ヨハン・ヴィトゲンシュタイン②

 ヴァイセン大学は、大学と名前がついているが、その制度は日本の高校に似ている。乙女ゲームの世界だからだろうか。

 選択科目以外は時間割が決まっていて、席は自由というここだけ大学スタイルである。

 その日の朝は歴史の授業で、私とヨハン様は講義室に入った。

 私はいつもの定位置だった一番うしろではなく一番前の席に座った。


「何を……しているのです?」


 ヨハン様はいつもの席に行こうとして、別の席に座っている私を見て少しびっくりしている。


「いえ。将来のために講義はちゃんと受けておこうと思ってですね……」


 なにしろ展開がわからないのだ。追放刑ですんでよかったな。とか言われる可能性もある。そんなとき役に立つのは自分が学んだこの世界の知識しかないのだ。内政私TUEEEができるほど前世の知識は無いのだ。

 ヨハン様は少しうんざりした様子でこちらに話しかけてくる。


「ふう。なにか変なものでも食べたのですか? 君の言動はあまり好きではないのですが、この大学の講義が真面目に受けるものじゃないという点だけは、鋭い洞察だと思っていたんですがね……」


「そんなこと無いわ! 旧教の教えはよくわからないですけど歴史とか地理とか計算とか言語とか! 学ぶべきことはたくさん……」


「こんな旧教ののさばる場所が自由の象徴たる大学を名乗っているだけでも腹が立つのに。君は僕を怒らせたいのですか?」


 旧教と新教。この世界の2つの教え。宗教家ヤンが起こした新教は、教会の権威を否定し神の原初の教えに従うべきと考える人たちに支持されている。眼の前のヨハン様も新教の教えに忠実な人だ。


「選べるのならこんなもどきの大学ではなく自由な学風のリューゲンの大学に行きたかった! でも君が遠い場所へ行きたがらなかったから仕方なく……。それだけに飽き足らず当てつけのように講義を真面目に聞く振りまでして困らせたいのか……!」


「ち、違います! 私は生まれ変わったんです! 真面目にやろうと……」


「もう良い! 不愉快だ!」


 そう言って講義室を出ていってしまう。今までの私、ひどすぎ……? 


「えっと、良いかな? じゃあ講義を始めるよ?」


 優男風の教師が講義を始めるタイミングを見失っていた。


 この学校には立派な中庭がある。手入れの行き届いた花壇、柔らかな日差しが降り注ぎ、風邪も気持ちいい。日当たりのいい場所にはベンチがあって、そこに私は目をつけていた。お昼、中庭でランチをしようと歩いていると、例の日当たりの良いベンチには先客がいた。

 栗色の髪の毛は少しボサボサしていて、少し小柄な女の子。目はまん丸で、どことなく小動物を思わせる子だ。


「えっと、あなたは……」


「マリア。 マリア・エヴァリンです。あ、あなたは……」


「エリザ。エリザベート・ヴァルトシュタインよ。庶民の出なのよね?」


「は、はい! すみませんいじめないでください……私なにかしでかしてしまったでしょうか?」


 小動物系って感じ! カワイイ! 実家のハムスターを思い出す可愛さだわ! でも怖がらせちゃった! もうちょっと優しく……。


「いえ! 先に日当たりのいい場所にいたから一緒にどうかなって!」


「日当たりの良い……あ! この場所が気に入られたようならどうぞ! どきますね? えへへ」


「良いの良いの! でもちょっとだけそっちよってくれるかしら? そこ気持ちよさそうだもの」


「はいっ! この時間のここの日当たりは最高なんです! わかってくれます?」


「わかるわよここ! 日当たりの良い庭って最高よね!」


 やった! 心をちょっとだけ開いてくれたわ! せっかくだし……。


「ねえ。マリアさん。私友だちになってくれる人を探しているの。よかったらどう?」


「えええええ! 貴族の人とお友達ですかぁ!? 恐れ多いです!」


「でもあなたと私趣味が似てる気がするの。好きな場所が一緒! ね? 友達がいなくてさみしいのよぉ!」


 取り巻きたちはどうしたら良いのかわからず今でも距離を取られている。前世では友達との会話が楽しかったのに、人と話せないのがこんなに苦痛だとは! 


