第42話 「マハランの旅の夜」
うおおおお、怖い怖い怖いー!
高い、高い!
速い速い!
すな! 目に入る!
あああああ──揺れるぅー!
情けなくもマハラン屋を出発して以降、ずっとこんな調子の俺だった。
さっきはせっかくニュトの前でかっこつけたのに台無しだ。
「強者の国」ジャルバダールを目指し、俺たちはレキネンの元を後にした。
今はマハランの利用客がほとんどいないとのことだったので、利用料は少し上乗せしておいた。
貰ったお金で偉そうだが、正しい使い方だろう。
そして、マハランはとにかくすごい動物だった。
まず、めちゃくちゃ賢い。
その背中に乗るのに縄梯子を使うのだが、俺がモタモタと登っている間もじっと動かず待ってくれていた。
これから三日かけてジャルバダールへ行くのにも、最初に行き先を伝えるだけでいいという。
道無き砂漠だというのに、立ち寄るべきオアシスの場所もしっかり記憶しているらしい。
それからたいそう人懐こい。
巨大な狼とでもいうような凶悪な風貌にも関わらず、よく人に慣れていて、ベロンベロン舐めてくる。
レキネンによると愛情表現だそうだが、俺は「味見か? 味見なのか?」とぷるぷる震えていた。
ニュトはきゃっきゃと喜んでいたが。
そして何より、速い。
ラクダみたいにぽっくりぽっくりと歩くものだと思っていたら、ビュンビュン飛ばす。
ダチョウみたいに速い。
ゆっくり走ってほしいときはコブを叩いて指示するそうだが、元来走るのが好きな
「走りたいよー」と訴えているだけなので、微笑み返すくらいで構わないとレキネンは言っていたが、俺の全身くらいある大きな顔でギロリと見られれば、走らせないわけにはいかないのであった。
調子に乗り過ぎて、基準以上のスピードが出ているようだが。
俺たちが借りたマハランは「シャニー」と言う名で、特に元気なメスだという。
ジャルバダールまで俺たちを運んだら、帰りは一人で戻るらしい。
マハランとジャルバダールの歴史は長く、千年も前にさかのぼるそうだ。
賢く、ゾウのように巨大で恐ろしい風貌を持つマハランは、大昔には神と崇められていた。
文明が発展すると、今度はジャルバダール国民の友人となった。
実のところ、マハランの群れには軍隊が総出で立ち向かっても敵わないらしい。
それくらい彼らと人類には力の差があるのだ。
レキネンの話によると、かつて愚かな狩人が大勢で結託してマハランの子供を狩り、その牙や
ジャルバダール国民と仲良くやってきたマハランたちはその裏切りに怒り、王国に攻め寄せた。
それは王国史上最大の危機と言われ、なんと全建築物の半数以上が倒壊したと伝えられる。
狩人たちは王国軍によって捕らえられ、拷問の末に処刑された。
そして王家の全員がマハランの元を訪れ、狩人たちの遺体、それに多くの貢物を差し出して許しを得たのだ。
以来、ジャルバダールはマハランを護り、彼らもまたこの国を見守っている。
素晴らしい動物なので諸外国からも欲しいという声がしばしばあったそうだが、砂漠でしか生きられない彼らを引き渡すことは決してしなかった。
マハランも、戦争にこそ手を貸すことは無かったが、人と砂漠を歩くのが好きなのでマハラン屋にいてくれる。
それは飼育されるというより、そこに生息している、といった方が正しい。
マハラン屋にも餌場はあるが、それはいわばマハランに対する
砂漠には危険な獣も多いが、マハラン相手には手が出せない。
陸の孤島だったジャルバダールと諸外国を結び付けてくれているのは、他ならぬこの動物なのである。
──さて、初日の夕方ごろ、一つ目のオアシスへ辿り着いた。予定より早い。
小ぢんまりとした泉の周りに数軒の建物があるだけの小さなオアシスだ。
久し振りの客に村人たちは驚いていたが、俺たちは構わず早めの休眠を取ることにした。
ジャルバダールの情報も整理しておきたかったのだ。
ちなみにオアシスの村人たちも、全員「100001」の数字を頭に浮かべていた。
上位を狙う者は当然、王都に集まっているということだろう。
日干しレンガの宿は窓が大きく開けられ、夜は涼しい風が吹きこんできた。
遠くで変わった楽器の音色がする。
窓から眺める夜空はロストグラフよりもやや明るく、雲の向こうに月の輪郭もぼんやりと見えた。
「おやしゅみ、ちゅきとー」
「ああおやすみ、ニュト」
