第20話 手紙と愛人

 奴隷王に続いて、ベルナルドは緑の地を踏みしめた。

 帝都から二日、馬車を走らせた末にたどり着いたのは、何もない平野のど真ん中。

 そこにポツリと一軒の丸太小屋がある。全体は黒ずみ、陽の当らない側にはコケがむしている。

 海に小さく浮かぶ無人島のようだった。

 

「良い家だろ」奴隷王が言った。「一歩外に出ればラコアップの山稜を見渡せる。緑は豊かで、動物もわんさかだ。熊もしょっちゅう出るが、まあお前には関係ないか。食料は一週間おきに最寄りの街から届けさせる」


 青年はうつむきながら、「わかった」と答えた。

「そう嬉しそうにするな」と父は笑った。「お前がクソガキの頃から口酸っぱく教えてきた俺様の名言、言ってみろ」

「『努力を絶やすな。努力し続けろ。やるべきことをひたすらにやれ』」


 ガシガシ、と奴隷王はベルナルドの頭を雑に撫でた。


「いい子だ、ベル。そうだ、続けることは何より大事なんだ。『恋思合こいしあい』も続けろ。カリプトが潤う。だがあの恋愛に進展はあっちゃならん。進展は終わりに近づく。だから『恋思合』以外で決して、あの女と会うんじゃない」

 

 すると奴隷王は近くに落ちていた薪を拾い、それで家を取り囲むようにガリガリと線を描いた。玄関から五、六歩も歩けば越えられるほどで、お世辞にも広い空間とは言い難い。


「この線の内側が今日からお前の家だ。線を越えることは許さん。わかったな?」


 唇を噛んで聞いていたベルナルドは思わず顔を上げて奴隷王を見た。だがぎろりと見返されると、目を伏せて、「はい」と返した。


「俺様はお前の為を思って言ってるんだ。デスイエロ将軍……あの女はお前を誘惑する。お前だって、まだ女を知らんだろう。そこは俺様の教育ミスだった。――だが心配するな、俺様はミスを認めてしっかりと次に活かす」


 そして言いたいことを言った奴隷王は、さっさと馬車に乗り込み、自身の居城へと戻っていってしまった。


 だが王の最後の方の言葉は、もはや息子の耳に入っていなかった。

 ベルナルドの関心は、アイス屋の店主に託したあの手紙にあったのだ。

 あの手紙を読んで、ヴァレリアはなんと思うだろうか、と。 




   ◇




「アイスクリーム屋が来た」、その一言をマリーから聞いた瞬間、ヴァレリアは飛び起きて、毛布を体に巻き付けたまま裸足で玄関へと駆け付けた。


 そしてアイス屋の店主から手紙をひったくると、その場でむさぼるように読み始めた。

 手紙は急いで書かれたようで、筆跡は今にも走り出しそうなほど乱雑だった。

 だが最後の一文だけはゆっくりと、丁寧に書かれている。 


 ――――――


 ヴァレリアへ

 俺は帝都を離れて、田舎の山のふもとにある小屋に軟禁されるみたいだ。

『恋思合』の時だけ外出が許されることになっている。

 つまり、前みたいにはもう会えなくなる。


 玉座の間でのこと、すまなかった。

 だがあの時、俺が強引に間に入らなければ、きっと父はお前に殺されていた。

 そうすればお前は俺も殺さなくてはならなかっただろう。

 あるいは俺がお前を……。

 とにかく、もう一度『殺死合』に戻るような真似だけはごめんだった。


 父は孤児だった俺を拾い育ててくれた人だ。

 あの人に多すぎることを教わった。だから、俺は父に味方するしかない。


 この一件でお前を失望させたと思う。

 お前の心が離れてしまっても、仕方がない。

 責めることはしないし、面と向かって嘆くようなみっともない真似もしないつもりだ。


 だけどもし、まだ俺のことを少しでも想ってくれているのなら、どうか知っておいてくれ。

 帝都を離れると思うと、会えなくなると思うと……、

 前にもまして、お前のことばかり想うようになったことを。


 会いたい、ヴァレリア。

 一目でもいい、お前に会いたい。


 ベルナルド


 ――――――



「マリー」

 ヴァレリアは毛布を床に放り、目元を袖で拭いた。泣きどおしだった女性の姿は消え、デスイエロ将軍が出現した。

「伝令を手配してくれ。北西のバックス地方に派遣している三十六火焔師団、あそこの師団長の中将宛てに手紙を届けさせる」


「しょ、承知いたしました!」


 マリーにはヴァレリアが何をしようとしているのか、ほんの一部しか読み取れなかった。

 だが、将軍の体と心に活力がみなぎったこと。

 そしてその源泉が、ベルナルドへの愛情から来たものであることは疑いようもなかった。




   ◇




 ベルナルドが小屋で過ごし始めて三日が経った。

 小屋には干し肉、コーヒー豆、茶葉、乾燥させたフルーツといった備蓄があった。

 唯一の懸念といえば、物資の支給は一週間おきにも関わらず、ベルナルド一人で食べ尽くすには備蓄の量が多すぎることくらいだろうか。

 

 だが全般的に見れば皮肉なことに、彼の暮らし向きは帝都時代よりも改善されていた。

 家も広くなり、天井に頭をぶつけることも、ベッドの上で一日の大半を過ごすこともなくなった。


 それでも彼は、一日に何度も小屋を囲む線の際に立って、帝都のある南を見つめ、地平の向こうから手紙の返事がやって来はしないか気にしていた。

 そしてその度に、

「待っているだけじゃダメだ」、

「線を越えてしまおうか」、

 という考えが湧きもした。

 だがふと我に返ると、小屋の中で暖炉の火に当たっている始末。

 彼は日に日に自身への失望を深めていった。


 しかし三日目の夜はそうではなかった。

 扉を誰かが叩いたのである。


「っ! ヴァレリア……?」


 彼は真っ先にその名を口にし、すぐに扉を開けに向かった。

 そこに立っていた女性は――ヴァレリアではなかった。


「お久しぶりね。ベルちゃん」


 もし帝都を歩けば、絵画のモデルになってくれ、と幾人もの画家たちが彼女を取り囲む。そんな情景が浮かぶほどの美女だった。

 エメラルド色の瞳、細くまっすぐ伸びた鼻筋、なだらかな微笑をたたえる唇、まっすぐ下ろされた金の長髪、すらりと曲線美を描く肢体。

 何もかもが美しく、完成されている。


「――イル姉?」


「ええ。私よ、イルムヒルデ。――ベルちゃんの、愛人になりに来たの」


 彼女、イルムヒルデはベルナルドの幼馴染だった。

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