第27話 「それぞれの決戦前夜・4~ニュト~」

 ──魔女は世界に七人いる。


 夢の魔女。


 消失の魔女。


 つるぎの魔女。


 飛翔の魔女。


 知恵の魔女。


 心の魔女。


 そして、時間の魔女。


 ニュトはそれを父から教わり、ツキトもニュトから聞いていた。


 決戦を明日に控えるこの日の夜、ツキトは改めて魔女という存在に思考を巡らせた。

 自分が戦う動機、ボドがこの国を支配した理由、その二つの交差点は、やはりニュトだったからだ。


 果たして魔女とは一体、どんな存在なのか。


 ニュトを見れば、普通の人間と変わりないように思える。

 だがブリガンディやシスティーユも、魔女は強大な力を持つと言っている。

 ただし彼女らも詳細を知らない。

 一番知識豊富であろうファンダリンでさえ、魔女は七人いて、それぞれ異なる役割がある──といったようなことしか知らなかった。


 その偉大なる力は現在まで伝わっているが、具体例が無い。あっても眉唾である。その現象が起きるのは、間に長い空白の期間が出来た時だ。


 つまり、とツキトは推測する。


 似たような例を挙げるなら神だろう。

 大昔の偉人でも良い。


 かつて何かすごいことをやったから伝説に残っているが、長い時間がその奇跡を様々に解釈して、真実が希釈されてしまったのだ。


 いや、それにしても力の中身が曖昧すぎるから、人為的な働きかけがあったのかもしれない。

 後世に残すには恐ろしいから隠蔽いんぺいしたとか……。


 そこまで考えて、ツキトは首を振る。


 いやいや、それは少し漫画やアニメに影響されすぎだろうか。オカルトな方向に行ってしまっている。


 目線を下ろすと、自分の体にぴったり寄り添って髪の毛をくしけずるニュトがいる。


 そもそも長い年月が魔女の伝承を風化させたとすれば、ここにいるニュトは何百歳、何千歳ということになる。それはありえない。

 また魔女の力が遺伝していくということであれば、現在に至るまで何人もの魔女が存在したことになる。そちらの方がまだ現実的だが、「七人」と定まった数になるのはおかしい。


 遺伝ではなく一子相伝の技術だとする。しかしこの場合は、ニュトが言っていた「十歳になったら力が使えるようになる」との言葉に反する。


 こうしたことはすでに何度も考え、堂々巡りしているのだ。そして大体が、このロストグラフにいるだけでは解明できないと結論づける。


 ツキトは最近、考えていた。

 ボドを倒し、ロストグラフを救う。それによってニュトを解放する。この目的のためだけに、ここ数か月を生きてきたが、その先自分はどうするのか、ということを。


 もちろん目の前の目的が一番大事だが、それはもう明日だ。明日を無事に過ごせたら、次は明後日の自分はどうしているのかを考えなければならない。

 未来を見ないものに成功は無い。明日の成功は明後日のためにあるのだ。


 魔女、というものを考えたとき、自分の進むべき未来はそこにあるんじゃないか――と、ぼんやり思うようになった。

 それも結局はニュトのためという大元の動機に繋がる。ツキトは彼女を解放することで一旦は救うことになるが、魔女と呼ばれるニュトがそのままずっと幸せに暮らせるのか、ということに疑問を抱いていた。


 また誰かに狙われるんじゃないか。


 魔女の力が暴走するようなことにならないか。


 人を不幸にしてしまわないか。


 魔女を引き取ってくれるような人がちゃんと現れるだろうか──。


 誰にも見てこられず生きてきたツキトは、この世界へ来て初めて見てもらえた。透明人間なのに、見てもらえた。大事なのは見た目じゃなく、あなたの存在そのものだ──そんな風に肯定してくれたニュトは、もはやツキトにとっての生きる理由の一つになっていた。


