第22話 幼馴染と焼却

 ベルナルドの小屋を訪れたイルムヒルデは、するりと扉の隙間から室内に入ってきた。金髪がふわりとなびいた跡を、甘美な香りが横切った。


「いつぶりかしら。ベルちゃんが十三の時以来だから、十一年ぶり?」

「十二年ぶりだ」

「あら」彼女は軽く驚きつつ、小屋の中をぐるりと歩いた。「いい小屋ね。ちょっと小さくて、コケの匂いもするけれど。気に入ったわ」

「気に入った、って……」

「もちろん、二人のとして。言ったでしょ。愛人になりに来た、って」


 青年は動揺しつつ、開きっぱなしの扉を閉める。

 その時目線はイルムヒルデを自然と離れたのだが、彼女はその一瞬をついて距離を詰め、彼に抱き着いてきた。

 背中に二つのやわらかな膨らみが当たる。


「おい……! イル姉……!?」

「ずっと会いたかった」彼女はベルナルドの背中で息を深く吸った。「ベルちゃんは違うの? 会いたくなかった?」

「そんなことは……。子供のころ、友達みたいに接してくれたのはイル姉だけだったから……」


 イルムヒルデは青年の顔を横から覗き込んでほほ笑んだ。


「うれしいっ」


 成長と共に美貌をまとったイルムヒルデに、ベルナルドも思わす赤面し顔を背けた。

 彼女は満足そうに笑うと、食卓の湯気立つシチューに眼を留めた。


「シチュー、少しもらっていい? お腹ペコペコなんだ」


 ベルナルドは承諾し、戸棚を開け、新しい匙を探す。

 が、来客は彼が使っていた匙をそのまま使い、シチューを口に運び始めた。

 気にする彼の視線に気づいた彼女は金糸のような髪を耳にかきあげ、視線のみを青年によこした。


「そんなにじいっと見られたら恥ずかしいよ……」彼女は顔を赤くしてベルナルドに背を向けた。「カリプトじゃ当たり前のことじゃない」


 しばらく青年はだまっていたが、意を決して、レースに透ける真っ白な背中へ問いかけた。


「愛人、ってなんだよ」

「言葉の通りよ。王様があなた専属の愛人候補として、私を遣わせてくださったの。『恋思合こいしあい』で道を踏み外さないように、って。それにまだ女を知らないのは問題だ、っておっしゃってたわ」


 ベルナルドは我慢できずに扉を開け放つ。冷気がびゅう、と小屋をかきまわした。


「愛人なんていらない。帰ってくれ」

「今はそういう気分じゃない?」

「そういう問題じゃない」

「もしかして帝国でもう愛人ができたの?」

「いいや」

「私のことがキライなの……?」

「……違う」

「じゃあ、どうして?」


 『恋思合』の相手と恋人になっているから、とは言えなかった。


「まあいいわ。どのみち私ここに一週間泊るから」


 その言葉通り、イルムヒルデは夜になっても出ていかなかった。

 ベルナルドは渋々、幼馴染の滞在を認めた。

 獣も徘徊する寒空の下に放り出すわけにもいかなかったからだ。


 その夜、イルムヒルデはたくさんの思い出話を語り、ベルナルドも懐かしさから次第に頬を緩ませていった。


「ベルちゃん、覚えてる? あなたったらよく王様に叱られて、お城の橋の下で泣いてたわよね」

「一緒に井戸の中を探検した時もあったよね。二人とも大目玉食らっちゃって、おかしかったなあ」

「私ね、結婚するならベルちゃんみたいな人がいいなあって考えてたんだ」


 翌朝、エメラルドの瞳の彼女は、遂に誘いをかけてきた。


「なに見てるの?」


 小屋を取り巻く線、越えてはならぬと奴隷王が引いた線のギリギリに、ベルナルドは立っていた。


「山を」

「まだ雪があんなにたくさん積もってるのね。雪崩でも起きちゃったら大変。はぁ……やっぱり、溜めすぎは良くないのよ。ベルちゃんもそうは思わない?」


 それを皮切りにイルムヒルデは幼馴染の青年を、一つしかない寝台へ誘った。

 なんども、なんども。

 その手口は毎夜違っていて、耳元で誘惑の言葉を囁いたり、直接「抱いて」と言ってきたり、衣服を脱ぎ去ってベッドで待っていたりした。


 だがベルナルドは三日三晩それに応えず、扉に背を預けて眠り続けた。

 なぜなら、心の中ではずっとヴァレリアを想っていたからだ。

 敵対行動を取り、離れ離れになり、もう懲り懲りだった。

 裏切りなんかで恋人を苦しめる真似をすれば、自分で自分を許せなくなる。

 だから不断の意志を貫き通せたのだ。




   ◇




 三日目の朝、扉が叩かれた。

 ベルナルドは狂喜乱舞した。


「……おっちゃん!」

「よおベル坊、こんなところまで飛ばされやがって!」


 夢にまで見た手紙の返事が来たからだ。

 しかも届けてくれたのは懇意にしていたアイス屋の店主である。

 青年の喜びようは相当なもので、それまで彼の不愛想な姿ばかり見ていたイルムヒルデが、口をぽかんと開けて呆然とするほどだった。


「ベルナルド、そこの姉ちゃんは……」


 当然、彼女に気付いた店主が尋ねた。

 

「客だよ。昔仲が良かった幼馴染。数日間滞在することになってる」


 店主は「そ、そうか」とだけ返し、青年にヴァレリアの手紙を渡す。


「あといつもの氷くれ、氷」


 ベルナルドは苦笑し、快く氷を作ると荷台に詰め込んであげた。帰路が心配だったが、二頭立ての屋台の中から店主の身の丈ほどもある猟銃が出てきたので黙った。


 そして店主は「英雄色を好む、っていうものな」と何やら勘違いしたまま帰っていった。

 

 名残惜しそうに彼を見送ると、ベルナルドは小屋に戻り、座るよりも先に手紙を開封しようとした。

 だがその時、イルムヒルデが彼から手紙をひったくった。


「何するんだ」低い声でベルナルドは言った。「イル姉、返してくれ」


「これが、私を受け入れてくれない理由なんでしょ。さっきのおじさんの態度を見て確信したわ。女からの手紙ね」


 チラ、と彼女の視線は、炎が煌々と盛る暖炉を向いた。


「まさか」とベルナルド。「よせ、イル姉」


「こんなもの……!」


 彼女は手紙をグシャリ、と握り潰し、燃え盛る暖炉の中へと放り込んでしまった。


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