間話1

第37話 「新たな旅立ち。全てが冒険の手触りだ」

 花月の六十日。ロストグラフでの月末。

 相変わらずの曇天。

 所によりヒビ割れ。

 風は穏やかで、花の香りがする。


 振り向いても、もうロストグラフの北東門は見えない。

 高い丘の上にそびえ立つ立派な城が俺たちを見送ってくれるようだった。


 視線を戻せば、北東へと真っ直ぐ続く石畳の道。「草原街道そうげんかいどう」。

 西には広大なユナシア大平原が広がる。


 生まれて初めて、地平線というものを見た。

 風が草の上を滑り、波の形を作る。


 なんとも清々しい旅立ちだ。



「ふん、ふん、ふふん」


 五メートルほど先で、鼻の詰まったような幼い声で、鼻歌を歌っている少女が一人。

 定まったメロディーがあるわけじゃなく、ただ今の気分をそのまま口ずさむような歌だ。


 踊るように走り回り、ひらりと飛んではあっちへ行き、とことこ走ってはこっちへ行く。

 そりゃもう落ち着きが無い。

 道端に咲いてる花をしゃがんで見ているかと思えば一緒にゆらゆら揺れたり、ちょうちょがヒラヒラ飛んでいればその後をちょこちょこ付いていく。


 うーん。

 八歳にしては幼いよな、やっぱ。

 ああいうのは未就学児のときにハマるものだと思う。


「ニュト、あんまりチョロチョロしてると転ぶぞー」


 彼女を呼ぶと、ハッ、とこちらを振り向いて、全速力で走って来る。

 まるで元気な仔犬だ。


 おいおい危ないぞ──と思った時には、もうドーンとぶつかっていて、

 彼女の小さな体が、俺の全身にしがみついている。


「ちゅきと! あげゆ!」


 相変わらず舌ったらずな口調でニュトが差し出したのは、タンポポみたいな鮮やかな黄色い花だった。

 いかにも春らしい色だ。


「ありがとう、キレイだな」

「うん!」


 年齢に比べて幼いとか、どうでもいいな。

 こんなまっすぐで純真な子がいるっていうだけで奇跡なんだ。


 花を帽子の網目に差すと、俺たちはまた歩き出した。


 ひと月前の死闘がウソのような、のほほんとした旅路だ。

 何より、ニュトが笑って、はしゃいで、走り回っている。

 これより素晴らしいことなんて、人生において無いだろう。


「あおれいし!」


「ちゅかむ!」


「ぷるあっくしゃ!」


 すごいのは、ニュトが色んな草花の名前を知ってることだった。

 あれこれ指を指しながら、名前を言っている。

 多分。

 いや、彼女が舌ったらずな上に、この世界の花のことなんて何も知らないから、それが合っているのかどうかは俺に判断できないが。

 地球で見慣れたのもあれば、全く知らないのもあるんだよな。


 でも彼女は森育ちだから、きっとご両親に教えてもらったんだろう。


「すごいなニュト、色んな花のこと知ってて」

「えへへ、うん!」

「アオレイシってのはどれだ?」

「そのくしゃいの」

「チュカムは?」

「虫さんがいっぱいの」

「……プルアックシャってのは?」

「黒いの。さわっちゃだめだお。くしゃみがとまらないの」

「…………」


 なんか、変な花ばっかだな。


「ニュトは個性的な花が好きなんだな」

 感想をオブラートに包んで言った。

「こせいてき?」

「ちょっぴり変わってるってことさ」

 するとニュトは、元気よく頷いた。

「えへへ、うん!」


 いい返事だ。

 変わった花が好き。大いに結構。

 文句なし。最高!


