砂漠の国ジャルバダール編

第40話 「透明人間と砂漠の国」

 男のさがと戦った夜が明け、翌日。


 美女が用意してくれた朝食を食べ、なんだかんだで疲れも取れた俺たちは彼女にお礼を言って、村長にまた挨拶をしてからフコロ洞へ進んだ。


 ありがたいことに出発前、ハンナの父親が案内人を申し出てくれた。

 おかげで予定していた一日半の旅程より半日早い、わずか一日で抜けることが出来た。

 洞窟の中はポツポツと明かりが灯ってはいたが、やはり地図を確認しながら恐る恐る進むのと、道をよく知る人物についていくのとではスピードが違う。


「夜の砂漠は冷えるんで、洞窟ん中で休んでいきましょう」

 というハンナの親父さんの進言に従い出口の手前で休眠をとったため、ジャビ砂漠に着いたのは明け方だった。

 ちなみに夜の見張りも親父さんと洞窟内にいたフコロ村の駐在員が交代で行ってくれたため、俺は二日連続でぐっすり眠ることが出来た。



 洞窟を抜けたところで一番驚いたのは、眼前に広がる広大な砂漠だった。


 「龍の背骨山脈」をひとつくぐるだけで、あの広い平原が砂の海へと様変わりするのだ。


 実際に砂漠を見るのは初めてだ。

 見渡す限りの砂、砂、砂。

 いくつも連なるなだらかな丘は砂がさらさらと流れるために、頂上で一本のラインを残して綺麗に両側で明暗が分かれている。

 そのコントラストが美しく、胸を打つ。

 心細くも雄大な自然の姿だ。


 風の流れによって出来る丘の紋様は、「風紋ふうもん」と言うんだったか。

 ひとつとして同じ紋様は無い。

 荒々しくも神秘的だ。


 洞窟の向こうとは気候も全然違う。

 相変わらずの曇り空で、相変わらずヒビが入っているのだけは同じだが、朝方にも関わらず雲の向こうからジリジリと差す陽の光は、ロストグラフよりも強い。

 透けた太陽が、相当でかく見える。

 地球の常識が通じるとは思っていないが、隣国でこれほど差があるのは予想だにしなかった。

 これも魔素の影響によるものだろうか?



