人気アイドルが義姉になった。そして、同居がスタートした。

浅木 唯

第1話。

『CrymoRE』


約三年前にデビューし、今この時まで一世を風靡し続けている五人組アイドルグループ。五人全員が非常にルックスが良く更には、歌と踊りの完成度が高いと評価を得ている。


そんな、日本で一番人気と言って良いCrymoREのメンバーの一人、箭原やわら千紘ちひろとの同居が突如として決まったのは、こけらはやて


箭原千紘は、ウルフカットで短く整えた髪に切れ長の目の中には引き込まれそうになる蒼い双眸。スラッと鍛えられた体が激しく踊ると見え隠れする。そんな所が彼女の人気の所以だ。


「そんなに肩肘張らなくても大丈夫だよ。」


「あ...す、すみません...」


父親の再婚相手と顔合わせが終わり、再婚相手の娘があの千紘だと知ってしかも、同居まですることになった瞬間から対面に座って会話を始めようとしてもこの調子だ。


ただそれも仕方の無いことだと言える。何を隠そう颯は、CrymoREの大ファンなのだ。憧れ続けたCrymoREの一人が目の前にいて且つこれから一緒に住むとなれば緊張するものだ。


「颯君は、私の事知ってくれたるの?」


「知ってるも何も大ファンですよ!それこそ、CrymoREがデビューした時からずっと。お金貯めてライブにだって何回も言ってるんですから。」


それが颯のスイッチを踏み早口で捲し立てた。その勢いに若干気圧された感のあった千紘だったが、そんなものはお首も出さなかった。


「わあ、そうなんだ。嬉しいなぁ。」


そして、混じりっけのない笑を浮かべて言った。それは、ライブなどでは見たことの無い千紘の表情。それを見た颯は言葉を失う。


CrymoREとはその名の通り、心を揺さぶるような曲が多いだけに、クールなイメージを強く植え付けられている。だからこそ、それとは真反対の表情が余計に魅力的に見える。


「ところで、颯君の推しは誰なのかな?」


「えっと...千紘さんです。」


「建前は私ね。じゃあ、本音は?」


逡巡の後、視線を泳がせたことでお世辞だと見抜いた千紘。


逢生あおい緋依ひよりちゃんです。」


逢生緋依とは、颯と同い年の高校二年生でCrymoREの中で一番ギャップを感じられるメンバーである。


千紘を含め他三人のメンバーは、どれだけクールを消してもかっこよさが残ってしまうのに対し、緋依はまさに天真爛漫と言った感じで好奇心旺盛だが、一度ライブが始まればそんな雰囲気は完全に消え去る。かっこいい一色に染めあげてしまうのだ。そこに惚れる人が続出した内の一人が颯だ。


