第38話 「フコロ村の騒動・前編」

 フコロ村に着いたのは、予定通り旅立ってから五日目、日も暮れかけた夕方ごろだった。


 ひなびたイギリス北部の田舎、とでもいう表現がぴったりの穏やかな村だったが、入口に「ようこそフコロ村へ」とデカデカと書かれた看板が立っているのは観光地みたいで思わず笑った。


 草原街道の道中では結局大きなトラブルもなく、現れた獣も狼に似た二本角のやつが一匹だけで(それでも怖くはあったが)、そいつも火を見て離れて行った。

 だが早く村へ着きたいという思いはあった。


 寝不足なのだ。


 やはり半分起きつつ半分寝ながら、火の見張りを五日間連続でやるというのは厳しい。

 とにかく安全な場所で寝られたら今はそれだけで満足、というほどだった。


 仲間が欲しいな、と思う。

 見張りを任せられるくらいタフな仲間が。


 音を上げるのが早いかもしれないけども。


 フコロ村はロストグラフ王国の一部であり、年貢や徴兵は特に無いが、代わりに「フコロ洞」の管理を任されている。

 フコロ洞は天然の洞窟であるがゆえに、いつの間にか知らない穴が開いていたり、毒蛇の巣が出来ていたりする。

 そうした危険を通行ルートから取り除くため、入口から出口まで毎日数人で見回りしているそうだ。

 往復で三日かかるので、洞窟内に休憩所を設けて駐在している人もいるらしい。


 ちなみにロストグラフとジャルバダールがまだ戦争をしていたころは、洞窟の出口を内側から閉じてしまい、ジャルバダール兵を通らせないようにしていた。

 フコロ洞はロストグラフへの最短ルートになるため、国の急所でもあるというわけだ。

 その管理を任されているというのだから、フコロ村と国との関係は強いものがある。


 グランデル王も年に一度は村長むらおさを直接訪ね、日ごろの勤めをねぎらうと言っていた。


 とはいえこの二年はボドによる圧政のためフコロ村は捨て置かれ、城や城下町からは隔絶されていた。

 村だけでも最低限の生活は出来ていたようだが、不安な日々を送っていたことだろう。


 例えば、豊富な薬があるわけでも名医がいるわけでもない。万が一のときにもみすみす諦めるしかないのだ。

 村には娯楽が少ないだろうし、たまの贅沢だって出来なかっただろう。


 ロストグラフ解放の際にはフコロ村からも代表者が早馬を飛ばして駆けつけ、それはもう大喜びしていたとブリガンディに聞いた。



 門をくぐり、村長の家を探す。

 個人的にはさっさと宿へ行きたかったが、特使として挨拶に行くようグランデル陛下には勧められていた。


 村の風景は実にのどかで、家、畑、家畜小屋、畑、畑、家、畑……といった具合に家が占める割合が少ない。

 家の造りはロストグラフ城下町と同様のレンガ素材で、二階建て以上の建物は数軒しかない。


 交通の要所である割には栄えていないが、狭い洞窟を通るルートは交易の要所にはなり得ないのだろう。

 あるいは最近まで戦争やボドの支配があったせいかもしれないが。


 村のメインストリートらしき南から北へ伸びる一本の道のみが石畳で、あとは土と草むらだった。

 メインストリートの最奥、村の北の端っこに大きく口を開けているのが、フコロ洞だろう。

 高さ四メートルほどの入り口の周りにはランプが掛けられ、二人の見張りが椅子に座っているのが遠目に見える。


「あっ」


 不意にニュトが声を上げたので「どうした?」と訊ねた。


「すぅぷのにおいがすゆ!」


 くんくん、と鼻をひくつかせると、たしかに温かい匂いが鼻腔に漂ってきた。

 湯気の元を目で追えば、少し先に大きな三階建ての建物がある。たぶん村で一番大きい。


「あれが宿屋かな。ちょうど夕飯の仕込み中ってところか。後で行こうな」


「うん!」


 ニュトはお腹をさすさす撫でながら元気に頷いた。


 久々のちゃんとした料理だ。

 早く腹いっぱい食べさせてやりたいな。



**



「いやぁ、噂には聞いとりましたが、そんな大激戦があったとは驚きですなあ!」


 ぶわははは、と笑ってフコロ村の村長であるバッカニー氏はあごヒゲを撫でた。


「鎧を着込んだシスティーユ様が英雄ボドと真っ向勝負! ルファード様の弟分ともいえるバスターク様と、ヘイルデン様に師事されていたブリガンディ様が、お二方の遺志を継がんとばかりに姫様をお護りする!」


