第24話 「それぞれの決戦前夜・1~グランデル、バスターク、ブリガンディ~」

1・グランデル


 ロストグラフ王国十二代目国王グランデル・ロストグラフは、歴代の中で最も優秀な王と言われている。

 戦場に出れば一騎当千、外交においては深謀遠慮しんぼうえんりょ、内政では長く続いた奴隷制を廃止し国内外からの支持を得た。百年間睨み合ってきた砂漠の国ジャルバダールと友好協定を結んだのも革命的であった。

 誰もが憧れる王者であったが、グランデルは自らの人生に三つの大きな後悔があった。

 その後悔には全て女性が関わり、グランデルは自身も、女性に対して呪われているのではと考えたこともあった。


 一つ目は、実母を蛇の毒で死なせたこと。

 蛇は幼いグランデルが戯れに捕まえたもので、彼を守るために母は自ら蛇の毒を受けた。

 このことに対し父からは厳しく叱られることなく、ただ「一生背負いなさい」と諭されたことも心に残った。


 二つ目は、妻の死を看取れなかったこと。

 グランデルが遠征している時、流行り病で亡くした。妻の最期の言葉は遠くにいる夫に向けられた、「娘をお願いします」というものだった。


 そして三つ目は。

 母を死なせてしまい、

 妻の死に立ち会えず、

 幾度となく悔いてきた男の最後の後悔は――国政を理由に娘と遊んでやれなかったこと。

 いや、娘と正面から向き合ってこなかったこと。

 向き合わないまま英雄ボドを国へ迎え、そのまま娘を自分から遠ざけてしまったこと──遠ざけざるをえなかったこと。


 「なんて愛らしい子なんだ」

 娘が生まれた日、世界で一番美しいものを見たはずなのに。

 思えば一度も、面と向かって愛していると言わなかった。

 それは王が、身近な女性を不幸にしてしまったと悔いてきたせいかもしれない。


 ここ数日、体が思うように動かなかった。

 毒を盛られているのだと知ったとき、グランデルの頭にまず浮かんだのは愛娘のことだった。


 このまま娘と向き合わずに死ぬことは出来ない。


 最後の後悔は、墓場へ持っていく前に払拭するのだ。


 亡き妻に託された思いに、必ず報いなければ。


 その戦ぶりから「獅子王」と呼ばれたグランデルは、この夜以上に思い知らされたことはなかった。

 自分は王であると同時に、父親なのだということを──。






 2・バスターク


 六王兵の一人バスタークは、今夜も体力作りに励んでいた。

 考えることがあまり得意でない彼にとって、頭を空っぽに出来る時間は貴重だった。そのうえ体も鍛えられるとあって一石二鳥だ。


 この夜、誰よりも浮かれていたのはバスタークだったろう。

 彼の目にはすでに、英雄が討伐された後のロストグラフの未来が見えていたのた。

 詳しい作戦は知らされていない。

 知らずとも兄貴分を信じる。

 それが自分の役目であり、自分にしか出来ないことだという自負があった。

 それが何より誇らしかった。


 バスタークは誰より素直だった。

 正直で純朴だった。

 それゆえに、悪い環境に置かれ、行いを正してくれる人がいなければ、素直さは粗暴となって現れてしまう。

 今は亡きルファード大将軍は、紛れもなくロストグラフを引っ張ってきた英雄だった。真っ直ぐな男で、バスタークもこの人についていけば間違いないと信じていた。


 対してツキトは、また少し違う。

 師匠として従ってきたルファードに比べ、威圧感は無く、背中で語るタイプではなく、ましてやロストグラフの民でもない。


 けれど、温かいのだ。

 弱者の目線に立ち、ごく身近にいてくれて、冗談が好きだし、時にはエッチな話もする。

 自分より年下だと知ったときには驚いたけれど、そんなものは関係ない。

 自分を叱咤してくれたとき、こんな人が兄貴分だったらいいと思ったのだ。


「ふんっ、ふんっ、ふんっ」


「イチニッ、イチニッ、イチニッ」


「百十っ、百十一っ、百十二っ」


 トレーニングをしていると、どんどん頭がスッキリしていく。

 余計な考えは全て消えて、やらなければならないことだけが残っていく。


 ──ひとつ。全身甲冑を着込んだ兄貴、ブリガンディ、アレクトロと全員でボドのところへ行く。


 ──ふたつ。ブリガンディと共に脇に控え、兄貴が考案した「フンドウ・・・・フレイル・・・・」を構える。それから何が起ころうとも、決してボド以外に手を出してはならない。


