第6話【知恵の輪地獄】
学校から帰宅した玲は、リビングに着くなり、教科書の沢山入った重たいリュックを床に無造作に放り投げ、ソファに深く腰かけた。
「はぁ~今週も疲れた~。あ、銀ちゃん。ただいま」
「おう、おかえりんさい。えらいお疲れみたいやな」
「そうなのよ。最近小テストが多くて嫌になっちゃう。そういや桜は?」
「ついさっき遊びに行く言うて出てったで」
「そか。お留守番ばっかさせてごめんね」
「いや、別にかまへんで。一人なんは嫌いやないし」
「そういや銀ちゃんってさ、朝みんなが出て行った後、何して過ごしてたの?」
「みんなおらんなったらやる事ないさかい、ずっと寝とったわ。桜のでっかい『たでーまー』の声で起こされるまでな」
「ごめんね、いつもうるさくて」
「大丈夫や、だいぶ慣れてきたしな」
「そう言ってくれて助かるよ。あ、私たちが居ない間、何か困った事とかは無かった?」
「せやなぁ、特には無かったかな。まぁ、寝てばっかりっちゅうのも退屈やし、何か暇つぶしになるもんがあれば有り難いかなぁ、とかは思いよったんやが」
玲は、動物園でのコアラの様子を思い起こしてみた。しかし、コアラが喜びそうな物という要望に対し、良いアイデアは思いつかなさそうだったので、直接聞くことにした。
「うーん、暇つぶしか……。例えばどんなものが欲しいとかあったりする?」
「せやなぁ。一人でも出来る遊び道具で、何かええもんがあれば嬉しいかな」
「一人でも遊べる
銀仁朗は、初めて聞く単語に首を傾げた。
「知恵の輪って何や?」
「んー、見た方が早いよね! 待ってて、部屋から取ってくる」
「すまんな、おおきに」
玲は小走りでリビングから自室へと向かった。そのすぐ後に、玲の部屋から何やら金属が擦れるガチャガチャという音が聞こえて来た。音が鳴り止むと、何かを手に握りしめながらリビングに戻って来た。
「あったよ! とりあえず一個だけど。もうちょい探せば、あと五個くらいはあるはず」
玲の持ってきた知恵の輪をマジマジと見た銀仁朗は、これが楽しく遊ぶ道具には到底思えず、改めて首を傾げた。
「うーん? なんやこのけったいな形した金属の棒は? どないして遊ぶんや」
「今、二つの棒が絡まってるでしょ。それを外すだけだよ」
「何やそれ。ほんなもん簡単やないか」
「それはどうかなぁ。では、お手並み拝見と行きましょうか。はい、どうぞ」
玲から知恵の輪を手渡された銀仁朗は、二本の金属の棒にある隙間と隙間を重ねたら簡単に外れるだろうという安直な考えを抱いていた。その横で玲は、そうは行かないよと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべている。
「こんなんちょちょいで仕舞いやろ……ってあれ? なんやむっちゃ絡まってもうとるがなこれ。んんー、取れんな」
「あはははっ。さっきまでの勢いはどこへやらだねぇ」
「ちょい待ちや。ほなここの溝にこっちを入れてみたら……ってあかん、入らへん。こんなん無理やがな」
「ちょっと貸してみて。ここをこうして……っと、ほれ」
玲は、銀仁朗に向けてドヤ顔をキメた。銀仁朗は、先ほど全く取れる気配のなかった知恵の輪を、いとも簡単に取ってしまった事に驚きを隠せないでいた。
「なっ、何でや?」
「知恵の輪はね、コツがいるんだよ」
「そ、そのコツとやらは、一体どうやるんや」
「それはねぇ……内緒」
「何でやねん!」
「簡単に答え知っちゃったらつまんないじゃん。ほら、もう一回やってごらん」
「よっしゃ、絶対取ったるで……」
それから一時間近く経った頃、英莉子がパートから帰ってきた。
「銀ちゃんただいま……って、あなたどうしたの? そんな浮かない顔して」
英莉子は、銀仁朗の表情をみるや、何かのっぴきならない事でも起きたのではないかと心配した。
「母上……おかえりんさい。ちょっと集中してるさかい、放っといてくれんか」
