第2話【お届け物です】

 その日の夕方。

 玲は帰宅するなり、母親の英莉子えりこに問いかけた。


「ただいま。ねぇお母さん、コアラのマッチョってまだある?」


「あら、今日は早かったわね。にしても、帰ってきて早々どうしたの?」


「先生の都合で部活無くなっちゃったから。で、まだ食べてない?」


「こないだ買ってきてたやつなら、まだ一つも手を付けてないはずだけど」


「そか。じゃあ、貰っていい?」


「どうしたの? いつもは何にも言わずに勝手にバリボリ食べてるじゃない。こないだだって、お母さんが好きなクッキー食べたでしょ! 奥の奥に隠してたのにぃ~」


「それ桜でしょ。私はパントリーの奥の方をまさぐってまでお菓子探ししないよ」


 桜とは、玲の三歳下の妹である。食欲旺盛な小学五年生で、お菓子には目が無い。


 その桜が、お腹を空かせて学校から帰ってきた後、パントリーの中を宝探しよろしく漁り、奥からクッキーを見つけてはしゃぐ姿が目に浮かんだ。


 英莉子は、玲を疑った事を詫びつつ、会話を続けた。


「ごめんごめん。で、あなたコアラのマッチョそんなに好きだったっけ?」


「別にそういう訳じゃ無いんだけど。なんか今キャンペーンやってるらしくてさ、応募したら景品が当たるらしいから……、応募するだけしてみようかなぁ〜って」


「へぇー。それは何が当たるの?」


「……コアラ」


「へぇー、コアラ……ってあのコアラ⁉」


 英莉子は、最近中学二年生になった玲を、ある程度子どもらしさが抜け、少しずつではあるが、大人の階段を着実に昇っているなと日々感じていた。


 しかし、それは間違いであったと悟り、微笑みながら玲の本心を思惑した。


(……あぁこの子、コアラのぬいぐるみが欲しいんだ。玲ったら、まだ動物のぬいぐるみとか欲しがる年頃なんだ~。最近、思春期爆発してきて、憎たらしい事ばーっか言ってくるなぁと思ってたけど、やっぱりまだまだ中身はお子ちゃまなのねぇ~。ふふっ)


「良いわよ、コアラのマッチョ全部食べても。スキ薬局で今週末まで特売だったから、また買ってきておいてあげるわ」


「あー、そこまでしなくていいよ。五個あれば応募できるし、たぶん当たんないし」


「そう。まぁでも、当たると良いわね」


 玲は、残りのコアラのマッチョを自室に持っていき、パッケージに印字されたバーコード部分を切り取っていった。学校で既に切り取っていた分と合わせ、五個分のそれをハガキに貼り付けた。


「なんか、成り行きで応募してしまうことになってしまった……。まぁ当たる訳ないか」


 そう独り言を吐きつつ、住所と氏名を書き終え、夕飯前にはそのハガキをポストに投函し終えるのだった。




 懸賞に応募したことすら忘れていた二ヶ月後のある日の夕方。玄関のチャイムが鳴り、英莉子が応対した。


「大原様のお宅でしょうか?」


「はーい」


「右川急便です。お荷物を届けに参りました」


「あー右川さん。今開けますねー。お待ちください」


 そう言うと、英莉子は玄関へ向かった。扉を開くと、見慣れた青のストライプシャツを着た宅配業者の青年が、大きなダンボール箱を持ってきてくれていた。


「まぁ随分大きな荷物だこと。中は何が入ってるのかしら?」


「送り状には、『ナマモノ』って書いてありますね。でも変だなぁ。ナマモノ扱いなら、クール便のはずなんだけど……。とにかく、ここにサインかハンコ頂けますか?」


「『ナマモノ』ですか……。あ、ハンコ押しますね。はいっ」


「ありがとうございます。ちょっと重いので、中までお運びしましょうか?」


「いえ、ここで大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


「ではここで。毎度ありがとうございます!」


 玄関の扉を閉めると、英莉子は箱に貼ってある送り状を確認した。そこにはカタカナの『ナマモノ』ではなく、漢字で『生物』と書かれていた。依頼主の欄には、リッテ製菓と書かれていた。これらを考慮すると、もしや、いつぞやに玲が言っていた話は、コアラのぬいぐるみの事を言っていたのではなく、実物の……。


 と、そこまで考えたが、そんなはずが無いと冷静に考え直し、リビングへとダンボール箱を、一人でよいこらせっせと運んだ。




 それから二十分ほど経った頃、玲が学校から帰宅した。


「ただいまー、ってクサッ! な、何の臭い?」


「あぁ玲、おかえり……」


「どうしたのお母さん? ってか何か臭くない?」


 そう言いながらリビングに到着した玲は、普段そこにない物の存在に気付いた。


「何このでっかいダンボール箱?」


「ついさっき届いたの。送り主は、リッテ製菓になってる。ご当選おめでとうございますって書いてあるわ」


「……は? うそっ、マジっ⁉ ということは、これって、あれのやつ、だよね?」


「いつかに玲が言ってたやつだと思うわよ。ところでさ、今日仕事が忙しかったからか、少し疲れてるだけかもしれないんだけど……。さっきからこの箱、ゴソゴソ動いてる気がするのよねぇ。それに、何か獣臭けものしゅう的な臭いもするし。確か、こないだあなたが応募したって言ってたやつの景品って……、コアラの、だったわよね?」


