第8話 また彼女に会いたい……
「せんせーい、ぼーっとしてないで早く授業勧めてくださーい」
「ああ、ごめん」
辻中が卒業してからというもの、どうもぼんやりしてばかりだ。
おかげで授業中に生徒から注意されたし、忘れ物とかうっかりミスも多くなった気がする。
(やっぱ俺、辻中がいないとダメになってるのかもな……)
あいつがいなくなった毎日は退屈で、癒しもなくて、なんだかどんどん辛くなっていく感じだ。
辻中に会いたい。あの悪戯っぽい笑顔が見たい。今日も頑張ったねって背中をポンポンされたい。
(あー、ダメだ。欲望まみれだな、俺って)
そんなことを思いながら黒板にチョークを走らせ、化学式を書いていく。
(いけない。気持ちを切り替えて授業に集中しないと)
今は四月だ。もう新年度が始まってるんだ。新しい生徒たちもいるし、落ち込んでばかりもいられないだろ。
(しゃきっとしないと。このままじゃ辻中に笑われる)
辻中を思う自分の気持ちを頭の片隅に追いやると、俺は授業を続けた。
✥ ✥ ✥
新年度が始まって二週間が経ったある日、俺に限界がこようとしていた。
「最近疲れが溜まってるな……精神的にキツい」
いつも通り理科準備室で事務作業をしながら独り言を漏らす。
こんなとき、辻中がいたら『今日もお疲れ様、センセ』って疲れが吹き飛ぶような笑顔を見せてくれるんだろうな。
「辻中……」
対面の席を見る。
いつも辻中が座っていた場所だ。あそこで問題集を解きながら、たまに話しかけてきて、なんでもない会話をする。女子同士で何が流行ってるだとか、友達と彼氏のやりとりが羨ましいだとか、料理部で次に何を作ろうかだとか、ほんとそういうことばかり言ってて……。
辻中と話してるだけで、最高に幸せだった。幸せだったのに、もう辻中は学園にいない。
「会いたい……辻中に会いたい」
気づけばキーボードに走らせていた手を止めていた。
「ああ、ダメだ。仕事が手につかない……もうこのへんで一旦終わろうかな」
ノートパソコンを閉じ、帰り支度をすませ、職員室に向かう。
「気分転換に飲みに行くか……」
✥ ✥ ✥
歩道を歩きながら俺は看板や店先を眺める。
(どこか適当な居酒屋でも入ろうかな……一人になりたくない気分だし)
サラリーマンや大学生風の男たちとすれ違い、通りを進んでいると『
「あ……」
辻中の実家だ。
確か二階が生活スペースになっているんだっけ?
自然に吸い寄せられたみたいになったけど、ここってスナックだし、俺は客として来ただけだ。久しぶりに辻中に会えるかもしれないし、気分転換にちょっと一杯やろう。
「行ってみるか……」
スナックのドアに手をかけ、入ってみるとそこは落ち着いた空間だった。
長いカウンター席が壁際まで伸び、その反対側にはゆったりとしたソファーが並んでいる。
俺がスナックに入ると、お客さんに料理を運び終わった黒髪ロングの女性店員が振り向いた。
「いらっしゃいま――え……?」
辻中だ。俺を見た瞬間、ビックリしたまま固まった。
「センセ……?」
「あ……」
可愛い。白いブラウスの上に黒いエプロンを着ていた。服装は全体的にちょっとだけ大人びた感じだが、やっぱり高校を卒業したばかりだから可愛らしさの方が勝る。
「今更なんの用ですか?」
「いや、その……気分転換に来てみたっていうか、ちょっと一杯飲みに来ただけだけど……」
「ふーん……」
「あ……」
空気が重い。
歓迎されてない感じだな……まぁ、そうだよな。俺って辻中があんなに一生懸命告白してきたのに断った男だもんな……そりゃ顔も見たくないよな。
だがそれでも、辻中に会いたかった。なんと思われていても身体が勝手にここまで来たんだ。
気まずくても引き下がれない。
「「…………」」
「あら先生、どうも」
辻中と俺が無言で立ち尽くしていると、カウンターの方で梢さんの声がした。
「あ、はい。こんばんは」
「今日はどうされましたか?」
俺は梢さんに向き直り、ため息交じりに微笑んだ。
「飲みに来ました。最近仕事に疲れちゃって……」
「やっぱり学校の先生って大変そうね……じゃあ、カウンター席にどうぞ」
「ちょっと待って、お母さん」
そう言うと、辻中は疑わしげに半眼を作った。
「センセ、今日どうやって来ました? 前にここに来たときは車でしたけど?」
「普通に車だけど」
「ダメでしょセンセ、お酒を飲むのに車で来ちゃ」
「あ……」
辻中に
ヤバい。俺相当疲れてるわ……こんなことも気づかないなんて……ふー危なかった。辻中に言われなかったら帰りはタクシーになるところだった。
「やっぱ俺、辻中がいないとダメだな……」
「センセ……」
「最近ぼーっとしちゃってさ。なんか調子でないんだよな……」
「そうですか……」
俺が苦笑すると、辻中は消え入りそうな声で呟いた。声に元気がない。俺はちょっと心配になって問いかける。
「辻中はどうだ? 元気にしてたか?」
「別にいつも通りですけど」
「そうか……それならよかった」
「ところでセンセ、その、今日来てくれたのって……やっぱり、その……」
「もう、じれったいわね。美夜子、今日はもういいから、先生とどこか食事でも行ってきなさい」
俺たちの会話にしびれを切らした梢さんがそんなことを提案してきた。
え? 辻中と食事……!? ど、どうしよう。昔だったら考えられないイベントだぞ。いや、浮かれるなよ、俺。まだ辻中のOKが出てないんだぞ。
「でもお母さん……」
「いいのよ、せっかく先生が来てくれたんだから。それとも先生と食事は嫌なの?」
「……行ってきます」
恥ずかしそうに頷くと、辻中はエプロンを外しながら俺の横に並んだ。
「いいですよね、センセ?」
「も、もちろん……!」
「じゃあ準備してきますから、少し待っててくださいね」
「ああ」
俺は微笑むと、お店の裏に引っ込んでいく長い黒髪を眺めた。
もう自分を抑えるのはやめよう……辻中に告白するんだ。今日告白しないと一生後悔するから。
(次回に続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます