ヨハン・ヴィトゲンシュタイン④

 すわ婚約破棄か!? と身構えてみたもののこっちにはどうしようもない。いきなり家を追い出されることはないとは思いたいけど……。

 そう思い数日、私はヨハン様に誘われた。新教同盟の会合に参加しに行くとのことだった。

 馬車に揺られること数時間、この地方最大の温泉街として知られるボンに到着した。

 比較的小さな町だが、あちこちに温泉があるのを見て取れる。

 とはいえ私はここで何をさせられるんだろう。


「今日は私と君との婚約が正式なものになったことをお披露目するだけですから余計なことはしないように。良いですね?」


「わかりました!」


 婚約破棄どころか婚約の正式な決定とは! とりあえずは破滅から1歩遠ざかったようで一安心した。



「帝国郵政長官、新教同盟盟主、ヨハン・ヴィトゲンシュタイン様とその婚約者様のご到着です!」


 そう言われ建物に入ると、ご高齢のヒゲの長い方が出迎えに来てくださった。

 たしかあの方は……。

 

「おお。あれこそ我らの紐帯の証。よくいらっしゃった盟主殿。早速お湯に浸かられてはいかがかな?」


 そういってアンドレーエ公は手を広げる。歓迎の証と言わんばかりの動作だ。

 

「アンドレーエ公。お出迎え感謝いたします。お気遣いありがたいのだが、話すべきことは多い。まずはボエモンディアの新教信徒が弾圧されている件だが……」


 そういってさっそくヨハン様は話を進めようとする。が


「ははは。お耳が早い。だがあれは一時の騒乱。時来たれば収まろう」


 とかわされてしまっていた。


「いえ。私の見立てでは民族レベルでの不満が蓄積しているはず。彼の地収める現議長、フェルディナントめをこの件をてこにして追い落とすことができれば次の選挙で新教は有利に立てます」


「議長職は100年にもわたって世襲同然。ボエモンディアをやすやすと手放すとは思えんよ。それに帝国最大のヴォルフスブルク家と対立するなど正気の沙汰かね?」


「正気にて能わぬ夢があります。ならば狂気の世界に身を置くことも覚悟の上です。しかるに……」


「まてまて。君が若さゆえにそうなることを否定はしない。だが、同盟をそれのために使役してくれるなよ?」


 とアンドレーエ公に静止される。

 

「な、なにを……」


「言ったろう。ボエモンディアに介入などする気は私も含めたここにいる諸侯のほとんどが持っていない。そもあの反乱騒動すら私達は懐疑的に見ているのだよ」


「新教の自由が脅かされているのですよ!? ここで立たねばなんのための同盟なのか!?」


「だまらっしゃい! ボエモンディアの等族の利権問題かなにかであろう。良いかね? 若さゆえの万能感、わからないでもないがね。そのために同盟をオモチャのように使うことはやめ給え!」


「私は同盟の理念にのっとって行動をすべきと言っているに過ぎないのです! 私達恩寵を与えられた側は受ける側へそれを還元しなくては!」


「その恩寵とやらで勝手にやり給え! だがそのために神聖なる同盟を使役することなかれ!」

 

 とすごい剣幕で言い合っていた。私にはどうすることもできない。


 

 結局その後も話はヨハン様の思うように進まなかったようで、時をえるごとにイライラとした空気がこちらにも伝わってきていた。

 数時間の話し合いの末、何もしない。事態を静観して慎重に動くという何も進まない結論に達してしまった。

 別室に案内され、中に入るとすぐに、ヨハン様は声を荒げた。

 

「クソがっ! 何が同盟だ。なぜ……」


「ヨハン様。あの人達は……」


「新教派の領主たちだ。なぜだ。嫉妬? 信教の自由より嫉妬を優先したのか!?」


 嫉妬。若くして選審官として働くヨハン様に嫉妬しているということだろうか? 親子どころか孫くらいも年の離れているのに。


「今日は機嫌が悪かったのかもしれません。温泉に入って……」


「機嫌はいつも悪いさ。僕の改革案や介入案はすべてここで閉ざされてきたからね」


 それは……今までどれだけああやって拒絶されてきたのだろうか。


「僕はただ、人々が争わなくてもいい世界を作りたいんだ。そのためならどんな汚いことでもして見せる。そう思っても……何もできないまま過ぎていく」


 どれだけ辛かったのだろう。たった一人の理想で。ただこの人は仲良くしてほしいだけなのに。

 気がつくと私はヨハン様を抱きしめていた。


「エリザ? 何を……」


「私はわかっていますよ。優しいヨハン様。忙しいと言っていながら私の頼みを聞いて一緒に街に出てくれたことも。その理想も。私にはわかります。支えます。だから落ち込まないで?」


「エリザ、君は……母上と同じことを……」

 

 どうかしたのだろうか? 顔が赤い。まさか熱でもあるのでは!?

 しかしヨハン様は別に具合が悪いわけではないらしい。


「? わからない。調子が悪い気がするが、幼い頃初めて馬に乗ったときのような全能感もある。不思議だ」


「と・に・か・く! まずは一歩から! 学生らしく友だち作りもしましょう! 明日からは学校ですし、まずはマリアさんと仲良くなってくれますか?」


「あ? ああ……君が言うなら……そうしようかな……?」


「やった! ありがとうございます! ヨハン様!」


 そういってさらに抱きしめる。これで破滅から少し遠のくかしら?

 

「ヨハンでいい。様はいらない。君にならそうでいいんだ……」


「わかりました! ヨハン! さあ今日は温泉を楽しみましょう!」


「ああ。って一緒じゃないぞ?」


「もちろん。男女ですからね?」


「ああ。……? なんで今ちょっと残念に思ったんだ……?」


「ではまたお風呂上がりに! それでは!」


「ああ……僕はやるべきことを思いついた。先に寝ていてくれ」

 

 そう言ってヨハンはどこかへ言ってしまった。私はまだ見ぬお風呂に思いを馳せていた。

 お風呂! しかも一等地の露天風呂! ワクワクしちゃう! 今日は眠れないかも!



 その後、ヨハンはエリザと別れてすぐ、あるものを持ってアンドレーエ公の部屋を訪ねていた。

 

「おっとどうなされたかな? 私めの部屋にいらっしゃって……」


「ええ。まずは先程の非礼を詫びます。それと……」


 と持参したものを差し出す。それは……。

 

「麦酒(ビーア)と!? 節制のお方が珍しいものを……」


「老人の口を開くなら大麦を使った麦酒を使うべし。古いことわざです」


「同年代のハズの酔いどれ公を昔の人よばわりか! 冗談を口にするとはいよいよなにか裏があるのかね?」


「いえ。言われたことをしてみようと。まずは友人として、飲み明かし昔話を聞かせていただきたい。温故知新という言葉もありますから」


 それを聞くと、アンドレーエ公の顔がほころんだ。

 

「ほっほっほ。それくらいのことならば喜んで。しかし眉間のしわも取れていよいよ美丈夫が増しましたな!」


「そうか。彼女が気に入ってくれるといいんだが……」


 そう呟くのをアンドレーエ公は聞き逃さなかった。

 

「さ。つまみはこちらが用意しますから入って入って!」


「そうか。ありがとうアンドレーエ公」


「別れてから何があったかも聞いてよろしいかな?」


「もちろん。でも私にもよくわからないのだが……」


「いえいえ。その顔は何度も見てきましたよ。長い人生でね?」


 そう言って、アンドレーエ公は、客人に椅子を進めるのであった。

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