第2話

颯と千紘二人暮しが始まって二日目。生活習慣が大きく変わると思っていた颯だったが、父親と暮らしていた時と対して変わらなかった。


父親が仕事の時に早く起きて朝食の準備をしていたのと同じように、仕事が昼からだと言う千紘よりも早くに起きて既に朝食の準備を済ませていた。この時午前七時。


朝食のラインナップは、ご飯に鮭の塩焼きに味噌汁の定番のものを並べた。


「ふぁー。颯君おはよ。」


机にご飯を並べ終えたタイミングで、千紘が欠伸をしながらリビングに入って来た。


「あ、千紘さんおはようございます。今、丁度ご飯できましたよ。」


「おおー、美味しそう。」


そう言いながら昨日と同じ場所に座った。それを確認して颯も千紘の対面に座る。


「じゃあ、食べよっか。いただきます。」


「いただきます。」


手を合わせてから千紘が手を伸ばしたのは、鮭の塩焼き。それを口に運んで頬張る。颯にとっては緊張の瞬間。


言ってしまえば、グリルに突っ込んでしまえばそれで終わりなのだが、美味しくないと言われては立ち直れる自信が無い。


それどころか、今後料理は任せてもらえない可能性が高い。それだけは避けたいと生唾を飲み込む。


「うん。美味しいよ!塩加減もいい感じだよ。」


それを聞いてほっと一息ついた。そして、自分の作ったご飯に手を伸ばした。


「朝ごはん食べたら日課の散歩に行こうと思うんだけど、颯君も一緒に行く?」


「一旦皿洗いするんで今日は遠慮させてもらいます。」


「それは手伝うからさ。そしたら早く終わるでしょ。だから、ね?」


「いや...えっと、あの...はい。ご一緒させていただきます。」


大好きなアイドルに可愛くお願いされて断ることのできるオタクはいない。今や知らない人のいないアイドルが男と二人で出歩くリスクと、隣に並んで皿洗いをして更に隣を歩ける喜びを天秤にかけた結果がこれだ。


