ヨハン・ヴィトゲンシュタイン③

「新教と旧教の対立が知りたい?」


「はいっ! 何が起きているのかちゃんと知りたいんです」


「君の実家は新教派だったね。同盟に多額の献金をしていたはずだ。それなのに最近は旧教のアイドルと仲良くしているそうじゃないか?」


「それでも……ちょっと言えないんですけど知りたくなったんです。いい本ありますか?」


「その目……何か理由があるんだね? じゃあわかった。ここで少し講義をしてあげよう」


「ありがとうございます! えっと……」


「君のクラスで歴史の講義を担当している者だよ。名前は覚えなくてもいいからね」


 思い出した。クラスで講義してくれている優男風の人だった。

 少しだらしない格好で丸いメガネをしている。


「それじゃあ、まず旧教について。これは今この大陸にもとからあった教えだね。十字教という宗教だ。神の子の復活がうんぬんとかはおいておいて、特徴はまず教会。そして世俗領主としての教皇の存在だ。帝国の皇帝はもともと教皇の守護者として地位を固めていった。だから今でもかなりの影響力がある。帝国が皇帝を新しく置かないのはこの庇護者としての義務を負いたくないからだ、という説もあるね」


「それが旧教、じゃあ新教ってのは新しいより良い方ってことですか?」


「長く続けば歪みが出る。それが正しいかどうかはなんとも言えないけど、そういった歪みを良くないと思ったヤン・フェスという司祭の告発によってできたのが新教だ。こっちは教会に頼らない新しい信仰を模索していて、穏健派から急進派まで様々な派閥がある。新しいがゆえにもちろん弾圧されたから、自分たちを守るために同盟を結んだ。それが新教同盟だ」


「なぜ対立を? そしてそんなにひどいのですか?」


「この大学では表向き平穏だけどね。新教の信徒が旧教を襲う事件、旧教の信徒が新教の赤子をさらって教育し直そうとした事件なんかもあったよ。そこに各諸侯の政治的な思惑が乗っかってくるからもうあとには引けない。暴発寸前の、水いっぱいのおけのようなものかな? 何かあればすぐ戦争が起こるだろうね?」


「そんなことが……」


「それで? なんでこの対立を気にするんだい? 旧教に興味が? 取り巻きの子たちは最近旧教派が多いみたいだけれども……」


「いえっ! とりあえずありがとうございます! 失礼します!」


「いえいえ。僕はどっち派でもないしがない歴史教授ですから。また何かあれば聞きに来てくださいね?」


「はいっ! ありがとうございます!」


「いい返事だ。でもこれがあの有名なエリザベート公爵子女? 違和感があるなぁ」


 そういえばマリアってどっかで見たことある気が……そうだわ! と、私は天才的なひらめきをしたのだった。



 

 翌日、私はマリアをヨハン様の部屋に招待していた。

 

「ヨハン様。紹介します。マリアさんです。私のお友達の」


「え、えっとすみません。ここに来るように言われて……」


「エリザさん……これは?」


「いえ。仲良くなってもらおうかと」


「なぜ彼女と?」


 それは彼女こそこの乙女ゲームの主人公だからだ。デフォルトネームから変更してたからすっかり忘れてたわ!マリアは主人公、ヨハン様と話が合うはず! 旧教の人全てと仲良くなるのは難しくても、マリアからなら行けるはず!


「えっと、よろしく? お願いします」


「君は良いのですか? 旧教のアイドルでしょう? 支援者たちに悪いと思わないのですか?」


「わ、私そういうのよくわからなくて……」


「はあ、なるほど。まあ担ぐ神輿は軽ければ軽いほど良いですからね? 納得できるというもの」


 となんだか乗り気じゃない様子。でも私にはわかっていますからね?お二人の相性がいいことは!

 

「まあまあ、あまり嫌わずに。新教と旧教の仲直りが最終目標なのでしょう? ならまずはその人となりを知らないと!」


「はあ、引く気がなさそうですね? まあ仕方ありません。握手をすれば良いんですか?」


「はい! まずは握手して、お互いのコトを話して、そして仲良くなる!」


 はあ、と二人はハモった。 やっぱり相性がいい!


「君が言うなら少しくらいは我慢しますよ。それで満足するならね?」


「わ、私大丈夫なんでしょうか? 個々の部屋もゴージャスって感じですし!」


「大丈夫よ私の実家の部屋より狭いから!」


「わ、私とんでもない人と友だちになっちゃったんじゃ……」


「あなたの友達? は帝国でも指折りの裕福な家ですよ。諦めなさい。身分違いにも限度があります」


「あわわわわわ」


 まだあまり仲良くない様子!ここはマリアのいいところを伝えて好感度を上げとこう!

 

「聞いて下さいヨハン様! マリアはお菓子作りが趣味で美味しいんですよ! 今日は作ってないですけど……」


「庶民の苦学生が買える範囲の材料で何を? それにエリザ、変なものを食べるのはやめなさい。ペットですらもっと良いものを食べていますよ?」


「食べたことがないからそういうことが言えるんです! できたてほやほやのカップケーキを!」


「エリザ? もしかしてですが毒見もなしに食べたなんて馬鹿げたことしてませんよね?」


「友達の手料理を毒見なんて!? それに一緒に作ったんですよ!? 私のは失敗しちゃいましたけど……」


「!?!?!? 何から何までわからない……本当に頭がおかしくなったのですね? 実家に帰ってちゃんとした医者に見てもらったほうが良いですかね?」


 別にお腹壊してないのに。見てもらわなくてもそれくらいはわかる。


「あはは! お二人共仲良いんですね?」


 そうマリアが笑う。うーんかわいい。さすが主人公。

 

「どこがっ! 旧教の汚い金で育ったくせに!」


「こらっ! ヨハン様! 友達にそんなことば遣いしちゃダメです。女の子なら尚更です」


「僕がおかしいのか!? なあ!?」


 最初の作戦、お友だちから作戦はちょっと失敗したかも?

