第21話【花火大会】


 三人のまぶたをそっとこじ開けたのは、台所から漂ってくるスパイシーな香りだった。

「ん……ん~、ん? うわぁ~、なんかいい匂いがするよ、玲~」

「おはよぉ……いつの間にか寝ちゃってたね……あ、本当だ。カレーのいい匂い!」

「くんくん……くんくんくん……はっ! カレーだぁー!」

 声を聞きつけて、遼が台所から顔をのぞかせた。

「あ、みんな起きたか。もうすぐご飯も炊き上がるから、夕ご飯にしよか」

「やたぁー。カレー♪ カレー♪」


「桜、騒いでないで、お手伝いしに行くよ」

「あ、いいよ~。玲たちはお客さんだし、ここでゆっくりしてて~」

「ごめんね、ありがとう」

「麻美ちゃん、ありがとー!」

「いいよ~ん」



 夕飯の準備が整うと、昨夜と同じく、みんなで大きな机を囲んだ。

「わぁ! これって今朝桜たちが採ってきたトマトとナスだよね? 自分で採った野菜を食べられるなんて、なんか感動だねー」

「確かに、そんな経験あんまりできないもんね。本当にありがとうございます」

「田舎なんぞ、食べもんくらいしか馳走するもんがないけん、喜んでもらえたら儂も嬉しい限りじゃわ。今日のカレーには、ちぃーっと奮発してオリーブ牛を入れとるけん、もんげぇ美味いでぇ!」


