第15話 返事と恋人
「……さっきの好き、は、その、本官の告白に対する返事……と受け取っても良いのか?」
拒否される恐ろしさがあるのか、彼女はベルナルドから目いっぱい顔を背けて、ちっとも彼の顔をみようとしない。
「う、それは……」
自分たちは『恋思合』の最中だ。
「好きだ」、と言うのを誰かに聞かれでもしたら、その時点で戦争に決着が着いてしまう。それはどちらかの祖国が敗戦するという事。どちらかが、最大の戦犯となってしまうのだ。
したがって彼女の想いに応え、その関係を世間に秘匿し続ける道というのは最も避けるべき悪手に思えてならなかった。
本来なら彼は「違う、そんな意味はない。お前は告白した。俺とカリプトの勝ちだ」と、冷ややかに吐き捨てるべきなのだ。
だがそうはせず、代わりに彼は、懐に持っていた小包を取り出した。自作のマドレーヌを入れていたものだ。
「……今朝、マドレーヌを焼いたんだ。お前が好きだと聞いて……」
いざ包みを広げてみると、ベルナルドの顔は曇った。
マドレーヌが、ぐしゃりと潰れていたからである。
「そんな、潰れてる……しっかり気を付けていたのに……」
必死に記憶をあさる。すると彼は一つの心当たりに行きついた。
帝都の大通りで、転びそうになった服屋の店主を受け止めた。あの時に潰れてしまったに違いない。
そんなマドレーヌを見て、ヴァレリアは言う。
「一口、いいか?」
「え……でも、見た目が。本当は綺麗な貝の形だったんだ。なのに――」
「いい。食べたいんだ」
「そこまでいうなら……ほら」
「あむ…………ん!?」
口に含んだ直後、青い瞳が見開かれたので、ベルナルドも焦った。
「ま、不味かったか? 吐き出してもいいんだぞ……」
だが彼女は、微笑んだ。
「おいひい……ん……すごく」
ベルナルドは胸をなでおろして「よかった」と思わず喜びをこぼした。
だがヴァレリアは返事をはぐらかされたと感じたらしく、
「でも、なぜ返事にマドレーヌを……?」
と不思議がっていた。
包み紙を懐に仕舞い、彼はしばらく考え込んで、自分の言葉をまとめた。
「最初はお前に勝つためだった。でも、作って焼いてを繰り返していたらいつの間にか、『おいしい』と言ってもらえるのか、そればかり気にするようになってた」
ヴァレリアはにやけるのを隠せず、頬に手をあてた。
彼は続ける。
「だけど、カフェで高そうなマドレーヌがたくさん出てきたろ。あの時なんて俺、敗北感に打ちのめされてたんだよ。勝てるわけない、って。悔しかった。味とか見た目で負けたことじゃなくて、お前に食べてもらえないかもしれないと思って」
ああ、と彼女は声を漏らした。そしてうっとりとした眼でベルナルドを見つめた。
「ベルナルド……知らないだろう。お前が作ったマドレーヌを見せてくれた時、どんなに本官が嬉しかったか。どんなに、愛おしく思ったかを」
彼の顔は熱くなり、鼓動が早まる。
「でも――ヴァレリア」
「っ、名前……はじめて……、……うん」
「お前こそ、知らないはずだ。俺がそう言われて、『愛おしい』って言われて、どんなに嬉しかったか。さっき告白されたとき、何度も体温を下げなきゃいけないくらい緊張したか」
「……! ほんとう、なのか?」
上ずった声が出そうだったベルナルドは、言葉にするのが恥ずかしかったので、こくり、と頷く。
「本当だ。俺もきっと……いや、間違いなく、お前と同じ気持ちだよ」
ヴァレリアは信じられないといった顔で驚いた。そしてすぐに破顔して、喜びを抑えきれずに、身悶えしながら声にならない悲鳴を上げていた。
「で、でも!」思い出したように彼女が言った。「『恋思合』がある。本官とお前は普通の恋人たちみたいに、会ったり、愛し合ったり出来ないんだぞ……それでも、いいのか?」
「だったら、二人にしかできない付き合い方を探していけばいい。いっしょに」
それを聞いた彼女は一層顔を赤くさせた。彼の言葉をかみしめているようだった。
「いっしょに……いっしょ」
そう呟いた彼女の瞳に、涙が湧いた。
ポロポロと零れ始めたそれに、ベルナルドはどうすればいいのか分からず狼狽えた。
やがて彼女の両手が広げられて、
「ぎゅ、ってしてくれ」
と言われた。
断る理由はなかった。
「えへへ」甘えた声でヴァレリアが、彼の胸元に顔をぐりぐりと押し付けた。「ベルナルドの体、ひんやりしてる。ずっと思ってた通りだ」
ベルナルドもおそるおそる彼女の背中に手を回した。明らかに熱かったが、彼女の炎に比べたら、なんてことはなかった。
「……ヴァレリアは、温かいな。思った通りだ」
見つめ合った二人の間に笑みがこぼれた。
相手を抱き寄せ、体温を分かち合う。まるで溶け合っていくような時間は、あっという間に流れていった。
しばらく抱擁を交わしたのち、ベルナルドは帰らなくてはいけなくなった。長時間の滞在は――ましてや宿泊などは――色々な意味で“危険”だと二人の間で意見が一致した為だ。
だが去り際、ヴァレリアは目に見えてしょんぼりとしていた。
あまりにも落胆したその様子を見たベルナルドは、もう一度彼女を強く抱きしめ、おやすみを言わずにはいられなかった。
◇
ベルナルドは何度も体を冷やしながら帰路を急いだ。
そしてついさっきまで会っていたのに、自宅の玄関をくぐるよりも先に、恋人に「会いたい」想いが募る。
絡み合わせた手、寄せあった体のぬくもり、頭をすり寄せながら交わす睦言の甘さ。
何もかもが未知で、何もかもが至福だった。
玄関を閉め、その場でずるずると座り込む。
「どうしよう……俺の方が夢中になりそう……」
もはや頭の中は「次はいつヴァレリアに会えるのか」でいっぱいになっていた。
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