「それじゃあ、ツキト様、ニュトちゃん、私はこのへんで。あそこに見えるレンガの建物まで行くと、『マハラン』が借りられますよ」


「ありがとうございます。お世話になりました」


「こちらこそ。またフコロ村に立ち寄った時には、家を訪ねてください。ハンナも喜びます」


 ハンナの親父さんと別れ、言われた建物へと向かう。

 すでに砂漠を渡るための服装として俺はフード付きの仮面を被っており、服も砂が入らないよう腰布を巻いたり袖を絞ったりしてある。

 ニュトも同じようにフード付きの上着とマスク、薄手ながら全身を包む衣装と準備は万端だ。


 ここからはジャルバダール国領。

 いよいよ一歩を踏み入れた。


 バッカニー村長いわく、ロストグラフ解放後にジャルバダールへと向かったのは、先行した特使二人以外にはいないそうだ。

 そのため、もちろんフコロ村の人々だって隣国の現状は知る由もない。

 一応ジャルバダールの生活や国土、風物などについては予習してきたつもりだが、ロストグラフ同様に国自体が変貌している可能性もある。


 つまり未知の領域だ。

 今一度、気を引き締めなければならない。


 レンガの建物は近くに見えていたのだが、歩き始めるとなかなか着かなかった。

 他に建物が無いために、遠近感が狂っているようだ。

 また道という道も無い。

 地面はなだらかに上ったり下ったりしているため、まっすぐに進むのが最短距離かも分からない。


 結局たっぷり三十分ほど歩いて、ようやくレンガの建物に辿り着いた。


 レンガと言っても、ロストグラフで主に使われている建材とは質が違う。

 火で焼いて作る焼成しょうせいレンガではなく、天日に干して作る日干しレンガだ。

 砂漠ではレンガを焼くための燃料になる木々が無いためだろう。

 白っぽく、レンガの継ぎ目から草が覗くその造りは、どこか異国情緒を感じさせるものだった。


 太陽のパワーはどんどん強くなり、すでにかなり汗をかいていた。


「おっきなたてものだねー!」


「ロストグラフにあった教会くらいでかいな」


 近くへ来ると遠くから見たときよりもずっと大きい。

 「マハラン」を飼育するためだろう。

 調べた本によると彼らは大柄で、背中にコブ・・があり、首が長い動物である。

 挿絵では大きなラクダという印象だったが、果たして本物はどうか。


 簡素な造りながらゾウがたっぷり十頭は入りそうな建物の正面扉を開くと、むわぁっ、と動物ならではの臭いが漂ってきた。


 建物内部の両端には、巨大な動物が五頭ずつ並んでこちらを見下ろしていた。


「うはぁーっ、あれが『まはらん』!? おっきーね! かわいーね!」


 はしゃぐニュトを横目に、俺はそのスケールに尻込みしていた。


 絵と実物じゃ、やはり印象が全然違う。

 少なくとも、決して可愛くはない。


 まさしくゾウのように大きく、キリンのように首が長く、コブが二つある。

 パッと見は巨大なラクダで合っていた。

 しかしラクダ特有の愛らしい垂れ目やまつ毛、ゆるんだ口元は無い。

 目つきは狼のように鋭く、鼻は高く、裂けたように大きな口には鋭利な牙がズラリと並んでいた。


 あれ、どう見ても草食動物の歯じゃないよな……。


「かわいーっ、かわいーっ、ねっ、ねっ、ちゅきと!」


「おっ、おう、そうだな。はは……向こうから見たら俺たちもちっぽけで可愛いだろうな。食べたくなるくらい可愛いかも……」


 あれに乗って行くのか。

 皆そうしているのか。

 途中で何人か食われたりしてないか?

 利用者の一部はマハランのおやつだなんて言って……。


「おーおー、これはこれはお客さん。いらっしゃいませ、マハランをご利用ですかな?」


 などとビビっていると、奥の餌場からターバンを巻いた初老の男が現れた。

 ロストグラフの国民より肌が浅黒く、乾燥している。

 ここの管理人だろう。

 痩せているが背は高く、ちょび髭を指先でいじりながら目尻に皺を作っている。


「わたくし、マハラン屋のレキネンと申します。ロストグラフの方ですな。先日ここへ来た方からお聞きしましたよ。ずいぶんと大変だったそうで」


「はい。二年もの間、国を乗っ取られていましたから……──」


 答えながら、おや、と思う。


 レキネンと名乗った男には、明らかに変な点があった。


 頭の上に“数字”が浮いているのだ。


 始めは錯覚かと思ったが、まばたきをしても顔を動かしても、変わらずそこにある。


 ローマ数字で、「100001」。


 俺がいぶかしんでいると、レキネンはおっとりと数字を指差した。


「はは……やはりこれが気になりますかな」


「ああ、いえ、その……まあ。何でしょうかそれは。魔法ですか?」


 それともジャルバダールじゃ普通なのだろうか。

 誰からもそんな話は聞かなかったが。


「わたくしらはこれを『国民順位ランゴ』と呼んでおります。ジャルバダールの全国民に付与された、国民としての順位・・でございます」


 ……『国民順位ランゴ』?


 順位?


「私にも詳しい原理は分からんのですが、お客様もジャルバダールを訪れるおつもりならば、この恐るべき法・・・・・を知っておかなければならんでしょう。もし時間がおありでしたら、少し話をして行かれませんか」


 一瞬は躊躇ちゅうちょしたが、彼に敵意は見られない。


 異国の法……それも国民に順位付けをする、奇妙なしきたりだという。


 「恐るべき」、とも言った。

 恐怖に立ち向かえるのは知識しかない。

 知識を肥やすのは、透明人間の一番の武器なのだ。


 むしろ渡りに船だと、俺はその提案を受けることにした。


「……それはありがたい。私はロストグラフの特使、ツキトと言います。こちらは付き添いのニュト。ジャルバダールに来るのは初めてですので、ぜひご教授願えますか」


 するとレキネンは穏やかに頷き、幸いにも、あの巨大動物たちが見下ろす場所から管理人室へと案内してくれた──。

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