第5話 遅刻とロマンスのささやき
『恋思合』の発表があった直後、ベルナルドとヴァレリアには宮殿から『翌朝九時に宮殿の第三更衣室へ来るように』と記された手紙が届けられていた。
だが、ベルナルドが目覚めたのは八時五十六分だった。
ベッドから跳ね起き、安部屋の小窓から手を差し出すと、住宅街の屋根に氷の橋が架かった。
橋に飛び乗り、次第に加速していく。
最初に作った橋が終わりかければさらに延ばした。
氷を手のひらで溶かして顔を洗い、寝ぐせを整える。
そうするうちに宮殿の輪郭が朝もやに浮かび上がってきた。
時間ギリギリだ。
入り口をノックする余裕はない。
だが集合場所なら知っている。
ベルナルドは更衣室に面する廊下の窓へ直通の橋を築いた。
だが当然のごとく窓は閉まっているので、滑りながら大声で叫ぶ。
「おーい! 窓を開けてくれえええー!」
しかし、開かない。
「ちょ、誰か! おいデスイエロ! いるんだろ、開けてくれ俺だ!」
家を追い出されたダメ男のようなことを言うも、窓はすでに手を延ばせば届きそうな距離だった。
盛大にガラスをぶち破るその直前、ようやく窓は開けられた。
◇
「ふぅ……遅刻するところだった」
廊下に転がり込んだベルナルドは顔を上げる。
ちょうど、ヴァレリアが呆れた表情を向けながら窓を閉めるところだった。
「まったく、遅刻してもいいから玄関から入ってこい」と彼女に咎められた。「敵襲かと思って燃やしかけた。ほら、さっさと立て。人が待ってる」
そういって彼女は、床で大の字になっている彼に手を差し出してくる。
ベルナルドは素直にありがたいと感じ、その手を取ろうとした。
だが「あっ!」と何かを思い出した様子で手が勢いよくひっこめられたので、彼は再び尻餅をついてしまった。
「な、なんだよ急に! ひどいぞ」
悪態を吐きながらベルナルドは自力で起き上がる。
一方のヴァレリアはなぜか赤面し、差し出していた手をさすりながら「て、敵の手を借りようとするな!」と吐き捨てて更衣室に入っていった。
◇
あとに続いて更衣室に入ったベルナルドは、空気の香りの違いに気が付く。
香りに温度はないが、あたたかい香りだと思った。
おびただしい数の衣服、採寸や裁縫の道具がびっしりとならぶ棚、鮮やかな色々の巻き糸、それらに窓から射し込んだ朝日がにじんでいた。
ヴァレリアの他には二人の男女が待っていた。
いずれも落ち着いた雰囲気でやせ型、猫背気味だった。
「お二人とも揃われたので、始めましょうか」
眼鏡をかけた背の高い男性が言った。
「私はラムス。帝立ガルドニクス大学の研究所長を務めています。こちらは助手のフレン」
紹介された女性、フレンは無表情のままよろしくお願いします、と一礼する。
ベルナルド達と同年代くらい、二十代半ば、と言ったところだろう。
「さて、本日は待ちに待った『恋思合』初日ですね」ラムスが言った。「ベルナルドさん、『恋思合』の勝利条件は覚えてますか?」
「『相手に好意のこもった「好き」を言わせた方の勝ち』だろ」
ベルナルドは胸を張って答えた。
「その通り」無表情で返される。「しかし『好き』という言葉だけが、好意を示すわけではありません。『愛してる』、『想っている』、『慕っている』、『そばにいたい』。これらも同様に好意を表していますね。『
言葉の中の好意なんてどうやって判別するんだ、とベルナルドは思った。
まさか常時誰かが張り付いて監視でもするのだろうか。
だがその疑問はすぐに解消された。
「大学ではこの度、『恋思合』の為に特殊な装置を開発しました。」
フレンが手のひらを開くと、そこには小さな道具が乗っていた。
金具から鎖状のチェーンが延び、その先に真珠のような球が付いている。
いわゆるイヤリングだ。
「所長命名、通称『ロマンスのささやき』です。面倒なので私は『ロマやき』と呼んでいます」
「「ロマやき」」
ベルナルドとヴァレリアの声が被った。
「この『ロマやき』の機能はたった一つ。好意ある告白』を感知すると光って音が鳴り、その時の告白を証拠として録音します。実演しましょう」
彼女が合図すると初老の男女が入ってきた。
「帝国でも指折りのおしどり夫婦、ハドラー夫妻にお越しいただきました」
互いに手を取り合って寄り添う夫妻の姿は、まさしく恋愛の一つの理想ともいえた。
