第39話 「フコロ村の騒動・後編」

 ニュトが岩の隙間に体を滑らせると、スルリと向こう側へ抜けたようだった。

 人が現れて驚いたのか、今までずっと続いていた子供たちの悲鳴が一瞬、ピタリとやむ。


 今だ。


 二次災害の恐れが無い今のうちに、この大岩を動かそう。


「皆さん、松明でこの岩をしっかり照らしてください。それから男の方は岩を押さえて。村長、あなたはツルハシを用意し、この岩をよく見てください。今から──私が壁を消します・・・・。出っ張りの場所を見極めてください」


 群衆がざわつく。


「この岩壁を消す?」


「そんなこと出来るわけが……」


「そもそも誰だこの人」


「村長の客人らしいが、仮面で顔も見せないし……」


 不安なとき、人は更なる疑心に陥る。

 それが人間というものだ。多少の中傷は見逃そう。

 だが、今はニュトが命懸けで子供たちをなだめているのだ。

 彼女が作ってくれた時間を無駄にするほど俺は寛容じゃない。


「ウッドを……ウッドを助けてくれるんですか!? ハンナも!」


「どうかお願いします、二人を助けて!」


「お願いです!」


 流れを変えたのは子供たちの親だった。

 わらにもすがる思いなのだろう。当然だ。


 俺は岩にほど近い岩壁に手をつけると──意識を集中させた。


 この岩壁は、俺の一部だ。


 この手の延長にあるものだ。


 さあ──透けろ!


 脳内で「シェード・オフ」のスイッチをパチリと入れた。

 松明の火に赤く照らされた大岩の周囲が見る見る内に透けていく。

 村人たちのざわつきは、大きなどよめきに変わった。


「おお……なんと……。──見よ、皆の衆! 我らが愚かにもツキト殿を疑う中、この方は奇跡を起こしてくださったぞ! ここで力を合わせずして、フコロ洞の守人もりびとが務まるか! 我らの誇りに懸け、必ずこの岩を動かすのだ!」


 バッカニー村長が一喝すると男たちがわっと集まり、しっかり岩にしがみついた。


「地面はこちらへの下り坂、出っ張りをすぐに削り出そうぞ!」


 村長はカッと目を見開き、数秒の間、目玉をあちこちへ動かした。

 やがて目玉はピタリと止まる。


「──ツキト殿、もう大丈夫です。壁を戻していただけますかな」


 言われた通りにシェード・オンすると、彼は右手に握った小さなツルハシをカツンカツンカツン、とリズム良く振り、岩と壁とを手早くかつ慎重に削り始めた。

 さすが洞窟と共に生きてきた人たちだ。その作業は実にスピーディで、男衆もまた村長の邪魔をしないよう岩を押さえるのに手慣れていた。


 おそらく、五分も掛からなかっただろう。

 カンッ、と短い音が跳ね、バッカニー村長が後ろへ飛び退くと、やがてゴリゴリと壁を削りながら岩が動き出した。


「そーれい!」

「そーれい!」

「そーれえぇい!」


 男衆が大岩をさながら大玉ころがしのように動かして、そばの岩壁へ押し付けた。

 あっという間に、元通りの横穴が現れた──。


「ウッド!」

「ハンナ!」

「ニュトおぉーっ!」


 みっともないことにウッドやハンナのご両親より早く、俺は横穴に飛び込んでニュトの元へ駆けつけた。


「ニュトっ! ニュトっ! 大丈夫かあ!?」

 恐らく鼻水と、ちょっと涙もちょちょ切れていただろう。顔が見えなくて幸いだ。

 穴の奥でいい子に待っていた三人からニュトを見つけると、俺は有無を言わせず抱きしめた。


「ちゅきとー」


 ニュトは不安ひとつない穏やかな笑顔で、まふっと抱きしめ返してきた。


「おがあざんっ!」

「ままーっ、ぱぱーっ!」


 ウッドとハンナもそれぞれの親へ飛びついた。

 どちらも少々汚れているが、ケガも無いようで良かった。


「さあ皆、一度外へ出ましょう。落石があったばかりだ、用心するに越したことはない」


 バッカニー村長が呼び掛けると、村人たちはぞろぞろと洞窟の外へ出て行った。

 俺も大活躍したニュトを抱き上げる。

「よくやったな、ニュト。ありがとう、助かった。外まで俺が連れて行ってやるよ」


「うん。ニュト、やった!」


 ニュトはギュッと俺の襟元に掴まると、にっこり笑った。


**


「──ツキト殿、ニュトちゃん、本当にありがとうございました。何とお礼を言ったらいいか……。お二方がいなければ、ウッドもハンナも閉じ込められたまま、我々も危ない橋を渡るしかなかったでしょう」


