第10話【やってみそ】

 ある日の夕食後、桜は以前から気になっていた疑問を、銀仁朗に投げかけた。


「ねぇ銀ちゃん。今更なんだけど、何で普通にお話できるの?」


「あぁ、それな。話すと長なるんやがなぁ」


「聞きたーい!」


 隣にいた玲も、興味津々と言わんばかりに激しくうなずいた。


「せやなぁ、まぁええか。ほな話したろ」


 同時に「お願いします!」と応え、シンクロした姉妹を見て、銀仁朗は微笑んだ。そして、一度目を閉じ、頭の中で過去の回想を始めると、ゆっくりと口を開いた。


「わしは元からおしゃべり出来たわけやないんや。まぁ当然やわな。自分で言うんも何やが、努力の賜物たまものやねん。ただ、コアラが人としゃべれるようになるんなんて、並大抵の努力じゃできひんことやさかい、わしが特別なのは確かやな」


「だよねー、普通は無理だよね!」


「そや。わしの飼育係してくれてた大川おおかわ孝平こうへい言う飼育員のおっちゃんがおったんやけど、こいつがまたけったいなやつでな。何を思ったんか、わしに人の言葉を教え出したんや。お前なら出来る言うて、毎日特訓しだしたんや。頭おかしいやろ。ほーんま、恐ろしい程バリッバリのスパルタ特訓やったで」


 銀仁朗は、特訓に明け暮れた日々を思い出し、顔をやや引きらせた。ただ、その表情からは、苦痛などはうかがえず、むしろ晴れやかさが垣間見られた。


「大川さんは、何を根拠に銀ちゃんがしゃべれるようになるって思ったんだろう?」


 玲の質問に、銀仁朗は両手のひらを上に向け、肩をすくめながら首を左右に振った。


「知らんがな。でも大川のおっちゃんがおらんかったら、こうやって二人とおしゃべり出来んかった訳やし、まぁ感謝せなやな」


「いい飼育員さんでよかったねー」


「まぁ、あんなヘンテコなおっちゃん、そうそうおらんけどな。わしが遊ぶん好きなったんも、大川のおっちゃんからの特訓がてら、色々教わったからやしな」


「だからトランプやったことあったんだー」


「桜っこ達も、玉子動物園には行ったことあるやろ?」


「もちろんあるよー」


「じゃあ、わしらがおったコアラ館を見たことある思うけど、あそこには娯楽言うもんが一個も無かったんや」


「あー、確かに。木が何本か立ってただけだった記憶があるねー」


「そやねん。パンダには遊具が与えられてたらしいけど、わしらにはゼロや。酷いよなぁ。わしらも人気者にんきもんやったやろうに。でもな、コアラは食べる以外、一日の殆どを寝て過ごすんや。せやから遊びにエネルギー使うやつなんかおらんねん。やから、何も無くて問題ないんよ。わしだけは寝ることより、もっと楽しいことを色々したいってずっと思ってたんや。それを何となく大川のおっちゃんは気づいてくれたんかもわからんな」


「素敵な飼育員さんに出逢えてほんと良かったね」


「そやな。玲の言う通りやな」


「トランプ以外には、何をして遊んでたの?」


「体動かす遊びもいっぱいやったで。野球とか、サッカーとか、あとゴルフとかな。わしはゴルフが一番好きや」


「へぇ~、スポーツとかもやってたんだー」


「お遊び程度やがな」


「桜も自然学校でグラウンドゴルフやったよー」


「オモロいよな、ゴルフ」


「難しかったけど、穴にボール入った時は嬉しかったなぁ~」


「そうそう。一発で入った時の快感がたまらんねや」


 銀仁朗が、ゴルフ好きと聞いて、玲はある事を思い出した。


「そういや、お父さんも昔ゴルフにハマってて、休みの日にずっとリビングで練習してたよね。あれまだ家にあるんじゃないかな?」


「ただいまー」


「お、噂をすれば何とやらだねぇ。パパおかえりー。あのさ、パパが昔やってたゴルフのやつってまだあるー?」


「何だい急に? パターの練習で使ってたゴルフマットならあるけど」


「それ出してきてくれないかなぁ? 銀ちゃんゴルフするの好きなんだってー」


「マジか。でもパパのパターは、銀ちゃんには大き過ぎるかもだよ」


「何でもいいから、とりあえず出してあげてー」


「う、うん分かった。ちょっと待ってて」


「ありがと、パパ」


「父上、今日もお疲れの所すまんな」


「いいんだよ。寧ろ、もっと色んなお願い事言ってきてくれていいからね」


「おおきに」




 健志は、リビングの隅にある収納の中から、やや大きめの黒い袋を取り出した。


「あったよ。久々に出すなぁ、これ」


「パパはもうゴルフしないの?」


「よく一緒に行ってた同僚が東京に転勤になっちゃってね。それ以来やる機会が減っちゃったんだよ」


「大人の事情ってやつ?」


「まぁそんなとこだね。じゃあセットしていくよ」


「あれー? これってこんなに小っちゃかったっけ?」


「これが小さくなったんじゃなくて、桜が大きくなったんだよ。桜が幼稚園の時くらいによくやってたからね」


「でも、銀ちゃんには丁度良い大きさかも!」


「マットは丁度かもだけど、こっちがね……」


 健志はパターを手に取ると、それをまじまじと見つめた。


「その棒は、確かに銀ちゃん持てないねー」


「これはパターって言うんだよ。さて、どうしようか」


「健ちゃんご飯出来たよ。あら、久々にゴルフやるの?」


「やるのはパパじゃないよ。銀ちゃんがゴルフ好きなんだってー。だからパパにお願いして出してもらったの。でも、このバターってやつが大き過ぎて銀ちゃんには持てそうにないんだよー。どうしたらいいかなぁ?」


