第32話 「ロストグラフ革命・5」
外の光に目をしかめながら、アレクトロは困惑の表情を見せる。
だが、すぐにその顔は絶望へ変わった。
ボドの部屋の一片を構成していた壁。
それはすでに壊され、石壁の絵が描かれた分厚い布に替えられていた。
そしてその布も取り払われた今、眼下に広がるのは、ロストグラフの国民が城の敷地一杯に集まる光景だった。
「ば……馬鹿な……どうして……──」
アレクトロは辛うじてそれだけ絞り出す。
「作戦を開始したのは、すでに夜明け時だったのさ。お前が部屋にこもって俺たちを待つ間に、こっそり部屋の
お前が訴えかける予定の国民は大勢揃っているよ。自分こそが正義だと、ここから呼び掛けてみたらどうだ?」
「そんな……あんなにも静かだったのに……そんなわけが……」
「ここへ人を集めたのが、すごい方だったからな。あの人の命令なら誰だって黙るだろう」
アレクトロは集団の先頭へ視線を移す。
彼の目には、堂々たる佇まいで居館を見上げる、獅子王グランデルの姿が映っただろう。
「へ……陛下…………!?」
「毒によって王を弱らせ死に至らしめ、姫や国民を絶望させたところで彼女たちを支える……そしてゆくゆくはロストグラフの王にでもなるつもりだったんだろうが──残念だったな。異国の毒だったそうだが、現物を見たらファンダリンが一瞬で薬を作ったよ」
小さくて見えないだろうが、王の隣にはファンダリンもいる。
あの引きこもりも、俺の体を(安全を保証した上で)一日好きにしていいと言ったら出てきてくれた。
王に何かあったとき、医師兼薬剤師であるファンダリンは傍にいてくれた方がいいからな。
「くそっ……くそが、くそがあ……」
「もう一度だけ言う。お前は終わりだ、アレクトロ。降伏しろ」
「くそ……くそっ……」
アレクトロは顔を伏せながら、独り言のように毒づく。
俺たちは奴の出方を注視していたが、やがて小さな
「くそ……ふ……ふへへ……──もう、もういい。なんでもいい。どうでもいい。ロストグラフなんぞ知らん……いつか潰してくれる……」
「……気でも狂ったか?」
「ふひゃひゃ……馬鹿はお前だ、戦士ツキト。この私を心底怒らせたのだからなぁ……!」
アレクトロは手に持った細剣をヒュヒュッと振った。その剣さばきはとてつもなく素早い。
「私はこの国を捨てる。だがその前に、貴様だけは殺してくれる。ツキト──私の覇道を邪魔した貴様だけは……!」
「……もはや交渉の余地なしか」
「甲冑だからと安心しているようだが、馬鹿め……鎧の隙間を裂くくらい造作も無いわ」
ジリ、と、バスターク、ブリガンディの二人が間合いを詰めようとする。
「おっと、無駄な真似はやめるがいい。その場所は遠すぎる。私がツキトを斬り、そのまま逃走するのに充分な間合いだ」
「兄貴……」
「ツキト──」
二人が俺の方を見る。
「安心しろ、必ず倒す」
「くく、私を倒す? 私は死なん。不死身がボドだけだと思うな。私は不死身だ。私を倒せるものがどこにいる──!」
そしてアレクトロは一足飛びに間合いを詰め──細剣を振り下ろした。
「──ここにいるんだよ」
──ドッ、と、短剣が刺さり、
アレクトロの胸元から赤い光が噴き出た。
俺は、はっきりと見た。
アレクトロの目が大きく開き、その眼球に、兜を脱いだ美しい少女の顔が映り込むのを。
「ば……か……な…………」
アレクトロが振り下ろした剣は、空中ではね返された。
フンドウ・フレイル。
空中にピンと張った鎖の両端は、バスタークとブリガンディがしっかりと握っている。
バスタークへの三つの命令「その三」が、今こそ発動されたのだ。
この光景はすでに予想していた。
フンドウ・フレイルは、アレクトロが気づかないうちに、俺が「シェード・オフ」で消しておいたのだ。
だがそれ以上にアレクトロは驚愕しただろう。
外の光を見たときより、