 バッカニー村長はやおら立ち上がり、エイッ、ヤアッ、と一人芝居に興じる。


「そしていよいよボドを倒すも、その英雄と手を組んでいたのは──いやはや何たることか、あのアレクトロ将軍であった!」


 彼は体をのけぞらせ、口元を手で覆い目を剥いた。

 この人、素面しらふのはずなんだが。


「アレクトロ将軍はここで三人を亡き者にしようと企むが、なんと城の外にはファンダリン様によって病床より救われたグランデル陛下のお姿が! 驚愕する将軍の前で姫様は兜を脱ぎ、そのお美しい姿を民衆の前にさらす! まさか! 姫は亡くなったはずでは──アレクトロ将軍がそう思った一瞬の隙を突き、姫様は将軍を一刀のもとに斬り伏せたのだ! ずばぁっ!」


 村長は袈裟懸けに斬る振りをして、ピタリと動きを止めた。


「……」


「……」


 俺もニュトも黙っている。


「──なはははは! すごい! これはすごい! ロストグラフの新たな伝説ですぞ、なあツキト殿! ぐわっはっはっは!」


 バッカニー村長は顔を上げ、バンバンと俺の背中を叩いた。

 痛い。

 悪い人じゃないんだが、痛い。


「いやー、ツキト殿も城の外からまさにその光景を見られていたというのだからうらやましい! アレクトロ将軍が裏切者だったというのはショックではありますが、民の心の傷は時間が癒してくれましょう。今は国の解放を喜ばねば! ──ボドが焼け死んだというのは本当ですかな!? 復活した姫様はどれほどお美しかったのですかな!? さあ、さあ、ぜひもっとお話しくださいませ、ツキト殿!」


 ツバ、ツバ飛んでるって。


 ちょっと挨拶するつもりが、ロストグラフの現状を訊かれてこのざまだ。

 団子鼻にあごヒゲの小太りなオッサンで、お人好しそうではあるがいかんせん離してくれない。

 かれこれ一時間は経つだろうか。


 眠いんだが……。


 くきゅるる……と、悲しい音が横から聞こえた。

 見ればニュトがじっと黙ったまま、その視線を床に落としている。


 おいツキト、ニュトにひもじい思いをさせていいのか?

 そろそろ切り上げるべきだろう。

 俺はまぶたが重いし、ニュトは空腹が限界だ。


「バッカニー村長、俺たちはそろそろこの辺で……」


 と、ようやく覚悟を決めて腰を上げようとした時だった。


 バン、と扉を強く開け、村人が大慌てで飛び込んできた。


「──そっ、村長大変だ! ウッドとハンナが閉じ込められた!」


**


 松明を掲げた村人たちとフコロ洞へ入ると、洞内にも灯りが点在しており、入口から二十メートルほど先にある横穴が崩れているのが見えた。


「あれほど横穴へ入るなと言っていたのに!」


「今さら言ってもしょうがないだろう!」


「二人は無事なのか!」


「声は聞こえます!」


 村長を始め村人数十人ほどが、小声で言い合いながら横穴のそばへ集まる。

 大声を出さないのは落石を注意してのことだろう。


 ここへ来るまでに聞こえた話をまとめると、どうやらウッドとハンナというフコロ村の子供たちが洞窟の入口付近で遊んでいるうちに、落石で横穴へ閉じ込められてしまったようだ。


