第16話【いざ小豆島 ー前編ー 】

 お盆休みシーズンになると、道路が渋滞する事が多くなる為、小豆島への旅程は八月十日〜十二日の二泊三日で行く事になっていた。そして、十日の朝を迎えた。


「二人とも、準備はバッチリ出来てる?」


「うぃーっす」


「大丈夫、だと思う」


「本当に良かったの? 銀ちゃんまで連れて行って」


「麻美がお兄さんにペットも連れて行って良いか聞いてくれて、車に酔わないなら良いって言ってくれてるみたいだから」


「車でお出かけした事がないから、大丈夫かしらねぇ」


「わしなら大丈夫やで。トラックでガタガタ揺れながらここにも来とる訳やしのぉ」


「言われてみたらそうね。しかも狭いダンボールの中に入れられながら」


「あれはしんどかったで~。到着しても、全然開けてくれへんかったしなぁ」


「あの時は……ねぇ」


 英莉子と玲は、顔を見合って苦笑いした。そんな会話をしていると、麻美が到着したことを告げるチャイムの音が鳴った。


「あ、麻美達着いたみたい。はーい」


「玲、おは~。うちら、下で待ってるね~」


「ありがと。今から降りるね」


「ほな、行きまひょか」


「ママ、桜達が居なくて淋しくない? 何かあったらお電話してきてねー」


「それはこっちのセリフです。とにかく、皆さんにご迷惑をかけない様にしてね。あ、あとこれ、お祖父じい様にお渡ししておいてくれる?」


「わー、ヘンリーのフィナンシェだ!」


「あんた、絶対勝手に食べたらダメだよ!」


「わーってるよそれくらい!」


 些細な事で、すぐ言い争いが始まる姉妹を見て、改めて旅行に行かせて大丈夫なのだろうかと不安を覚える英莉子だった。


「じゃあお母さん、行ってくるね」


「いってきまーす」


「いってらっしゃい。気をつけてね」




 マンションの下に降りると、エントランス近くの道路脇に停めてある車の前で、麻美がこちらに気付いて手を振ってくれていた。


「麻美、お待たせ」


「おはようございます、麻美ちゃん」


「桜ちゃん、おはよ~。玲も、銀ちゃんもおはよ~」


「おはようさん」


「ささ、どうぞお入り下さいませ」


 麻美はそう言って、車の後部座席のドアを開けた。二人が車のシートに座ると、運転席に座っていた麻美の兄が、後ろを振り向き挨拶をした。


「おはよう。えっと……」


「玲と、妹の桜ちゃん。さっき言ったでしょうが」


「あぁ、そうだったな。初めまして、玲ちゃん、桜ちゃん。麻美の兄のりょうと言います。宜しく」




「お、おはようございます。お兄、さん?」


「遼でええよ」


「じゃあ、おはようございます、遼君」


「(遼君……。ま、まぁいいか)少し長旅になるけど、宜しくな」


「こちらこそ、宜しくお願い致します」


「もう少し気軽に接してもらっても大丈夫やで」


「そうそう、うちの兄ちゃんなんだし、敬語とかいらないから」


「お前は、もうちょい兄をうやまわんかい」


 遼は軽く麻美の頭をゲンコツで叩いた。


「いてっ。パワハラはんた~い」


 そんなやり取りをしている姿を見て、玲は思わず微笑んだ。


「ふふっ。どこの兄弟姉妹も、同じような感じなんだね」


 その言葉に、桜も深く頷いた。


「だなぁ。うちのお姉ちゃんも、すぐ殴ってくるし」


 玲が「殴りはしないでしょ」と言った矢先、その左手は桜の肩を叩いていた。