「いいんですか?男と二人で歩いても。」


颯はそのリスクを十分に認識した上でこれを承諾してしまった。千紘も分かってはいると思うが念の為に聞いておく。


「ん〜。あんまり良くないかも?」


「ダメじゃないですか!?僕のせいでCrymoREの活動に支障が出ようものなら腹切って詫びるしか...」


「そんなに思い詰めなくて大丈夫だって。」


動揺からとんでもないことを口走る颯の傍らで、大したことないように言う千紘。


「ほら、CrymoREの事務所は別に恋愛NGじゃないし、そもそも私たちは恋人じゃなくて姉弟なんだよ。弟と出歩くことが制限されるのはあんまりだよ。」


「はぁ。分かりました。一応切腹の覚悟だけ決めて着いていきます。」


千紘の言うことも一理あると思った颯は中々に物騒な覚悟を決めた。


「僕が皿洗うので千紘さんは皿を拭いていってください。」


「りょーかい。」


なんやかんやありながら、朝食を食べ終えて散歩に行く為、一緒に皿洗いをする。


「おー、さすが手馴れてるね。」


「もうかなりの年数やってますからね。このくらいはなんて事ないですよ。」


やはり千紘に褒められるのは颯にとってかなり気は恥ずかしいものらしい。褒め言葉を素直に受け取ろうとしない。


そして、黙々と皿を洗い続けているとあっという間に、シンクから洗い物が消えた。


「それじゃあ着替えてちょっとだけお化粧してくるからちょっと待っててね。」


化粧をしてくると聞いて颯は驚いた。てっきり化粧はしてきていると思っていたからだ。それほど、千紘はすっぴんでも可愛く完成度の高い顔をしていた。


颯は、千紘を待つ間に歯磨きをして顔を洗い支度を済ませた。そして、退屈なテレビを見ながらくつろいで千紘を待っていた。


「颯君お待たせ。準備できた?」


「はい。バッチリです。」


千紘は、ダボッとした黒い無地のTシャツにホットパンツを履いていた。当然と言ってはなんだが、颯の目線はそのムチっとした太ももに吸い寄せられた。


ライブの時やテレビで見る時には見ることができない太もも。ファンの誰も見たことがないであろう太ももはあまりにも魅力的だった。


「意外とラフな格好なんですね。」


「まあ散歩に行くだけだからね。気合い入れたって仕方ないもん。」


「そ、そうですよね。」


話している間も颯の視線は一向に太ももから外れる気配を見せない。そんな視線に気がつかない千紘な訳がなく。


「そんなに太もも見たってどうにもなんないよ。」


「え?あ、いやその、すみません。」


あまりにも強烈な吸引力を持つ太ももに見ていたことさえ無自覚だった颯は、急いで顔視線を上げて顔に向ける。


「と、とにかく早く散歩に行きましょう。」


なんでも良いから話題を逸らしたかった颯は、靴を履き替えて家を飛び出した。


それに続いて千紘が家を出た。オートロックなので自動で鍵が閉まった。


そして、エレベーターに乗って一回まで降りてマンションの外に出る。


「ルートはいつも決まってるからさ。着いてきて。」


「分かりました。」


二人は適当に会話をしながらゆっくりと歩く。その道中颯は、千紘の車道側半歩後ろを歩いて千紘から送れないようにしていた。


「颯君はさ。その敬語外す気は無いの?」


「それは、千紘さんとタメ口で話せということですか?」


「そういうこと。せっかく姉弟になったんだし、私たちのファンとかは抜きにして敬語は辞めてみない?」


千紘言いたいことは分かる。ただ、颯が千紘と姉弟になるという光栄を受けて敬語を辞めるという選択ができるかと言うとそれは難しい。


「それはちょっと、ごめんなさい。」


「まあ、今直ぐにとは言わないからさ。いつかでいいよ。」


気を持ち直して散歩をしつつ会話を楽しむ颯。しかし、また千紘から胃の痛くなる試練が与えられる。


「千紘さんは...」


「そう。それだよ。」


千紘は颯が話し出すのを遮った。


「なんですか?」


何を言われてるのか分からず困惑する颯。


「千紘さんじゃなくてお義姉ちゃんって呼んでみて。」


「お、お義姉ちゃんですか...?」


「そう。私一人っ子でしょ。だから、弟に憧れてたんだよね。そしたら、義弟ができたっていうのにその義弟は全然お義姉ちゃんって呼んでくれないからさ。」


千紘がいよいよ痺れを切らしたという訳だ。颯も一人っ子だったので兄弟に弟や妹に憧れる気持ちはよく分かる。


だか、それとこれとは話が別。颯が至る結論はいつだって一介ファンである自分が義姉なんて呼んでもいいのかというところだ。


「それもちょっと厳しいかもしれないです。」


なので、当然のように颯は一度それを断る。


「ちょっとこれは私も引き下がれないよ。これまでの颯君の傾向からすると、他のファンに申し訳が立たないってところだと思うけど権利はあるよ。」


千紘の提案を一度断ろうと、大好きなアイドルグループの一人を義姉と呼ばないのは惜しいとも感じていた。だからこそ、千紘の説得に大きく揺らぐ。


「義姉ちゃん...これでいいですか?」


結果的に渋々といった感じで言った。


「うん。」


すると、千紘は満足と大きく頷いた。


「颯君は、颯か颯君かどっちがいいとかある?」


「是非とも君付けでお願いします。」


食い気味で言った。千紘から颯なんて呼ばれた日には心臓が停止してしまうかもしれない。


「そっかあ。なら仕方ないね。」


三十分程度の散歩をから帰ってきて颯は家事を進め、千紘は仕事の準備を進める。


そして、千紘が出ていく時間になった。千紘が靴を履き立ち上がって颯の方を向いて言った。


「玄関で見送ってくれるっていいものだね。」


「そうですか?僕はずっと見送る側なのでよく分かりません。」


「じゃあ、今度は私が見送ってあげるね!」


「はい。では、気をつけて。夕飯は用意して待ってますので。」


「うん。ありがと。いってきます。」


千紘を見送って家事もだいたい終わらせた颯は暇を持て余したので、引越しの際のダンボールの片付けを始めた。


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