第11話 不機嫌と甘え


 今度は寝過ごしもせず、ベルナルドは余裕を持って宮殿の更衣室に到着した。

 しかしそこにヴァレリアの姿はなかった。

 衣装係に聞いても「何も聞いておりません」の一点張り。

 さらには着させられた服装も一回目と同じ黒のスーツ一式だった。



  ◇


 

 宮殿から歩いて二十分ほどの大通りに面したカフェ、そこが今回の待ち合わせ場所だった。

 主に貴族階級が使う店で、入店にはドレスコードは必須。ベルナルドはようやくスーツを着た理由に得心がいき、案内されるまま店員について行った。

 

 店内には賑わっていたが、ベルナルドが姿を見せると、店内は水を打ったように静まる。

 何組かはそそくさと席を立ち退店し、その波は連鎖的に広がっていく。

 やがて店には、奥の席で待っていたヴァレリアと、ベルナルド、それと店員だけになってしまった。


 ベルナルドが唯一の客がいる席まで行くと、彼女は「掛けろ」と言った。

 彼女は軍服姿だった。そのせいか、軍帽の下から覗く目つきはぎらつき、物言いや態度も尊大で、先日のような甘さは欠片もないようにさえ思えた。


 彼女は口元を拳で隠しながら、席についたベルナルドの格好をしばらく観察していた。

「変わりないか?」


 その気遣いにベルナルドは驚きながらも「まあね」と答えた。「お前は?」


「あまり。一昨日から体調が優れなくてな」


 ベルナルドはハッと視線をあげて、彼女の表情を見た。いつもと変わらないようにも見えたが、瞼はやや重たげで、いつもは桃色の唇が青ざめていた。


「大丈夫、なのか」

「支障はない」

「支障って……」

「無論、『恋思合』だ。本官に与えられた役目は果たす」

「役目って言ったって、こうやって人と会ったり話したりってのは、元気がなければ始まらないだろ。刃を研がずに戦いに臨むようなもんだ」

「戦いはどこで、いつ起きてもおかしくない。元気がないからと言って敵は待ってはくれん」

「戦いは闘技場でするもんだろ。俺たちのこれは、もっとこう、違うもんだろうが」

「何も変わらない。本官は貴様に勝つのだから」


 前回会った女性とは全くの別人と話しているような気分にベルナルドはなってきた。

 だが一方で、この話をしている間にも彼女の顔色からは血の気が引いていくようで、あまり芳しくない。

 

「……なあ、無理するな。俺が見たって調子が良くないってわかるぞ。きついなら帰って休め」


 その言葉に、ヴァレリアの瞳が不機嫌そうに細められる。


「断る。貴様に言われてのこのこと帰るなど、恥さらしも良いところだ」

「なんでそう頑固なんだ。いいさ、そっちがそのつもりなら、俺が帰るよ」


 埒が明かないと思った彼が席を立とうとすると、ヴァレリアが尻すぼみな声で、背後から声をかけた。


「待て! ……待ってくれ、ベルナルド」


 足を止めたのは、その制止に声の震えがあったためか、あるいは名前を呼ばれたせいか。彼は振り返って眉間を揉んでから、柔らかく訊ねた。


「どうしたんだよ、一体」

「……ここの料理は絶品なんだ。茶と共に一皿味わっていけ。他では味わえない高級品だ」

 

 少し迷ったが、懐のマドレーヌの存在を思い出す。

 彼はうなずいて、また席についた。


「そこまで言うなら、分かった。うまい料理は好きだ」


 その時ヴァレリアが今日初めてほほ笑んだので、彼は努めて見ないようにする。

 

 やがて運ばれてきた料理を見るなり、ベルナルドの顔は将軍よりも青ざめた。

 それは、マドレーヌだったのだ。


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