世界に必要とされない子供たち

 ブレイブは言葉を失っていた。エリックの大切な人がブレイブたちに奪われたという言葉に衝撃を感じていた。

 信じがたいが、彼が嘘を吐く理由はない。冷静に受け止めたいが、震えが止まらなくなっていた。

 しかし、ずっと黙っていては事態は進まない。

 話し合いに成功しても、失敗しても、ここで決着を付けたい。

 このまま逃げても、エリックは何度でもブレイブの命を狙うだろう。

 アリアやメリッサを多大な危険に晒し続けてしまう。奴隷の解放を含め、世界を癒す事など夢のまた夢になってしまう。

 ブレイブは息も絶え絶えに、嗚咽を漏らし、震える声を響かせる。

「……君が全てを捧げたかった人に関して詳しく聞かせてくれないか?」

「聞いてどうする?」

 エリックは冷徹に言い放つ。

「あんたに何ができる?」

「何もできないかもしれないけど、君の心を癒すヒントが欲しいんだ」

「本気で言っているのか?」

 エリックが不愉快そうに表情を歪める。

「俺を癒したいのなら、あんたの命を寄越せ。それだけだ」

「そういうわけにはいかないよ。僕は世界を癒したいんだ」

「世界の事ならルドルフ皇帝に任せろ。あんたは要らない」

「本当にそれでいいのかな? 君は本当の願いを叶える事ができるのかな?」

 ブレイブが心底心配そうな口調になる。

「君は君自身と向き合えているのかな?」

「……なんであんたがそんな事を聞く?」

 エリックの口調は冷徹なままだ。しかし、困惑の表情を浮かべている。

 答えはすぐに返ってきた。


「君と話し合って、君の心を癒したいんだ」


 ブレイブはきっぱりと言っていた。

 エリックが溜め息を吐いてゆっくりと歩き出す。ブレイブの気配が少しずつ近づくのを感じている。

 両手のナイフを構える。


「バイオレットという女だった。当時の俺にとって大人びていたが、たぶんまだ少女だった」


「話してくれるんだね。嬉しいよ」


 ブレイブの声音が明るくなる。

 しかし、エリックの瞳は殺意を宿したままだ。


「この話を聞いた人間は一人残らず殺している。あんたの父親もそうだった」


「父さんは君に殺されたのか……」


 ブレイブの声が暗くなった。

 エリックの顔面から表情が消える。言葉を続ける。

「バイオレットとは、サンライト王国の軍人宿舎で奴隷にされていた頃に出会った。俺は事あるごとに暴力を振るわれていた。バイオレットが庇ってくれなかったら、たぶん殺されていた。俺たち闇の眷属なんて、彼らにはその程度のものだったな。世界に必要とされない子供たちと罵られた事もあった」

「闇の眷属……かつて世界中に災いを与えた一族だったね。君たちはその子孫なのか」

「大人たちがやるべきだった償いをやれと、煩わしいほどに迫られた。残酷なほどに」

 エリックは一呼吸置く。

「バイオレットには夢があった。償いを終えたら、自分と同じように苦しんでいる子供たちを救うと。どうしてそんな事をやりたいのか理解できなかったが、ただただ応援したかった。支えたいと思った」

「そうなんだ。いい子だね」

「だが、殺された」

 エリックの声音が一層低くなる。

「ある日、俺を庇ったバイオレットが軍人の部屋に連れ込まれるのを見た。あの人は許しを請いながら、めちゃくちゃにされていた。俺は軍人を力いっぱい殴った。あの時の軍人の情けない顔は今思い出しても笑える。けど、別の軍人たちに囲まれた。さすがに死を覚悟したな」

 エリックは冷徹な瞳のまま、自嘲気味に笑った。

「バイオレットは俺に覆いかぶさるように庇いながら、切り刻まれて死んだ。後で聞いたが軍人に危害を加える事は、サンライト王国では身分に関係なく処刑されるようだな」

「たしかにそうだけど……君はよく助かったね。辛かったね」

「ローズベル様に助け出されたが……辛い……そうだな。そうかもしれない」

 エリックの瞳は冷徹に獲物を探している。

「バイオレットから、将来は名前を共有しないかと言われた日が懐かしい。意味が分からないと答えたら笑われたが、あの笑顔も心地よかった。もう見れないけどな」

「……君もやっぱり心ある人間なんだね。ローズ・マリオネットを名乗っているけど」

「ローズ・マリオネットに心なんていらない。恐れられ、従わせるのが俺たちの役割だ」

 エリックが足を止める。

 浅く息を吸い、太い木の根のはびこる地面を蹴る。その先には大木が生えている。

 大木の幹に縦の亀裂が入るように、エリックのナイフが振るわれる。

 亀裂が広がり、ブレイブの姿が露になる。

 エリックのナイフがブレイブに迫る。


「しゃべりすぎだ。あんたも俺も」


 ナイフの切っ先がブレイブの胸元に迫る。

 しかし、ブレイブの目は死んでいなかった。

「ヒーリング!」

 回復を掛けられたのは、ブレイブの胸ではなかった。先ほどエリックに切られた大木だった。大木の形が一瞬にしてもとに戻る。エリックの腕は、大木の幹に呑まれていた。

「……せこい」

 エリックは呟いて、全速力で走るブレイブの背中を見ていた。左手のナイフで大木の幹を切り刻む。エリックの右腕が自由になるのに、さして時間は掛からなかった。

 その横から、長剣の一閃が走る。アリアが切りつけてきたのだ。常人なら不意をつかれて腹か首を薙ぎられる所だ。

 しかし、エリックは右手のナイフで難なく受け止める。

「しつこい」

 一気に間合いを詰め、アリアの脇腹を蹴り飛ばす。うずくまるアリアに向けて、両手のナイフを振り下ろす。ブレイブのゴッド・バインドのエネルギーになったら厄介だが、仕留めなければ何度でも切りつけてくるだろう。

 そんな時に、大声が響く。ブレイブが両手を振っていた。

「僕ならここだ! また見失ってもいいのか!?」

「……舐めた事を言うな」

 エリックは舌打ちをした。アリアを仕留める間にブレイブを見失ったら本末転倒だ。再び走り出すブレイブを見据えて、両目を見開く。


「今度こそ必ず仕留める。インビンシブル・スチール、クルーエルティ・フォレスト」


 エリックのワールド・スピリットが放たれた。

 地響きが起こり、割れた地面から太さがまちまちな鈍い色の刃が勢いよく伸びてきた。不規則なおうとつのある刃で、植物の根を思わせるが、それよりも残酷で凶悪だ。数本の大木に触れた途端に、横一線の太い筋が入る。刃に触れた全ての大木がドォンと派手な音を立てて、倒れた。翡翠色の風を蹴散らしていく。

 そんな刃がブレイブ目掛けて伸びていた。

 ブレイブは荒い息をしながら、作業場に向かって叫んだ。


「メリッサ、来てくれ! アリアを守ってくれ!」


 ブレイブの叫び声を耳にしながら、エリックは無表情で呟く。

「自分の命を心配すればいいのに……」

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