突然空中に鎖が出現したことより、驚いただろう。
「……王女……? な……なぜ……──な、ならばツキトとは一体……誰だ……──」
アレクトロが胸に提げていた、ボドの目と同じ赤い色をしたペンダントトップ。そこにはまっていた石は割れ、中から漏れ出す赤い光が血のように噴き──そして空中で霧散した。
姫の姿に驚くアレクトロの懐に、透明なまま潜り込んだ俺が短剣を突き立てたのだ。
ペンダントを狙い、素早く、確実に。
この練習だけでも千回以上行った。
赤い光が掻き消えたあと、アレクトロは完全に息絶えたようだった。
そう──これこそが六王兵アレクトロと、英雄ボドの秘密だった。
“魂”とでもいうのだろうか。あるいはこの世界に準じて“魔素”と呼んでもいいかもしれない。
彼らの意識は「赤い光」に実体が移っており、その光を留める場所が、それぞれの体に付けられた赤い石だったのだ。
人の意識が固体でないものに宿る──信じられないことだが、何度もボドの部屋に通い、ヤツが漏らす独り言を幾重にも束ねて推察した結果、その事実が判明した。
もっとも、仕組みなどが分からない曖昧な俺の憶測を、当時の状況などから補強してくれたのはファンダリンだったが。
この事実は、ファンダリンなど研究者のごく上位層においては理論ベースで確立されているものらしい。魂を吸うとされた「機王」との戦いを通して得られた成果のひとつだ。
肉体を替える際に、石から石へと乗り移る。その石が無くなれば、光は空中分解する──。
ボドの隠し部屋で俺が見たのは、まさに乗り移りが行われている光景だった。
光──すなわち“魔素”の移動が無風の場所で行われていたのは、風の流れの影響を受けないためだった。
自分を倒した者が誰かも分からず、疑問と無念の内に死ぬ──外道には相応しい最期だろう。
「システィーユ!」
そうしてアレクトロの亡骸が崩れ落ちる前に、遥か下から姫の名を叫ぶ声が轟いた。
今にも泣きだしそうなほどに震えたその声は、意外にもグランデル王のものだった。
遠目に見れば、システィーユの背中とアレクトロの体は重なっていた。そこから赤い光が噴き出したから、王も焦ったのかもしれない。
「お父様! 私は大丈夫──」
と、死闘と芝居を繰り広げて疲労
「……聞こえていないようですね」
ホッと溜め息をつくシスティーユ王妃。
「ふふ、あんなに慌てた陛下の声は初めて聞きましたよー」
全ての役目を終え、にっかりと笑うブリガンディ。
「あっ、あ? 兄貴……え? 姫様……?」
そして――おっと、そうだった。
もう一人分かってないやつがいた。
まあ、コイツの役目はアレクトロの剣刃を防ぐことだったから、しっかりと務めを果たしてくれたわけだが。
バスタークの前でシェード・オフを使い、俺の姿を現す。
「見ての通りだ、バスターク。今日はずっとシスティーユ姫に俺の代わりをしてもらってたんだよ」
布の服の上に甲冑、それにカツラとフルフェイスの兜を付け、ツキトになりすましたシスティーユ姫。声は俺が彼女の背中に張り付くことで担当し、動きは姫が担当する。
今日一日俺と姫は、ボドとアレクトロの一人二役ならぬ、
「俺があんなに弓の扱いが上手いわけないだろうが」
「へっ? あれっ、こっちが兄貴? 姫が兄貴の代わり……? え、じゃあ今日はずっと姫様が兄貴の代わりをしてたってことっすか……?」
「つい今、俺は同じことを言ったぞ」
「えっ、ええーっ!?」
バスタークは背中をのけぞらせて驚いた。
「で、でも兄貴の声はちゃんと聞こえてたっすよ?」
「……お、おう。それは本当に失礼ながら、姫の背後から喋らせてもらっていた。どうせ兜で声がくぐもるから、意外に位置が分かりづらいんだ」
「……密着してたってことっすか」
「……聞くな」
「いいなぁ……」
「やめろ。本人の前だぞ」