 決戦前夜。

 ツキトは決心した。



 やはり無事に革命を終えたら、この国を出よう。



 ニュトは寂しがるかもしれない。

 王やシスティーユは透明人間の力を欲しがるかもしれない。

 バスタークあたりは怒るかもしれない。


 仲間はいない。

 また一人だ。

 でも、この国で過ごした経験がある。

 それを胸に、冷たい風の吹く荒野へ飛び出そう。


 冒険の旅に出よう。


 ――あのヒビ割れた曇り空の下へ。



 機王を倒した「英雄」は五人いる。

 もしもボドと同じように、「英雄」が「魔女」を狙っているのなら、ニュトと同じように囚われている魔女がいるかもしれない。

 彼女と同じように、悲しい思いをしている魔女が。

 魔女たちのことを知って、ニュトのことをもっと知って、真の意味での平穏を彼女にもたらすのだ。


 そしてそれは、ツキト自身の力「世界に線引きする力オルヒナ」にも繋がるような──そんな気がしていた。


 ニュトを救うという元々の動機、ボドを倒す目的、その先の目標──ようやく全てが当てはまった気がして、ツキトはどっしりと腰が落ち着いたようだった。



「……ちゅきと?」


 そんな風に思っていたら、ニュトがふい、と顔を上げた。

 ツキトの考えを読み取ったかのように、寂しそうに眉を寄せている。


「……どうした、そろそろ眠いか?」


「ん……。ううん、今ね、ちゅきとがどこかに行っちゃいそうな気がしたの」


 鋭い。


「なんだそれ。今夜はもうどこにも行かないよ。前から言ってあるだろ? 明日が本番なんだから」


 ごまかしたつもりだったが、ニュトのきらきらした瞳はツキトの心を見透かすようで、視線がしっかり交わるわけでもないのに、彼は思わず顔を逸らした。


「……俺はいつでも、ニュトのことを考えてるよ。そのためにこれからも生きていく」


 何の答えにもなっていないな、とツキトは思う。


 ニュトはじっとツキトを見つめた。


「……どこにも行かないでね」


「……んん」


「どこか行くなら、ニュトもつれてって」


「ニュトは、まだ子供だろう?」


「……じゃあ、まってて」


 彼女の目に、俺が映る。


「ニュトがオトナになるまで、まっててね」


「……ああ」


 「ああ」じゃねーだろ……と、自分に突っ込んだ。


「じゃあ、はい」

「ん?」

 ニュトは小指を差し出していた。


「やくそく」


 彼女は覚えていたのだ。

 ツキトがこの世界へ初めて来た日、約束を交わしたあの仕草を。


 ツキトは自分の小指を絡めた。

「分かったよ。約束」

「うんっ」



 まあ──


 ──と、ツキトは思った。


 ニュトはまだ幼い。そう言えるほど俺も大人じゃないが。

とにかく、幼い頃の記憶は、その後の色々な思い出に埋もれていくはずだ。

 俺の旅がどのくらい長くなるかは分からないが、きっとこの国へ帰って来た時には、ニュトも立派に成長しているだろう。

 友達もできて、恋人もできて、ひょっとしたら結婚しているかもしれない。

 それでめいっぱい祝福してやる。

 最高のシナリオだ。


 もっとも、どこの馬の骨とも知れないような奴だったら、俺が怒鳴って追い返すけどな。

 ……はは、まるでおっかない兄貴だ。


 そんな風に、思った。



**



 ニュトは小指を離したあと、ツキトがどこにも行かないように、しっかりと抱き締めた。


 ツキトの匂いが、ニュトは大好きだった。

 少し埃っぽいけれど、温かくて優しい匂い。

 彼は体が見えないから、特にその声と匂いは、ニュトにとって特別だった。


 牢屋の夜は暗い。

 地下にあって窓が無いから外が見えないし、この階はニュト以外に囚人もいないため松明が少ない。

 彼女は一年以上ここにいるが、他の受刑者と違って仕事をさせられるわけでもなく、同居人が増えるわけでもない。狭い場所にずっと一人だった。

