第19話 「ようするに必殺技の名前決めだ」

 ロストグラフに紅茶の文化があったのは運が良かった。紅茶やコーヒーは受験勉強の友だった。飲むと頭がスッキリする。

 しかも六王兵に支給される茶葉が、かなり良いものなのだ。アールグレイやダージリンとも違う、どこかスパイシーな香りがする。部屋に漂うアジアンな匂いにも合っている。


 ファンダリンにも紅茶を淹れてやり、二人でホッと一息ついた。


「……それにしても、つっきーは不思議だね」

「俺自身、この透明な体は不思議だって思ってるよ……」

「違う違う。誰かのためにそこまで頑張れるのが不思議って言ってるんだ」


 ファンダリンは人差し指を立てて指摘する。


「……そんなの俺だけじゃないだろう。バスタークやブリガンディだって」

「あの二人も、きっとつっきーに感化されたんだよ。ルファード将軍やヘイルデンのじいさんも人格者だったけど、どちらも強者の目線しか持たなかったからね。それに比べて、つっきーは超庶民派。強者の正反対」


 なんだそれ。喜んでいいのか。


 ファンダリンはくすっと笑った。

「英雄ボドは、ロストグラフを乗っ取った。それに叛旗はんきを掲げて打倒を目指すってことは、『革命』だ。

 革命するには力だけじゃいけない。虐げられた者の気持ちが分からなくちゃ。

 けれどこの両立が難しい。

 力ある者は虐げられないし、虐げられる者には力が無い。あっちが立てばこっちが立たずだよ。

 だけどつっきーは透明化という常識外れな力を持ちながらも、常識的な思想で動いている。

 お金を盗もうが、誰かを襲おうが足もつきっこないのに、それどころか牢屋に閉じ込められたちっぽけな女の子のために命を懸けて戦おうとしてるんだからね。

 これが不思議以外の何だっていうんだい」


 俺は言葉に詰まった。

 今まで自分の行いに疑問を持つことはほとんど無かったし、ニュトを助けるためと決めてから、ただそれだけを一番に考えてきた。


 なぜ。


 これは自分の根っこ……行動原理を再確認する作業でもあった。


「……ファンダリンにはさ、親っているのか?」

「ん? いるよ。ていうか普通にロストグラフで研究者をやっている。ファンちゃんが言うのもあれだけど、どちらも変わり者だからね。研究一筋で、あんまり会わないけど、たぶん大事には思ってくれているんじゃないかな。たまに研究の成功作とか差し入れてくれるし」


「そっか。そいつはうらやましい。……俺にはさ、親がいないんだ。親戚に厄介になっていたんだけど、そこでも疎まれていて。おまけに自分に自信が無くてね。俺が育った国じゃあ親が両方ともいないのは珍しくて、あること無いこと言われて育ったのさ。飛び抜けて何かに秀でていたわけじゃなかったから、誰からも認められたことが無かった。だからこそ物語の中のヒーローに憧れたりもした」


 紅茶をひとくちすすると、鼻の奥に温かい香りが抜けて行った。


「……俺さ、ここに来る前に、片思いしてた女の人から『好きです』って言われたんだよ。今思えばただの憧れみたいなものだったけど……それでも誰かに見てもらえていたことが嬉しくて、すっかり舞い上がって。

 ──だけど、それは単にからかわれただけだった。悲しくて恥ずかしくてさ……でも心のどっかで冷静に自分を見ている、もう一人の自分がいてね。お前は萩野月人なんだから当たり前だろ、って言ってくるんだよ。

 悲しいことなんて無い、恥ずかしいことも無い、これがお前だ。いてもいなくても同じなお前だ──って。

 それこそ変な話だけど、だからその場所から消えたのかなって。透明人間になったのかなって思うんだ」


 ファンダリンはじっと俺を見ていた。


「……でさ。ニュトには、俺が自分を透明人間だって認める前に、出逢ったんだ。彼女は俺を恐がらず、気持ち悪がらず、『ここにいるよ』って言ってくれたんだよ。

 透明なバケモノを、ここにいるって認めてくれたんだ。俺がすんなりと透明な自分を受け入れられたのも、きっとそのおかげなんだ。

 誰にも見てもらえなかった俺が、見えない自分を見ても・・・・・・・・・・らえた・・・。──こんなに嬉しいことってあるか?