 でも諦めない! ヨハン様の理想のために、そしてなにより破滅回避のために!


 

 翌日、私はヨハン様の部屋に向かった。今日は講義が午後からで暇なはずだ。

 

「で、昨日に引き続き今日は何を?」


「いえ。今日はヨハン様からお話を聞こうと」


「なんのお話を?」


「将来のこととか、好きなもののこととか、いろいろです」


「なぜそれを?」


「婚約者なので。なにか好きなものがあれば作って差し上げようかと」


「頭おかしくなったのか? なんでそんな下女のマネごとをしようと思うんだ?」


「夫婦になるのですから!」


「なにか会話飛ばしましたか? それとも私の頭がおかしくなったのですか?」


「さあさあ。次の講義まで時間たっぷりありますから。根掘り葉掘り聞きますよぉ!」


「エリザ? 僕は君を何か怒らせたかな? 遠回しにせず直球でやってほしいのですが」


「ただごめんなさい。まだヨハン様のこと異性としてみれないので。そこだけは私、がんばりますからね?」


「何を!?」


 そうしてヨハン様の好きなものなどを聞いて過ごした。けど好きな食べ物は聞かせてくれなかった。なぜだろう。



「エリザ。今日は大学がない日のはずですが。なぜ家に?」


「いえ。ちょっと遊びに行こうかなと思い誘いに来ました」


「なぜ?」


「なぜ?」


「僕が聞いてるんですが……」


「友だちを誘うのに理由が必要だと思っていなかったので聞いているのですが……」


「とにかく今日は忙しいので、遊びは今度です!」


「そんなことは別にいいです! 町に行きましょう!」


 そう、お忍びで視察をしに行くという案だ。

 

「はあ? 興味ないって言ってたじゃないですか? 庶民なんて葦のように生えてくるものだって」


「ヨハン様に必要なことです。いうこと聞きますからね? いいですよね?」


「そういうことは冗談でも言うべきじゃありませんよ。はあ。まあいいでしょう。少し根を詰めすぎていたので息抜きです」


「やったぁ!」


「変装はちゃんとするのですよ?」


「はいっ!」


「はあ。全く……やはり変わりましたね?」



 そうして街にやってきた。お忍びというやつである。

 私もヨハン様も庶民に紛れるように地味な格好をしていた。


「で? 何を買うんですか?」


「買うんじゃなくぶらぶら歩くんです! 街の人の声を聞かないと!」


「そんな物なくても政治はできますよ?」


「暮らしのこととか生活のこととかちゃんと見て聞いて知って、その上で行わないと!」


 私の世界みたいな選挙もマスコミもない。でもヨハン様の理想は私の世界に近いはず。なら街の人の意見は役に立つはず。


「はあ? 征歴以前のような共和制主義者ですか? どこでそんな理論派の学者のようなことを知ったのやら……」


 街を歩く。品物は多く活気に溢れている。やっぱりこうして外を歩くのは楽しい!


「ヨハン様あれは?」


「あれは……文字の読める人が命令や法律などを他人に教えているのでしょう。文字が読めるのは全体の1割もいないと聞きますから」


「でもあっちに本屋がありますよね? 成り立つんですか?」


「庶民向けには簡単な単語と絵が載っている低俗な紙が流布していますよ。活板印刷が東方から導入されたのであのようなものも多く出回るようになりました。頭が痛い問題ですよ」


 絵と簡単な文章……ラノベみたいなものかしら?


「低俗な醜聞が書かれています。どこそこの領主を豚に例えたりね?」


「そんなひどい!」


「それこそが君の言うみんな。見たがったのでしょう? あなたも豚かイノシシのように書かれているかもしれません。買ってみますか?」


「そ、それは勘弁してほしいかも……」


「もう良いですか? そろそろ……」 


「あっちで演説している人がいます! ヨハン様の名前を言っていますよ!」


「走らない! 貴族とあろうものが……」




「ヨハン。ヴィトゲンシュタインこそ我ら新教の星! 彼が恩寵を得たことこそまさに神の意志によるものである!」


「褒められていますよ? ヨハン様」


「そして旧教の悪魔の手先共をサタンのいる場所に落とすであろう!」


 オー! オー! と歓声が上がる。そこに割り込んでくる集団があった。


「ヨハンめこそ悪魔の手先! 騙されるな! 分離主義者共め!」


「腐敗した教会を庇い立てする愚者が来たぞ! そらかかれ!」


「おー! 喧嘩だ喧嘩。やれやれー!」



「……行きましょう。巻き込まれてはならない」


「はいっ!」


 ぐいっと手を引かれて私達は走り去っていったのでした。



「……で? 君はどう思いました? あれこそ対立の構造ですよ。過激派が争い、それを大多数が面白がっている。それでも君は共存できると?」


「ええ! だって同じ人なんですもの! 解釈違いがあっても話が合わなくてもそれで暴力を振るうことは間違ってるって思います!」


 心からそう言える。悲しすぎるじゃないかと。

 

「君は……本気でそう思っているのですか? 僕の……絵空事と同じ事を……?」


 うろたえるヨハン様。

 

「ヨハン様も仲良くしてほしいんですよね? じゃあ私達似た者同士です! またこれで少し仲良くなれました!」

 

「君は……変わったのですね」


 はい。それはもう。生まれ変わるくらいには。


「少し……考えたい。君とのことも」


「えっとそれは……?」


「とにかく今日は帰りなさい。また今度。ね?」


 これは……まさか噂の婚約破棄なのか!? 私いったいどうしたら!

 その日は心配であまり眠れなかった。

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