 ──みっつ。兄貴を狙った凶刃を、ブリガンディと両端を握り合ったフンドウ・フレイルで防ぐ。


 ──以上。ごく簡単だ。

 なんてことない。


 ボドをぶっ倒したら、兄貴を六王兵に取り立ててもらうよう陛下に進言しよう。

 兄貴と一緒に、ロストグラフを復興させよう。

 師匠が天国でも安心してもらえるように、今度こそ道を踏み外さず、陛下に、姫に、民に尽くそう。


 バスタークの頭では、希望に溢れた未来が広がっていた。



 それが叶わないのだと知るのは、決戦が終わってからのことになる──。






 3・ブリガンディ


 女性にしては大きな体、目立つ赤い髪、長い手足を投げ出して、ブリガンディはベッドに寝転がっていた。

 ここ数か月のことが、彼女にとってはとてもドラマティックで、そのクライマックスが明日に控えているのだと思うとなかなか寝付けなかった。


 いや、あるいはロストグラフの兵士になってからの数年間が、ずっと激動だった。


 さす、とブリガンディは額の角を撫でる。


 彼女が親の元を離れ、人の世界で生きていこうと決めたのは十歳のときだった。



 鬼人オーガは、パボニカ大陸の南に小さな国を作って暮らしている。

 人間より大柄で、強く頑丈で、長寿でもある。

 人間は彼らの見た目や力強さだけを見て恐れるが、その印象に対して実際は非常に大らかな種族である。

 本気を出せば人の国など壊滅させられるほどの力と長い時間を過ごせる寿命のためか、人の国の興亡や獣の生と死を外側から見て来た。


 だからこそ、一瞬の享楽や軽はずみな行動の愚かさをよく知っていた。長く長閑に平和に過ごす、その尊さを知っていた。

 鬼人オーガは賢い種族だった。


 けれどブリガンディは生まれつき、そうした鬼人オーガの性質が合わなかった。

 両親も三人の兄も、彼女を突然変異だと思っていた。


 長い寿命があるのなら、それだけめいっぱい楽しめばいい。せっかくの人生を希釈するなんてもったいない。たくさんのことを経験したい。

 戦に負けたら次は勝ち、人生で落ちぶれたらまた成り上がり、恋をして子を産み育て、伴侶が亡くなったら長い時間を掛けて悲しむ──そんな充実した生こそを、ブリガンディは望んでいた。


 彼女が十一歳のとき、ジャルバダールとの戦争で兵士を募集していたロストグラフに志願すると、こんな少女がと鼻で笑った兵長をぶん投げたのを皮切りに、獅子奮迅の活躍で戦場を駆け抜けた。

 「赤鬼」の二つ名が付いたのは、まだ十二歳になったばかりの頃である。


 戦争が終わると力を示す場所を国内に変え、数々の武術大会で功績を残す。

 ぐんぐん階級を上げていく感覚は心地よかった。生きている実感があった。


 年頃にはもう六王兵候補兵で、ヘイルデン将軍のもと、武術だけでなく戦術も学ぶ。やがて先代の三番隊隊長が病死したのを機に六王兵に抜擢され、ファンダリンが記録を塗り替えるまで最年少の六王兵となった。


 ブリガンディが栄光を掴むまでの年月は余りにも早かったが、しかしそれから始まる忍耐の時期もまたすぐに訪れた。

 「機王」率いる機王軍がパボニカ大陸に上陸すると、各国が混乱に陥った。まだ若いブリガンディが命じられたのは機王軍そのものへの抗戦ではなく、混乱を機に暴れ出した蛮族や盗賊らの鎮圧である。


 この火事場泥棒たちは油断すると虫のように湧き、討っても討ってもキリが無かった。ブリガンディは常に戦場に身を置いた。

 やがて機王大戦が終着し、国の勇者ルファード大将軍が倒れた訃報を聞くと、それに嘆く暇も無く、英雄ボドの出迎えと魔女の捕縛、システィーユ潜伏の偽装と、ブリガンディの周囲は矢継ぎ早に変化していった。

 なんと目まぐるしいのだろう──ブリガンディはそう思った。


 人の世界は、なんと移り変わりが早く、また無駄が多く、それゆえに胸躍るのだろう。


 実際ブリガンディは雌伏しふくの時ですら、英雄ボドへの叛逆を考えることに燃える闘志を隠すことが出来なかった。


 悲しいことはたくさんあった。

 後悔もあるし、これから先もいっぱい味わうだろう。


 さすさす、とブリガンディは角を撫でる。

 鬼人にとって額の角に触れることは、自分を知る最も有効な手段である。体温よりも、拍動よりも自分の気持ちを素直に伝えてくれる。


 後悔はある。

 けれど赤鬼と呼ばれた時より、

 六王兵になった時より──


 ──間違いなく、今のこの一瞬が、人生で一番興奮している。



「……ツキト」


 ぽつり、と呟くと、彼女は思わず胸が高まるのを抑えられなかった。

 それは初めて抱いた異性への淡い想いだけではない。

 彼の存在が、この世界そのものをもっと面白くしてくれる──常に刺激を求めて来たブリガンディには、そんな確信があったのだ。

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