第30話 「ロストグラフ革命・3」

 矢を放つ寸前、甲冑の鉄靴てっかが地面を蹴り、ぐるりと体勢を変えた。

 やじりがボドに向けられる。


 それに気づいたボドが防ごうと左腕を上げる。

 その腕を、先に動いていたブリガンディが「フンドウ・フレイル」で絡め取った。


「なにっ……──!」


「──くたばれ、ボド」


 風を切って飛ぶ火矢は奴の体でなく──禍々しく光るその赤い左目・・・・に、深く突き刺さった。


 パン、と短い破裂音が響いて、ボドの赤い目が砕ける。その中身が飛び出たのかと思うような赤い光が天井へと駆け上がり、弧を描いて部屋の入口へ飛ぶ。

 やじりの根本、かぶらに仕込まれた火はボドの体へ即座に燃え広がり、すぐにその巨体を凄まじい炎で包み込んだ。


「バスターク、ブリガンディ、離れろ!」


 二人はバックステップをしてボドから距離を取る。すでにブリガンディはフレイルを解き、自分の手に戻していた。

 アレクトロの部屋で話し合った計画に反し、ボドは一切暴れる気配は無かった。


 それもそのはず、すでにあの体はもぬけの殻・・・・・なのだ。


「さ、さっすが兄貴──奴に騙されるフリをして、油断させる作戦だったんすね!」


 バスタークが喜色満面の笑みで小躍りする。ボドが倒れたことより、自分に対しての俺からの疑いが晴れたことの方が嬉しい、とでもいったような声だった。


「冷や冷やしましたよ。兄貴を信じて良かったっす」


 その言葉に兜がコクン、と頷き、それからブリガンディの方を向く。

 バスタークのフンドウ・フレイルにまで油が掛かったのは誤算だった。特に柄の部分はしっかり拭いておけ、という合図だった。


「あっ、てめえブリガンディ、この、兄貴からもらったフレイルを勝手に触るんじゃねえ。散々俺を疑ったくせに!」

「いやいや、ツキトがボドを油断させる演技をしたから、私もそれに合わせただけだろー。なんでこっちは疑ったままなんだよー」

「お前は間違いなく殺気出してただろ」

「まあ、姫様をぶん殴りかけたことは今も許してねーけどな」

 にんまりと笑うブリガンディに、バスタークは心底嫌そうな顔をする。


「け、けど……これで本当にやったんすね? ボドのヤロー、全然動かねーし……マジおっんだんすかね!」

「だが俺たちも危険だ。周りに燃え移らないよう家具を避難させるぞ」


 城そのものが石造りだから建物が燃え落ちる心配は無いが、延焼えんしょうが怖い。

 バスタークとブリガンディのおかげで、ボドの周囲にある可燃物を取り払うのはすぐだった。すでに燃え移ってしまっているものは奴の亡骸に放り込んだ。


 凄まじい勢いで燃え立つ火が、煌々と部屋中を照らす。

 あちこちにうずたかく積まれた金銀財宝が、炎の光でぎらぎらと輝いていた。


 少しの間、火の音だけが世界を支配していた。



「……ようやく『英雄』だとか名乗って来たクソ野郎を始末できたんすね……ほんと、兄貴に付いてきて良かったっす。……俺、信じてましたから」

 その真っ直ぐな横顔を見る。


 ああ、すまないなバスターク。


 この後に待ち構えてい・・・・・・・・・・るであろうこと・・・・・・・を知らせないでいるのに、多少の罪悪感を覚えるよ。


 そう、まだ終わりじゃない。


 むしろ本番はこれからなのだ。


「……喜ぶのは早いぞ」


 彼をたしなめると、俺は後ろを振り向いて二、三歩下がった。


「えっ……まだ何かあるんですか?」

それ・・を放すなよ」

 甲冑の籠手がくるくる動いて、フンドウ・フレイルのジェスチャーをした。

 バスタークはハッとして、フンドウ・フレイルを持ち直し、今一度気を引き締めたようだった。


 作戦の前にバスタークに伝えた、「三つの指示」。


 ひとつ。

 俺、ブリガンディ、アレクトロとバスタークの四人で、ボドのところへ行く。


 ふたつ。

 バスタークには、ブリガンディと共に脇に控えてもらい、フンドウ・フレイルを構えていてもらう。それから何が起ころうとも、決してボド以外に手を出してはならない。


 ――そして、三つ目。

 俺を狙うことになる凶・・・・・・・・・・から、バスタークとブリガンディが両端を握り合ったフンドウ・フレイルをピンと張ってもらうことで防ぐ──。



