第44話 「門番のシューシュカ・前編」

「ちゅきと、なに見てゆの?」


 一昨日の夜に、ビシスなる怪しい男につけられた炎の紋様を眺めていると、前に座るニュトがこちらを向いて訊ねた。


「うーん……なんか変なまじないを掛けられたんだ。ほら」


 彼女の前に指を出して見せる。


「かわいいしるしだね!」


 そうか。

 ニュトがそう言うなら、まあいいか。


 女の子だし、おしゃれとか興味あるのかな、やっぱ。

 本当はもっといい服着せてやりたいんだけど。


 ……などと平静を気取っているが──正直、まだあの男に対する不安を拭い切れないでいる。


 おかげで、夕べ泊まったオアシスではいまいち眠れなかった。


 ニュトを助けてくれたのは感謝している。

 敵ではないのだろう。多分。

 だが、彼は完全にイレギュラーな存在なのだ。


 俺は魔女のことも分からない。

 英雄のことも分からない。

 空のヒビも分からない。

 しかしそれらは、直接俺に関係があるわけじゃない。

 俺自身から関わりに行っているだけだ。


 それに比べて、ビシスは向こうからわざわざ俺に接近してきた「謎」だ。


 透明人間である俺がロストグラフで活躍できたのは、存在が知られていない幸運によるところが大きかった。


 ビシスは俺を知っていた。多分。

 ニュトを知っていた。これも多分。

 そして未来さきのことを知っていた。


 「三十秒」と言ったのも気になった。


 「三十秒後にお前の連れが──」たしかにそう言っていた。


 秒。


 ロストグラフに「時計」は無かった。

 曇り空の向こうにある太陽の位置から、時間を告げる鐘が鳴る地区はあったが。

 もちろん、誰も「一秒」、「一分」などの言葉を口にしていない。


 まあこの世界は地域ごとで環境も大きく変わるし、国によって文化に差があってもおかしくないだろう。

 ビシスは、時間の単位を使う、時計がある国から来たのかもしれない。


 けれど、そうではない気がするのだ。

 「ネイルアート」なんて言葉も知っていたようだし。


 これまでは、何も知らない世界で、生まれ変わったような気持ちで過ごしてきた。


 そこに突然現れた、奇妙な異物。

 これはビシスが良い奴だとか悪い奴だとかいう話じゃなく、自分の意志で進んできたつもりが、何か別の意志に動かされているような……そんな心地悪さがある、ということなのだ。


 そもそもなぜ俺はこの世界に転移したのか。


 なぜ透明な体になったのか。


 今まで放置してきた問題が、再び首をもたげてきた──。



「……ちゅきと、げんきない?」


「……ん? いや、大丈夫だ」


 不意にニュトが訊いてきた。

 この子はたまに鋭いときがあるな。


「よかった」


 にぱっ、と笑ったニュトの無邪気な笑顔で、“現実”を取り戻す。

 そして現金なことに──俺の頭は一気に切り替わった。


 こういう単純なところが、俺の長所なのだ。


 そうだ。

 何をウジウジ気にしている。


 別の意志に動かされている?


 それが何だっていうんだ!


 ニュトを助けたかったのも俺の意志だし、この旅に出たのも俺の意志だ。


 異世界転移?

 ラッキーじゃねーか!


 透明人間?

 そのおかげで第二の人生を謳歌しているぜ!


 ビシス! ニュトの危険を教えてくれてありがとな!

 今度会ったら何もかも吐かせてやるから覚悟しとけよ!


