第10話 マドレーヌと恋心の芽生え
明朝、ベルナルドは噴水広場のアイス店を訪れた。安物の服と帽子、黒ぶちの眼鏡で変装しており、広場の人々はおろか半ば顔なじみとなっていた店主ですら、非常に近づかなければ彼に気づかなかった。
「よおアイスのおっちゃん。氷作りに来たぜ」
「おお? ……あんたか! 来たな」
声をかけられてようやくベルナルドを認識した店主は、カウンターの下にしゃがみこんで新聞を取り出すとその一面を指さしながら、ここ、ここ、と嬉しそうに言った。
「これ、昨日のあんたらだろ!」
「げっ……」
青年は顔を歪めた。
見出しはこうだ。
『デスイエロ将軍がまた美貌で圧倒』
紙面を大きく占有する写真には、しっかりとポージングを決めているヴァレリアと、目をつぶって体の半分が見切れたベルナルドを捉えたものが使われていた。
「
「なんでい、また酷い書き方されてんのか」
「マスコミ連中は俺を嫌いなんだよ」
「まあオイもデスイエロ将軍を応援してるがね」
「おい。……まあしょうがないか。だけど、ならどうして俺に協力を?」
ベルナルドはカウンターの内側に回り込み、往来から見えない位置で氷塊を生成し始める。
「こりゃ協力じゃねえ。等価交換ってやつさ。それに昨日のデート、腕を組んで舞台を観に行ったんだろ? ちょうどあっちの道であんたらを見かけたぜえ。その時に世、よおく分かったことがある」
「なんだよ、わかったことって」
「あんた、将軍に惚れてんだろ」
バキャッ、と作りかけていた氷塊が砕け散った。
「は、はあっ!? 何を言うかと思えば……。あんなやつ、全然好きなんかじゃないね」
「じゃあなぜオイに将軍の情報をくれって言ったんだい。気になってたからだろうが」
「あのねおっちゃん、勘違いしてるみたいだけど、それもこれもみーんな勝つためにやってんだ。あいつに告白させて勝たなきゃ俺の国が歴史から消されてしまうかもしれないんだ。必死にもなるさ。あいつが思わずキュン、と来るような作戦を考えないと」
「将軍がキュン、ねえ。……いかん、微塵も想像できん」
「どうかな」
「へえ。やたらと自信があるじゃねえか。勝機でも見つけたかい」
「それは絶賛募集中」
「駄目じゃないか」
「とにかく! 俺はあいつをキュンとさせるの!」
店が一日に必要とする量を作り終えると、ベルナルドは世間話もほどほどに対価を要求した。対価とは無論、先日交わした約束、「ヴァレリアの私生活に関する何かしらの情報」だ。
「で、おっちゃん。例の件はどうだった」
店主は周囲をちらちら見ると不敵に笑った。どうやらネタの大きさに自信があるようだった。
「将軍はな、焼き菓子のマドレーヌが好きらしいぜ」
◇
その足で青年は帝立図書館へ赴くと、焼き菓子の本をかたっぱしから借りた。窮屈な我が家に戻ると、枕元に本を積み上げてベッドでそれらを読んだ。
やがて、おそらく最もシンプルなマドレーヌが目に留まる。材料を手の甲に書き、最寄りの食品店に駆け込んだ。とはいえ表の入り口を使ったわけではない。ここの店主はベルナルドを客だと思ってはいたが、皆と同じ入り口を使ってほしくはなかったのだ。ベルナルドは裏口をノックし、顔を出した店主へ材料を口早に伝えると、少しばかり色を付けた金を渡してようやく、望みの品々を手に入れた。
材料を抱えて戻った彼は試作に取り掛かった。
何度か黒い物体を量産し、煙でむせ返るうちに悟る。
レシピ通りに作った方がいい。
マドレーヌと呼ぶに値する物体が初めて完成するまでの間に、日は沈み、また昇っていた。
その日の朝、玄関の隙間から封筒が挿し込まれた。ベルナルドはへらとボウルを握ったまま寝落ちしていたが、その気配に起きて、封筒が宮殿からのものだと分かるとすぐに開けた。
そこには五回目のデートの日付が書いてあった。
しかも明日。
急いで極上のマドレーヌを仕上げなくてはならない。
◇
また夜が明けた朝、準備は万端だった。
ベルナルドはやっとの思いで完成した黄金色のマドレーヌを、包み紙でくるんで、懐に忍ばせていた。デートの終わりごろにヴァレリアに渡し、偶然彼女の好きなマドレーヌを作ってしまったと驚かせようとしたのだ。
なにもマドレーヌで彼女の好意を得られると期待しているわけではない。
ただ運命めいたものを感じさせて、動揺させることが出来るかもしれない。
自分は彼女のことを大して知らないのだから、まずは手元にある情報でどうにかするしかない。
自分からどんどん行動を起こしていかなければ不利に追い込まれる。それが『
脳裏に刻まれた、ある一つの気づき。
ここ数日、駆り立てられるようにマドレーヌを作り続けていたのも、そのせいである。
「
火照りそうになる頬のあたりへ冷気を纏い、体の温度を下げていく。
好きとか、そういう感情はないはずだ。
だが認めなければならないのは、ヴァレリアに魅力を感じていること。
ふとした瞬間に彼女が見せる表情や声に、目を耳を奪われてしまうことだった。
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