 この「三つ目」の命令を、まだ果たしていないことに気付いたのだろう。



 俺たちの視線の先。


 部屋の入口で倒れたはずのアレクトロの体が、いつしか消え去っていた。




 パチ、パチ、パチ、と、

 背後で燃え盛る炎の音に張り合うかのような、大袈裟な拍手が部屋の向こうから聞こえてきた。


 俺はもう一歩後ずさった。


 闇の中からすっ、と姿を現したのは、六王兵の身でありながら仕えるべき国に背を向け続けて来た男──


 ──アレクトロ将軍。



「……まったく驚きましたよ。誰にも『機骸キガイ』の弱点を見せるようなヘマはしてこなかったつもりですが……あなたも只者じゃないようですね、戦士ツキト」


「あ……アレクトロ将軍? 良かった、生きて──……」

 駆け寄ろうとするバスタークを、甲冑の腕が遮る。


「早まるな、バスターク。アイツは敵だ」


「兄貴──敵……?」


「……くく、バスターク。お前は相変わらず頭が悪い。おそらく他の二人はすでに気付いていますよ。まだ分からないのですか?」

 アレクトロがサッ、と手を上げると、ガシャガシャと音を立てて兵士たちが入って来た。


「六王兵の三番隊隊長にして、白眉のアレクトロの異名を持つ──私こそが、英雄ボド・・・・だったのですよ・・・・・・・


 とうとう、奴は正体を明かした。


 バスタークは、「は?」と、気の抜けた返事をする。

「い、いやいや……な、何言ってんすか。六王兵が……ルファード師匠にも次ぐあのアレクトロ将軍が、ボドの味方だったってことですか? ありえないっすよ……」


「ふん。ルファードに次ぐ……か。事実ですが忌々しい。しかしまあ、死者には名声も権力もありませんからね」


「な……何を言って……」


「まだ勘違いをしているようだから、もう一度言いましょう。

 味方・・ではない。

 本人・・だ。

 ──英雄ボドとは、この私が一人二役で演・・・・・・・・・・じてきた・・・・六王兵アレクトロのも・・・・・・・・・・う一つの姿だったのだ・・・・・・・・・・


「え……?」

 そこまで聞いても、まだバスタークは理解に苦しんでいるようだった。


 無理も無い。


 六王兵が悪で、

 王に背いて、

 姫を略取するとうそぶいて、

 さらには、あの醜いバケモノと目の前の美しい男が同一人物だったというのだから。


 俺がニュトを救いたいためにロストグラフを変えようと願うように、バスタークが俺を信奉するのは国への忠君が芯にあるからだ。

 そんな忠義の体現者たる六王兵が敵だったなど、まさに常識が覆される思いだろう。


「私の後ろに並ぶ兵士たちが見えるか?」

 アレクトロは揚々と公演でもするかのごとく両腕を前に出す。


「ロストグラフ兵……」

 かすれ声を絞り出すバスタークに、俺は後ろから声を重ねた。

「──ボドの親衛隊だな」


「その通り。私が直々に選出した兵士たちだよ。……いや、正しくはボドが選出した、か。

 お前たちも知る通りの腕利きばかりだが、今や私の傀儡も同然。無論、アレクトロである私がボドであるとすぐには分からなかったようだが、認めさせるのは簡単だった。

 『この私、アレクトロこそがボドだ。疑うなら、お前たちが人質に取られている者の名をそらんじようか?』

 ──そう言っただけで、すぐに察してくれたのだからな」


 立ち並ぶ親衛隊は十二人。入口のところでまだ眠っているはずの二人を除けば全員が揃っているはずだ。

 炎に照らし出される彼らの兜の下には、今にも怒りが爆発しそうで、しかしそれをこらえる渋面じゅうめんが並ぶ。

 誰も彼も、顔に傷の無い者はいない。皆が百戦錬磨の兵だ。なおかつ、家族や恋人を人質に取られては悪に心を売るしかなかった悲しくも優しい人たちだ。

 ロストグラフに捧げてきた忠誠を、この二年間、自ら火にくべてきた。その痛みはどれほどだったろう。


「待って……待ってくださいよ、アレクトロ将軍。あなたがボドで……兵士を人質で脅して親衛隊にして……? 俺たちを殺そうとしている? むちゃくちゃっすよ!」


「バスターク、お前はツキトから事実を告げられていなかったのだな。可哀想に。まあお前に演技などという器用な真似は出来ないだろうから、私を騙すために真相を伏せられていたのだろう」