「いたっ。口と体の動きが矛盾してるじゃん!」


 遼と麻美も、後部座席で繰り広げられる姉妹漫才を見て、ケラケラと笑い合った。


「そういや、ペットも連れて来る言うてたよな。ペットキャリーが見当たらんけど」


「あ、そか。銀ちゃんのこと兄ちゃんにまだ言ってなかったんだった」


「え、そうなの? てっきり伝えてくれてるんだと思ってた」


「いや、言って良いもんか迷ってさ~。実物見た方が話早いかと思ってね~」


「せやなぁ。わしの説明ややこしいやろしなぁ」


「……ん?」


 遼は、どこからともなく聞こえてきたおっさん声に驚き、辺りをキョロキョロと見渡し出した。


「わしはここやで〜」


「は? ここってどこや。どこにも何もおらんやん」


 そんな兄の様子を、麻美は腹を抱えて笑っていた。


「玲、降ろしてくれるか?」


「そだね、シートベルトしないとだしね」


 玲は、抱っこ紐から銀仁朗を下ろし、後部座席の真ん中に座らせた。


「おおきに。と言う訳で、お初にお目にかかります。わしは銀仁朗や、よろしゅうたのんます」


「……は?」


「せやから遼君、よろしゅうに」


「……あ、あぁ、はい。」


 遼は、銀仁朗と麻美の顔を、目を丸くしながら交互に見た。


「とゆうことで、ペットの銀ちゃんです。見ての通り、コアラだよ~」


「なぁんだ、コアラかぁ~。ってなるかい! なんでコアラがここにおんねんな! しかも、コッテコテの関西弁しゃべっとるし!」


 玲は、この反応が最も普通なのだと久々に思い出した。


「まぁ、そうなりますよねぇ。少し前にコアラのマッチョでキャンペーンやってて、それに応募したら当たったんです、彼が」


「そ、そんなキャンペーンしてたんや……。事情は何となく分かったわ。けど何で普通にコアラが喋れるんよ⁉」


「銀ちゃんが特殊だとしか言いようがないですね、あはは」


 苦笑いをする玲の横で、桜は自慢げに言った。


「銀ちゃんはね、めーっちゃ賢いんだよぉ。トイレだって自分で行けるし! 今日も銀ちゃん専用の補助便座とかもバッチシ持ってきたしねー」


 そう言って、銀仁朗と目を合わせ、サムズアップした。


「そ、そうなんやぁ。あ、あの……銀仁朗さんって、もしやアレなんすかね?」


「何や、アレって? あと、銀仁朗さんはよしてくれんか。なんや、堅苦しくてこそばいわ」


「アレって言うのは、その……アニメやラノベで流行りの、転生者の事です!」


「なんや転生者て? 玲は知っとるか?」


「生まれ変わって、前世の記憶とかを持ったまま、魂だけが別の時代、別の身体に乗り移った人だよ。言われてみれば……銀ちゃんって、もしかしたら転生者なんじゃ——」


「絶対ちゃうな。前世とか知らんし」


「あ、そですか……」


 玲は厨二病ちゅうにびょう心をくすぐられ、珍しく少し興奮したが、銀仁朗に食い気味に否定され、瞬時に平常心に戻された。


「じゃあ銀次、いや銀ちゃんはさ、何でコアラなのに喋れるんよ?」


 麻美は、これまでのあらすじを遼に話した。


「ああ、それはね、かくかくしかじかで——。と言う訳で、この事は国家機密ですので、誰にも言わないよ~に!」


「国家て……。まぁ、知り合いがコアラ飼ってるって言うた所で、信じてくれる奴もおらんやろ。ましてや、普通に日本語喋っとるなんて言うたら、俺が嘘つき呼ばわりされるだけやで」


