まともな人間のまともな日常を描いた日記と、頭のイカれた殺人鬼のイカれた日常を描いた日記

 その後、全員であらためてテーブルを囲み直した。来夢ちゃんはコーラをグラスに注いでいる。


「そういえば、春風も小説書くんでしょ? 咲嵐からのメッセージにあったから、めちゃくちゃ面白い小説を書く女の子と知り合ったって」

「えっ!? ちょっと咲嵐さん、なんてことしてるんですか!」


 私が小説を書く事実を伝えただけでなく、めちゃくちゃハードル上げてる。本当にとんでもない人だ。


「あぁ、すまん。うっかり真実を伝えちまった」

「来夢の小説見せるからさ、春風の小説も読ませてよ」


 2人に見せている手前、さすがにもう断ることは出来ない。ただ、来夢ちゃんの小説を読めるのは素直に嬉しい。


「う、うん。その、来夢ちゃんも賞に応募したりしてるんですか?」

「もちろんしてる、ネット投稿も。プロ目指してるから」


 すごい。来夢ちゃんは高校生なのに、もうはっきりと進む道を決めているんだ。


「春風は違うの? 和多と咲嵐もプロ作家志望だし、てっきりそういう繋がりで知り合ったのかと思った」

「いや、私はたまたま和多さんの隣に住んでいるだけというか」

「ももかんは今日まで他人に小説見せたことすらなかったんだってさ」

「そうなんだ。でも面白い小説書くんでしょ? せっかく書いたなら評価してもらいたいとか思わないの?」


 たしかに自分が書いた小説を人が誉めてくれた時、信じられないくらい嬉しかった。私の小説でも今まで読んできた小説のように、他人の心をほんの少しでも揺さぶる事が出来たんだと震えた。

 でも。


「その……自分の考えを落とし込んだ小説を見せるのって、怖かったり恥ずかしかったりしないんですか? 例えば凶悪犯罪者の思考を描写したり、本来自分の倫理観とは違う表現を使わなきゃいけなかったりする時ありますよね? 読み手に作者はこういう人間なんだって思われたらどうしようとか、考えちゃうんです。そういう剥き出しの自分を晒す勇気がなくて」

「わはは! 真面目かよ!」

「茶化さない咲嵐、私は春風ちゃんの言ってること分かるし」

「来夢は分からないかな。だって春風、まともな人間のまともな日常を描いた日記と、頭のイカれた殺人鬼のイカれた日常を描いた日記があるとして。どっちが読みたい?」

「えっと……たしかにそれは後者ですね。断然と言っていいくらい」

「ね? 作家なんてきっと、全員社会不適合者の感受性高いメンヘラだよ。だから普通の人と違う思考が出来るし、物語が作れる。というかクリエイターだけでしょ、メンヘラが正当な武器になるの」


 来夢ちゃんの口から飛び出したのは、今の世の中に到底ふさわしくない過激な意見。

 でも、私は妙に納得してしまう。もちろん全員がそれだと断定するのは極端過ぎるけど、私も周りの評価や評判を気にしてばかりのメンヘラ気質には違いない。


「そもそも世に出した作品の評価なんて絶対割れるし、だからこそ面白いんだろ。一生周りの反応にビビって刺激なく卒なく終わるより、後ろ指を指されようと一発逆転があるかもしれない人生の方が単純に楽しくね?」


 そう真っ直ぐに言い切る咲嵐さんは、バイクにまたがっている姿を初めて見た時に抱いたイメージにぴったり当てはまった。

 私は来夢ちゃんと咲嵐さんの言葉を受けて、身体の内側から不思議な熱が湧くのを感じていた。まるで胸に小さな火が灯ったような感覚。


「あの、和多さんもお2人と同じ考えですか?」

「私は元々今の春風ちゃんと同じ安定志向でさ、大学を出てから事務職の会社員をしてたよ。もちろん趣味で小説は書いてたけど咲嵐以外誰にも言ってなかったし、貯金の出来る生活を送れていたから満足もしてた。でも1年前、咲嵐に乗せられて初めて小説を賞レースに送ってみたんだ。それで一次選考を抜けた時、今までにない快感を味わっちゃった。それはもう、これに人生を懸けてみたいって思うくらいのすごいやつ」

「会社員をしてたって、過去形ですけど今は辞められたんですか?」

「うん、気付いたら退職手続きをしてアルバイトを探してた。馬鹿でしょ? そのまま会社に残ってコツコツ書く道が正しいに決まってるのに、小説に使う時間を増やすためだけに行動したわけだからね。まったく咲嵐のやつ、とんでもない熱にあててくれたもんだよ。まぁ、結局は自分が選んだんだけどさ」