「兄貴……」

 バスタークがすがるように俺を見る。


「悪かったな、その通りだ」


「そんな……でも、だって……じゃ、じゃあ本当に将軍には、体が二つあるって言うんですか?」


「俺にも分からんが、あるらしい。そう考えれば筋が通るんだ。

 普段は姿を見せないボド。

 なかなか城へ戻らないアレクトロ。

 一日を、あるいは数日を半分ずつ使い分け、片方が眠れば片方が起き、そうして体を休めていた。

 ボドの暗殺計画なんてバレて当たり前だよ。その多くがアレクトロ発案のものだったんだからな」


 怖気づくバスタークをよそに、アレクトロは笑みを絶やさない。

 俺は内心で反撃の炎を燃やし、バスタークを焚き付ける。

「──だが、いいか。お前が落ち込む必要なんて無いぞ。むしろいかるべきだ」


「け、けど兄貴、俺たちが同じ六王兵と戦うなんて……ずっと同じ国を護り続けてきた六王兵を──」

「だから、その考え方が間違ってるんだよ!」

 泣き出す前の子供みたいな顔をぶら下げてこちらを見るバスタークに教えてやる。


「真の敵は、六王兵でありながら謀反を起こした裏切者じゃない。裏切者でありながら・・・・・・・・・六王兵を名乗っていた・・・・・・・・・・ただの恥知らずだ・・・・・・・・!」


「――!」


 バスタークは、大きく目を見開いた。

 そしてぽかんと開いた口を閉じると、何もかも得心が行ったように、コク、と頷いた。


「──そういうことなら……『敵』っすね」


 単純な奴だなぁ。

 あっという間に闘志を取り戻しやがった。

 「アホなやつー」と、左手からブリガンディの呆れる声が聞こえる。その気持ちはよく分かる。


「さて話はついたかな?」

 アレクトロは余裕たっぷりに尋ねる。

「気力充分なのは結構だが、見て分からないか? お前たちにもう勝機など無いのだよ」


 ボドの……いや、今やアレクトロの親衛隊である精鋭の兵士らは、その言葉を合図に一斉に剣を抜いた。

 ずらりと並んだ剣の先がこちらに向けられる眺めは、ゾッとするものがある。


「こちらがボドの弱点を見破ったというのに……ずいぶんと余裕たっぷりだな」


「逆に尋ねるが、どうして目を狙った?」


「簡単さ。これまでの暗殺計画の様子を聞いたとき、ボドは剣撃を体で受けることはあっても、決して顔は攻撃させないことを知った。口や鼻が弱点なら料理に一服盛ったときに殺せている。ならば目だ」


 実際、初めて食堂でボドの暗殺計画を目撃したとき、奴は顔に振るわれた兵士の剣をよけて首で受けた。あれはつまり、例え生首になっても死なないボドだが、顔だけは狙われたくなかったということだろう。


「まあ、そんなところだろうな」

 アレクトロは眼鏡をくい、と上げる。

「つまりボドを倒すべき相手として、これまで幾多と行われてきた計画の中身から推察したわけだ。そろそろそんなことを考える奴が出てくるだろうと思っていた。だがそのターゲットは、あくまで『ボド』だ。私ではない」


 俺は押し黙った。

 奴の言うことは正しい。

 アレクトロは揚々と続ける。


「私は城の中を好き勝手に改造していてね。この部屋の扉に仕掛けがあるのに気づいたかな? 気付いていたらこんな状況にはなっていないだろうから、知らなかったんだろう。紐を引くだけで、下の階で待機する親衛隊たちを呼び集めることが出来るのだ。

 さっきブリガンディが、一対三が二対二になるのはまずい、というようなことを言っていたが、どうだ。今や十二対三だ。余裕たっぷりで当たり前だろう?」


 確かに、彼ら全員を相手にすれば勝つのは難しいだろう。

 俺もバスタークも言い返せない。

 しかしそこへ、これまで静かにしていたブリガンディがいつもの口調で煽った。


「調子に乗ってんなー、アレクトロ」


「なに……?」


「シュルツにナスティ……カーリヤもいるな。その他も、お前の自慢の『親衛隊』はほとんどがルファード大将軍やヘイルデンのじっちゃんの部下だった奴らだろ? 結局お前は、その二人を超えられねーんだ」