「それは言えてるね~」


「まぁ誰にも喋らんし、当然SNSにも上げたりせぇへんから安心してくれ」


「そう言って頂いて嬉しいです」


「まぁ、兄ちゃんのSNSのフォロワー数二十人以下だから、拡散される心配は少ないんだけどね~」


「うるせぇ!」


「いてっ、だ~か~ら~、暴力反対~」


「麻美ちゃんも妹するの大変そうだねぇ」


「ほんとそれな。そうだ! 桜ちゃん、うちと妹同盟組もうよ」


「面白そうだねー、妹同盟! 妹としての苦労を語り合っちゃう?」


「何が妹としての苦労よ。あんたはいつも、のほほーんと暮らしてるだけでしょうに」


「お姉ちゃんの知らない所で、桜は色々気を回してるんだよー」


「さいですか」


「と、とにかく。色々事情も理解できたところで、そろそろ出発しよか」


「そういや、玲の家から一ミリも進んでなかったね~。そだ、銀ちゃんは、うちが使ってたチャイルドシートがあるから、それに座ってもらうね~。じゃあ、兄ちゃん、セットお願いしま~す」


「年長者の方が、絶対苦労多いよなぁ、玲ちゃん」


「めちゃくちゃ同意します!」


 苦言を呈しつつも、遼は手際よくチャイルドシートをセットした。銀仁朗の安全も確保されたところで、一同は、ようやっと小豆島への旅路の始まりを告げた。


「よし。じゃあ、いざ小豆島へ」


「兄ちゃん、安全運転で宜しく~」


「宜しくお願いします」


「遼君、お願いしまーっす」


「よろしゅう頼んます、遼君」




 車を走らせること、約一時間。一行は淡路島まで辿り着いた。


「桜、明石海峡大橋通ったの初めてだったけど、すごく綺麗で風が気持ちよかったなぁ」


「良い天気だったから景色も綺麗だったね。本当連れてきてくれてありがと麻美。あ、あと遼君も」


「明石海峡は、うちらは何回も通ってるけど、いつ通っても良いよね~」


「ずっと真っすぐな海の上の道を颯爽さっそうと走るんは、運転してても気持ち良いで。そや、みんなトイレとかはまだ大丈夫か?」


「大丈夫だよね、桜?」


「まだ大丈夫! ちょっとお腹空いてきたくらいで」


「あ~確かに。兄ちゃん、もう少ししたら早めのランチタイムにしようよ!」


「あと四十五分くらいで、淡路島の南端まで行けるから、そこのパーキングエリアでお昼食べよか」


「私たち、朝からサンドイッチ作ってきたんですけど、一緒に食べますか?」


「玲、最高! 兄ちゃん、お呼ばれしようよ」


「ありがとう、玲ちゃん」


「桜も手伝ったよ」


「あぁ、桜ちゃんもありがとう」


「いいよぉ。いっぱい食べてねー」


 桜がそう言った瞬間、車内にグ~っという音が鳴り響いた。


「サンドイッチの話してたら、お腹の虫が鳴っちゃったー」


「もう、桜ったら。食い意地だけは一丁前なんだから」


 そんな会話に、車内は笑い声で満たされた。




 渋滞する事もなく、予定時刻通りに淡路島南パーキングエリアに着いた玲達は、早めのランチタイムを取ることにした。


「よぉし、順調にここまで来れたな。少しお昼には早いけど、休憩がてらサンドイッチを呼ばれるとしますか」


「うち、トイレ行きた~い」


「桜も行くー」


「銀ちゃんは……って、ぐっすり眠ってる」


「玲ちゃんも行っておいで。俺が車番とコアラ番しとくから」


「いいですか?」


「ここから鳴門海峡が見えると思うから、せっかくやし、三人で景色見ながらお昼食べてき。今日は風もあって気持ちええやろしな」


「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」


「俺もサンドイッチ食べて、車で休憩しとくから、ゆっくりしてきてええよ」


「兄ちゃん、今日はやけに優しいね~。もしかして玲に気があるんじゃね⁈ まぁ玲は可愛いもんね~。でもダメだよ! 玲はうちのだから‼」


