第22話 「システィーユ姫の決断」
「どうしたの、ブリガンディ。こんな夜遅くに私を呼び出すなんて。……その格好はなに?」
暗い食堂の中、システィーユ姫は
「い、いえ、姫さま……これはその、目立たないようにと炊事婦の格好を……」
額の角を隠すための三角巾。パフスリーブの半袖ワンピース。そしてエプロン。
たしかにここの食堂のスタンダードな炊事婦の服装ではあったが……
「案外似合ってるわね」
「そ、そうですか……?」
ブリガンディは、炊事婦の先輩であるティナちゃん──もとい、システィーユ姫から、ご評価を頂いた。
客観的に見れば、あまり合ってないかもしれない。
まずサイズがパツパツだ。
ブリガンディは背が高いし、脚も長いから、袖やスカートの裾から伸びる手足が明らかに露出しすぎている。
加えて筋肉質なのでアンバランスである。
三角巾で角を隠しているとはいえ、ささやかな膨らみが浮き出てしまっているし、何より派手な赤い髪が、労働に従事する炊事婦の質素な印象をガッツリ消し去っていた。
着せたのは俺だから、多少の罪悪感はあるのだが。
ただ主観的には、そんな格好だとしてもスタイルが抜群だから、着こなしている……んじゃないかと思う。
「わざわざ頑張って変装してくれたのね。ふふっ、なんだかおかしい。今度料理でも教えてあげましょうか?」
「そんな、畏れ多い……」
あの
なんだ、俺やバスタークには歯に
「それに、何より」
と、姫はゆっくりとまばたいて、ブリガンディを真っ直ぐに見た。
「……久しぶりに
そう言って、ブリガンディをそっと抱き締めた。
「うう……姫さま……逢いたかったですぅ~……」
ブリガンディもぎゅっと抱き返す。
綺麗な女子たちの美しい友情。
ふむ。
これはなかなかよろしい光景ですね……。
ブリガンディはそっと体を離すと、姫様をまっすぐに見た。
「システィーユ様……実は、いささか急ですが、紹介したい方がいるのです。それでこんな時間に来ていただいたのです」
「そうなの? こんな広い場所で誰かに見つからない?」
その人物が何者かを心配するより、場所の心配とは、どうやら姫様は心からブリガンディを信頼しているようだ。
「安心してください。夜の食堂にわざわざ足を運ぶ人はいませんよ。もしいたとしても、この暗さです。急いで逃げれば誰だか分からないでしょう。ぼんやりとした格好だけ見ても、女の子二人が密会してるようにしか思われませんとも」
女の子二人が密会。
なんだろう、このドキドキするワード。
まあ実際の話、そこまで心配しなくても大丈夫だろう。
この世界で最も異常なものといえば、言わずもがなヒビ割れた曇り空だが、おかげで星明かりが無いため、身を隠すのにはもってこいなのだ。
それに日本と違い、ロストグラフで夜に活動する人は少ない。まず暗いし、夜を活動時間にしている人は裏の仕事をしているという常識があるため、誰かに怪しまれて兵士にしょっ引かれる可能性を考えて出歩こうとしない。
アレクトロ将軍が夜に姫の元を訪れるのも、そうした計算があってのことだろう。彼が来た時は、慌てて逃げるしかないな。
しかし最悪バレたとしても、もういいのだ。
なぜなら英雄ボドは、システィーユ姫の生存を知っていた。つまり、知っていて泳がせているだけなのだ。だから姫がここにいようが居館にいようが、実のところ大きな違いは無い。
もちろん、あからさまに正体をバラしてしまっては、こっちがボドの内情に気付いていることを勘付かれてしまうかもしれないが。
「──ちょっと待って。その物言いは変だわ、ブリガンディ」
ふとシスティーユ姫が、
「これからここで人に会うんでしょう? それなのに誰かに見つかっても
──言われてみればそうだ。
珍しくブリガンディが失言したな。姫様相手で気が抜けていたからか。
いや、俺だって気付かなかったんだし、これはやはりシスティーユ様が聡明だってことだろう。
「ええっと……それは……その」