夕飯を食べてからもマハランのシャニーと一緒にいたニュトは、宿の外にいる彼女にもおやすみの挨拶をして眠りについた。
ずいぶんと仲良くなったようだ。
森で育ったからか、動物が懐くのも早い。
俺はいまだにシャニーの背中に登るのも恐る恐るなのに。
誰の人目も無いことを確認して、ゆっくりと体をシェード・オフさせたのち、俺は上着を脱いで仮面を外した。
……ふはあ。
普段はなかなか身軽になれないからな。
ずっと服を着ているから汗がベタついて気持ち悪いんだ。
夜風が肌を撫でていく。
久々に良い気持ちだ。
ジャルバダールの内情は分かったが、気持ちが
心に余裕を持って、出来るだけ平常心でいる。その重要性は、ロストグラフでよく学んだ。
俺は透明人間だからな。
ひとつボロが出たら、たちまち危うい立場になる。
なにより、ニュトがいる前で暗い顔ばかりしてはいられない。
彼女は俺から安心を得ているのだから。
さて、整理しよう。
筋トレしながらにするか。
「サウンド・カーム」により、俺の魔素の影響で発する音を世界から隔絶する。
大分慣れてきて、調子の良い時なら最長で一時間の消音が可能になった。
潜入ならばお手の物だ。
──人物のおさらいだ。
ティワカンヤ王。
故ピケトレヤ将軍。
ナヨカトル反乱軍団長。
故ポポリカ王妃。
現在のジャルバダールに深く関わるのが、この四人か。
ティワカンヤ王は最重要人物だ。
ジャルバダールの現国王であり、前王の長男。まだ若く、三十代だったはず。
機王大戦で力を手にして、ボド──すなわちアレクトロらと機王を討ち、「英雄」となって凱旋する。
さてこの「英雄」なる者が
アレクトロの例と同様であるなら、ジャルバダールの民には隠されている、ティワカンヤ王の秘密が見えてくる。
すなわち、「
魂を宿した一対の宝石と、もう一つの体。
例えばアレクトロは、自身とは正反対の醜い巨体の機骸「ボド」と、一人二役をして六王兵らを
ティワカンヤ王の外見は大きく変わっていなかったということだが、それとは別に機骸を隠し持っている可能性は高い。
またどういう仕組みか、自在に体を乗り換えられる「石」──すなわち「
ティワカンヤ王の強さも、そこにあるかもしれない。
もちろん、
英雄がみんな同じ力を持っているとは限らないから、あくまでも参考程度に留めておく。
ただティワカンヤ王も「
また今回はすでに他の未知数な要因が絡んでいる。
「
ティワカンヤ王は摩訶不思議な力で、全ジャルバダール国民の頭上に数字を浮かべた。
こんなことが人間に可能だろうか?
「
もしそれを守らなかった場合、国王軍に連れて行かれ、「魔女の制裁」なる「
ならば国王軍に逆らえばいいじゃないかという話だが、そうは行かない。
軍の隊長である王は、この国の誰よりも強いのだ。
王の支配から逃れるには王を倒すしかないが、数多の戦士が失敗している。
また魔女の制裁という言葉通りなら、王と魔女は何かしらの繋がりがある。
ティワカンヤ王の秘密を全て解き明かすことが、革命への筋道だろう。
次に、故ピケトレヤ将軍。
ティワカンヤ王の実弟であり、かつてはこの国で一番の戦士だった。
機王大戦においてジャルバダールの代表として出向き、ルファード大将軍と同様に「魂」を抜かれて戦死している。
ロストグラフでも、ルファード大将軍が生きていればアレクトロは変貌しなかったかもしれない。
そう考えると、やはりピケトレヤ将軍の死が何らかの発端であることは間違いない。
長引く大戦に不安を覚えたティワカンヤ王は、後でピケトレヤ将軍の軍に合流したが、弟を救うことは叶わなかった。
後悔が王を変えたのだろうか?
いや、ここにはもっと複雑な理由が隠れている気がする。
続いて、ティワカンヤ王に次ぐ重要人物。
元ジャルバダールの宰相にして、現反乱軍の軍団長、ナヨカトル。
レキネンの話を聞く限りでは、彼がこの国に残る最後の希望だ。
もちろんアレクトロの例があるから、ちゃんと自分の目で調査するつもりではあるが。
ティワカンヤ王、ピケトレヤ将軍の実弟。
彼が一連の事件に何の関与も無いとすると、ただ兄の暴走に
しかし血筋だろうか。
三兄弟はみな武勇に長け、ナヨカトルもまた王に次ぐ「2」の
王に対抗できるのは、彼をおいて他にいない。
誰よりも味方にしたい人物だ。
そして最後に、ポポリカ王妃。
ティワカンヤ王が愛した妻。
彼女は一番謎に包まれている。
なぜ王は彼女を殺したのか?