 ところで、くしゃみが止まらないって本当なんかな。

 花粉症も鼻炎も縁が無いので、ちょっと興味があるぞ。


 そう思って、少しだけプルアックシャの花を揺らしてみたのが間違いだった。


「ぶるぁっくしゃーい!」


 人生最大級のくしゃみが出た。


「ちゅきとー、たいへんたいへん!」

「ばっくしゃ! べっくしょ!」

 ダメだ、止まらん。


 それから五分くらいくしゃみが止まらず、俺の鼻をかんでくれようとするニュトを、飛び散る唾から遠ざけるのに必死だった。


 好奇心は猫を殺すな。


 ふいー。


「……ちゅきと、だいじょーぶ?」

 ニュトが心配そうな顔で覗き込む。

 自分が紹介した花だからと罪悪感を覚えたのかもしれない。

「全然へーき。もうへーき」

「……」

 にひひ、と笑って見せたが、ニュトはうつむいてしまった。


「……ごめんなしゃい」


 そうか。


 これは、あれか。

 単に花のことだけじゃなく、この旅についてきたことを、まだ悪いと思っているのかもしれない。

 いつも以上に元気なのも、俺と一緒で嬉しいからというだけじゃなく、心配をかけさせないようにしているのかも。


 真面目な子だなぁ。

 俺と違って。


 俺は臭いと噂のアオレイシを摘み取り、その花を揺らすよう、ニュトの方へと手で扇いだ。


「!? ──くしゃい!」


 ニュトは鼻をつまんでそっぽを向いた。


「あははははっ! これでおあいこだな、ニュト!」


 プルアックシャは自分で嗅いでおいておあいこも何も無いのだが、これで少しはニュトの罪悪感も薄れるだろう。

 俺はさっきニュトがくれた、帽子に挿した花をちょいちょい、といじった。

「しつれい、あまりにもお嬢さんがカワイイのでからかってしまいました」

 花がおじぎする。

 それを見てニュトは、嬉しそうにえへへ、と笑った。


 彼女と一緒に旅をすることを選んだのは俺なのだ。

 俺だって本心じゃニュトといたかったんだ。

 彼女だけの責任にするのは卑怯だよな。


「はちゅあちゅ、ふるん、めろとっぽ」


 ようやく落ち着いて旅の再開。

 またニュトが謎の呪文を唱えるのだが、今度はどうやら虫を指しているようだった。

 俺、虫、苦手なんだよな。


 あまり考えないようにしていたけど、ロストグラフは割と虫も多かった。

 牢獄もそうだし、食堂や中庭にも出た。

 あのシスティーユだって、蚊みたいな虫に刺されても平気な顔して、刺されたあとを髪で隠すくらいだったから、みんな慣れちゃっているんだろうな。

 ニュトなんて触って喜んでいるくらいだし。


「ハチュアチュって、どれ?」

「このウゾウゾしてるの」

「……フルンは?」

「この毛むくじゃらの」

「メロトッポ……」

「いちばんかわいいの!」


 ニュトがひっつかんで差し出したのは、見るからにやばいやつだった。

 慌てて、うぇっ、と顔を背けたのだが、悲しいかな、すでに脳裏に焼き付けられてしまった。

 つるんっ、とニュトの手からめろとっぽが抜け出る。

 ぬるぬるなんだよ。

 とにかくぬるぬる。

 ウナギみたいな虫。

 めろとっぽ……やばいめろとっぽ……。


「……ニュト、やっぱり変わったのが好きだから、俺も好きなのかな?」

 さり気なく自虐的なイジワル質問をしてみる。

「んう? ちゅきとはちゅきとだからすきー。いちばんしゅき!」


 OK!

 最高!

 俺も愛してるぜ!


 ──と言いたかったが、ニュトが他にも奇怪な花や虫を握ったままだったので、素直に喜べなかった。

 なんだこの天国と地獄の融合は。

 これが混沌カオスか。



 そんなイベントもありつつ、草原街道の旅はおおむね穏やかに進んだ。

 盗賊が出たらこれを見せなー、とブリガンディの証文をもらったり、

 モンスターが襲ってきたらとにかく眉間を殴るっす、とバスタークの強者理論を聞かされたり、

 ケガしたときに塗りなよとファンダリンから怪しさ満点の紫色の液体を渡されたりしたが、幸いどれも使う機会は無かった。


 そしていよいよ初日の夜。

 初めての野宿だ。


 最初ということもあって気合いを入れていたおかげか、テントの設営はスムーズに進んだ。

 まあ棒を立てて布を被せるだけだからな。

 ニュトにも手伝ってもらった。


 しかし焚き火を作るのは非常に大変だった。

 まず火起こしが重労働だ。

 火打ち石と鉄の破片を合わせて火花を飛ばし、それを消し炭のいわゆる火口ほくちに点火させるわけだが、なかなか大きな火花が出ないし、出ても上手いこと火口につかない。

 汗だくになって体感一時間、ようやく火がついた。

 中世の人は火を絶やさないってよく聞くけど、あれけるのがめちゃくちゃ大変だからなんだな……。


 早めに休憩に入ったつもりだったが、テントを立てて大きな焚き火が準備できた頃には、辺りはもう夕焼け色になっていた。


 とりあえず初日は手持ちの食料を食べる。火はあくまで獣よけだ。

 草原街道は交通の要所のため獣も少ないそうだが、国交が断絶されて二年だ。ヤツらも人が通らないと安心し、うろついているかもしれない。

 ニュトと二人でパンと干物を分け合い、少しの水を飲んで腹ごしらえをする。

 この世界の飯はまずくて固くて少ないんだが、へとへとの体でニュトと一緒に食べるだけでとても美味しく感じるのだ。


 腹ごしらえを済ませたら川で食器を洗い、体を拭いて、テントに戻ればもう夜だ。


「おやちゅみ、ちゅきと」


「ああ、おやすみ」


 ニュトは横になったまま、猫みたいに俺の体の真ん中で丸くなる。

 俺は彼女を包むように抱きしめた。


 穏やかな旅の初日。

 悪くない一日の終わり。


 ニュトが寝息を立てると俺は体を起こし、外に出て焚き火の前に座り込んだ。

 何か起きてもすぐ対応できるよう、ここで半分起きながら仮眠を取るのだ。

 キツいのはハナから承知の上だ。


「はっくしゅ!」


 ういー。


 やっぱ春になっても夜は寒いな。

 薪、増やそ。


 くしゃみ……くしゃみか。


 ちら、と視線を投げると、近くの木の根元に昼間の「プルアックシャ」が咲いていた。

 珍しい花でもないんだな。

 まあ以前の世界で花粉症の猛威を振るっていた杉だって、別段レアな植物ではないわけだし。


 ふむ、と思いついて、プルアックシャを何本か空いている皮袋に詰めた。

 何かの役に立つかもしれない。


 そうだ。

 ここは社会に守られた世界じゃない。

 獣はいるし、人さらいや山賊だっているだろう。

 夜にぐっすり眠れないくらいで弱音を吐いている場合じゃない。

 出来ることは何でもするんだ。

 役立ちそうなものは何でも試すんだ。

 人をひとり守りながら冒険するというのは、そういうことだ。

 いつも楽しい道中なはずがない。

 自分のせいで彼女を死なせてしまう可能性もある。

 考えたくないけれど、考えなければいけない。


 ぱち、ぱち、と火が弾ける。

 感じるもの全てが冒険の手触りだ。

 生々しく、野生的で、静かだ。


 揺れる焚き火に目を細めながら、とろとろと夢うつつを行き来した──。

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