「あ、あの、良いんでしょうか。私みたいな平凡な家の何も後ろ盾がない貧相な……」


「そんなこと無いわ! あなたとってもカワイイもの! 自信を持って! 嫌がらせされたらこう言いなさい! 私はあのエリザ様のお友達ですって!」


 多分いじめられてきたんだろう。こんな悪役令嬢の肩書でも使えるなら使わなきゃ! 

 マリアは泣きそうになりながらこっちを見て、言ってくる。


「い、良いんですか……私、友だちが欲しいって、一人でさみしくて、みんな貴族の人たちは怖くって、でも、良いんですか?」


「全然いいわ! なりたいの! 私が! あなたはどうなの? あなた自身の声を聞かせて!」


「っ! はいっ! なりたいです! 友達にならせてください~!」


 そう言って二人で抱き合った。友達一人目! この調子でうまく行けば良いんだけど……。




 そうして大学ではマリアと二人で一緒にいる機会が増えた。

 同じクラスだったのも幸運だったわ。そうしているうちに取り巻きの子たちも恐る恐る近づいてきて、


「あのっお二人は仲が良いですがどのような関係ですか!?」


 そう聞いてくるようになった。友達だ、というと多くの人は新しい遊び方だと受け取ったらしく相手にしない。数人の子はなんと私やマリアと友だちになりたいって言ってくれるようになった! 



 こうして友だちが増え、幸せな日々を送っていたのだが、ある日ヨハン様に呼び出された。何やら怒っているようで、普段の余裕が感じられない。


「エリザ。今度はどんな遊びなのですか? マインツ伯爵の一人息子を潰したときみたいな大きいことなら事前に言ってもらえると助かるのですが……」


「遊び? 遊びといえば今度マリアをうちにつれていくって約束したんです! ヨハン様も一緒に……」


「エリザベート!!」


「はいっ! なんでしょう」


 大きな声を出されて少しびっくりしてしまった。なにがカンに障ったのだろうか。


「あの子を潰すなら別の手段を使ってください。新教同盟の盟主の婚約者がよりにもよって旧教の! 協会共が! パトロンになっている子と近しいというのはかなりのスキャンダルなのですよ?」


「でもあの子は悪い子じゃないわ。育ての親が司祭様で敬虔な感じだけどいい子で……」


「私の前でもそのおままごとを続ける気ですか? 今回は相当気合が入ってるようで。ですが勘弁してくださいよ。変わったというが、僕からすれば今までのわがままのほうが万倍マシに思えるよ」


 ひどいわ! 私はただマリアちゃんが気に入ってるだけなのに! 


「人の友情をままごと呼ばわり早めてください! いくらヨハン様相手でも……」


「本気で言っているのか? 新教同盟(ウニオン)の盟主の僕の顔を潰すことがどういうことかわかっていってるのか? 議長選挙だぞ!? 7人の選審官のうち、今4票が旧教側にあるんだぞ!? 新教派が団結しなければいけないこの状況で旧教のアイドルと仲良くなるだって!? 君は僕の、理想を、将来を、すべて、すべて消すつもりか!? こんどはそういう遊びなのか!? 答えろエリザベート!!!」


 こんなに怒ったヨハン様を始めて見た。怖くなって少し縮こまる。


「い、いや、そんな……」


「深く考えていなかったって!? 僕の理想はな! 新教と旧教の和解! 帝国の再統一だ! そのためには議長になるしか方法がないって思って……その僕の理想を、帝国分裂による流血を防ぐ唯一の道を君は踏みにじるのか!?」


 そんな理想があったなんて。それならなぜマリアと仲良くしてはいけないの? 


「すまない。熱くなりすぎた。今言ったことは忘れてほしい。でも、君がその遊びをやめないなら、こっちは手段を問わないよ」


 そうして部屋から追い出されてしまう。でもヨハン様の理想はみんなが仲良くなること。なのになんで友達はダメなんだろう……。

 そう、私は思い出す。昔、記憶が戻る前の私を理想の婚約者だと言ったときのことを。

 そして考える。その時と違い、今その旨のうちにある理想を口にしてくれたことを。

 ……知らなくちゃ。私にとってこの世界はゲームの世界だったけど、そこで生きている人がいる。理想を掲げているヨハン様がいる。なら誠意を持って当たらなくては。

 そう思い、私は図書館に向かったのだった。

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