「そうだよ、遼君! お姉ちゃん取ったら、うちのパパ泣いて死んじゃうからねー」


「いやいや、誰の物でもないよ私は。てか、泣いて死ぬってどういう状況だよ」


「はいはい、妹同盟うるさいぞ。はよ飯食ってこい!」


「うい~。んじゃ、兄ちゃん、留守番よろ~」


 そう言い残すと、三人は、サンドイッチを持って車外へと出て行った。


「ふー。やっと静かになったわ」


「せやなぁ」


「うわっ、びっくりした! 銀ちゃん起きてたんかよ」


「寝よったけど、うるさぁて目醒めてしもたわ」


「あぁ、なんがごめん」


「いやいや、遼君悪ないから。うちの桜っこは、いっつもあんな感じやさかい、慣れっこやが、今日は麻美もおるから、いつもより騒がしいのぉ。ま、元気があって何よりや」


「今は束の間の静寂やね。銀ちゃんお腹空いてへんか?」


「今は大丈夫や、もう少し寝るさかい。遼君は、まだ運転せなあかんやろから、しっかりご飯食べて、ちょっとでも休憩しときや」


「あ、ありがとう」


 遼は、人生の中で、コアラにアドバイスをもらう日が来るとは夢にも思わなかったなぁと感じ、後頭部を掻いた。




 数十分後、三人が車の方に戻ってくる姿を確認し、遼は一度車外へ出た。


「シー。銀ちゃんまた寝たとこやから、起こさんように、そっと中入ってや」


 皆は車のドアをゆっくりと開け、再度シートへと着席し、閉める際もなるべく音を出さないように気を配った。麻美は、シートベルトを締める前に、手に持っていた物を遼に差し出し、小声で言った。


「兄ちゃん、留守番ありがと。カフェオレ買ってきたから飲んで」


「おぉ、ありがとう。麻美がこんな気遣いが出来るようになったとは……。兄ちゃん嬉しいわ」


「あ、玲に言われて」


「せやんな! やっぱそんなことやと思ったわ」


「麻美、そこ黙っとけば良かったのに」


「いや、なんか兄ちゃんに感動されて、ゾワっときたから……」


「なんやねん、ゾワって!」


「はーい、みなさーん。銀ちゃん寝てるから静かにしようねー」


 車内で一番の年少者に諭され、年長者達は小さく「は~い」と返事をするのだった。


「んじゃ、ここからフェリー乗り場のある高松港まで一時間三十分くらいあるし、皆も少し寝とき。寝れんくても、目をつぶってるだけでも違うから。少しでも体力温存しときや」


「はい、そうさせてもらいます。遼君は運転大変だと思いますが、引き続き宜しくお願いします」


「大丈夫。運転好きやし、ロングドライブも慣れとるから。それに、眠気覚ましもあるしな」


 そう言って、遼は麻美から受け取ったカフェオレを一口すすった。


「やっぱ、兄ちゃん、玲の事——」


「ちゃ、ちゃうわ。全然そんなんちゃうからな」


 食い気味で否定する遼に、桜が少し機嫌を損ねる。


「えー、何かそこまで否定されちゃ、お姉ちゃんが可哀そうだよぉー」


「え、えぇ~」


「そうだよ、兄ちゃん! 乙女心を踏みにじらないで‼」


「遼君、お姉ちゃんに謝って」


「あ、あぁ。な、なんかごめん、玲ちゃん」


「いえ、全然。何も気にしてませんので」


 妹同盟に追い詰められ、何故か謝らせられたあげく、その謝罪相手からはめちゃくちゃドライなコメントを返され、「今時の小中学生女子の扱い方ムジー」と心の中で嘆く遼であった。




 昼休憩から十分程が経った頃には、皆すやすやと寝入ってしまったようで、車内には遼のお気に入りのBGMと、皆の寝息だけが流れ続けた。


「静かに寝てたら、みんな可愛いんやけどなぁ」


 遼がそんな事を思っていると、後部座席から「ングォ」という聞きなれない大きな音が聞こえて来た。


「うわっ! 何の音や? って、何や銀ちゃんのいびきかよ。鼾の音は、見た目と反して全然可愛ないねんな、あはは……」

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