第43話 「炎の紋章の男」
「──よう。久しぶりだな」
「は?」
「忘れたのか『オーカー』。俺だよ俺、ビシスだよ」
ビシス……。
オーカー?
「存じ上げませんが……人違いでは?」
というか仮面を付けているのに、俺が誰だか分かるはずがないだろう。
「いーやその格好、間違えるはずもねぇ。懐かしいぜオーカー。昔みたいに一杯やろうじゃねーか」
男はド派手な金髪の前髪から覗く、これまたド派手なクリムゾンレッドの目を輝かせ、無理やりに肩を組んできた。
耳に付いた、炎を
……チャラいな。
砂漠の旅の二日目。
二つ目のオアシスに辿り着き、ニュトを宿に残して外に出たところである(シャニーがいるので危険は無いだろう)。
ちょいとその辺の店でも覗こうかと思っていたら、突然声を掛けられたのだ。
……。
……どこかで見覚えが……
……。
……いや、無いな。
***
「ビシス」と名乗った男は背が高く、かと言って二メートル級のバスタークなんかが平気でいるこの世界では飛び抜けて高いというわけでもなく、多分百八十センチそこそこといった身長だった。
顔立ちは整っている。目鼻立ちがくっきりしており、美形と言ってもいい。
ピアス同様、両頬には何やら炎をモチーフにした宗教的な紋章が描かれ、髪や目の色とあいまって非常に目立つ。
服装が、これまたクソ暑いというのにマフラーをグルグル巻きにしており、鎖がジャラジャラ巻かれたブーツを履いていて、もはや奇人の一歩手前だった。
おや、と思ったのは、「
おそらく他国民なのだろうが、ジャルバダール国領に足を踏み入れて、初めて数字の無い人を見た。
男は俺の耳元に口をよせ、コソッと囁いた。
「たまたま
ああ、なるほど。そういうことか。
それにしても図々しい男だな。
だが俺もこの半年間、伊達に苦労して来たわけではない。
それなりにしたたかにはなっているのだ。
「……俺のメリットは?」
そう言い返してやった。
まあ半分冗談で、あまりに図々しいから意地悪を言っただけだが。
これでお金でも恵んでもらえればラッキーだ。
しかし男は俺の後ろに視線を投げ、すぐに首をすくめた。
「──おっと、奴ら来やがった! 頼むぜオーカー」
はぐらかしやがった。
振り向けばたしかに、夕日を背にして歩いてくる二人の男が目に映る。
「逃げ出されては困りますな、旅の方」
兵士の一人がビシスを睨みつける。
「ジャルバダールを訪れたからには、仮の国民になっていただかねばならんのです。もう一度長い説明をせねばなりませんかな?」
ビシスは悪びれもせず、俺の肩に腕を乗せてニッと笑う。
「逃げたんじゃないさ。事情を話してもらうには、俺よりオーカーの方がいいかなって思い立ったんだよ」
「オーカー……?」
兵士らの視線が俺の方を向いた。
浅黒い肌に、肩幅の広い体格。
ジャルバダールの気候ゆえか防具は肘当て、すね当てに全身を覆う布くらいの軽装だったが、兵士らの視線は鋭く威圧的だった。
そして何より、彼らの頭上に浮かぶ「
国民が二十万人いる中で、戦えて、かつ戦う意思もある男性が、まあ一万人くらいだとしよう。
少し多いかもしれないが、ここは地球と違う。ほぼ全ての男子が一度は剣を握るような世界なのだ。
その中で上位五パーセント以内のランクにいるとなれば、相当の
下手な真似は出来ないな。
「なんだ貴様、この男の仲間か?」
「もちろんさ、なあオーカー?」
俺に
「メリットは?」
ビシスはその気概に驚いたのか、少しだけ目を見開いて、
「分かってる、借りは返すさ」
と、笑って返した。
出だしから面倒なことに巻き込まれたくないんだが、仕方ないな。
「──ええ、まあ。仲間というか、旅の知り合いです。ジャルバダール王都へは今日中に向かう予定で、ロストグラフ国王の親書も持参します」
ちらり、と書類を覗かせると、二人の兵士は互いの顔をみやって頷いた。
嘘はついてない。
ビシスなる男とは、たった今ちゃんと知り合ったし、この後も一緒に行くとは言っていないからな。
さて、どう出てくるか。
一応戦闘になる可能性も考えてはいるが。
「……そういうことであれば、分かりました。しかし現在ティワカンヤ王は、例え友好国の特使であろうとすぐにはお会い出来ません。謁見にはそれなりの苦労があると思いますが、よろしいですか?」
そう言われても、じゃあ引き返して国外へ出るのを許してくれるのかという話である。
でなければこの男をしつこく追ったりしないだろうに。
「平気だとも、なあ相棒?」
俺の代わりにビシスが答える。
軽薄な奴だなぁ。
悪人ではないと思うが。
「ええ、努力しますよ」
兵士らは俺の体躯を見て、大した使い手ではないと判断したのだろう。
その俺に頼ったビシスの評価も推して知るべしだ。
もちろん、油断してくれたわけではないだろうが──
「では、後ほど王都で」
──そう言い置いて立ち去ってくれた。
話の通じる連中で良かった。
「フー、ありがとうな、オーカー。助かったぜ」
「……アンタさ、本当はそんな焦ってもいなかったんだろ?」
溜め息をつきながらそう指摘すると、ビシスはまた少し驚いたような顔をして、ひょいと肩をすくめた。
「なんだいきなり、どうしてそう思う?」
「さっきからまるで緊張を感じない。緊張って、つまりは心構えだ。心の臨戦態勢と言い換えてもいい。兵士を前にしても臨戦態勢に入らないのは、それだけ余裕があるってことだろう?」
正直さっきの兵士たちより、今はこの男の方が怖い。
「……はは、余裕があったのは奴らが手を出さないことを
「勿体ぶった言い方は好きじゃない。──さあ用事は済んだろ。食料とかでいいから、さっさと出すもん出して、どこへでも行ってくれ」
「つれねぇなぁ、オーカー」
「……もうそれはいいって」
だがビシスはクリムゾンレッドの目を細め、その言葉を懐かしむように繰り返した。
「オーカー……まあいいじゃねぇか。俺にとってはオーカーってことで。そう呼ばせてくれよ」
どうにもしみじみと言ってくるので、こちらも肩の力が抜けてしまう。
「さて、謝礼だな──食料はすっからかんで分けてやれねぇが、とっておきの
……まじない?
