第二章 誰もベルナルドを追い詰めない

第17話 説教とサウナ



 ベルナルドとつかの間の逢瀬を終えたヴァレリアは、夜のとばりの中を音もたてず、野良猫にさえその気配を感づかせることもなく、自宅前に戻ってきた。

 恋人からもらった麻袋を抱え、ふんふん、と鼻歌を口ずさみながら階段を駆け上がる。

 そして感慨にふける。


「はあ……生まれてきてよかった」


 ガサガサと袋を開けて中を覗く。こみ上げる笑みが抑えきれない。

 しまいには多幸感が勝りすぎて、こんなに幸せでいいのだろうか、と涙さえ出てきてしまう始末である。


「ぐす……」


 あふれる感情はあふれるままに任せ、彼女は扉を開けた。


「ずいぶん遅いお戻りで」


 目の前に世話係のマリーがふくれっ面で立っていた。


「わっ!」ヴァレリアは仰天して袋を落としそうになる。「ま、マリーか。いつ戻ったんだ?」


 紅のサイドテールを左右に揺らしながら、ヴァレリアの友人はわざとらしく大きなため息を吐いた。


「ついさっきです。ビーチでそりゃもう目いっっっぱい、羽を伸ばさせて頂きました」

「お前がいない間いろいろあったんだぞ」屋敷の主は言う。「とにかく、戻ってきてくれてよかった。話したいことがあるんだ。さあ本官の部屋へ」


 だが少女はその場で、小さな口から次々と、一斉掃射のように言葉の弾丸を発射した。


「我慢できずに告白しちゃったんですよね。……でも、目を真っ赤に腫らして、嗚咽まで漏らされていた、ということは……。ああ、可哀そうなヴァレリア様。前回同様まともに受け止めてもらえなかったか、あるいは、「頭おかしいよお前」とか言われたのね。でもこれで分かって下さったでしょう、告白はベルナルドさんに任せて待つべき、と私が猛反対した理由を。今一度お考え下さい。帝国の未来以上に大切なものがあるでしょうか? 大事なのは『恋思合』に勝つことであって、あの男と恋人になることではないんです。今は失恋の痛みが、私をひどい友人だと思わせているはず。でも構いません、だって……あれ? それならなぜ告白の件がバレてないんでしょう……?」


 長々と説教を垂れていたマリーだったが、「そもそも告白が失敗したのなら表沙汰になって、『恋思合』はとっくに終わり、帝国も敗戦国になっているはず」という至極当然の結論に至った。



   ◇



 私室に入るとすぐに二人は膝を突き合わせて腰かけた。

 ヴァレリアはここ数日に起きたことの一切をマリーに打ち明けた。

 並みの人間なら鼓膜が破裂しそうな絶叫が響く。


「ぇぇぇええええええええええええ!? えっ? ええええええ!?」

「この部屋の防音機構を突破しそうな声量だな」

「感心してる場合ですか! いや、ヴァレリア様が想いを遂げられたこと自体は嬉しいですけど……! でも、あのベルナルドさんもヴァレリア様を、だなんて。まさかそんな」

 ヴァレリアは脚を組み、垂れていた髪を耳にかけた。

「まあ、本官の魅力にかかればこんなものさ。ベルナルドも本官にぞっこんでな……」

あつっ!! ちょ、湯気、湯気出てます!」


 マリーが必死に抗議すると、すまんすまん、と将軍は少し距離を置く。持って帰って来た麻袋をあさり、その中からやたらとクオリティの低い人形を取り出した。本来、勇ましく吊り上がっているはずの眉毛が逆にだらりと下がり、弱気で情けない顔をしている。


「あら、ベルナルド人形じゃないですか」

「『』、だ」即座にヴァレリアが訂正した。「あいつ……彼に一晩これを抱いて寝てもらってな。さっき受け取ったんだ。さて――」


 そう言うとヴァレリアはソファに全身を預け――ベルナルド人形を顔に押し当てた。


「すぅぅぅぅーーー……はぁ……」

「うわ」と思わず声が出るマリー。

「はは、どうしたマリー。死体の山を見た新兵のような声だぞ」ぬいぐるみを顔に載せたまま将軍はもごもごと言う。「いいか、街中には記者や監視役がスクープを求めて常時嗅ぎまわっている。だから本官たちは『恋思合』のデートを除けば、一日の夜遅くに、五分ほどしか会う時間を設けられなかった。五分だぞ、五分。ベルナルドの摂取量が不足しないわけがない」

「はぁ。まあ、その辺の分別はあるようで何よりです」少女が半ばあきらめたように言った。「少なくともヴァレリア様が帝国を裏切ったわけではなさそうですし」

「当然だ。そこは……どうにかする。『殺死合』だって、結果として二年も続いたんだ。長引かせて、その間に光明を見出すことだって出来るはず」

 

 マリーは遂に小言を言うのを止めて、「私だって、ヴァレリア様について行くと誓いましたから」と言った。

「苦労をかけるな」

「本当ですよ」


 マリーはベルナルドにどういう言葉で告白をしたのか、彼はどういう風にそれを受けたのか、体勢は、スキンシップは、と質問攻めに転じた。だが途中でヴァレリアの体温が上がりすぎ、部屋がサウナのようになったので大窓を開けた。二人は盗み聞きを恐れ、恋愛に関する話を止めた。

 その間もヴァレリアが顔からぬいぐるみを離すことはなかった。ぬいぐるみに襲われて意識を乗っ取られているみたい、とマリーが不気味がったが、無視された。


 やがて室温が下がり、窓も閉められると、恋の話が再開されるかに思われた。

 だがそうはならなかった。

 屋敷の戸が叩かれ、緊急の文が宮殿より届いたためだ。

 私室に戻ってきたマリーが読み上げた内容に、ヴァレリアも思わず奇声ぬいぐるみをはがして、真顔で聞き入った。


『カリプト王が帝都を訪問すべく、既に首都を発った』


「――だ、そうです。カリプト王といえば、奴隷商人から成り上がった『奴隷王』の名で知られています。……孤児だったベルナルドさんを見出し、教育し、育て上げたのも彼です。つまりベルナルドさんの父親、と言って差し支えないかと」


 マリーの言葉に何度も眉を上げたり下げたりしていた将軍は、瞳に鋭さを宿らせていた。

 事実上の停戦状態とは言え、戦争関係にある帝国の首都の土を敵国の王が踏むのだ。つまり『恋思合』ひいては戦争そのものにおいて、変革が訪れるであろうことはほぼ間違いなかった。


「敵国の最高権威がノコノコと入り込んでくるわけか。命知らずとはこのことだな。で、未来のお義父様とうさまはいつ着く?」

「おとうさま……? あ、二日後の見込みだそうです」

「二日後、か。恋人の親に挨拶する時、ふつうはどうする。『息子は頂いた』、か?」

「それだと誘拐犯です、ヴァレリア様」



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