「ああ、緋依ちゃんね。分かるよ可愛いよね。」


「もちろん全員好きなんですよ。僕だって誰か一人を決めるのは非常に心苦しいんです。」


「アハハっ。気持ちはわかるよ。私もCrymoREで一人選べって言われもなかなか決まんないもん。」


それに、颯は大きく頷いた。颯だって強いて言えば緋依と言うだけで、絶対に緋依だという訳では無い。時期によっては千紘を選んだことだってあるだろう。


「それにしても、まさか私たちの大ファンだって子と姉弟になるとはね。人生何があるかわかんないや。」


「全くです。僕だって、まさか千紘さんが義姉になる日が来るなんて夢にも思わないですよ。しかも、同居だなんて...よく許可しましたね。」


そう。人生とは何があるか分からない。ただ、こんなことになるなんて誰が想像しただろうか。普通に生きてれば起こりえないことだ。


しかも、何処の馬の骨とも分からない男と姉弟になるとはいえ、同居することを許可したことも驚きだ。


「颯君のお父さん、私のお義父さんでもあるけど...お義父さんから颯君の人となりは聞いてたからね。なにも心配してないよ。」


「いや、そうだとしてもですよ。ほら、色々あるじゃないですか。」


「それとも、颯君は私になにかするつもり?」


「んなっ!何言ってるんですか!そんなこと絶対にしません!」


愚問だ。颯が万が一千紘に手を出そうものなら社会から手痛い罰が待っているのは当然だが、CrymoREのファンから殺されかねない。


ただ、颯も男なものでそんなことが頭を過ぎらなかった訳では無い。だから、こんなにも慌てふためいているのだ。


「分かってるよ。ごめんねちょっと意地悪なこと言っちゃった。」


「そんな。謝らないでくださいよ。」


颯は目の前で推しが頭を下げているという状況に困惑する。


「推しにからかわれて嫌な男なんて居やしません。僕だってそうです。」


だから、口を滑らせてしまった。なるべく、目の前に大好きなアイドルがいるので気持ち悪くならないように努めていたが早くもボロが出た。


「そうなの?颯君が喜んでくれるならもっとからかってあげてもいいよ。」


しかし、千紘にとってそんなオタクの扱いなど手馴れたもの。机に頬ずえをついて僅かに小首を傾げ、ふっと微笑んで言った。


「...あ、ちょっとそれは勘弁してください。」


颯は千紘に見惚れて反応が遅れた。その時、颯の脳裏に浮かんだ邪な感情。あの表情は他のファンの人たちには見せて欲しくない。


それが、どれだけ身勝手で傲慢な感情か分からない颯では無い。自分はたまたま運良く千紘と義理の姉弟になっただけで、人気アイドルと一ファンというのは何も変わらないということを忘れぬよう気を引き締めた。


「いい反応をしてくれるね。」


「ありがとうございます?」


「と、親睦を深めるのはこのくらいにして、二人で暮らすにあたってお願いがあるんだけど聞いてもらっていいかな?」


「なんですか?」


「この家の家事をお願いしてもいいかな?私も手伝える時は手伝うから。」


「そんなことですか?」


千紘が深刻な表情で言うものだから、どんな難しいおねがいことなのかと身構えていた颯は拍子抜けした。


「そんなことって...颯君に家事を押し付けることになったんだけど。」


「全然問題ないですって。寧ろ、千紘さん一人でやるつもりだったんですか?」


「断っても二人で暮らすことは変わらないし、強制じゃないよ。」


「だったら聞きますけど、絶賛多忙中の千紘さんは毎日まともに家事ができてるんですか?」


自分からお願いしておいて何を渋ることがあるのか分からない。千紘は仕事の都合で親元を離れ一人暮らしをしていることは周知の事実。


そんな千紘が十分に家事ができているとは到底思えない。だから、少々意地悪だが颯もこういう聞き方をした。


「...できてない。大学もあるし正直休みの日も自炊はしないことが多いね。」


「そうでしょう。それなら遠慮することは無いはずです。」


「でも、急に私と二人で暮らすってなって、その上家事をやってくれなんてやっぱりダメだよ。」


ここまで認めても渋り続ける理由はこれだ。ただただ、千紘に罪悪感が募るというだけだ。だけど、颯にそんなことは関係ない。


「僕にとっても悪い話じゃないですよ。」


「と言うと?」


「僕が家事をすることによって負担が減って、アイドルとしての活動に専念できるなら僕も嬉しいです。」


そう。これは颯にとっていいチャンスでもある。千紘のアイドルとしての活動に貢献できるだけでなく、千紘の体調を少しでもいい方に持っていくことが出来る。


そんなチャンスを颯が逃すはずが無い、それに、自分の作った料理を食べてもらえるというのも無くはない。


「ほんとに良いの?」


「だから、良いって言ってるじゃないですか。僕もバイトがありますから、ちょっと疎かになる日もあると思いますけど、千紘さんに比べればなんてことありませんので。」


「だったらお願いします。私も手伝える日は手伝うね。」


「はい。その時はお願いします。」


颯と千紘はお互いに深々と頭を下げた。颯が千紘よりも後に頭を上げて時計を見た。針は十時を指していた。


「もういい時間ですね。」


「そうだね。ちょうどお風呂も沸いたしもう寝る準備しよっか。」


しかし、ここで颯に緊張走る。


「あの...お風呂はどうしますか...?」


まだ入浴を済ませておらず、その順番も決めていないかった。


「先に入って来ていいよ。」


「へ?あ、いやいや、千紘さんが先でどうぞ。僕はあとでいいですから。」


何事もないように千紘は言うが、颯はそうでは無い。顔に焦りを浮かべて全力で千紘を先に行かせようとする。


「私の入浴シーンを想像した?意外とエッチだね。」


自分の腕で体を抱きしめて少し体を反らせて言った。


「し、ししししてません!」


この慌てようでしてない訳が無い。千紘に言われた瞬間に脳裏に浮かんだのは千紘が湯船に浸かっているところだったのは言うまでも無い。


「別にしても良かったのに。」


「...へ?」


そう言われて、颯の思考は完全に停止する。颯の脳では想像をかき消そうとる天使と、想像を掻き立てる悪魔がせめぎ合っている。


「なんてね。あ、洗面所覗いちゃ嫌だよ。」


呆然と立ち尽くす颯に千紘はそれはもう素敵な笑顔でそう言い残して風呂場へ向かった。


颯はそこから数分間顔を真っ赤にして突っ立っていた。

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