「ごめんなさい、詰問するつもりは無いのよブリガンディ。あなたのことは信頼しているわ。ただその
「あっ、ハイ。そうですね……ですがその前にお願いがあります。姫さま、何が起きても驚かないでくださいね」
「大丈夫よ。あんなケダモノが英雄呼ばわりされている現状より驚くべきことなんて無いから」
なんて気が強い姫さまだ。
誰かに聞かれていたらどうする。
──と、心の中でツッコミを入れつつ、ちょっと自分の緊張を和らげる。
ふー。
密会とは言え、一国の王女様への謁見だ。
しかも相手は気丈で聡明な絶世の美女様である。この世で一番苦手な手合いだ。緊張するなという方が難しい。
でも、なんでか他人って感じがしないんだよな。
やっぱり「ムーン」としてすでに何回も会っているからだろうか。
「えー、では。こちら、ツキト・ハギノです」
と、ブリガンディの声に背中を押されて、食堂の暗がりから、すうっと姿を現した。
本当は透明化していて、ゆっくりと姿を現したのだが、システィーユからはずっと暗闇に隠れていたように見えただろう。
姿があることを認めさせるため、今夜はフルアーマーである。ちなみに最近、男性ものの
「ふうん……男性なの」
蝋燭の明かりに浮かび上がる俺の姿をじろりと見て、姫さまは警戒心を露わにした。
プライドの高い人だ。高すぎるくらいに。彼女の信頼を得るためには、まず礼儀正しくなければならないだろう。
俺はすぐに膝をつき、うやうやしく頭を下げた。
「ご紹介にあずかりました、ツキト・ハギノと申します。まずは姫君の
「ええ、気にしないで。私もドレスじゃないから」
「ご寛容なるお言葉、痛み入ります。このような時間、場所に足を運ばせたこと、重ねて謝罪いたします。──さて、つらつらと前置きをしても姫君の時間がもったいないだけ……私の目的と、私自身が持つ力を簡潔にお伝えしたいと思います」
「話が早くて結構」
「──目的は、英雄ボドへの
一瞬、システィーユの瞳に鋭い眼光が宿る。
「……戦士ツキト、あなたのような志を持った者は多くいました。私がブリガンディらから伝え聞いている話だけでも、十を超える英雄討伐計画が実行され、うち半分が国王主導のものでしたが、どれも失敗に終わっています。──確認しますが、無駄死にすることが目的ではありませんね?」
手厳しい反応である。
だが、これはむしろ彼女なりの優しさだろう。ムーンとしてシスティーユの悩みや愚痴を聞いてきたから、それが分かる。
彼女は俺の命を心配してくれているのだ。
「無論です。たしかに敵は強大。
兵士の家族や恋人、友人を人質に、仲間割れをさせて団結を阻止する卑劣なやり口。また恐怖政治で腕の立つ兵士を親衛隊にし、多くの兵卒を思うがままに操る非道……それらの横暴を許してしまうのも、誰も手を出すことが出来ない『不死身』の体を持つため。
見せしめに殺されたヘイルデン将軍以外の六王兵や王族などに手を出していないのは、あくまでグランデル王がロストグラフの象徴である印象を崩さないためで、それも全ては、いずれ国王陛下を殺害することで国中の民を絶望に叩き落とすためだと──……失礼、言葉が過ぎました」
「……いいえ、気遣いは無用です」
あくまで姫は冷静だった。
「……驚きました。ずいぶんと内情に詳しいのですね。ブリガンディ、これはあなたが?」
「私やバカターク──……こほん、バスターク将軍。それにファンダリン将軍など、ツキトには六王兵たちが協力しています」
「あの気まぐれなファンダリンまでが……そうだったのですか。初めて知りました」
背筋がヒヤリとするような声だった。
「はっ、はい──申し訳ございません。もっと早くに、姫さまにもご報告するつもりだったのですが──」
「姫君、どうぞご容赦いただきたく。彼らに口封じを願い出たのは私なのです。それもこれも、全ては私の風変りな力のため。率直に申しあげましょう。私は、透明人間――姿の見えない存在なのです」
は?
