第19話 激怒と別離

 ベルナルドを故郷に連れて帰り、帝都への行き来は『恋思合こいしあい』の際にのみ許可する。

 帝国側の人間はもちろん、ベルナルドにとってもその決定は寝耳に水だった。

 彼はすぐさま育ての親に抗議した。


「父さん。急に来たかと思えば、何を言い出すんだよ。帝都にいた方が『恋思合』だって順調に――」


 瞬間、奴隷王の顔が豹変し、憤怒に染まった。


「――この能無しがぁッ!」


 息子の頬を、奴隷王は平手で打った。続けざまに鳩尾みぞおちへ膝をたたき込み、咽喉を突く。そして終いには息子の顔に唾を吐きかけた。


 だがベルナルドやヴァレリアの体の強靭さは常人のそれではない。今の仕打ちを受けても彼の体はビクともせず、怪我も負ってはいない。


「『殺死合ころしあい』の時、お前が帝都に住むことを認めてやったのは、闘技場の建設に適した地がここにしかなかったからだ。だが恋仕合ともなれば話は変わる。、ってやつには共同出資者である俺様にも、決定権の半分があるんだからなぁ。何もこの女と毎回帝都で会う必要も、帝都に住む必要もないわけだ」


「よくも……よくもベルナルドに……」


 ヴァレリアは握り締めた拳から血が滴り、グローブの中に溜まっていくのを感じていた。今までのように彼と会えなくなることも腹立たしい。だがそれ以上に許せないのは、ベルナルドが受けた仕打ちだった。

 かつて見たことがないくらいに、彼の表情が暗く沈んでいる。


 だが彼女は耐えた。怒りを制御するのを忘れてしまえば、すぐ隣にそびえる鋼鉄の騎士の像が溶解してしまう。天井にかかるタペストリーも発火するだろう。そんな粗相はできない。


 奴隷王は続ける。


「帝国人の奴らにいらんことを吹き込まれる可能性もある。ベルナルド、お前が負けたらカリプトはどうなる? 我々の大切な故郷が焼け野原になってもいいのか? あん? 俺様は知ってる、お前はそんな親不孝者じゃない」


 ベルナルドはかき消えそうな声で「はい」と呟いた。

 その時、皇帝が言った。


「ベルナルド君は仮にも『終焉兵器しゅうえんへいき』。帝国、カリプトの国土を永遠に凍り付かせることが出来る力がある。そんな存在相手に斯様かような振る舞いが出来るとは大したものじゃ」


 明らかな皮肉だったが、奴隷王はそれを賛辞と受け取ったらしい。


「こいつがカリプトの地を凍らせることは未来永劫無いぜ。赤ん坊のころから厳しくしつけてきたからな! 俺様には絶対に逆らえんように教育しておる。――それに何をしても傷つかない。だから、何をしてもいいんだ。全くいい息子を拾ったよ、俺様は」


 鋼鉄の騎士像が瞬く間に赤熱し、輪郭を失って溶解していった。

 その隣には、熱源であるヴァレリアがいる。

 今すぐに駆け、奴隷王のヒゲ一本残さずに焼却することも、彼女には容易だった。

 だが、できなかった。


 奴隷王を庇って、ベルナルドが立ちふさがったからである。彼は氷の壁を自分と王の前に張った。


「――今すぐ炎を収めろ、デスイエロ。カリプト王への手出しは俺が許さない」


 闘技場で相対していたころの表情になっていた彼を見た途端、ヴァレリアの怒りは霧散し、炎は萎縮するように弱くなった。


「ベル……、っ……!」


「ハッハッハ! もういい、いいんだ息子よ。お前の父への愛は存分に受け取った! 俺様に任せろ。家も生活道具も慰み用の女も、必要なものはすべて用意してやる。とにかくこんな国から、そしてあんな焦げ臭い女からは離れてろ。さあ行くぞ、帰りの馬車を待たせてある」


 ヴァレリアの炎が、吹かれた蝋燭のようにふっと消える。

 そして奴隷王は息子の肩を抱き、玉座に背を向けて外へと出ていく。


「ベルナルド……!」


 か細い声で彼を呼ぶ。彼だけにはきっと、聴こえているはずの声で。


「ベルナルドぉ……」


 だが、返事はなかった。

 膝から崩れ落ちそうになるのを、ヴァレリアは必死に耐えた。生まれて初めて味わう敗北感と絶望が、体から力を奪っていく。


 その時、ベルナルドが足を止めて、玉座を振り返った。


「俺はまもなく帝都を出ることになる。デスイエロ、あんたとはまた次のデート、『恋思合』で会うことになるだろう」


 彼は視線を落としながら、唇を噛んでいた。


「――前に食べた『アイスクリーム』、あれは美味かった」




  ◇




 夜も更けて、地平線の奥が白み始めた頃。

 一睡もしていなかったマリーは、今夜七度目となるノックをした。

 部屋の主の返事はない。


 昨晩、『ベルナルドが奴隷王と共に帝都を発ち、カリプト領にあるラコアップ山脈の麓へ向かった』、との号外が街をにぎわせていた。


「……もう我慢の限界」彼女はそう言って、腰から下げた鍵の束の中からヴァレリアの私室のカギを探り当てた。「申し訳ありません。今はきっと、緊急時ですよね」


 はじめ、部屋には誰もいないように見えた。

 だがベッドの方からすすり泣く声が聴こえたので、マリーは恐る恐るそちらに歩み寄り、手に持った燭台をかざしてみた。


「ひっぐ、うぅ、うああああ……」


 ぐっしょりと濡れたベルナルド人形を顔に押し付け、ベッドで号泣しているヴァレリアがいた。


「……斬新な嘆き方ですね。まさか夕方、べそをかきながら走って帰ってこられたときからずっとですか」


あふぁりまえふぁ当たり前だ……ううううぅ……」


「やれやれ。部屋の備品をことごとく炭にされていなかっただけマシですかね。……で、諦めるおつもりですか?」


「……!」


 ピタリ、と泣き声が止まった。人形がじわじわと下ろされ、夜通し泣き続けた顔が出てくる。そんな顔でも瞳の深い青や唇の桜色は不変だった。赤く腫れた目の周りや火照った肌に至っては、ヴァレリアの美しさを絶対的なものからおぼろげで儚いものに転化させており、マリーの胸にはかつて遭遇したことのない感動が打ち寄せた。


「ヴァレリア、様……」


「ぐす、だってもう前みたいに会えないんだぞ……。『恋思合』のデートは形式的なもので、どんどん記者たちの粘着がひどくなってる。聞き取られないように言葉は交わせても、決して触れ合えない。あの忌まわしいイヤリングを研究所ごと燃やして妨害したと思いきや、次はこんなことになるなんて……。ベルナルドに会いたい……」


「そう、ですね。確かに国外に出ていかれてはさすがにこちらも打つ手が――」


 その時、屋敷の呼び鈴が鳴った。

 マリーは「ああもう」と苛立った。「またこんな時間に、どうせ宮殿からでしょ。いっつもいっつも、ろくでもない情報ばかり送ってくるんだから」

 彼女が烈火のごとく「はい、どちら様!?」と勢いよく扉を開け放つ。

 

 そこには小柄な初老の男性が手紙を手に立っていた。彼の背後には、人力車を改造したアイスクリーム屋台が鎮座している。


「あ、いやオイは決して怪しいもんじゃ……。ダチ公からお宅宛てに手紙を預かったのと、『ここの主はアイスクリームが好きだから、定期的に営業に行け』と勧められたんでさぁ」



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