第33話 「真の英雄」

 グランデル王とシスティーユ姫は体を離したあと、アレクトロの遺体を静かに見下ろした。伏目がちに何かを思う様は、まるで黙祷しているようだった。

 アレクトロを倒したことで手放しに喜べる俺とは違い、複雑な気持ちが彼らに去来しているのだろう。


 その後グランデルとシスティーユが二、三、言葉を交わしていると、ガシャ、ガシャ、と音を立て、十四人の兵士が歩み寄ってきた。

 「親衛隊」──人質を取られてボドの手足となり、部下ともどもロストグラフに背を向けてきた者たちだ。

 彼らはボドに怪しまれないよう、作戦が終わるまで王と姫に直接会うことが出来なかったのだ。


 兵士たちは二人の前に膝を付くと、深く、深くこうべを垂れた。

 シュルツ──以前はルファード大将軍の右腕として国を支えてきたスキンヘッドの男が、代表して口をひらいた。


「……陛下。姫様。ボドの言いなりになって悪事に加担したこと、申し開きもございません。部下たちに無理を強い、国境の封鎖や、罪も無き民を弾圧してきたのも我らでございます。一同、すでに覚悟は出来ております。どうぞ厳粛なる処罰を」


 そう、彼らは死罪になるつもりで、最後の罪滅ぼしとして今回の作戦に挑んだ。

 よそ者の俺が、彼らの覚悟に何を言えるわけもない。

 上手くアレクトロを倒したあと、家族と国外へ逃げるだけの時間は作れますよ──と、それとなく言ってみたのだが、兵士らの意志は固かった。


「シュルツ……ナスティ……エンドラ、イルハーン──」

 王はゆっくりと、噛みしめるように一人ひとりの名を呼んでいった。

「……カーリヤ、ブラスコ──……全員、たしかに覚悟は出来ているのだな」


「はっ」


 十四人の兵士は、一糸乱れず返事した。


「……そうか。ならば容赦はすまい」

「……お父様」

 システィーユが止めようとするが、王の決断を変えられるはずもなかった。


 グランデルは右腕を広げ、高らかに命じた。


「──お前たち全員、明日より三級兵からやり直せ。仕事は山のようにあるぞ。死に物狂いで、もう一度国のために尽くすのだ!」


 その下命に、兵士らは思わず顔を上げた。

「陛下──でっ、ですが我らは陛下を裏切り──」

「他の者への示しもつきません」

「どうぞ極刑を──!」

 しかし手を上げてその声を制すと、王は諭すように告げた。

「……死んで逃れようと思っているなら、手ぬるいぞ。これからお前たちは冷ややかな目で見られるだろう。他の者への示しは、自分たちでつけるのだ。それに考えてもみよ。ボドの手から解放されたお前たちの大切な人を、もう一度悲しませるつもりか? 私はお前たちに、安易な死よりも、苦しい贖罪しょくざいの道を命じるのだ。よいな」


「は、ははーっ!」

 兵士たちは歯を噛み締めて、王の恩赦にひれ伏した。

 屈強な戦士たちが、今は嗚咽をこらえ、涙で地面を濡らしていた。


 胸がすくような光景だった。


 それから王は連れて来た側近らにアレクトロとボドの遺体の回収を命じ、彼らが作業を始めると、次はブリガンディとバスタークを呼んでその功労を称え、ねぎらった。


「二人とも、此度は本当によくやってくれた」

「勿体ないお言葉です」

「ありがとうございまっす」

 二人は膝をつき、清々しい顔で頷いた。

 王は眩しそうに彼らを見つめる。


「……今日だけではない。ボドにロストグラフを乗っ取られてから二年以上──六王兵として国を護り、ボドの圧政に耐えてくれた。ブリガンディにはシスティーユの世話までさせた。心から感謝している」