 すごい。その時すでに会社員だったのに、小説のために人生の進行方向を変えたんだ。でもそれを馬鹿だなんて全く思わない。


 むしろ、私は……。


「で、どうするんだももかん?」


 私の気持ちをお見通しだと言わんばかりに、咲嵐さんがそう言った。

 思えば今まで、自分の人生に意味を追求したことなんてなかった。失敗しないように、皆と同じレールから外れないようにただ必死で生きてきた。他人の目や世間体を気にすることが義務だった。

 これからもはみ出し者にならないよう、そう生きていくつもりだった。


 ――でも。


 私は今日、この3人に出会ってしまった。自分の存在証明に真っ直ぐ突き進むこの人達は、今まで出会った誰よりも格好良い。

 ただきっとこれは世間一般の感覚とは異なる。和多さんの言う通り、多くの人間は彼女達をはみ出し者だと笑うだろう。現実を見ろと諭すだろう。

 それでも、今感じたこの気持ち。

 私の胸に生まれた火はその灯を大きくするばかりだ。


「春風ちゃん、これは注意というか警告。夢を追う人間の持つ熱にあてられたなら、進むかどうかはもうちょっとよく考えてからの方がいいよ。私や咲嵐みたいに全振りしなくても、別に安定した仕事に就きながら小説を書く道だって全然あるんだからね」

「はっ、それは無理だろ和多。お前もそうだったし、あんな面白い小説を書くやつはそのうち絶対小説に人生の比重を置くようになるよ。面白い小説が書けるやつには、それを発表していく義務があるからな」

「意外ね咲嵐、ノブレス・オブリージュなんて知ってるんだ。でも、ただでさえ社会から外れた人間が多いワナビに社会的責任求めるやつなんてあんたくらいよ」


 咲嵐さんにそう返したのは来夢ちゃんだ。ノブレス・オブリージュってたしか、地位には相応の責任が伴うって意味だっけ。昔観た映画で使われてて調べた記憶がある。

 ただ、来夢ちゃんが後半に使った言葉の方は全く聞き覚えがない。


「あの、ワナビってなんですか?」

「あぁ、want to beの略。基本的に芸能人やタレント、クリエイターなどを夢見る人間を呼称するスラングで皮肉に使われる事が多いわね。まぁ、今の来夢達の立ち位置を指す言葉としては適切だと思うけど」


 そうなんだ、ワナビ。

 ワナビか。何者かになりたい人。

 うん、いいな。

 小説家の卵とかよりも、たしかに今の自分にずっとしっくりくる言葉だ。

 私は一度深呼吸をして口を開く。


「和多さん、心配してくれてありがとうございます。それを踏まえたうえで皆さんに1つ聞いてもいいですか?」

「うん、なあに?」

「私なんかでも、ワナビを目指してみていいんでしょうか?」


 私はかなり真剣に質問したつもりだったんだけど、少し間が空いたあと部屋中に咲嵐さんの笑い声が響いた。


「わはは! 興奮してんのは分かるけど落ち着け、ワナビを目指すって頭痛が痛いみたいになってるぞ」

「あー、咲嵐の言う通りもう手遅れだったかな。うん、春風ちゃんの人生だもん春風ちゃんの思うように進めばいいよ。あとでまた考えが変わったっていいし」

「そうね、別にワナビには資格も免許も期限もないから。ただ分かってると思うけど春風、もちろんデメリットもある。夢を追う人間は世間から白い目で見られたり、嘲笑の的になったりすることも多いよ」

「はい、今までさんざんそういうモノに怯えて生きてきましたから。でも皆さんに出会って、初めてそんな今までの自分を変えてみたいって思えたんです。だからこの気持ちを信じて、頑張れるところまで頑張ってみたい」

「世間になんてなんとでも言わせておけばいいさ、どうせ一発当てたら全員手のひら返すんだから。うっし。じゃあせっかくももかんもワナビの仲間入りしたとこだし、乾杯の音頭はそれにしようぜ」


 咲嵐さんはそう言うと、缶チューハイを持ち上げて皆にも同じ所作を促す。


「ワナビ女子どもに、乾杯!」


 これからは大学生活も始まるし、小説の執筆でも忙しない日々が続きそうだ。

 そのまま執筆を続けて小説中心の人生になるかもしれないし、途中で音をあげて筆を折り、元の安定志向に戻ってしまうかもしれない。

 ただそれでもこの3人に出会えた今日はきっと、私の人生においてとても大切な1日に違いない。


「あれ、ももかん。よく見たらスカート少し濡れてるぞ、ジュースこぼしたのか?」

「えっ!?」


 咲嵐さんの指摘で、上がったテンションと昂った感情を一気に底まで落とされた。

 ――最悪だ。

 もちろんジュースをこぼした覚えはない。

 思い当たる節はただ1つ。来夢ちゃんに驚かされたあの時だろう。

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