃には恐怖でしかなかった。志乃が恐怖し体を震わしている間も虚人は志乃の色々な傷の血を舐める。志乃はあまりの恐怖から涙を流してしまった。

 すると虚人の黄色い瞳が薄く形取った。恐怖し、涙を流す志乃を嗤っているのだ。


 そして――虚人の足が志乃の心臓を狙い出した。


 その光景を見た志乃に一気に走馬灯が駆け巡る。

 家族との記憶、友達との記憶。かけがえのない15年間の記憶。


『愛している、――』

(え……? 誰の記憶?)

『私もですよ、――様?』

(心地いい、思い出…………)


 自分のものではないのに、どこか心地良い、そんな記憶。そして――


『あなたは、まだここで死ぬべきではない。だってあの人にまだ出会ってないのだから……』


 誰だか分からないその声で、諦め閉じていた瞳は再び開かれた。


「ここで死ぬわけにはいかない! 私にはまだやるべきことがあるの! 生きて、あの人に会わなきゃいけない! 今度こそ!」


(なぜ、そう思ったのかも分からない。あの人って言うのも誰か知らない。だけど、だけど!)


 そう叫んでいた志乃の黒髪はいつの間にか絹糸のような白髪となり、頭にはムーンストーンのような白い角が2本生えていた。ホワイトオパールのように様々な色を映し出す銀灰色の目の中に細長い紫色の瞳孔がある。そのことに気が付かないまま、志乃は体を起こし、背中に張り付いていた虚人を刀で刺していた。その手に持っていた刀は、持ち手も刀身も全てが純白の刀であった。武器と言うよりも美術品のように、宝石のように煌めく、美しい刀。


――イギャァ!


 刺されたことにより、志乃の背中から剥がれた虚人はヨダレのように黒いものを飛び散らしながら志乃に向かって突進をしてくる。

 しかし、志乃はもう怖くはなかった。なぜだか分からないが、あの人が守ってくれているような気がしたからだ。

 

 志乃は刀を両手で持ち直し、大きく振り上げる。そして虚人が近距離まで迫った後振り下ろした。

 虚人は足で攻撃を防ごうとするが、志乃は力技で切り伏せたのだった。消える直前、虚人はこう言い残していった。


「あノ方ハァ必ず見つヶ出す……」


 そして跡形もなく消えてしまった。核となった猫はもうダメだったのだろう。

 消えたのを確認すると、志乃もその場に倒れ込んだ。




***

「志乃!」


 蒼真と紅賀がやっとの事で校舎裏に来た時は全てが終わっていた。倒れている志乃を抱きしめ、開花した姿の妹を見て蒼真は言った。


「……開花してしまった。絶対に今度こそ守るんだ。志乃には言うなよ」

「分かっている……」


 紅賀は暗がりでもわかるほど、影を落とした暗い表情で返事をした。

 徐々に志乃はいつもの姿に戻っていき、蒼真と紅賀は志乃を抱き抱えるといつもより強く抱き締めた。


 わらわらと教師が集まる。その教師陣の中から日南が現れ、志乃に抱きついた。皆口々に大丈夫か、良かった、などと言い合い、安堵した。その様子を見ている者がいるとも知らずに。





***

「白い髪に白い角、銀灰色の瞳、ね……もしかしたら……ねぇ、期待しちゃうなぁ……」


 その者は学校の屋上のフェンスの上で黒い髪を靡かせ、赤と黄の瞳を揺らめかせながら恍惚の表情で口を開いた。


「とりあえず、報告、かなぁ? あの方に、ね……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る