 二人は「はっ」と答え、それからしばし押し黙った。

 きっとこの二年間のことを思い返しているのだろう。


 やっと。


 やっとこの国を取り戻せた──。そんな思いが、彼らの胸を熱くさせたに違いない。


 王は静かな声で続けた。

「ブリガンディ、バスターク。お前たちはこの国の勇者だ。きっとルファードとヘイルデンも、それぞれの弟子の成長を誇らしく思っているだろう」

 尊敬する師匠の名前が出ると、バスタークの目から涙が流れた。


「へ、陛下……俺なんて何もしてないっす……。俺は腐ってただけで……兄貴がいなかったら、俺は……」

「……そんなことはない。お前は不器用ながら、一途に国のことを思ってくれた。お前は立派な男だ」

 バスタークは唇を噛んで嗚咽をこらえ、はい、はいっ、と強く何度も頷いた。

 ブリガンディも目を潤ませながら、嬉しそうにバスタークを見ていた。


「これからまた忙しくなる。ファンダリンのおかげで私もすっかり治った。皆でロストグラフを復活させよう」


 はいっ、と元気な返事が重なった。


 俺は、なんだか誇らしかった。

 バスタークとブリガンディがグランデル王に褒められるのが、自分のことのように嬉しかった。

 そうでしょ? そいつら本当にすごいし、いいヤツっすよね? ──そんな風に自慢したかった。たった半年の付き合いなのに。

 たくさん相談をして、作戦を立ててきたんだ。まるで世間から姿を隠して活動する正義の味方みたいに。仲間ってやつだ。


 なので、まあバスタークがシスティーユをぶん殴ろうとしたことは、今日の所は王に言わないでおいてやろうじゃないか。

 くっくっく、と内心で笑った。

 あの日のことがすでに懐かしい。

 もう半年も前のことなんだな──。



 俺が所在なくそんな風に回想していたりすると、やがて大勢の視線がこちらを向いているのに気づいた。


 グランデル王を筆頭に、


 バスターク、


 ブリガンディ、


 システィーユ、


 十四人の元「親衛隊」、


 そのほか王の側近が幾人か、俺を見て、やがて静かに近づいて来た。


 なんだなんだ、みんな妙に真顔で怖いぞ。


 及び腰で、な、なんでございましょ、みたいなポーズでオロオロしていると──



 ──ざあっ、と、


 まるで波のように。


 王を先頭に、姫、六王兵、兵士らが逆三角形の列になり、一同がひざまずいた。


「ん!?」


 相変わらずへっぴり腰な俺に向かって、グランデル王が顔を上げた。


「──ツキト殿。あなたのおかげでこの国は救われた。ロストグラフを代表し、深く感謝申し上げる。ありがとう」


「あっ、はい、どういたしまして……。いやいや、陛下。立ってくださいよ。そんな風にかしこまられちゃ尻がむずむずします」


「機王大戦が始まったのが四年前──」

 しかし王はそのままの姿勢で続けた。

「その前はジャルバダールとの戦争。長い間、ロストグラフは冬の時代だった。今日は奇遇にも雪月の終わり。ツキト殿。あなたがこの国に春を迎えさせてくれたのだ」


 いやいやいやいや大袈裟ですって。

 そりゃ俺も頑張ったと思いますけど、さすがに誉めすぎです。


 などと茶化そうとしたのだが、俺を見つめる王の顔を見て、そんなセリフは引っ込んだ。


 未だかつて、こんなにも苦節に耐え、様々な苦労を負ってきた目を見たことがあっただろうか。

 ここで茶化すことは、こんなにも真っ直ぐに向き合ってくれる王の思いを茶化すということだ。


 俺は姿勢を正した。


「ツキト。私からもお礼を言わせてください」

 システィーユが口をひらいた。


「あなたはボドを倒すだけじゃない、閉塞へいそくしていたロストグラフに風を呼び込み、六王兵たちを元気づけ、内側から壁を壊してくれました。……私も、この数日。二人一役・・・・の練習をして、とても楽しかったわ。本当にありがとう」


 続いてブリガンディが顔を上げる。情熱的な赤い髪が揺れ、健康的な白い歯が覗いた。

「ツキト。私は最初アンタに会ったとき、こんな細いヤツがボドを倒すなんて本当かよー、なんてちょっと疑ってたんだ。でも、今はすごく大きく見える。私にとって、アンタは誰よりもかっこいい男だぜ」


 バスタークも俺を見た。

「兄貴は俺の誇りっす。これから何があっても、俺は兄貴に付いて行きます」



 なんだか涙が出そうだった。


 生まれてこの方、こんなに多くの人から感謝されたことなんて無かった。


 俺、頑張ったんだな。

 こんなにも立派な人たちに感謝してもらえるくらいに。


「ツキト殿。兵士らを代表し、感謝申し上げます」

 元親衛隊たちの真ん中で膝を付くシュルツが、真一文字に口を引き結んで俺を見た。

「……あなた様がいなければ、我らの命はおろか、いずれは愛する者たちも殺されていたでしょう。雁字搦がんじがらめにされていた我らを解き放ち、陛下のお力になってくださった。このご恩、一生をかけてでもお返しします!」


 そして再び全員が、深く頭を下げた。


 俺も頭を下げた。


「……俺の方こそ、ありがとうございます。今はこうして服を着て、仮面を付けて皆さんの前に立っていますが、その実体は目に映らない──透明人間です。普通の人間じゃありません。言っちゃえばバケモノです。