 洞窟の外で集まった村人たちの中からバッカニー村長が前へ出て、深く頭を下げた。


「ツキト様、ニュトさん、ありがとうございました……!」

「ありがとうございました」

「このご恩は一生忘れません!」


 ウッドとハンナの親御さんもお辞儀をする。

 彼らがほら、と子供たちの背中を叩くと、泥で顔を汚した二人が前へ出て、「ありがとうございました」と殊勝な顔でお礼を言った。

「すごく怖かった……もう絶対に洞窟で遊ばないよ」

「私たち、ニュトちゃんが来てくれて、二人だけじゃないって安心したの」

「うん。ありがとう、ニュトちゃん」

「ありがとう」


 ウッドとハンナがニュトにお礼を言うと、先ほど俺の腕から降りたニュトがニコッと笑い、「どういたしまして!」と元気よく返した。

 子供同士はすぐ仲良くなるって言うけど、あれ本当だな。

 もっとも、よく見るとこの二人、ニュトよりも少し年上みたいだけど。


「とにかく子供たちが無事で良かったですよ。それは俺やニュトだけじゃなく、バッカニー村長の見事な技術や皆さんの協力あってこその結果でした。子供のために大人が必死になる。とてもいい村ですね」


 思ったままを言ったのだが、バッカニー村長が突然目頭を押さえて嗚咽を漏らすので俺はびっくりした。


「ありがとうございます……子供が少ないフコロ村で、彼らは村の宝なんです。国王陛下がツキト殿とニュトちゃんを遣わされた理由、今ならば一層よく分かります。ツキト殿は不思議な力をお持ちのようですが、ご安心ください。国の要所を守り続けてきた我々の中に、恩を忘れて他言するような者はおりません」


 そう言われて安心する。

 さっきは緊急事態だったためにやむをえずシェード・オフを使ったが、「世界に線引きする力オルヒナ」の多用は危険だ。

 俺にはこの力しか無いから、手の内がバレることは戦う武器も身を守る鎧も剥がれてしまうということだ。


 まあしかし使い続ける限り、いずれは「透明人間」の存在だって知られていくだろうから、今後はそれに応じたやり方を考えなければならないだろうが。


 それから他の村の人たちも、俺たちにお礼を言ったり、つい中傷してしまったことを謝ったりしてくれたんだけど、俺は安心したらまた急に睡魔が襲って来た。

 ニュトも同じく空腹を思い出したみたいで、ぐ、ぐぅー……と切ない音を出した。


 するとバッカニー村長が気を回してくれた。

「ほらほら皆、ツキト殿もニュトちゃんもお疲れだろう。なにせ村に来てから休む間も無く働いてくださったのだから」


 その前に村長の話が一時間ほどありましたが……とはさすがに言えない。


「もう遅いですが、精一杯のごちそうとふかふかのベッドを用意しますのでぜひ疲れを取っていってください」


 ニュトは俺を見上げると、ゆるんだ笑顔を見せた。


**


 フコロ村唯一の宿、「フコロ宿」は何のひねりもない名前だが、料理は工夫がほどこされ申し分なかった。

 村で採れた葉野菜、根菜を盛り合わせたサラダに、トウモロコシのスープ、狩に出ていた男衆がさばいた贅沢な肉料理、豆の付け合わせまであり、間違いなくこの村で最上のおもてなしだろうと感じた。

 ちなみにバッカニー村長が振る舞おうとしてくれた地酒については、まだ飲酒の経験が無いので丁重にお断りした。


 お腹が満たされ、いよいよ睡眠欲が獰猛どうもうになってきたころ、村長の勧めで風呂に入れさせてもらった。

 ゆったりと湯船に浸かると全身の力が抜けて、もはやまぶたが持ち上がらなかった。


 それでもなんとかクタクタの体を引きずるようにして寝間ねまに辿り着くと、約束通りのふかふかのベッドが用意されており、暖かな蝋燭の灯がとろりと揺れていた。


 ここは天国だ、と思った。冗談じゃなく。


 ふわん、とかぐわしい匂いが鼻先をかすめていく。

 香木こうぼくが焚かれているようだ。

 部屋には誰もいないはずだったが、俺のために用意してくれたであろう奥の大きなベッドに誰かが腰掛けていた。

 俺は疲れと眠気で朦朧もうろうとしていて、油断したまま近づいてしまった。


「ニュト、おやすみー……」


 視界に入っていない彼女にそう挨拶し、スーッとベッドに倒れ込もうとすると──


 ──ぱふっ、と、なにやら柔らかい感触に受け止められた。


 なんだろう?