 モリモリと湧いてきた元気を糧に──ニュトをわしわしと撫でてやった。


 彼女は楽しそうにきゃっきゃと笑った。


 いよいよジャルバダール王都まであと少しだ。

 多分、昼頃には着くだろう。


 俺は小さな旅仲間に大いに救われている──そんな思いを抱きながら、シャニーに揺られて進むのだった。


***


 ついに、ジャルバダール王都到着。


 ちょうどロストグラフを出てから、十日目の昼過ぎだ。

 曇り空の下に広がる都は威風堂々としていた。


 日干しレンガの街並み。


 屋根や窓に並べられた色とりどりの織物。


 西から砂を運んで吹く風が王都を駆け、かすかに景色をぼかしていく。


 ロストグラフと違い、国が丘の上にあるわけじゃない。だから城は最上でなく最奥──南西の入口から北東に伸びる目抜き通りの一番奥にあった。

 日本なら丑寅うしとら、すなわち鬼門きもん。鬼が出入りする不吉な方角だが、もちろんここでは関係ない。

 宮殿は実に豪華で金色に輝いている。


 なんだろう。アラビアンというか。

 いわゆるタマネギ型のカラフルなドームが塔のてっぺんについていて、エキゾチックな雰囲気がある。


 違和感があるとすれば、色彩豊かで家々も混み合い、いかにも賑やかそうな街が、実際には人通りも少なく静かなことだけだった。



 後ろではニュトがシャニーにお別れの挨拶をしていた。

 もう三十分くらいしている。


 ニュトはシャニーにとても懐いた。

 彼女もまたニュトが好きなようである。

 今朝なんて一緒に飯を食っていたからな。


 俺はそんなことをしたら間違ってこっちが喰われないかと、いまだにビビッているのに。


 やがてシャニーが後ろへ駆け出し、ニュトも俺の方へととっと走ってきた。


「ゆっくりお別れできたか?」


「うん!」


 思ったより元気な返事で安心した。


 考えてみれば彼女は両親を亡くし、故郷を離れ、俺ともまた別れかけた。

 生きることは何かを失うことだと、幼いときから身に染みているのかもしれない。


 誰かとの別れ方が上手になってしまう。

 それはちょっぴり悲しいことだな。


 俺はニュトの手をぎゅっと握った。


 彼女はひし、と握り返した。



 さて──いざ王都の正門へ向かわん。



 他国の者にも「国民順位ランゴ」を付与するということは、王都へ入る前に検閲でもあるのだろう。


 そう予想していたが、まさしく大きく開かれた門の手前には十人ばかりの兵士が立っていた。


 俺たちはマハランで来たのだから当然目立つ。

 兵士らも全員がこっちを見ている。


 「2200」、「2213」、「2219」、「2197」、「2210」……一昨日のオアシスで遭遇した巡視の兵よりは下位のようだ。

 全員のランゴがどれも近い数字というのは、おそらくひとまとまりのチームなのだろう。


 ふとその中から、胸を反らせていかにも偉そうな調子で近付いて来る人物がいた。


 女性である。


 服装が他の兵士らとは随分と異なっていた。

 ターバンではなくツバ付きの帽子を片目が隠れるように傾けて被り、日焼けしにくい体質なのか両手両脚は素肌を露出させ、そして体には黒いなめし皮の服をぴっちりと着ていた。


 なんというか。


 例えとしては変かもしれないが、パッと見は「女王様」みたいな感じだ。

 本物の女王じゃなく、いわゆるプレイ的な。サディスティック的な「女王様」。


 タンクトップにショートパンツ。

 姫カットの黒髪ロングに金のイヤリング。

 黒い手袋に黒いブーツ。手にはムチを持っている。

 どう見てもジャルバダールの風土に合った格好ではない。


 そんな大人びた格好をしているが、若い。恐らく俺と同い年か、ひとつふたつ年下くらいだろう。

 ついでにいえば、どちらかと言えば童顔だ。女王様よりお姫様の格好をした方が似合うような気がする。


 ──などと勝手な観察をしているうちに、女性は俺たちの目の前まで来ていた。


 そしてムチを握った右手を、思い切り振り上げた。


「──ようこそジャルバダールへ!」


 キーン。


 ……すげえ声がでかい。


「私はこの正門を守る国王陛下の忠実なる下僕、『シューシュカ』! 客人のお二人にランゴを授ける者よ!」


 叫ばないと喋れないのだろうか。

 俺もニュトも自然と両耳を塞いでいる。


 あと、ずっとドヤ顔なのも気になる。


 彼女の頭上に浮かぶランゴは「2194」。

 ここにいる連中の中では、たしかに一番高いようだった。


 そんなに強そうには見えないが、女性で四ケタ台というのはなかなかの順位じゃないだろうか。


「いいぞー、シューシュカ!」


「いよっ、俺たちのシューシュカ様!」


「今日も声が馬鹿でかいぜー!」


 後ろに控える兵士たちの声援は、しかし隊長への敬意というよりは仲間内ではやしているだけ、という感じが強い。


 なんかざっくりした上下関係だな。


 というか、なんで声援?


「はっはっは、いやー驚かせてしまったかしら旅の方。なにせ私、ごらんのとおり大変人気があるもので、常に声援がやまないのですよ」


 うんうん、とシューシュカが一人で勝手に頷くと、サイズが合っていないのか、ずる、と帽子がずれた。

 それを指先でくいっと直し、彼女は再び俺を見た。


 そして片目を閉じようとしてもう片方も閉じてしまう、ウィンク下手にありがちな不器用なウィンクをかました。


「客人──あなたも私のファンになっちゃっていいのよ?」


 ……。


 ……。


 ……おいおいジャルバダール。初っ端からインパクトの強いの出してくるじゃねーか。


 これは出だしから面倒臭い事態に巻き込まれる気がする。


 そんな予感が脳内を巡る、新たな国の第一歩だった。

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