 それでも、皆さんが俺を信用して、信頼を預けてくれたから、ボドを倒すことが出来ました。

 身の上を話すのも恥ずかしいですが、この国に来るまでは誰にも見向きもされなかったような日陰者だったんです。

 体が見えなくなったらこうして人に見てもらえるようになったっていうのも変な話ですが、それはきっと、こんな変な奴の力を借りても必ず国を取り戻したいという、皆さんの一途な思いのおかげだったと思います」


 あー、駄目だ。どんな言い方してもどこか自虐的になっちゃうな。元日本人の習性だ。いや国民性のせいにするのは良くないが。


「とにかく、ありがとうございます。この半年間ロストグラフを歩き回って、俺、この国がすごく好きになりました!」


 小学生の感想かよ。

 と、我ながら締まらないまとめだったが皆は一様に嬉しそうな顔をしてくれた。



 王がおもむろに立ち上がった。


「ツキト殿。実は私から、折り入ってお願いがあるのだ」


 ん? お願い?

「はい……何でしょうか」


 王は一度背中を見やり、部下たちの顔を見て頷く。そしてもう一度俺に視線を合わせて言った。


「ツキト殿。良ければこれからも、あなたにこの国を護っていただきたい。どうだろうか、ブリガンディやバスターク、ファンダリンもあなたを慕っている。彼らの上に立ち、『六王兵』として──私たちを支えてもらえないだろうか」


 とんでもない申し出に、思わず飛び上がった。


「ろろろ、六王兵!? 俺が!? 無い無い、無いですよ、そんな! ありえないです! 今も言った通り、透明人間ですよ? 異種族とかそんな問題じゃないんですから! 今回の一件では皆さんのおかげで頑張れましたけど、とても人の上に立つ器じゃないです。兵士の皆さんだって国民だって認めないですよ。

 それに言いづらいですが、ボドの前例があります。英雄だと思って祭り上げたのに失敗した──そんな思いを国中の人が経験した以上、しばらくは他国の人を受け入れづらいんじゃないでしょうか」


 ふむ、と王は顎を撫でた。

「ツキト殿が人の上に立つ器じゃないというのは賛成しかねるが……指摘はもっともだ。少し早まったかもしれん」

 残念そうに眉根を寄せる。

「しかし、これは私一人の意見ではなく、システィーユやブリガンディ……皆からの薦めでもあるのだ」


 えっ。


 慌ててバスタークを見ると、「兄貴、六王兵になってください! 一生ついて行きますから!」という長文が顔に書かれていた。

 同時に、「まさかどこか行っちゃうなんて言わないっすよね?」という、仔犬のような──例えとしては微妙だがそうとしか言いようのない──すがるような訴えもまた書かれていた。


 俺は変に罪悪感を抱きつつ、頭をカリカリと掻く。


「ならばどうだろうか」王は諦めなかった。「しばらくは私の護衛兵という立場で過ごし、時が来たら六王兵へ加入してもらうというのは。ボドの時とは違い、我らはあなたの誠意も努力も知っている。特別な役職を設けて文句を言う者など、ここにはいない。この城で自由に過ごして良いし、必要なものは何でも用意させよう」


 ありがたい話だった。

 本当に。

 こんな素晴らしい人物に、こんなにも評価してもらえるなんて、もう二度と無いかもしれない。

 王だけじゃなく、皆が同じ思いだという。

 一緒に戦ってきた仲間が、これからも一緒にいてほしいと望んでくれるのだ。これ以上の幸せがあるだろうか。


 だけど。


 俺、幸せだけれど。



「……お父様、そこまでにしておきましょう」

 割って入ったのはシスティーユだった。

「ツキトには、もう心に決めたことがあるようですわ」

 彼女は少し寂しそうな目で俺を見た。

「そうですね、ツキト」


 俺も彼女を見た。


「……勿体ないお話だと思っています。心から。ロストグラフ五十万の民を護り、皆さんとこれからも国を盛り立てる……すごく大変だろうけど、それ以上にやりがいがあって楽しいんだろうなと」


 でも、と俺は間を置いた。


「……皆さんの知るとおり、俺が頑張って来た理由は、ただ一人の女の子を助けるためでした。彼女は──ニュトは、魔女だからというだけで英雄に捕らえられたと聞きます。まだ十にも満たない幼い歳で、親を失い、牢屋で過ごし、痩せこけた体で水みたいなスープを飲み、命を繋いできた」

 もちろん、王や兵士に罪は無い。全てはボドが悪いのだ。けれど、本当にそれだけだろうか?