一体どんな人物だったのか?
ジャルバダール変貌の鍵になる人物であるにも関わらず、情報は多くない。
故人であるために真相を探るのも難しい。
だが、必ず調べておかなければならない人物だろう。
王とは幼馴染みだったというのも引っ掛かるところだ。
なぜなら、王と幼馴染みであったということは、二人の弟ともまた幼馴染みだったということなのだから──。
ジャルバダールの人物整理はこんなもんかな。
次は俺が積極的に接触すべき人物だ。
三人いる。
まずはロストグラフから遣わされた特使の二人だ。
顔を合わせたことはないが、名前や外見の特徴は聞いている。
「ブラー」と「レモネット」。
男性と女性。
ブラーは故ヘイルデン将軍の部下だったが、将軍亡き後はグランデル王直属軍へ異動した。
長身でスリム、面長で目は落ち窪んでいる。
何より特徴的なのは、赤紫色のドレッドヘアーを後頭部でひとつにまとめた風変りな髪型らしい。
武器の扱いもさることながら、徒手格闘の達人で、あのブリガンディさえ、ブラーが本気で掛かって来たら勝つのに苦労する、と言っていた(それでも負けるとは言っていなかったが)。
レモネットはブリガンディの部下である。
ブリガンディよりも年上らしいが子供のように小柄で童顔、肩までの金髪にそばかすが特徴だという。
こちらはナイフの使い手で、十本近くのナイフを常に携帯しているそうだ。
そして両者に共通し、語学が堪能。
まあ俺には日本語にしか聞こえないんだが、ロストグラフとジャルバダールで若干のイントネーションの差を感じるように、同じ大陸といえど
分からなくても困らないことは後回しにする。
切り替えが早いのは俺の長所だ。
浅はかとも言い換えられるが。
道中は野宿をせざるを得ない世界だからこそ、特使は複数人派遣すべきだと思わなくもないが、ロストグラフの全員が多忙の現状では仕方ないだろう。
まあ俺だって単身を願い出たのだから、どうこう言える立場じゃない。
またそれゆえにグランデル王も、語学と戦闘の両方に長けた者を遣わせたのだろう。
さらに言えば、王に見込まれたほどの戦士さえ、ジャルバダールに捕らわれているということでもある。
改めて相手の強大さを認識しなければならないだろう。
とにかくこの二人は、明確な「味方」である。どちらも無事であるなら、真っ先に接触したい。
特に今回はニュトがいる。
どこかへ潜入するとき、彼女まで連れ歩くことは出来ない。
ニュトを安心して預けられる人が必要なのだ。
そして最後に──魔女。
彼女に出逢わずしての結果はあり得ない。
名前も知らない。
容姿も分からない。
だが、絶対に見つけてみせる。
──いち、に、さん、し……
……ご、ろく、しち、はち……──
ふーっ、と息を吐いて、床にへたり込んだ。
呼吸を繰り返し、整える。
人物を整理すれば、今後のとるべき行動が見えてくる。
まず、ブラーとレモネットの捜索。
彼らが無事で、かつ信頼に足るならば──王の目利きを疑うわけじゃないが、百聞は一見に如かずだ──ニュトの護衛を願い出る。
それから国内の調査だ。
どんな状況で、誰が力を持ち、どんな勢力があるのか。
人の秘密、裏の顔、隠している行動──透明人間ならば、悟られずにそれを知ることが出来る。
そして最終的にはナヨカトルと手を組み、ティワカンヤ王を倒す。
魔女が王に利用されているなら救出し、手を組んでいたのなら理由を訊く。
……まあ、たいへん都合の良い展開だが、目指すところはおおよそこんなもんだろう。
やはり問題は「
誰に接触するのでも、自分が下位では侮られる。
だいぶ筋肉がついたとはいえ、腕っ節に自信は無い。
なんとか順位を上げる方法を考えないとな……。
どっ、と床の上に仰向けになる。
夜風が心地よい。
ぶるる……ぶるる……と、シャニーの寝息が聞こえる。
頭と体を使って疲れた。
今日はもう寝よう。
俺は服を着て姿を現すと、改めてベッドに寝直した──。
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