第4話 帰宅と偏愛
将軍が馬車を降り、豪奢な自宅に帰り着いたとき、陽はほとんど暮れていた。
玄関では主の帰宅をメイド姿の若い女性が迎えた。。
「ヴァレリア様。おかえりなさいませ」
女性は完璧な一礼をする。ワインレッドのサイドテールが合わせて揺れる。
「マリー、今すぐ本官の私室へ」
将軍はマリー、と呼ばれた女性を伴って玄関をくぐり、長い廊下を進む。
邸宅内は静かだった。
いつもは大勢使用人がいるのだが、騒ぎを想定してマリーが早めに帰らせたのだという。
「あの発表はラジオでも中継されておりました。屋敷はハチの巣をつついたような騒ぎでしたよ」
「だろうな。……届け物は来たか?」
「ええ。“例のアレ”なら巨大な木箱で来ましたので、丁重にお部屋へ運んでいます。そうそう、宮殿からお手紙も。箱とご一緒に置かせていただきました」
「よし。箱の中身は見られていないだろうな」
「はい、私を除いて、誰も」
「ならいい」
◇
二人はヴァレリアの部屋に入った。
広くて、街の灯りを見渡せる大きな窓がある。
マリーが明かりを灯すと、部屋の中央に巨大な木箱が鎮座していた。そこに宮殿からの手紙がちょこんと乗っている。
パチン、とヴァレリアが指を鳴らすと、木箱のあちこちで留め具が焼き切れた。
外装の木材が四方に倒れ、中から大量のベルナルド人形が溢れ出て床を埋め尽くした。
将軍は絶句した。
「これは……」
そして彼女はぬいぐるみの山に飛びこんだ。
「ああああこれだこれこれ! 『ベルナルド人形闘技場限定エディション3』!! 見てくれマリー、右手に氷の装飾が付いていて……ひゃあっ! 待って、片目つむってる!! これ分かるか、あいつが狙いを澄ますときの癖なんだ! あぁなんとかわいらしい……。こっちのベルナルドは目が髪の毛についているぞ。激しい個体差だが、そこがいい。ベルナルドがたくさんいてくれるだけで本官はもう大満足……」
この有様の通り、ヴァレリアはベルナルドが大好きだった。
闘技場での告白もガチである。
しかし国の命運を背負っている敵同士、馴れ合えなかった。
気が狂うのを防ぐため、彼女は大量に売れ残るベルナルドグッズを買い占め、それら戦利品を眺めては愛でることを生きがいとする、悲しき存在と化していた。
「よかったですねえ、ヴァレリア様」
この事実を全世界で唯一知っているマリーは、人形たちを満面の笑みで愛でる終焉兵器の姿を見守っていた。
しかし突如、将軍の動きが止まった。
「――マリー、『ベルナルド人形闘技場限定エディション3』の生産数は?」
「ギク。さ、三百です」
「木箱にはいくつ入っていた? 一つほど少ないようだが」
「……二百九十九です」
ベルナルド人形を足元にゆっくり降ろしたヴァレリアが拳を握ると、その周囲の空気が熱で歪み始めた。
「本官以外にベルナルド人形を買う奴がこの帝国にいるだと……! どこの
「お、お待ちを! 購入者ならもう割れております! ――ベルナルドさん本人です」
空間のゆがみが消えた。
「……え」ヴァレリアが震える声でたずねる。「自分で自分のぬいぐるみを……?? 買ったの?」
「はい。変装までしてグッズ売り場に行き、購入されていました」
へなへなと腰が抜けたようにヴァレリアは座り込んだ。そして湯気を出し始める。
「ということは……世界でこの人形を持ってるのは本官とベルナルド二人だけ、ということか……?」
「ええ、まあ。二百九十九倍の差はありますが。それと、また湯気っておりますよ」
マリーは紅潮したヴァレリアの為に茶を淹れてやった。
それを飲んでようやく落ち着きを取り戻した将軍は、手うちわで顔を仰ぎながら言った。
「情報量が多すぎる」
こっちの台詞です、と言いかけてマリーはこらえ、静かに問いかける。
「ところでヴァレリア様、『
「ああ! そ、そうだった!!」
ヴァレリアは超音波のような奇声を発しながら、キングサイズのベッドに倒れこんだ。
脱げた帽子が床をコロコロと転がり倒れる。
「どうしよう、なんでよりによってあの時手を握ってしまったのか」
今度はマリーが大声を上げた。