 すさまじい力を持つとされる魔女が七人。


 魂を吸うと言う奇怪な存在「機王」。


 それに対し、機王を倒したとされる英雄たち。


 ひび割れた曇り空。


 魔女が十歳になるまで待つと言ったボド。


 そのボドに「機骸キガイ」なる物を与えた何者か──


 ──俺はニュトを助けたつもりだが、何も知らないのに、本当に助けたと言えるのだろうか?


「不幸の底にいた彼女に人並みの幸せが続くよう、俺はもっと知りたいのです。色んなことを。……またこの世界には、他にも『魔女』がいると聞きます。ニュトと同じように苦しんでいる人がいるなら、助けてあげたいのです」


 そんな人はいないかもしれない。


 たまたまボドが……アレクトロが歪んでしまっただけで、他の英雄は真っ当な人物かもしれない。


 魔女を狙ったのはボドだけだったのかもしれない。

 かもしれない、かもしれない、かもしれない……この「かもしれない」を無くすため、世界を見たいのだ。


「私のことは国民には伏せ、システィーユ王女の手によりアレクトロは討たれた──ということにしてください。そう見えるようにしたのです。

 俺は一か月後に、ロストグラフを発とうと思っています。陛下のありがたい申し出を無下むげにするようですみません」


 王はゆっくりと頷いた。


「あっ、兄貴……──俺、俺は兄貴とこの国を──」


 耐え切れず涙を流したバスタークを、横のブリガンディが引き止めた。

「……今のお前じゃ駄目だってよ。良かったじゃないか、ツキトに惹かれた私やお前の目は確かだった。私たちもツキトに負けないように、ここで頑張るんだ」


 バスタークの願望に応えられなかったことに、「ごめんな」と頭を下げた。


「ブリガンディの言うとおりだ」

 王は自分に言い聞かせるよう、首を振って言った。

「助けてもらって、まだロストグラフのために尽くしてもらおうなどと、虫の良い話だったかもしれん。我々もまた、ツキト殿に頼ることなく、頑張らなければならないのだ」


 そして再び、俺を見上げた。


「けれど忘れないでほしい。ロストグラフはいつだってツキト殿を迎え入れる。旅に疲れたとき、道につまづいたとき、目的を見失ったとき──いつでもこの国に戻って来てくれ」


 皆が俺を見た。

 そして王は言った。



「あなたこそが、真の英雄だ」



 俺は目頭を押さえ、

 「ありがとうございます」と、過大な言葉に深く頭を下げた。





**





 そこは城壁塔の一角にある空き部屋だった。

 扉の前では引きこもりのファンダリンがじっとりとした目で不満そうに立っていた。


「遅いよつっきー。いつまでファンちゃんを外気にさらしとくつもりさ。せっかくのお肌が汚れちゃうよ」


「悪かった悪かった」

 ポンポン、と頭を叩いて謝る。

「むー、なだめ方がテキトーすぎ」

 そうは言いながらもまんざらでもない顔で、俺の手を掴むと自分の頭を撫でさせた。


「ま、カンドーの再会だろうから、ファンちゃんは席を外してあげるよ。それじゃーね」

 満足しきったファンダリンは、そう言ってあっさりと帰って行った。


 それにしても部屋の中には、まさにあいつの興味をそそる対象がいるというのに、よく我慢してくれたものだ。


「──あ、そだ。言い忘れてたけど、『魔女』に手を出さなかったのは、約束をちゃーんと守ってもらうためだからね。忘れたとは言わせないよ? 明日は丸一日、つっきーの体はファンちゃんの自由にさせてもらうからね……いひひひひ」


 ひょっこり顔を出したかと思うと、マッドサイエンティストな笑い声を上げて再び消えた。

 ちょっと安心していた俺がバカだった……。


 ま、明日は明日の風が吹くさ。

 切り替えが早いのが俺の長所だ。


 さてと。



 なぜか少し緊張して、

 俺は部屋の扉を開けた。


 部屋の中には、一人の少女が立っている。


 彼女は俺を見るなり、そりゃもう目一杯に顔を輝かせた。

 きっとダイヤモンドだって、こんなには光らないだろう。



「ニュト!」


「ちゅきとー!!」



 大きな青色の目に大粒の涙をたたえて、美しい金色の髪を揺らし、彼女は全身で俺に飛びついた。


 俺は彼女を受け止める。


「……ごめんな、時間がかかって」


「ううん、ちゅきと、大ちゅき!」



 今こそ俺の目的は果たされたのだと、

 強く、彼女を抱き締めた──。

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