と、そこで姫さまから初めて気の抜けた声が出た。
「呆れるのも分かりますが、百聞は一見にしかず。まずはどうぞご覧ください」
透明なものをご覧くださいとは、ちょっとした皮肉だが──俺はシスティーユの前で、ゆっくりと足先から消えてみせた。
視覚に関するこうした芸当なら、大分ヒネリを利かせられるようになってきたな。
「うそ……本当? 魔術や奇術じゃなくて……?」
呆気に取られている姫様は、なんだか可愛い。
「本当です。声が聞こえるでしょう? 私はたしかに、ここにいます。いながらにして、体を消しているのです。
正しく言うなら、体はもともと無意識に消していて、今は服や鎧を意識的に消しているだけなのだが。まあその辺りの細かい説明はこれからしていこう。
もう一度ゆっくりと姿を現すと、システィーユは、ぱち、ぱち、と何度かまばたいて、それから頭の整理が出来たようにひとつ頷いた。
「……なるほど。その力があれば城内の色々な秘密を探れるし、同時に人に明かすことが弱点にもなる。弱点をさらすことで、私の信頼を勝ち取ろうというわけですね」
素晴らしい。
なんて頭の回転が速い
「仰る通りです。もちろん、これが力の全てではありません。音や匂いを消すことも出来ますし、逆に顔や体には色を取り戻すことが出来ないといった欠点もあります」
「そのための鎧や仮面ですか」
「まったくもってその通りです」
ふうん、とシスティーユは値踏みするようにこちらの顔を覗き込んだ。
「コイツは信用できますよ、姫さま。アタシだけじゃない、バスタークやファンダリンの話を聞いても真摯な人物であることは確かです」
「あら、百人の兵士を蹴り倒す『赤鬼』のあなたが、ずいぶんと入れ込んでいるのね」
「いっ……いえ、入れ込んでるとかそういうんじゃ……ない、ことも無いですがー……」
なんかモゴモゴ言ってるが、信頼してもらえるのは嬉しい。
システィーユの視線が再び俺に刺さる。
「で、あなたの望みは?」
「と、言いますと」
「私たちにタダで手を貸そうというわけじゃないでしょう? ボドの代わりにロストグラフを狙っているとか、褒賞として財宝が欲しいとか……
「それならあります。たったひとつだけ。叶えていただけたなら、他に望むものはありません」
ボドを倒すのには色々な理由が出来たが、その後に願うことは最初から最後までずっと同じだ。
「──“魔女ニュトの解放”。彼女の投獄はボドの命令だったそうですが、奴のせいで両親まで失った可哀想な子です。解放して、出来れば迫害されず、ちゃんとした教育が出来る環境を与えてあげてほしい」
システィーユは少し目を丸くした。
「……予想だにしなかった答えです。自分への褒美は無くて良いのですか?」
「それが私への褒賞です。何よりの褒美です」
この世界へ来てしまった理由は分からないが、この世界で生きようと決めた理由なら分かる。ニュトのおかげで、ツキト・ハギノはいるのだ。
「……ふっ」
システィーユはくすりと笑った。
「ふふっ。ブリガンディ、あなたがツキトをここへ連れて来たわけが、よく分かりました。バスタークやファンダリンまでがこの人に加担している理由もね。
『魔女』の力を手に入れたいというのがツキトの動機なら、彼の手を借りることは無かったでしょう。けれどツキトは、その後の魔女の生活までもを案じている──本気でたった一人の少女を助けるためだけに、危ない橋を渡り続けてきた……」
「……おかしいでしょうか?」
「ええ、変わっていると思います。けれどそんな風に考えられることは、誰にとっても理想だと思いますよ。私も誰かにそこまで強く想われたら、きっと嬉しいわ」
システィーユの理知的な瞳の中に年相応の少女の一面が見えて、思わずドキッとする。
が、同時に彼女の顔には一抹の寂しさも浮かんでいた。
「ムーン」はシスティーユによく聞かされていた。王女という立場柄、彼女に友人が出来たことが無いということを。
いくら親しくても、ブリガンディだって部下には変わり無い。母を早くに亡くし、父であるグランデル王は国政で忙しかった。システィーユはずっと孤独だったのだ。
俺とニュトの間に強い絆を見て、少し羨ましくなってしまったのかもしれない。
しかし彼女はすぐにその寂しさを振り払うと、いつもの毅然とした態度で俺を見つめた。
「……品定めするような質問ばかりしてすみませんでした。ぜひ、あなたの力を貸してほしい。いいえ、ロストグラフの王女としてお願いさせてください。私も、どんな協力でも惜しみません。ツキト・ハギノ──この国を救うため、ボドを倒して」
俺はその場にひざまずき、システィーユの顔を見上げた。
「はっ──必ず」
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