 今では森の緑も草木の匂いも思い出せなくなってきている。

 それでもツキトの匂いや、声や、体温は、絶対に忘れないとニュトは思った。



 ニュトの両親は、血の繋がった親ではなかった。

 彼女はそのことを知らないが、自分は彼らと少し違うんだろうな、ということは幼いなりにぼんやりと感じていた。

 髪の色も肌の色も違うし、接し方が恭しいほどに丁寧だった。

 叱られた覚えはほとんど無い。ニュトが他人に優しいのは生来のものでもあるが、育て親の影響も大きかった。


 ずっと森の中の小さな小屋で育った。

 父は木こりで、母は編み物で生計を立てていた。幼い少女の親にしては老いており、父も母も白髪が多かった。

 二人とも声が低く、穏やかで、まるで陽だまりのようだった。


 ツキトの匂いは二人に似ている、と、ニュトは感じていた。


 彼女は自らツキトに言ったことはないが、今も殺された両親のことを夢に見るし、悪夢で知らず泣いていることもある。

 ロストグラフの軍隊が突然現れ、ニュトを逃がそうとする両親を刺し殺し、泣きわめく彼女を無理やり縄で縛り上げた。

 わけも分からないまま連れて来られ、牢獄に入れられ、それからはただ生きるだけがニュトのやることだった。


 両親の教えが無ければ、衰弱死を選んだかもしれない。

 けれど彼女の父や母は、よく言っていた。


 「いいかいニュト、辛いときも悲しいときもあるだろうけど、自分を大事にしなさい。お前は世界を変える世界にたった七人の『魔女』で、それ以上に私たちの可愛い娘なのだから」──と。


 真っ暗な闇の中。

 愛する親は殺され、ずっと孤独だった。

 孤独な中でも、ただ生きなければと思った。

 両親のように、少しでも明るく、優しく、穏やかでいようと思った。

 そうしないと、「魔女」である自分のせいで親が死んだのだと──そんな恐ろしい思いが心を支配してしまうかもしれなかったから。

 自分に愛を注いでくれた両親の気持ちを裏切り、自殺という簡単な逃げ道を選んでしまうかもしれなかったから。


 そんな時に、「彼」は現れた。


 いつの間にか同じ牢の中にいて、

 自分を助けると言ってくれて、

 いつも一生懸命走り回っている。


 実のところ、ニュトがたまに夢でうなされているのは、ツキトも知るところである。

 けれど夢の内容を訊くことはまだ早いと、彼は考えていた。

 良くない環境の中で過去のトラウマを繰り返し思い出させることが、ニュトにとって良いことだとは思えなかったためだ。

 ここから出て平和な環境を手に入れたら、それからゆっくり心の傷を癒す。今は体の健康を優先すべきだとツキトは考えていた。

 代わりにせめて、自分が彼女に寄り添うのだと。


 ニュトの人格形成はまだまだ未完成である。

 第二次性徴期はちょうど八歳になる前頃から始まるが、その大切なスタートダッシュを失意と孤独の中で過ごしたため出遅れたのだ。

 だからツキトの考えは、ある意味正解だったのかもしれない。負の感情よりも正の感情の方が成長には影響が良い。


 しかしそのためにツキトが献身的に尽くしたことで、ニュトにとっては彼がただの保護者以上の存在になっていた。

 兄代わりであり、父代わりであり、母代わりでもある。

 「依存」という言葉はニュアンスが違うかもしれない。

 ニュトの人格形成の根っこには両親の優しさがある。しかしそこから芽吹いて、これから形を成す少女のアイデンティティーは、ツキトが、今はただツキトだけが、大きく影響を及ぼしているのだ。


 ツキトに負けず、やはりニュトも彼の存在が中核を成している──。



**



 ツキトは眠りについたニュトを見下ろした。


 さあ──明日こそが、“革命の日”だ。

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