 この挑発は効いたようだった。アレクトロの顔に、明らかな憎悪が浮かび上がった。


「……六王兵は一騎当千。あらゆる戦においてお前たちの活躍は目覚ましく、敵国や蛮族に名を轟かせた。だが──」

 アレクトロは冷静なポーズを崩さないよう眼鏡を押さえた。

「──あまり私を舐めるなよ」

 それは腹の底を震わせるような威圧感だった。


「たしかに私は、頑強さではバスタークに、手数ではブリガンディに先を譲るだろう。だがそれでもお前たちが私の下にいる理由は何だ? 年齢だけではない。お前たちが私の初太刀を決してかわせないからだよ。そして私は初太刀で、確実に貴様らの胸を撫で斬るだろう」

 脅しとも言えるその発言に、二人は喉を鳴らしたようだった。


「私と十二人の精鋭を相手取り、果たしてどこまで渡り合える? そもそもお前たちの要であるツキト──動きも素早く弓矢の技術も正確無比だが、動きにムラが無さすぎる。臨機応変な戦いに慣れていないと見た。……戦場に出たことは無い素人なのではないか?」


 甲冑に包まれた体が強張る。


「くく、見れば分かるさ。断言しよう。私の正体を見破り、ボドの機骸キガイを倒した計略は見事だったが、この戦いにおいて戦士ツキトは足を引っ張るだけだ」


 クン、とアレクトロが剣を抜く。磨き上げられた美しい刀剣だった。


「夜を選んだのは失敗だったな。民に知られず、王に知られず、システィーユ王妃にも知られずに──お前たちを葬り、私はいつもの日常へ戻るとしよう」


「……事実を知ってしまったのは俺たちだけじゃないぞ」

 俺は六王兵アレクトロと、その両翼に並ぶ親衛隊に向かって言う。


親衛隊彼らなら心配ない。たった身内一人や二人の命のために、忠誠心を平気で捨てられる連中だ。喉元を押さえられている限り、私を裏切るような真似はしない。宝物以上に人を縛り付けられるのは愛だよ。理解しがたいがね」

 つまりこの男は、これからも親衛隊をボロ雑巾になるまで使い続けるということだ。


 たった一人のためにその他を捨てる。

 もしもニュトを救うため、この国を見捨てなければならなかったとしたら……俺にそれが出来ただろうか。


 いや、今は余計なことは考えるな。


「……お前に理解出来ないわけがないだろ」

「どういう意味かな?」

「『自己愛』のために何もかもを裏切ったお前が──よくまあ自分を棚に上げて講釈を垂れるもんだと言ったんだ」

「……ほう」


「日常へ戻ると言ったな。もうお前の隠れみのであるボドの体は燃え尽きた。好き勝手をしてきた外見は作れないぞ」


「仕方あるまい。あの醜悪で人々から恐れられる容貌も気に入っていたのだが……ツキト、お前と六王兵二人をまとめて葬る代償と思えば高くはない。

 この国を手に入れるために不死身の体は役に立ったが、野望の成就はすぐそこだ。

 一人二役にも慣れたことだ。今度は変装でもするさ。

 そうして支配者の顔と民の味方であるアレクトロを使い分け、ロストグラフの金と財宝と、名誉と権力を全て手に入れる。

 私の隣にはシスティーユ姫を座らせる。

 私は変わったのだ。真面目に生きてきた褒美として、新たな私の人生を手に入れたのだよ」


「……そんな独りよがりの欲望で、ニュトの両親を殺し、彼女を閉じ込めてきたのか」


「……ニュト? ああ、魔女のことか。その通りだ。そういう契約・・だったのでね」


 ……契約?


「さあお喋りもこのへんにしよう。まだお前たちが逆転を狙っていないとも限らん。あまり時間を与えて夜が明けてもまずいからな。人知れずボドの犠牲になり、逆にボドは真の英雄アレクトロによって討ち倒されたという筋書きだ」


 アレクトロが剣をかざすと、親衛隊がいっせいに構えた。

 いくらこちらにバスタークとブリガンディがいるとはいえ、精鋭の兵士たちの攻勢を受ければただではすまないだろう。


「さあ戦士ツキト、そしてブリガンディ、バスターク! ここで死んでもらおう! 我が手足たる優秀な兵士どもよ──かかれ!」


 俺は身構え──



 ──そして、にやり、と笑った。

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