 透明人間で構わないと思った。

 透明人間が良いと思った。

 俺が虐げられてきたのは事実で、今も昔も弱者だ。弱者だけど──俺はニュトに出逢えた。それが全てだよ」


 ファンダリンは「ふうん」と、溜め息と共にうなずいて。

「なるほどね」

 と、ゆっくりまばたきをした。


 俺が紅茶をすすると、

 ファンダリンも、ずずっ、とすすった。


「つまり、つっきーはそのチビッ子が好きなんだ」

「ぶはっ」


 あぶねー!

 紅茶吹きかけた!


「──今ので、どうしてそんな話になる!」

「えーファンちゃんには、壮大な愛の告白にしか聞こえなかったけどなぁ?」

「あのな、言っとくけどニュトはお前より年下だぞ? 俺とはダブルスコアついてるっつーの」

「はい出たー、年齢を言い訳にして本音をはぐらかすやつー。たった八歳差じゃん。大人になったら気になんないっしょ」


 こっ、このマセガキ……!


「じゃあつっきーに訊くけどさ。その魔女にちゅーしたい、とか思ったことないの?」

「無い無い、ありえなさすぎる」

「じゃあアレか? 自分を認めてくれた存在を神聖視しちゃってるんか? うわー引くー引くわー。それもう好きを超えて崇拝じゃん。そんなの魔女ちゃんだって願い下げに決まってるよ。女の子があがたてまつられて喜ぶと思う?」


「ああ──もういい。この話はここで終わりだ!」


 ところがどっこい、マセガキはしつこかった。

 終わらせてたまるかと、ぐいぐい来る。


「んじゃー、魔女ちゃんが好きじゃないとしたら、誰が好きなの? ひょっとしてブリガンディ? あのねーちゃん、自分の魅力に無自覚だけど、おっぱいも太もももムチムチしてるよね。男としてはさー、健康的なエロスに惹かれるんじゃない?」


 まあ、それは、たしかに、否定は出来んが──


「それともお姫様ってセンもありかな? そりゃもう絶世の美女だし、惚れない男はいないっしょー。ツンツンしているようで、意外に寂しがりやっていうのもイイネ。ちょいファザコン入ってるけどー」


 こいつ自分の雇い主にファザコンとか言いやがった。

 ていうか、ファザコンって概念あるのか。


 ファンダリンはもそもそとにじり寄って、俺に近づいた。


「そ・れ・と・も。大穴でファンちゃんっていうのもアリかもよー……? ほらほら、ファンちゃんだって個性的だけどけっこー可愛いしぃ」


「そぉい!」

「うひゃあ」


 ──べりっ。


「引きはがされたぁ! 何すんのさ、つっきー、ぷんすかー」

「俺も忙しいんだよ。もう早く講義を再開してくれよ先生……」

 「ぶー」、とつまらなさそうに膨れて、ファンダリンはやっと自分の椅子に戻った。


「仕方ないなぁ。つっきーをいじるのはこの辺にしといてやるか」

 やっぱ俺で遊んでたんだなコイツ。



 閑話休題。



「そんじゃま、さっきの続き始めますかぁ。──と言っても、大枠が出来たから後は細分化していくだけだよ。あれ、大枠って何のことだっけ? はい、それじゃあツキトくん!」