 俺も何か出来ることはないかと思い、ニュトを一人にするわけにもいかないので、二人でバッカニー村長についてきた。


「うーむ……これは難しいな」

 松明に照らされた大岩を見て、村長は苦い顔をした。

「隙間に棒を突っ込んで、岩を転がせないか?」


「試してみましたが、駄目です。岩のどこかの出っ張りが壁に引っ掛かっているようなのです」


「その出っ張りをツルハシで崩せば……いや、駄目だな」


「はい、村長。おそらく出っ張りはこちらから見えません。引っ掛かっている場所だけでも見えれば崩しようもあるのですが、下手に周囲を壊して第二の落石を起こしてしまったら二度とウッドたちは救えません」


「参ったな……」


 バッカニー村長はまたあごヒゲを撫で、眉間に深いシワを作った。


 そこへ「ああああ!」というような無我夢中の悲鳴が飛んで来た。


「おがあっ、ざっん! おがあざっ……ぐらいよおっ!」

「ままぁーっ! ぱぱぁーっ! こわいよおおーっ!」


 ややこもっているが、助けを呼ぶ声だった。

 子供たちが、村人の救助が来たのを察したのだろう。


「ウッド! 今助けるからね!」

「ハンナ! 叫ぶとまた崩れるかもしれんぞ!」

「必ず助けるからいい子で待っていて!」


 彼らの両親らしき声がそばから聞こえる。

 しかしこちらの声は泣き声でかき消され、子供たちはわめくのをやめない。


 声は音だ。音は振動だ。

 小さな振動が動かした小石が、ゆくゆくは大きな岩を動かすかもしれない。

 こういう時に怖いのは二次災害なのだ。


「おがあざーんっ!」

「ままあぁっ! ぱぱぁっ!」


 しかし子供たちは泣き止まない。

 大人たちも大声は出せない。

 カランッ……と天井から小石が落ちて来て、村人たちも焦り始めた。


 俺には、ひとつ考えがあった。

 今すぐにでもそれを実行したいのだが、まずはウッドとハンナを泣き止ませるのが先決だろう。

 ふと。

 くい、とニュトが服の裾を引っ張った。

「どうした?」

 俺が尋ねると、彼女は岩と壁の小さな隙間を指差し、それから自分を指差した。


「ニュト、とおれそお」


 ──。


 ま、待て。


 待て待て待て。


 通れそうって、あの穴の向こうに行くつもりか?

 たしかに岩と壁の隙間は、ニュトならなんとかくぐれる隙間かもしれない。

 ほかに行けそうな人もここにはいない。


 だが、危険すぎる。


 ニュトまで閉じ込められたら犠牲が増えるだけだ。

 落石で潰されてしまうかもしれない。

 酸欠で窒息してしまうかもしれない。

 最低な考えではあるが、ウッドとハンナが死んだとしても、ニュトを失うよりは……──


 しかしニュトは無垢な眼差しで、俺をまっすぐに見上げた。


「ふたりに言ってあげゆの。ちゅきとがいるからだいじょぶって。ぜったい助けてくれりゅって!」


 ……。

 …………。


 改めて自問する。


 今ここで子供を見捨てた俺が、果たして他の魔女たちを救えるのか?


 この先もニュトを護れるのか?


 ニュトは俺を信じてくれたぞ。

 ツキト・ハギノ──

 ──お前はどうする。


「ニュト、少しでも揺れたらすぐ戻るんだぞ。いいな」


「うん!」


「バッカニー村長! ニュトに二人をなだめて来てもらいます。岩と壁の間で引っ掛かっている部分がどこか分かれば、周りを刺激せず出っ張りを削れそうなんですね?」


 村長はやや困惑気味な顔で首肯しゅこうした。

「岩の扱いはフコロ村の大人なら誰でも心得ております。男衆が岩を押さえ、私が専用の小さなツルハシで慎重に削ればすぐにでも岩を動かせるでしょう。ですが、特使であるあなたがたに危険なことをさせるわけには……」


「あなたはロストグラフ国民である前にフコロ村のおさでしょう。ならば考えるべきことはひとつのはずです」


 強くそう言い放つと、バッカニー村長は口を引き結んで頷いた。


「たしかに……その通りです。ツキト殿、ニュトさん、お願いできますかな?」


 俺たちも決意の表情で頷き返した。


「行ってくれ、ニュト!」

「あい!」

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