「へぇ~、贅沢! じゃ、今日もみんなでアレやりますか!」

「今日は、桜が言ってみたいでーす!」

「お、いいね~! じゃあ、うちらは麦茶で、じぃじと兄ちゃんは、ビールを持って下さ~い」

「はぁーい。では、美味しくいただきましょーう。弥栄いやさか!」

「「「「「弥栄ー!」」」」」


 和昌特製カレーを一口頬張った麻美が、目をとろけさせながら言った。

「う、うんまぁ~! 幸せすぎる~……」

「がっはっはー! たくさんあるけぇ、いっぱい食べや」

「むむっ……。このカレー……ウマ過ぎる! 桜、おかわりしまーす!」

「ほんとに美味しい! 私もおかわりしちゃおうかな」

「玲ちゃん、遠慮せんでええで。このオリーブ漬けも、カレーと一緒に食べたら美味いでぇ」

「ありがとうございます、いただきます!」



 小豆島の恵みをふんだんに味わった一同は、夕食の片付けを終えると、デザートにアイスを楽しんでいた。

 そこへ、どこかへ出て行っていた和昌が、大きな袋を抱えて戻ってきた。

「実はな、これを買ってきとんじゃが、皆はこないなもん好きじゃろか……?」

 袋の中には、手持ち花火から打ち上げ系まで、たっぷり詰まった花火セットがぎっしり入っていた。

 和昌は少し照れくさそうに笑って続けた。


「喜んでくれるか分からんのんじゃが……、ちょっとでも楽しい思い出になったらと思ぉてうといたんじゃ」

「す、すげぇ量だな、じいちゃん……めっちゃええやん! 最高や!」

「そ、そぉけ? ほなら、みんなで庭に出て花火しょーか!」

「わぁーい! 桜、今年まだ花火してなかったから嬉しーい! ねぇ銀ちゃん、花火やったことある?」

「見たことはあんで。夜空にドーンって光るやつやろ?」

「それは打ち上げ花火だねー。じゃあ、手持ち花火は初めてかなぁ?」


言うくらいやから、手に持つんやろ? 危ないんとちゃうか?」

「大丈夫だよー。手で持てる用に作ってあるからねー」

「ほぅ……」

「うちらの住んでるとこじゃ、煙とか音で近所迷惑になるから、あんまり花火できないんだよね~。でも、ここならその心配はゼロなのだ~!」

「ええやん! 花火やろ、はよやろ!」

「おっ、ノッてきたね~、銀ちゃん!」


「ご近所さんにはちゃんと伝えてあるけん、気にせず存分に楽しんでや」

「じゃ、兄ちゃん、準備を——」

「もうやってる」

 遼は、麻美に指示されるまでもなく、大量にあった花火の袋の大半をすでに開封し、手際よく種類ごとに花火を分けていた。


「さっすが~、ありがと!」

「じいちゃん、仏壇の蝋燭ろうそくと、庭のバケツ借りるで」

「好きに使ってええで」

「和昌じいちゃんも一緒にやるよねー?」


「いやいや、儂はええよ。君らだけでやりんさい」

「じぃじ、ノリ悪い男はモテないよ~」

「儂はもうモテる必要はないがぁ……」

「まぁまぁ、そう言わずにさ~。一緒に夏の思い出作ろうよ~!」


 遼も麻美に同意し、和昌の背中を押した。

「じいちゃん、こんなにたくさんあるんやし、せっかくやから一緒にやろや」

「そうけぇ。ほなら儂も、銀仁朗君の面倒見る手前、ちょっとばかし付き合おうかの」

「助かるよ。俺は麻美たちの世話で手一杯なるやろうし。あいつらが怪我でもしたら、せっかくの思い出が台無しになってまうからな」

「遼も、たまには肩の力抜いてええんやで。火の始末なんぞは、儂に任せとき」


「うん、ありがとう。じゃあ、俺は向こうで仕掛け花火のセットしてくるわ!」

「気ぃつけてな」

 テキパキと準備に向かう遼の後ろ姿を見ながら、銀仁朗が微笑みながらぽつりと呟く。

「遼くん、ええ顔しとるな! 楽しそうで何よりや」

「せやのぉ。あの子は麻美と七つ違うんじゃが、小さい頃からずっと、妹の面倒をよう見てくれよったんよ。優しい子やけん、兄として妹を守らないう気持ちが強なり過ぎて、窮屈な想いさせとるんやないやろかって、よう思うてまうんじゃ」


「でも、遼くんは遼くんなりに人生の楽しみ方を分かってきとるんやないかな。実は、今日の昼間に遼くんと話す時間があってな、将来のこととか話しとったんよ」

「ほんまけぇ。で、遼はなんて言うとったんじゃ?」

「料理するんが好きやねんて。食べる人が喜んでくれる姿を見るんが好きや言うてたわ。まだはっきりは決めとらんけど、料理人目指すんもえぇかもって言うとったで」


「ほぉ……。あの遼がそないなことを……」

「何でもテキパキ動いてくれることを褒めたったらな、アルバイト先でも、自分ができることを探して動くようにしてるんやて。積極的に動き回る姿を店長さんからも褒められとるんやて。褒められるのも嬉しいけど、人の役に立てることが何より嬉しいって、そう言うてたわ。あの歳で、こないなこと言える青年は少ないんと違うか?」


「ほんまやなぁ……。子どもは知らん間に、大きゅうなっていくもんじゃな……。儂、なんや泣いてまいそうじゃ」

「親の心、子知らずいう言葉があるけど、逆も然りや。さっき和昌翁は、遼くんが無理してる気がするって言うてたけどな、遼くんは誰かの役に立つことをするんが好きなんや。人のために自然と体が動いとるんやな。ほんま優しい子やで」


「親でも子どもの心が分からんのやけぇ、ジジイには分かりっこないのに、無駄な心配してしもうとったみたいじゃな」

「そういうこっちゃ。あ、あと農業にも興味ある言うてたで。和昌翁が元気なうちに、いろいろ教わりたいってさ」

「な、なんと……! あかん、儂、もう無理……泣いちゃう!」


「知っとるか? 涙って感情によって成分が違うらしいで。味もちゃうんやと」

「へぇ〜、そぉね!」

「嬉しい時と悲しい時の涙は薄味で、腹立った時や、悔しかった時の涙はしょっぱいらしい」

「ほなら、この涙は薄味じゃな。血圧高めの年寄りにゃ優しか味やのぉ! がっはっはー」


 ふと視線を上げると、子どもたちが花火を始めていた。手持ちの火花が、夜の庭にちらちらと光を散らしている。

「お、子どもらが花火始めよったな。おぉ~、手持ち花火言うんも充分綺麗やなぁ」

「銀仁朗君もやってみられぇ。火ぃつけちゃるけん、ここ持っときや」

「だ、大丈夫なんやろなぁ……。普通に怖いんやが」

「何かあったら儂が何とかするけん、安心せぇ」


「コアラの一番の大敵は何か知っとるか?」

「知らぁん。うーん……火かいのぉ?」

「ビンゴや。山火事で森が焼けたら、わしらの住処がのうなる。動物は基本、火を本能で恐れるんや。危険なもんやって、遺伝子に組み込まれてるんかもやな」

「確かに火は危ないもんじゃ。じゃけど、人間はそれを上手に利用する術を心得ておる。恐れることはない。儂を信じて持ってみぃ」


「ほなら、和昌翁を信用して……。火つけてくれまっか?」

「ほいきた。ほないくでぇ~。ほれ、点いた!」

「お、おぉ……ええやん、むっちゃ綺麗や!」

「そうじゃろ。どうじゃ、初めての手持ち花火は?」

「大きのとはまた違ったおもむきがあるなぁ……。あ、せやせや。花火見たら言わなあかん言葉があったねんな」


「ん? 何のことじゃ?」

「えぇと確か……『たみやー』とかなんとか」

「そりゃ、プラモデル屋じゃが! それを言うなら『たまやー』じゃろー、がっはっはー!」

「これ、何の儀式なん?」

「たまやー、かぎやー言うて叫んでるんは、玉屋と鍵屋っちゅう花火屋の屋号じゃ。玉屋と鍵屋の花火、どっちが優れてるかを決めるのに、観客の声援の大きさで決めとったとかなんとか」


