第6話 初デートとデート服


「ひ、ひどい目にあった……」


 ベルナルドは疲れた様子で市街の道を歩いていた。

 衣装係に着ていた安服を捨てられ、髭剃り、ブラシを経て黒スーツ一式に着替えさせられた。香水を振りかけられ、噴水広場に向かってください、と放り出されてしまったのだ。


 何度も帝国市民たちとすれ違っているが、誰もベルナルドだと気付かない。過去、うかつに道を歩こうものなら石やらパンの欠片やらを投げつけられていたものだが、今日は一切なかった。

 それどころかすれ違う女性の中には頬を赤らめて顔を隠し、ちらちらと思わせぶりな視線を向けてくる者までいた。


「さっきの広場の女、やばかったよな~」


 ふと、すれ違う若い男性たちの会話が耳に入る。


「俺今まで何百人って声かけてきたけどさ、綺麗すぎて声かけられなかったのは初めてだよ……」

「ちょっとキツイ感じなのもたまらねえよな」

「でもどっかで見たことある気がするんだよなあ」


 更衣室でかけられた言葉を思い出す。


『ヴァレリア様は既にここを発たれて、噴水広場であなたをお待ちです。それはもう、とってもお綺麗でしたよ』


 もう一度ベルナルドは窓をじいっと凝視して、すこし髪をいじった。それからすう、はあ、と大きく深呼吸をして、待ち合わせ場所へ歩を進めた。



   ◇



 まもなく道が拓け、噴水広場に差し掛かった。快晴の下、老若男女問わずにぎわっている。

 広場を宿屋や酒場がぐるりと囲み、路上には手頃な軽食を振舞う出店も軒を連ねている。中央には二段の大きな噴水があり、澄んだ水がたえず流れている。

 噴水の左手には長大な階段が上へ上へと連なっていた。


「こうも人が多いと探すだけでも一苦労だな。将軍あいつはどこで待ってるんだ?」


 宿、噴水、出店へと視線を滑らせる。いない。そのまま階段に沿って左斜めに首を動かしていく。

 やがて彼の目は、人でごった返す階段の踊り場で背を向けてたたずむ、一人の女性に留まった。


 伸びた背筋、青い髪、刃物のように洗練された雰囲気。ベルナルドは確信した。間違いない。

 後ろ姿から目を離せないまま、一歩また一歩と広場を横切っていく。


 周囲の人垣も、この妙な男と踊り場の女性に繋がりがあると気づいた。人々は二人が結ぶ一線の上から、静かに退いていった。

 女性はあたりが静寂に包まれるのに気が付き、その注目の矛先へ、ベルナルドの方へと振り向いた。 


 二人の視線が交わった。


 その服装は、いつもの堅苦しく威圧的な軍帽と軍服の組み合わせではない。腰元を引き締める藍色のワンピースをまとい、つま先は海色のサンダルに通している。肩から指先は陽光を浴びて白く輝き、小さな真珠色の鞄を指からぶらさげていた。

 振り向き終えた海色の踵がコツン、と踊り場を打った。


「デスイエロ、か?」


 分かってはいたが、ベルナルドはそう訊ねずにはいられなかった。


「本官以外に誰がいる。馬鹿者」


 彼女は毛先をいじりながら、ぶっきらぼうに答えた。


「いつもと全然違うから、つい、な」


「貴様こそ、ずいぶんとめかし込んだようだな」ヴァレリアはしばらくベルナルドのスーツ姿を吟味していたが、やがて噴水に目を逸らした。青い瞳に水面がきらめく。「それで、どうだ……? この装いは。おかしくないだろうか……?」


「――おかしくなんかない」


 彼は反射的に口にしていた。

 ヴァレリアの肩が少し揺れる。


「ほ、ほんとうか? 本官、このような装いで人前に出るのは初めてだから、よく分からないのだが」


「……に、似合ってる。似合ってるよ。ここにいる全員そう思ってる。そうじゃなきゃおかしい」


 滑るように出てくる浮ついた言葉にベルナルド本人が一番驚いていた。


 思わぬ賛辞を受けたヴァレリアは大きく目を見開いて、きょろきょろと足元やスカートの裾を見た。片足を曲げてサンダルを見るとき、ワンピースの裾がふわりと広がって、白んだ階段に一輪の青い花が咲いたようだった。

 その姿は広場の人間の、そしてベルナルドの視線を掴んで離さなかった。


 ヴァレリアは言った。


「誉め言葉は素直に受け取ろう。だがこの装いは、市民のためではない」


 そして頬を緩ませた。


「お前が「似合ってる」と言うのなら、それだけで十分だ」


「っ~~! そ、そうかよ。そりゃよかったな」


 今度は青年が噴水の方へ眼を逸らす番だった。


 心臓がバクバクいってる。顔が見れない。声も思ったように出ない。

 ベルナルドはちら、と彼女をもう一度見た。症状はより深刻になった。

 周囲に氷の結晶が舞うほどの冷気を纏ってようやく、落ち着きを取り戻すことが出来た。


 だが氷を使ったせいで、観衆たちもベルナルドと気づき始める。


「ね、ねえあの男の人、もしかしてベルナルドじゃない? カリプトの……」

「そうだ、あいつベルナルドだぜ! 氷も操ってた!」

「でもなんかさ、かっこよくない……?」


 ヴァレリアに矛先が向くのも必然だった。


「ってことは、あの女の人、デスイエロ将軍か!?」

「軍服姿と印象違いすぎじゃない……!? 綺麗なのは知ってたけど、あれは反則だって……」

「『恋思合こいしあい』って今日開始だったよね? まさかここで、噴水広場で始まるの!?」


「もうバレてしまったか」広がっていく騒ぎを見ても焦る様子のないヴァレリアは、体重を預ける脚を入れ代えた。「それで、この後のプランは? カリプトの英雄殿」


 ベルナルドは「えっと」と必死に記憶を引っ張り出した。


「『写真撮影』と、『アイスクリームを一緒に食べる』、そうだ」


 アイスクリームは好きだ、とヴァレリアが言った。



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