仮に異世界で獣人と関係を持った場合、それって浮気になると思う?

 よし、これで一区切り。

 私は背もたれに腰をつけて大きく背伸びをしたあと、ペットボトルに残っていた水を飲み干した。そしてパソコンをスリープモードにして、窓を開ける。

 でも、部屋から文章を打ち込む音が止むことはない。


「あっ! 蚊が入ってきたじゃねぇか、網戸しろよ。まだ蚊の季節には早い気もするけど、池が近いからかな」

「すみません、少し空気を入れ替えたらすぐ閉めますから……って、咲嵐さん! 来夢ちゃん! どうして当たり前のように私の部屋で執筆してるんですか!」

「なにをいまさら。仕方ないだろ、私の部屋はとんでもなく汚いし、来夢は実家暮らし。皆で落ち着いて執筆出来る場所なんて和多かももかんの部屋しかないんだから。和多は実家に帰省中だし」


 スマホに文字を打ち込みながら咲嵐さんが返事をする。

 私と和多さん、来夢ちゃんはそれぞれノートパソコンを持ち歩くけど、咲嵐さんは自宅でもスマホしか使わないというので驚きだ。

 しかも普段はほとんど家に戻らず、1人の時はパチンコ屋さんや競馬場で執筆をしているらしい。騒音が苦になる私にはとても出来ない、というかギャンブルをしながらで本当に集中出来るのだろうか。

 まぁ咲嵐さんの小説はエッセイに近い私小説もあるので、もしかしたらある意味臨場感溢れる正しい執筆方法なのかもしれない。


「来夢、ちょっと動くなよ。そりゃ!」


 咲嵐さんが来夢ちゃんの左腕を叩く。

 パチン、と乾いた音が鳴った。


「よっしゃ、とった! ももかんティッシュくれ!」


 一発で仕留めた咲嵐さんの運動神経もすごいけど、身体を叩かれているのに微動だにせず執筆を続けている来夢ちゃんの集中力もすごい。

 私は一日に7000文字くらいが最高記録だけど、聞いたところ来夢ちゃんは筆が乗れば10000文字は書けるというのも納得だ。


「それにしても蚊って、どうしてこんな癪に障るフォルムなんだろうな」

「なんです、いきなり。あれですか? 妖精みたいな可愛いフォルムでストローを使って血を吸うなら、ちょっとくらい許してあげられる気がするとか」

「多分その方がムカつくし、来夢はどんなフォルムでも容赦なく潰すけど」

「えっ!?」


 執筆に集中していると思っていた来夢ちゃんが突然、とんでもなく物騒な言葉を放つ。


「わはは! やっぱりお前らと居るのギャンブルと同じくらい面白いわ」

「ねぇ、少し2人に聞きたいんだけど。現実世界に恋人持ちの人間が異世界で獣人と関係を持ったとして、それって浮気になると思う?」

「え? えっと……その、身体の関係ですよね?」

「うん」

「それなら私は浮気になると思います」

「いや、ちょっと待てももかん。来夢が言った話の焦点は異世界で、獣人と、ってとこだろう。まず現実か異世界かにおいては、まぁどっちだろうと関係を持てば浮気になるだろうな。ただ獣人って方はどうだ? 例えば現実世界で人間以外と関係を持ったら、それは浮気か?」

「いやいや。現実世界で人間以外って、あり得ないじゃないですか」

「そうでもない。来夢が知る限りでは、動物と○○したり、中には○○○を○○したりなんて話も聞いたことある」

「えっ!?」

「わはは! ももかんには刺激が強いだろ」

「もう、からかわないでください!」

「あ、もう3時だ。来夢はバイトがあるからそろそろ抜ける」

「おう、またな」

「はい、頑張ってください」


 来夢ちゃんは持っていたノートパソコンを折りたたんで鞄にしまうと、キッチンを抜けて玄関から外へ出ていった。

 部屋には私と咲嵐さんだけが残った格好だ。


「あの、咲嵐さん」

「うん? どうした?」


 まるで自分の家のようにカーペットに転がりながら、顔だけをこちらに向ける咲嵐さん。


「実は大学生活にもある程度慣れてきたので、そろそろアルバイトを始めようと思うんです。おすすめの仕事とかありますか?」

「あー、なるほどね。私はパチンコ屋でバイトしてるけど、まぁ楽しいよ。時給も高いし。そりゃあ性質上嫌な客も少なくない、でも基本的に常連や同僚は優しいからさ」


 なるほど。たしかにアルバイトを選ぶうえで、人間関係や金銭面の良さは重要そうだ。


「和多さんはたしか前職を生かした書類整理の仕事でしたよね? そういえば、来夢ちゃんはなんのアルバイトをしているんですか?」

「あれ? 言わなかったっけ? 来夢は……いや待てよ。バイクのケツに乗せてやるから、どうせなら現場に行こうぜ。腹も減ったし」

「え、飲食店なんですか? いきなりバイト先に押しかけて、来夢ちゃん迷惑じゃないですかね?」

「いいよいいよ、私なんて何回も冷やかし……じゃない、ご飯食べに行ってるから」

「絶対冷やかしって言いましたよね?」

「なんにせよ行く価値はあると思うぞ。あの空気感を味わえばきっと創作の糧になる」

「なんだろ、インスタ映えする装飾とか創作料理でも扱っているんですか?」

「まぁそんなようなもんだ」


 そのあと部屋で少し時間を潰している間も、外に停めてあったバイクに乗るまでも、咲嵐さんは明確な返答をくれなかった。

 まぁ、どうせ行ってみれば分かるんだけど。


*****


 咲嵐さんの身体につかまって15分ほど風を浴びていると、駅前にある大きな塔のオブジェが見えてきた。

 近付くにつれて歩道には人が増えてきて、特にサラリーマンらしき人達や制服姿の男女が多く行き交っている。今は夕方なので、ちょうど帰宅の時間と重なっているからだろう。

 コインパーキングにバイクを止め、咲嵐さんのうしろに付いて歩く。

 するとすぐに7階建ての雑居ビルが見えてきた。


「ここだ、ここ。入ろうぜ」


 咲嵐さんが指さした看板には飲食店の多さが目立つ。

 エビフライの写真が大きく載った洋食屋や、飲み放題の価格を推す居酒屋。ラーメン屋やチェーンの牛丼屋も入っている。

 来夢ちゃんが働いているのは一体どのお店だろう。どれも美味しそうだし、楽しみだな。

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