「じゃあ、この花火は、何屋が作ったやつや?」

「知らぁん。最近の花火は、殆ど中国産じゃしな」

「ほな『チャイナー』って言うとこか!」

「がっはっはー」


 用意された大量の花火は、次々に火がつけられ、夜空を彩っていく。遼が準備した仕掛け花火も美しく咲き乱れ、辺りを明るく照らした。

 子どもたちの笑い声と歓声が庭に響き渡り、その姿はどんな花火よりも鮮やかで、まばゆいほどの輝きを放っていた。

 和昌は、迷いに迷って買った花火を、こんなにも皆が喜んでくれている様子を見て、心の底から買ってきてよかったと感じ、目頭が熱くなった。

 そのせいか、夜空に咲いた火花の一つ一つが、彼の目には誰よりも美しく、キラキラと輝いて映っていた。



 ほとんどの花火をやり終えると、最後は皆で輪になって線香花火を楽しむことにした。

「やっぱ、花火の締めこれだよね~」

「線香花火って、何でこんなにも寂しく感じるんだろう?」

「玲の言う通り、これしてると、しんみりするよね~」

「桜、下手っぴいだからすぐ落っことしちゃうー。あ、またすぐ落ちちゃったよぉ」

「ド派手な花火もええけど、この可愛らしい花火も、これなりの良さがあるなぁ」


「風流いうやつじゃのぉ」

「あ~、明日帰るのやだな~」

「そうだね。でも、ずっとお邪魔するのも悪いしね」

「桜も帰りたくなぁーい」

「いいよ。桜は置いてってあげる」

「儂が責任持って面倒見るけぇ、安心せぇ」

「ちょっと、ちょっとちょっと。何か変な流れになってるじゃん!」


「ふふっ、冗談だよ」

「和昌じいちゃんも、悪ノリに付き合わなくていいからぁー!」

「がっはっはー。ま、でも儂も本音を言えば寂しいけん、またいつでも遊びに来てくれたら嬉しいわい」

「そうやね。また正月か、春休みにでも来るよ」

「遼、春は畑の種蒔きやら何やらで忙しいけん、手伝ってもらえると大助かりなんじゃが……」

「そうやね、手伝いに行くよ。農業のこととか、もっと知りたいし」


 遼の言葉を聞き、和昌と銀仁朗は顔を見合わせて微笑んだ。

「うちも行く~!」

「お前が来ても、邪魔になるだけや」

「うちがいないと、兄ちゃん寂しいだろ~?」

「いや、静かな方が快適で助かる」


「とか言って~、いつもうちのこと心配してくれるくせに~。昔さ、かくれんぼしてた時、うちが全然見つからなくなって、兄ちゃんずっと一人で町中を探し回ってたんだって~」

「その話、やめろって……」

「ま、うちはおやつに食べたスイカの食べ過ぎでお腹壊しちゃって、家のトイレにこもってただけなんだけどね~。あははは~」


「それは、完全に麻美が悪いんじゃないかな……」

「ほんま、こいつはマイペースで自分勝手やからな! こっちの身にもなれっつーの」

 遼が少し苛立ちを露わにしたのを見て、銀仁朗がすかさずフォローを入れた。

「遼くんが優しいから、麻美ちゃんはそれに甘えてしまうんやろな」

「俺がしんどいばっかりやで」


「確かにそうかもなぁ。でも、麻美ちゃんがおったから、今の遼君があるんやと思うで。色々あるかもしれへんけど、それもいつか、良い経験をしたなぁと思える日が来るんとちゃうかな」

「良い経験をしたな、か……。できれば避けたい経験も多々あるけど、まぁそう考えられる心の余裕を持てるように努めますわ」

「ええ心がけや」


「あ~、線香花火もこれが最後の一本だ~」

「銀仁朗君、最後やりんさい」

「ええんか?」

「君がおらんかったら、こんな機会はなかったやろうし、最後を飾るにはぴったりの役者じゃ!」

「……そんなん言われたら、ちょっと照れるやん。ほな、ありがたく最後の一本やらせてもらいます」


 最後の線香花火に火が灯ると、パチ……パチ……という小さな音が夜の静寂に溶けていく。皆が静かにそれを見つめる中、やがて火種はゆっくりと落ちていった。その瞬間、銀仁朗が急に声を張り上げた。

「なーかやーっ!」

「うおっ⁈ なんや、急に儂の名前叫んでどうしたんじゃ?」

「今日の花火大会の立役者に、最大の喝采を送りたかっただけや」

「かぁ~! もんげぇこじゃれたことを言うコアラじゃわい。がっはっはー!」


「玲、見て見て! 星がめっちゃ綺麗だよ~」

「ホントだ! あれって天の川かな?」

「すっごー……マジ、プラネタリウムより綺麗なんじゃなーい⁉」

「そういや桜ちゃん、自由研究で星空観察するとか言ってなかったっけ?」

「あ……、あーっ! すっかり忘れてたぁー‼」

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