ベルナルドは興味津々に夫妻の片耳に着けられた『ロマやき』を見つめ、ヴァレリアは顔を逸らしながらちらちらと、夫妻のつながった手を盗み見ていた。
「では夫妻、お願いします」
夫妻は愛おしそうに見つめ合い、やがて夫は口を開いた。
「愛してるよ」
夫の耳にぼんやりと光がともった。そして非常に味気なく、ムードもへったくれもない機械的な音声が流れた。
『ピピピッ! 愛情アリ! 愛情アリ!』
「……なんだあの音は」
「おおっ! すげえ」
ヴァレリアは苦々しい顔をしたが、ベルナルドの目には魔法のように映った。
研究員たちはハドラー夫妻に礼を言って帰らせると、二つの小箱を取り出し、青年と将軍に渡した。
箱には片耳分の『ロマやき』が入っていた。
ベルナルドは青、ヴァレリアは赤とそれぞれ色が異なっている。
「先ほどは音が鳴りましたが、当然、愛情のない人がどんなに告白しても、音は鳴りません」とフレン。
「将軍」ラムスが言った。「試しにそれを着けて、ベルナルドさんに「好き」といってみてください」
ヴァレリアは「え“っ」と締め上げられたヒキガエルのような声を上げた。
所長が笑う。
「はは、ご心配なさらず。『恋思合』の敗北は『好意ある告白』です。どうぞ好きなだけ、告白なさってください」
「あ、ああ……。そうだった、はは。……失礼、少し化粧室に」
足早にヴァレリアは更衣室を出ていった。
何もないところでつまづきながら。
◇
まもなくヴァレリアが戻ってきた。
歩くたびに真紅の耳飾りが、青い髪と瞳の隣で揺れる。
彼女が変わったのは、そのイヤリング一つだけ。だがその変化はベルナルドの視線を奪った。
「これでいいのか?」
彼女が尋ねると、結構です、とラムスが返した。
「では将軍、お願いします。『好き』の一言だけで十分です」
「ハッ、とんだ屈辱だな」眼光を尖らせ、彼女は笑い飛ばした。「気は進まないが、これも帝国の発展の為」
これほどの屈辱を人生で味わったことはない、そう言いたげな顔で、ヴァレリアはベルナルドをキッと睨んだ。
彼も喉を鳴らして、彼女を見る。
きれいな眼だなあ、とふと思う。
次第に彼女の顔がのぼせたように赤らんで、視線が泳ぎ始めた。
だがヴァレリアは目を閉じ、深呼吸をする。
そして――
「好――『ピピピピピピ!! 好きを感知! 好きを感知!』
が、最後まで言うことすらできなかった。
◇
将軍は背中を丸め、火が出そうな顔でうつむいていた。
「さっきのは……?」
だがベルナルドも混乱していた。
先日のヴァレリアの告白を嘘だと思い込んでいたからだ。
「所長、これは大問題です」
フレンが言った。
びくり、とヴァレリアが体を強張らせる。
「やはり、あの電子音と音声はダサいので省きましょう」
ヴァレリアが安堵のため息を吐いた。
所長は頭を掻く。
「そうかぁ。やっぱり要らないか。いやいやそれ以前にまともに動作しないことが問題だよ。おかしいなぁ。設計もテストも十分に行ったのに」
うーん、と唸って考え込む所長にフレンが、ずい、と近づいて提案をした。
「では私が試してもよろしいでしょうか」
許可を得た彼女はヴァレリアからイヤリングを外し、自身の耳に着けた。
そして所長に向き直った。
「所長、好きです愛してます結婚しましょう」
『ピピピ! 好きを感知! 好きを感知!』
フレンは無表情のまま紅潮していた。
その告白を聞いたラムス所長は、えっ、と大きな声を上げる。
「――なんだよ、完全な故障じゃないか! デスイエロ将軍、失礼しました。『ロマンスのささやき』は再度調整したのち、後日提供させていただきます」
フレン君、今夜は缶詰だっ、と所長が意気込んで飛び出すと、若き研究員もその後に続いて出ていった。
「……なんだか、壊れてたみたいだな、あの機械」とベルナルド。
「本官……」
ヴァレリアが呟く。
「ん?」
「「す」しか言ってないのに……。一音しか発してないのに……」
妙なところで落ち込むんだな、とベルナルドが思ったのもつかの間、更衣室へ妙齢の女性たちが入ってきた。
いずれもシワひとつない服を完璧に着こなしていた。
「ここからはわたくしども、衣装係が引き継ぎますわ。お二人にはこれから、デート用のお洋服に着替えて頂きます。魅力を最大限に引き出し、一生の思い出として頂けるよう、全力を尽くします」
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