たしなめると、バスタークは今更ハッとして、慌てて背筋を正す。
「しっ、失礼しましたシスティーユ姫!」
しかし姫は柔らかく微笑み、彼の無礼を許した。
「……良いのですよ、バスターク。お前はよくやってくれました。ブリガンディ、あなたも」
「ありがたき幸せ──。しかし姫様、私たちの悲願は、全てツキトのおかげですー」
ブリガンディはにっと笑って俺を見た。俺も笑い返す。
充足感が体に満ちている。
スポーツで試合に勝った後、味方とハイタッチをするのはこんな感じだろうか。
「まあ、システィーユ様が協力してくれなければ、こんな風には行かなかっただろうけどな。……王女、感謝いたします」
「こちらこそ、ツキト」
汗で額に前髪を貼り付かせ、顔は多少の
一応、もう一度だけアレクトロの体を確認したが、その体は間違いなく生命としての役目を終えていた。
ボドの体はまだ燃えていたが、先ほどまで壁にカムフラージュしていた暗幕を被せ、その火を消した。
こちらもやはり生命活動は停止している。
形を成さない魔素の行く末はファンダリンに聞いていた。
散ってしまった赤い光……すなわち彼らの魔素は、自然の中に還っていったのだろう。
「システィーユ、無事か!」
なんて作業をしていると、ドタドタと騒がしい足音を立ててグランデル王と側近の兵士たちがボドの部屋へ駆け込んできた。
「お父様、平気ですわ」
「システィーユっ、よくぞ……!」
──そこからは声にならなかった。
獅子王と呼ばれた王の中の王は、今だけは一人の父親となって娘を抱き締めた。
「娘を囮にすると言うのか」──今回の作戦を伝えた時、まだ病み上がりだったグランデル王は、それでも背筋が凍るような威圧感で俺を
「私が、やりたいとツキトに申し出たのです」──そう言い返したのはシスティーユ本人だった。
「暗殺するだけならばツキト一人でも可能でしょう。しかし全ての国民に真実を伝えるためには、アレクトロの正体を白日の下に晒し、彼がロストグラフに牙を剥いた事実を国民に見せつけなければならない。──そのツキトの考えに適任がいるとすれば、私以外にいないでしょう」
システィーユの言葉に王は反論した。
「他にも兵士はいる。お前より腕の立つ者もたくさんいる」
「──ですが、ツキトは小柄です。私は女性にしては背が高い。ブリガンディに武芸も学んできました。
お父様……いえ、陛下。
いつまでも身を隠し、私一人だけ安全な場所から眺めていて、どうして『ロストグラフ』の名を継げるでしょう。私も国民も、陛下が戦うその背中を見て育ってきたのです──」
システィーユは譲らなかった。
グランデル王は深く考え込み、やっと了承した。
彼はそのあと、俺にこっそりと話してくれた。
自分には母と妻を亡くしたときの負い目があるのだと。
そのため俺への当たりが強くなり、申し訳なかったと。
せめて娘への後悔だけは無くしたい。この国も救いたい。私を助けてくれたように、娘も護ってくれるか──と。
俺は透明人間だ。
得体の知れないバケモノである。
それでも王は、一人の男として、真摯に俺と向き合ってくれたのだ。
俺の返答はひとつしか無かった。
「はい、必ず」
そして、今。
きっと王は今日という日まで、ずっと葛藤の中で過ごしてきただろう。
やはり娘を戦地へ送るのは間違いだったか──何のために二年も隠してきたのか──だが娘の意志こそ尊重すべきか──。
けれど全ては報われたはずだ。
システィーユは自ら英雄ボドと──
偉大なる父王のように。
二人は抱き合っている。
グランデル王の目尻が、小さく光っている。
システィーユは、もはや父の愛を疑うことはないだろう。
人目をはばからずに走り、汗をかいてやってきた父の温もりが、言葉以上の証明になったのだから──。
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