 もう確認するのもダルい。


 しかし顔を上げたとき、もう一度まぶたをこじ開けざるをえなかった。


「こんばんは……ツキト様。今宵ひと晩寝間を共にいたします。どうぞよろしく」


 !?


 体がピキピキと固まってしまったのも無理はない。

 暗がりに浮かぶのは半裸の妖艶な美女で、それがレースみたいな薄布だけで胸を隠し微笑んでいたのだ。


「……は? あの……は?」


 状況が理解できない。

 だが美女はこちらの狼狽ろうばいなど気にせず、甘い声で囁く。


「ツキト様はこういった経験は初めてですか? ひょっとしてまだお若いのかしら……それとも奥様にご遠慮を?」


「は、いえ、俺は結婚しておりませんが」


 しどろもどろにもつれる言葉は、なんとも情けない。


「ではあちらのお子様は娘さんでは……」

「ないない、ないです。家族みたいなものですが、血縁者では……」


 慌てて言うと、美女は片眉を上げて、ふむ、と一瞬考え込み、これからまた微笑んだ。


「──……奥様でないのなら女の一人や二人、甲斐性というものでしょう。ご安心なさいませ。村長からすでにお代は頂いております。私もこれで食べている身、恥をかかせるおつもりですか?」


 ──そうか。

 そういう文明か、ロストグラフ。


 以前の世界でも、一夫一妻制になったのは近代からだ。封建社会じゃ一夫多妻が常識だったし、商売女を買う、というのは現代であってもよく行われていることだし、商売に貴賤は無い。

 戦争の前には商売女を買って英気を養う、みたいな話もそんな昔のことじゃないだろう。


 一夫多妻。

 あるいは買春。

 俺だって聖人君子ではないし、かつての日本のモラルに縛られる必要も無い。男として憧れが全く無いかといえば嘘になる。

 だが……愛の無い関係というのは、いかがなものだろうか。

 一夫多妻の国だって、それぞれの妻を平等に愛するのが基本だったのではないか。でないと夫の方が村八分にされるだろう。


 俺も男。

 ニュトが一緒の道中では、当然自家発電・・・・だって控えている。

 体は疲れ、体内は温まり、眠気は抵抗力を抑えて、美女の囁きに肯定しかけている。


 いいだろう、別に。

 ここで童貞を捨ててしまえ。

 いや、それは待て。

 お前に愛の告白をしたブリガンディに失礼じゃないか?

 自分勝手に断りながら、ここで愛の無い行為をするのか。


 いや断ったのなら恋人じゃない。

 何も後ろめたいことはない。


 いや後ろめたいわボケ。


 なら一生童貞でいろ、アホ。


 ──いかん、脳内の天使と悪魔の争いがどんどん低レベルになってきた。


 ああ、しかし。

 もはや美女に抗う思考も、力も残ってないのが現状なのだ。


 まぶたがゆるゆると閉じてくると、美女は俺の服に手をかけた──


 ──が、その時。


 くいくい、と、誰かが俺の袖を引いた。


 誰か、ではない。

 ニュトだ。この部屋にはもう彼女しかいない。


「ちゅきと……」


 のたりと首をひねり、やや後方を見下ろす。

 すると、ニュトが眠そうにまぶたをこすりながら、それでも俺の方を心配そうに見上げていた。


「ニュト……い、いや、これはその……だな」


 思わず言い訳が口から出かかったその瞬間、ニュトがモゴモゴと言いづらそうに口を動かしてるのを見て、ハッと察した。


 何を葛藤かっとうしていたんだ俺は。


 行為もクソも無い。


 俺は裸になれない「透明人間」じゃないか──。


 ああああああっ──!


 頭を抱えて悶え苦しむ。


 理解不能だ。

 なんで俺はこんなに馬鹿なんだ!

 半年間付き合ってきた自分の体のことを、いまだに理解していないのか。

 むしろニュトに気を遣われてしまうのか。

 もちろんニュトも、裸になることの本来の意味は知らないだろうが、俺の危機であることは知っているのだ。


 透明人間ゆえに童貞捨てられず。


 この体質を憎むのは、これが初めてのことかもしれない。


 いや、あるいは助かったのかもしれないが……。


 まあどうでもいい。

 とにかく眠い。

 眠いんだよ俺は。


「……あの」


 美女の胸元で俺はもにょもにょと告げた。


「……添い寝してもらうのでもいいですか」


 美女はくすっとおかしそうに笑い、「可愛い子、まだ若いのね」と大人の余裕を見せて俺の手を引いてくれた。

 もう片方の手はニュトがしっかり握ってる。


 そして俺は、何が何だかよく分からない思考と嗜好の迷路に陥り、暗転して、明滅しながらも結果──ぐっすり眠ることが出来たのである。

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