「ええ!? 手を握っちゃったんですか、ベルナルドさんの!?」
「し、仕方なかったんだ! 皇帝陛下が本官とベルナルドの手を強引に……」
「だってヴァレリア様、なぜかベルナルドさんと手が触れ合うと本心を全部言っちゃうのに!?」
このヴァレリアの致命的な弱点が発覚したのは、十二回目の『
互いに剣を取りこぼし、両手で組み合う形となり、手をがっしりと握り合った場面があった。
その時、ヴァレリアの中で何かが弾け、大観衆とベルナルドの目の前で「好き!」と叫んでしまったのだ。
焦った彼女は「好き!……あっ、あっ、そうだ隙ありいいい!」と無理やり難を逃れた。
こうして、手を繋げばありとあらゆる恋心、恥、痴態を晒すことが判明した。
以降、ヴァレリアはベルナルドと手をつなぐことを極端に避けざるを得なくなってしまったのだ。
マリーは深呼吸して、明るく訊ねた。
「――でもいくらヴァレリア様でも、まさか勢い余って告白なんてしてませんよね?」
ゆらり、とヴァレリアはベッドから起き、マリーを静かに見つめた。
そしてボフッ、とベッドに倒れて、
「しちゃった」
と白状した。
「は?」
そこから五分以上もマリーによる説教が続いたが、ヴァレリア本人は反省こそすれ「でも本気だと思われていない」と落ち込んでいた。
「そこ喜ぶところですよ……。いいですか、明日の正午以降に同じことをすれば、その瞬間帝国は敗戦国なんですからね?」
「そのくらい分かってる。分かっているが……どうすれば本官は、あいつに好きになってもらえる?」
膝の上で拳をぎゅっと握り、ヴァレリアはあろうことか目の端に涙を溜め始めた。
これにはマリーも血の気が引いた。ベルナルド人形通常版が工場の火事で千体すべて全焼した時にも、唇を噛み締めて震えるだけだったあのヴァレリアが、少女のように泣き出しそうだ。
「確かに帝国には忠誠を誓ってきた。これからも誓うつもりだ。だがそのせいで『殺死合』では、ベルナルドにたくさん酷いことを言ってきた……。『死ね』とか『早く死ね』とか『今すぐ死ね』とか。絶対、ぜったい嫌われてるに決まってる……っ!」
山の中の人形一体を取り上げ、べそをかきながら彼女は続ける。
「……『恋思合』の話を聞いたとき、夢でも、見ているのかと思った。もうあいつと殺し合わなくていい。それがうれしかった。本官が不利なのはわかっている。運が悪ければ、瞬殺される自信もある。だが……勝ちたい。あいつの心を、本官のものにしたい。独り占めにしたい。本官だけを見て欲しい」
マリーはしばらく唸って、うなずいた。
「ぬぅぅぅう~、わかった、わかりました! 私だって帝国が敗戦国になるのはイヤです。ヴァレリア様がベルナルドさんをメロメロにできるように、全力でサポートします」
「マリー……!」
「まず悪口、罵倒は絶対にしないこと。あと笑顔を増やしてください。ヴァレリア様、顔とお体はすっごくお綺麗なんですから。それと手が触れ合わない範囲でボディタッチを増やしてください」
「ふむふむ」
ベッドの上で伏せをした犬のような姿勢で、どこからか取り出したノートに熱心に書き込むヴァレリア。
その時、マリーはあることを思い出した。
「……あ、そう言えばあの手紙にはなんと?」
二人でベルナルド人形の山に埋蔵されていた手紙を発掘し、ベッドの縁に並んで開封した。
手紙を読み進めるにつれて、ヴァレリアの足がもぞもぞと動き始めた。数秒おきに、「えっ」「はうわ」「あぅ」と声が漏れる。顔は見る見る赤くなり、頭からはプシューと音がしそうな勢いで湯気がもくもくと立ち始めた。
「マ、マリー……、ここ、読んでくれ」
「どれどれ、『帝都噴水広場で初回のデートを行うこと』。噴水広場。確かに若者のデートスポットに人気と聞きますねえ」
はあっ、と悲鳴じみた呼気を発し、ヴァレリアは手紙で口元を隠した。
「本官とベルナルドが……で、でーとぉ……っ!? むり、絶対むり。心臓が燃え尽きちゃう……」
帝国は明日敗戦国になるのか、とマリーは思った。
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