 は? え? ──あ、えと。


「……俺の力は、『世界の定義を変える力』の範疇はんちゅうに類する『世界に線引きする力』である……。

 線引きとは、『自分とその他を区分けすること』、『自分と世界を切り離すこと』の二つを指す……だな。

 方法は魔素に干渉するようだが不明。

 透明化とは、それらの作用が表出した結果である」


「せーいかーい! うんうん、理解力が高くて、先生はうれしーよ」


「でもこれ、まだあんまりまとまった気がしないんだけど」


「階層にしてみればいいさ。もうほとんど整理できてるよ。

 第一階層。『世界の定義を変える力』。

 第二階層。世界の定義を変える力が色々あったとして、その中の『世界に線引きする力』。

 第三階層。線引きする──すなわち魔素に干渉する方法の種類分け。『魔素の流れに干渉する』か、『魔素に直接干渉する』か。

 第四階層。『見られない』、『聞かれない』、『嗅がれない』、『味わわれない』、『さわられても感じられない』もしくは『さわられない』。

 どう? だいぶ体系化できたでしょ?」


「なるほど、そう考えると分かりやすい」


 というか、この階層図が把握できてれば、わりと単純な構造のような気もしてくる。


「後はレッテル貼りだけだね。元々は区分けそのものを意味するけれど、ここでは区分けをより明瞭化するため、呼び名を付けるという意味で使う。

 まー早い話が、つっきーの好きな名前決めだよ、名前決め。

 ツルツル・オンとか、くろーするオフとかの」


 「ツール・オン」と「クロース・オフ」、な。


「ちなみに、『世界の定義を変える力』には名前を付けなくていい。まだ謎が多いし、かえって偏向的な固定観念を自意識に植え付けかねないからね。

 つっきーが名前を付けるのは、

 まず『世界に線引きする力』。

 それから、見られないようにする・見られるようにする、のセットと、

 聞かれないようにする・聞かれるようにする、のセット、

 そして嗅がれないようにする・嗅がれるようにする、のセット──

 ──全部で七個さ。

 味わわれない、さわれないの二組ふたくみは、まだ会得してないから外しておこう。会得できるか否かは置いといて」


 七個か。


 その中でも、「世界に線引きする力」は別で考えた方がいいだろう。


 他の六個は、ようするに必殺技の名前決めだ。

 うーん、ちょっと悩むな。


「少し時間くれ」

「オッケー、じっくり考えるといいよ」


 で、十分ばかりかかった。


「よし、決めたよ。聴いてくれ。まず見られないようにする力が──『ゼロ・ヴィジョン』」

 かっこいい。

 我ながら自信作である。


「──ぷっ」

「なんだ? なぜ吹き出す」


「いや、前からちょっと思ってたけどさ……つっきーってちょいかっこつけじゃない? 『ゼロ・ヴィジョン』って、逆にくさいんだけどー」

「ななな、なんだとーう!」


 そりゃまあ、ずっと漫画やゲームが身近だったから、多少は中二っぽいセンスがついているかもしれないが……!


「ていうか分かりづらいよ。前のみたいにオン・オフでいいじゃん。セットはセットで意識した方がいいよ」


 それに文句つけたのお前じゃねーか……。


「……分かったよ。んじゃあもうちょい待ってくれ。あと五分」


「はいはい」


 ていうか時々思うけど、中途半端な英語とかでも伝わるのってほんと何でだろうか。


 むむむ。


「……よし決まった。今度こそ決まった。分かりやすさ重視で、カッコよさは二の次にした。聴いてくれ」

「どうぞ」


「まず見られないようにする力が、『シェード・オフ』。逆に見られるようにするのが『シェード・オン』」


 シェードっていうのは、濃淡・・のことだ。見えないというのは色が無いってことだから、この表現がしっくり来た。


「ふーん、なるほどね。まだちょいアレだけどいいんじゃない」


「よーし。続いて、聞こえないようにする力が、『サウンド・カーム』。聞こえるようにするのが『サウンド・ウェーブ』だ」

 音波が「サウンド・ウェーブ」なので、対して「凪」を意味する「カーム」。魔素の流れ、というのがファンダリン風の表現なので、「声」とか「音」よりも、「波」として考えるのが近いと思ったのだ。