「……いや、コアラですね」


「うん、だからコアラのぬいぐるみ、でしょ?」


「……いや、コアラですね」


「本物……の?」


「……はい、本物のコアラですね」


 玲は、基本的に仕様もない嘘や冗談を言う事があまりない。その事を一番良くわかっている英莉子は、玲の発言の意味を理解し、発狂した。


「うそでしょーーーー。どどど、どーすんの⁉ あんた、まっ、まさか飼うって言うんじゃないでしょうね⁈」


「マンションの規約的にはセーフ……かと」


「いやいやいやいや。そういう問題じゃなくて、コアラなんてどうやって育てて——」


 そんなやり取りを続けていると、業を煮やしたが、おもむろに口を開いた。


「なぁ〜もう! さっきからうるさいメス供やのぉ~。とにかく狭ぁ〜て薄暗ぁ〜てしゃーないから、早よここから出してくれや」


 不意に聞こえてきたその声に、母娘おやこは同時に首をかしげ、キョトンとした顔をした。


 しばしの沈黙後、二人は仲良く、同時に絶叫した。


「は、箱が喋ったぁぁぁぁ!」


 急に大きな叫び声がしたので、がビクッと揺れた。それを見た英莉子は、腰を抜かし尻餅をついた。そして、ダンボール箱を指さしながら言った。


「れ、玲! あ、あ、あれって、ゲームとかに出てくる、あ、あれじゃない? ミ、ミ、ミミックとかいう……怪獣!」


「誰が怪獣じゃい! 自分で言うのもなんやがな、わしは怪獣やのぉてや。とにかく早よ開けてくれ!」


 二人はこの信じがたい状況に、どう対処すべきか憂慮ゆうりょし、小声で作戦会議を始めた。


「玲、どうする? 珍獣ってことは、やっぱり中身はガチのコアラって事よね」


「でも、むちゃくちゃ喋ってるよ。しかも、コテコテの関西弁」


「おい、そこで何をゴニョゴニョ言うとるんや。そない心配せんでも、噛みついたり、引っ搔いたりなんかせんから」


「いやぁ~、こっちが気にしてるの、そこじゃないんですよねぇ~」


「……お母さん。箱、開けてみる?」


「本気?」


「でも、このままって訳にもいかなくない?」


「確かにそうだけど……」


「じゃあ、一応なにかあった時の護身用に、何か武器になるもの持ってきて!」


「ぶ、武器⁉ な、何がいいかしら……」


「何でも良いから」


「じゃあ、包丁でいいかしら?」


 箱の外から聞こえてくる物騒な会話に、は思わずガタガタと震えだした。


「おいおいおいおい、包丁て。わしをどうするつもりや⁉」


「確かにリビングが血塗れになるのはちょっとヤダな……じゃあ、フライパンとかは?」


「それ、いいアイデアね。大きいのを取ってくるわ!」


「せやから、わし襲わんから。いや、襲えんから。めちゃ弱いからぁ~」


「念の為です」


「持ってきたわよ、中華鍋!」


「よし……。じゃあ、開けるね……行くよ。せーのっ!」


 玲の手によって、ダンボール箱の上部を塞いでいたテープが破られ、箱が開放された。その瞬間、箱の中身が黒ひげを蓄えた海賊よろしく飛び出してきた。


「パンパカパーン♪ はぁ〜狭かったぁ。や~っと解放されたわ。腰バッキバキなるっちゅうねん。……っておい! あんた、ちゃっかり持っとるやないか‼」


 箱の中身は、目の前にいる大人の女性が握りしめている物体を指さし叫んだ。その指の先には、先ほどから聞こえていた会話の通り、中華鍋があった。それに加え、持ってきていないはずの、鋭利な刃物が握られていた。


「あ、すみません。やっぱりあった方が、いざという時に……」


「いやだから、いざという時とか無いから!」


「す、すみません」


「まぁ、ええけど。せやせや、菓子屋のにいちゃんから言え言われてることがあったんやったわ。ほな言うで。あー、んん。この度は、ご当選おめでとうございます。玉子動物園の閉園に伴い、コアラの銀仁朗ぎんじろうの譲渡権を大原様が獲得する事となりました。末永く大切にしてあげてください。……って何でわしがこの台詞せりふ言わなあかんねん! 口恥ずかしいやないかい」


「あー、マジで当たっちゃったんだな……」


「そういうことや。ほな改めて、わしは銀仁朗や。見ての通り、か弱ぁて愛らしいコアラやらせてもらってます。以後よろしゅうに」


「よ、よろしくお願い致します」


「初め、まして」


 二人は、真顔で会釈した。その表情からは、戸惑いが隠しきれていなかった。


「今の笑うとこやで。お二人さんが緊張しとるから、場を和ませよう思ってんけど、めちゃくちゃスベってもぉたがな! まぁええわ。で、あんたらの名前は?」


「あぁ、すみません。申し遅れました。私は、この子の母の英莉子です。そして、長女の玲です」


「よろしく……お願いします」


「もうすぐ帰ってくると思いますが、次女の桜と、夫の健志けんしの四人家族です。あ、今日から四人と一匹家族ですね!」


「いや、お母さん。まだ片手に包丁持ってるくせに、受け入れるの早過ぎでしょ」


「あらやだ、忘れてたわ。片してくるわね」


「なかなか愉快な母上のようやな」


「時々めっちゃウザい絡みしてくるのが玉にきずですけど」


「愛嬌があってええんやないか」

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