「悪いが胡散臭さ満点で、とても受けたくないんだが」
「そう言うな。なぁに、すぐ終わる」
こういう手合いにロクな奴はいない。
やっぱさっさとお別れするが吉だ。
しかし、何故だろう。
俺はビシスを突き放し、この場を立ち去ることが、どうしても出来なかった。
……すでに
「人差し指を出しな。右手でいい」
何か怪しい気配を見せたら、即退散しよう。そう決めて指を出す。
ビシスは何やら呟くと、人差し指の先に
「──はっ? なんだそれ、魔法か?」
慌てて手を引く。
「まあそんな認識でいいだろう。おい、手を引っ込めたら術が施せねぇぞ」
「無理言うなよ、せめて説明してくれよ。俺はかなりお前の無茶に付き合ってやってると思うぞ」
「……詳しくは話せねぇんだ。悪ぃな。
流れって何のだよ。
ギャンブラーみたいなこと言うなよ。
怪しい。
怪しいことには変わりない。
だが、人を見る目には自信があるのだ。
この男は悪い奴じゃない。
それだけでなく──俺の心の深い部分が、ビシスを受け入れている。
一体何だというのだろう?
大人しく人差し指を出した。
ビシスが空中で何やら描くと、指に灯った炎もその軌跡を辿る。
そして指先を俺の指先へと向けた瞬間──炎が爪の中へ入っていった。
「な──何だ今の? おい、大丈夫なのかよ、なあ!」
「ああ、上手くいった。見ろ、ちゃんと印が現れた」
たしかに、いつしか人差し指の爪の上に赤い模様が浮き出ていた。
それは先ほどビシスが空中に描いた模様と同じようだった。
「何だよこれ、ネイルアートかよ!」
渾身のボケをスルーしてビシスはジッと俺を見つめた。
まあネイルアートなんて伝わらないだろうしな……。
「“ネイルアート”か。はは、たしかにな。だがそいつは爪が伸びても一緒に伸びたりしない」
あれ、通じたぞ?
いや、話を合わせているだけだろうか?
「……オーカー。その
「はあ……」
「二度、三度は無い。いいな」
「分かった分かった、覚えておくよ。もういいか?」
「ああ、用事は終わったからな」
その口ぶりは、まるで兵士たちとのゴタゴタなんかただの口実で、俺に今の
信じてはみたが……本当に大丈夫だったかな。
しかし本当に俺をハメるつもりなら、もっと回りくどくないやり方がいくらでもあると思うんだよな。
「そうだ、オマケでもうひとつ。オーカー、今から三十秒後、お前の連れが宿を出て入口のところで転ぶぜ。鼻をすりむく程度だが、女の子なら顔に傷を作りたくないだろ」
──。
──なに?
「じゃあなオーカー、また会おう!」
そうして、俺が呆けている間にビシスは立ち去ってしまった。
いや、立ち去るというには消えるのが速すぎて、まるでそこから忽然といなくなったかのようだった。
俺に仲間がいるってことを……それが女の子だってことを、どうしてあの男は分かったんだ?
どこかで見ていたのか?
いや、それよりも、三十秒後だったか。
宿はすぐ後ろだ。
あいつの言うこと全てを信じたわけじゃないが、万が一ってこともある。
歩き出して宿の扉が近づいてくると──驚くことにそれが開いて、誰かがひょっこりと顔を出した。
月明かりに照らされたブロンドは、間違いなくニュトのものだった。
「あっ、ちゅきと──」
「待て、ニュト! ストップ!」
「あい!」
すぐに言うことを聞いてピシッと止まったニュトだったが、ふとその足元にそこそこ大きな石が転がっていたことに気づく。
「マジか……」
もしもあの石に足を引っ掛けていたら、間違いなくニュトはすっ転んでいただろう。
結果的に怪我はしなかったわけだから、ビシスの予知が合ってたかどうか確認する
「…………」
「……どうしたの、ちゅきと? もううごいていい?」
「あっ、ああ……足元の石に気を付けてな」
「うんっ!」
駆け寄ってきたニュトの手を繋ぎ、頭を撫でてやりながらも俺は首をひねる。
この世界に来て半年。
あんな奴は初めてだ。
あんな……得体の知れない人物は。
その夜俺は、なかなか寝付くことが出来なかった。
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