 「ふんふん、そんで?」と、ファンダリン。

 よっしゃ、これも合格のようだ。


「最後に、嗅がれないようにするのが、『アロマ・スナッフ』、嗅がれるようにするのが、『アロマ・フロー』だ」

 香り、という意味なら「スメル」や「セント」があるが、いまいち耳馴染みが無い。それに比べて「アロマ」なら、直感的に匂いと結びつく。

 ようするにイメージが大事なんだ。匂いが視覚化されるイメージ。「スナッフ」は蝋燭の火を消すという意味だし、「フロー」は香りが流れるイメージ。これなら覚えやすい。


 さあどうだ、天才ちゃんよ。愛弟子に相応しく、分かりやすいラベリングが出来たと思わんかね。


「まあいいんじゃない。どうでも。ていうかファンちゃんがどう思おうと、結局はつっきーが把握しやすいかどうかだし、何でもいいよ」


 ……。


 ……ぐすん。


 一生懸命考えたのに。

 泣こうかな。


「ところで」と、先生は続けた。「『世界に線引きする力』は決まったのかい? これがイチバン難しいかもだけど、難しいものほど名前をつけるべきだよ」


 んー……一応浮かんではいるんだけど……。

 ぽりぽりと頬をかくと、ファンダリンが頭を小突いてくる。

 足で。


 やめろ。


「なんだよー、煮え切らないなー」

「……いや、なんでこんな意味の無い言葉が出てきたのか分かんないんだよ。何かの固有名詞ってわけでもなさそうだし、まったく聞き覚えが無いし」

「逆に気になる。言ってみ」


「『オルヒナ』……──」



 ──と、声に出した瞬間。


 なぜか胸が締め付けられた。


 懐かしさと切なさと、自分でも理解できない感情が混ざり、押し寄せる。


 オルヒナ。


 オルヒナ。


 ……なんだこれは。


 そうだ。この身覚えの無い感情のフラッシュバックは、システィーユ姫の歌を聴いたときに似ている。


 薄い桃色の髪をした少女の姿。


 オルヒナという名前。


 なぜ俺が、この世界に来て間もない俺が、こんな記憶を持っているのか。

 なんでこんなに悲しいのか……。


 ぱっ、ぱっ、と、

 目の前で振られる小さな手のひらに気づいて、やっと意識がはっきりする。


「大丈夫? なんかぼんやりしてたけど」

「……ん。ごめん。頭を使いすぎて疲れちゃったかな。そろそろ講義も終わりだろう? おいとまするよ」


「『オルヒナ』はどうするんだい? それで決まりなのかな」

「……そうだな。他に思いつかないんだ」


「いいね」

 ファンダリンはニコッ、と笑った。


「それくらい強烈なのがイチバンなんだ。どうやったって頭に焼き付いているからね。

 それじゃーファンちゃんから最後に忠告。今日覚えたことは、夜にでもしっかりと復習して、頭に定着させること!

 つっきーはニュトちゃんのことで頭が一杯で、自分の力の異常さに無頓着なところがある。

 大きな力は、また大きな災いも生むよ。ちゃんと自分を見つめて、力を正しく習得しなきゃダメさ」


 まったくその通りだ、と思った。


「オーケー、ありがとう先生。ボドの弱みを掴んだら、すぐに行動さ。また相談しに来るよ」


 ばいばーい、と手を振るファンダリンに振り返す。


 うーん……どうも変だ。

 俺はたしかに「萩野月人」のはずなのに、たまに去来するフラッシュバックは何なんだろう。

 これも異世界へ訪れた影響だろうか。


 手をひらいて、視線を落とす。

 そこに手のひらはなく、ただ石畳の廊下があるだけだ。


 今さらだ。

 変だと言うのなら、透明人間であることが何より変なんだ。記憶がなんだ。フラッシュバックがどうした。

 俺はニュトを解放するため、ロストグラフを救うため、英雄ボドを倒す。


 今はそれ以外に考えることなんて、無い。

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