銀仁朗からそう言われ、英莉子はひとまず安堵した。よくよく見ると、銀仁朗の手に見覚えのある物が握られている事に気付いた。
「あぁ、なるほど。知恵の輪をやってたのね。それ、玲がお出かけする時にいつも持ち歩いてたお気に入りのやつよ。懐かしいわねぇ」
「小一時間やっとんやが、取れへんのや」
「これはね、こっちのここに——」
「あかんあかん。ネタバレはNGや」
「それもそうね。でも、銀ちゃん、目が血走っちゃってるよ」
「さっきから出来そうで出来ひんでなぁ。イライラなる玩具やのぉ、知恵の輪言うんは」
そう言うと、銀仁朗は知恵の輪を床に放り投げた。
「でも解けた時の快感も大きいのよねぇ」
これが解けた時の事を想像した銀仁朗は、英莉子の言う通りだと思い、再び知恵の輪を手に取った。
「確かにそうかもな。もうちょっとだけ頑張ってみるわ」
「ほどほどにねー」
英莉子と銀仁朗の会話が終わると、自室に戻っていた玲が再びリビングにやってきた。
「銀ちゃん、残りの知恵の輪見つけてきたよーって、まだそれやってたんだ」
銀仁朗は、目線を手元から玲の方に向け、嘆願した。
「玲……。ヒントくれ!!」
「銀ちゃん、目が血走ってるじゃん。大丈夫?」
「こないなもん渡してきた玲が悪いんやで! わしを知恵の輪地獄から解放してくれ~」
「あー、なんかごめんなさい。じゃあヒントね。右の棒にある、ここの隙間と、左の棒のどこかを重ねて下さい」
「あぁ、ここんとこやろ。それなら何回もやったけど無理やったで」
「場所は合ってるけど、重ね方が違うんだなぁ。もうちょっと工夫してやってみて」
「工夫言うたかて、これをこんなやり方しても入ら……ハッ!」
その瞬間、一つなぎであった知恵の輪は、二つの金属棒に変貌した。
「取れたね!」
「取れたぁ〜。やっと取れたで~。あかん、嬉しくて泣きそうや」
「銀ちゃん、さっきより目が血走ってるよ」
「これはイライラやからやのぉて、ウルウルやからや」
知恵の輪地獄からの解放に感涙していると、桜が帰って来た。
「たでーまー。お姉ちゃんと銀ちゃん何やってんの……って銀ちゃん泣いてる? お姉ちゃん、銀ちゃんに何しでかしたのさ⁉」
「銀ちゃんに知恵の輪貸してあげたんだけど、一時間くらい格闘して、さっきやっと解けたんだよ。それが嬉しかったみたい」
「銀ちゃん、知恵の輪なんて出来るのかよ! あんた本当にコアラなのか?」
「コアラやで。もっかい背中にチャックあるか確認するか?」
「そだねー、そうします」
「冗談やがな、桜っこ……っておい。や、やめい!」
「銀ちゃん嫌がってるでしょ。離してあげな」
「へーい。でもやっぱ普通じゃないよね、銀ちゃんって」
「もう私は決めたの。銀ちゃんは普通のコアラでも、
「玲、何か仰々しいなぁ。でも、そんくらいの感じで接してくれた方が有難いかもやな」
「じゃ、桜もそうするー。銀ちゃんは、新しい家族であり、友達って事にしよう!」
「わしは、何でも宜しいで」
玲は、知恵の輪を気に入った(?)銀仁朗に、もっと他にも何か楽しみを与えてあげられるものは無いだろうかと考えた。
「ねぇ銀ちゃん。今まで他に何して遊んだことある?」
「あー、昔はよぉトランプしよったなぁ」
「トランプ出来るの⁈ ……いや、もう私は驚かないって決めたんだった。何でも受け入れるんだ……」
「玲、無理せんでええで。少しずつ慣れていってくれたらええから」
「あ、ありがとうございます」
「なんや敬語に戻っとるで。話しよったら、久々にトランプやりたなってきたなぁ」
「じゃあ、晩御飯の後でちょっとやってみる?」
「ほんまか! そりゃ楽しみやなぁ」
「私もうすぐテストがあるから、ちょっとだけだよ」
「おう、ほなチャチャっと飯食いまひょ。母上、晩御飯の用意宜しゅうお願いします」
「はーい。言われなくても、もうすぐ出来ますよ」
「さすが、母上!」
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