じゃなくてね。そうねぇ……あ、良いこと思いついた! ちょっと待ってて、キッチンから良い物を取ってくるから」


「え? 英莉ちゃん、何でキッチン?」


「いいから待ってて!」


「キッチンにゴルフする道具なんてあんのかいな?」


「普通は無いけど……英莉ちゃんのひらめきを信じてみよう」




「はーい、お待たせ。ジャジャーン! これでどうかな?」


 そう言って、英莉子はキッチンから取ってきた銀色のアレを右手で掲げ、さながら魔法少女の登場シーンの様なポーズを決めた。


「あぁ、なるほど。か! 英莉ちゃんナイスアイデア」


「それなら銀ちゃんに丁度そうだねー」


「でしょでしょ~。これなら銀ちゃんにも持ちやすいサイズだし、パターの代わりになりそうかなって」


「母上、これ使って宜しいんか?」


「いいわよ! この間、取っ手が猫ちゃんになってる可愛いのを見つけちゃって、思わず買っちゃったのよねぇ~。だからこっちは今使ってない方だから問題ないわ」


「ほなら、有難く使わせてもらいまっせ」


「良かったねー、銀ちゃん。じゃあ、お手並み拝見と行きましょうかー」


「桜も一緒にやるか?」


「やるー。桜は使ってみる」


「あんた、パパのパターが混ざってパパーって言っちゃってんじゃん」


「パパのパターだからパパーであってるんだよー」


「何じゃそりゃ。何でも良いけど」




 姉妹漫才の様な会話をよそに、銀仁朗は、おたまでの素振りに夢中になっていた。


「さあ、銀ちゃん。何回で入れられるかなー?」


「久々のゴルフやさかい、下手でも笑わんといてや」


「大丈夫。たぶん桜の方が下手だ!」


「あんたは何を自信満々に下手アピールしてるのよ」


「自然学校での実績があるからねー」


「ほな、わしが先やんでぇ……ほい!」


 銀仁朗の打ったボールは、カップまでかなりの距離を残して止まった。


「ありゃりゃー。全然届かなかったねー」


「ま、まぁ、始めはこんなもんやろ。ちょっとずつコツ掴んでいくもんやしな。次、桜っこもやってみなはれ」


「あいあいさー。一発で決めてやる!」


「下手アピールしてた人がよく言うわ」


「お姉ちゃんうるさいぞー。ゴルフ中は静かにしないといけないんだよー」


「一番やかましい人にだけは言われたくなかったわ」


「んじゃ打ちまーす。あ、あれ~。場外に行っちゃったぁ~」


「ドンマイや。ほなわし、もっかいやんで。チャー・シュー・メン!」


「何それ? ってあぁ、惜しい!」


「大川のおっちゃんが言うてたん思い出したんや。これ言うとタイミングが合うようになって良いらしい」


「なるほど……。 桜もそれでやってみるねー。チャー・シュー・メン!」


「あんた、また場外だよ。ゴルフのセンス皆無だね」


「何さ! じゃあお姉ちゃんもやってみなよー」


「えー。私やった事ないし」


「そうやって何でも否定してたら勿体ないよー。もしかしたら、お姉ちゃんにゴルフの才能があるかもしれないじゃん。やってみないと分かんないんだからさ。ほい、パパー」


「だから、パターな。分かったよ、やってみる。笑わないでよ」


「笑わないよー」


「絶対笑うやつじゃん」


「いいから、ほら早くやってみそ」


「……じゃあ、いくよ。それっ」


「お、お、おー!」


 玲の放ったゴルフボールは、一直線に直径10.8センチのカップの中へと吸い込まれた。


「えっ、入っちゃった……」


「玲、めっちゃ巧いやんけ! ほんまに初めてか?」


「え、あ、うん。入ったね……」


「ちょちょちょーい、マジか⁈ まさかお姉ちゃんにゴルフの才能があったなんて……。も、もう一回やってみてよ」


「うん。じゃあもう一回いくよ。せーの……あっ」


 二打目の行方を見た全員が確信した。ファーストショットは、紛れもなくビギナーズラックであった事を。


「だ、だから嫌だったのよ」


「まぁまぁ玲。さっき桜っこの言ってた通り、何事にも挑戦する事が大切や。わしが会話出来るようになったんも、無理やと初めから決めつけずに頑張ってみた結果や。初めっから挑戦すらせんかったら、その瞬間出来ない事が決まってまう。少しでも可能性を信じてやり続けたら、可能性はゼロでは無くなる。それが一番大事なんやで」


「銀ちゃんが言うと、言葉の重みが違うな」


「そかぁ? よぉ分からんけど。何事も、やってやれないことは無い。やらずに出来る訳が無いんや。自分自身で無理と決めつけるんは一番勿体無いことやで」


「分かった。でも、ゴルフはもうしないかな」


「ありゃ、お気に召さんかったか」


「ううん。私、テスト勉強があるの忘れてたから……」


「あー、それはOBやな」


「OBってどういう意味?」


「お部屋に戻って、勉強せなや」


「はぁい……」

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