第18話 「ファンダリン先生の透明人間講座その2」
謎の煙とアジアンな香りが漂う、雑然とした部屋の中へ足を踏み入れて驚いた。
三日前に来たときに崩れた書物の山がすっかり消えていて、また別の本の塔が何本も出来上がっていたのだ。
研究のことしか無い脳みそで、掃除などという殊勝な作業をやる柄ではないだろう。つまり三日の間に、本の山を何かしらの理由で一冊一冊
いやはや天才というものは、つくづく人種が違うのだと思い知らされる。
「ふっふっふ。そこにいるんだろう? 姿を見せなよ、
「いるいる、いるからもうそれやめたら」
「おお! おっす、つっきー! 待ってたよ~、ファンちゃんの可愛い被検体!」
「誰が被検体だ」
いやはや天才というものは、つくづく紙一重なんだなと思い知らされるな。
システィーユ姫の素晴らしい歌声を
意外にこれ、一番ラクなスタイルなのだ。
「実はちょっとした報告があって来たんだよ」
そう切り出すと、ファンダリンはチッチッチ、と人差し指をリズミカルに揺らした。
「王様の病気のことなら知ってるけど、ファンちゃん医者じゃないからなー。それにお見舞いするにはこの部屋から出なきゃいけないだろ? 日光に当たると死んじゃうんだよファンちゃんは!」
ヴァンパイアか。
「いや、別に王のお見舞いに行けとか言いたいんじゃなくてさ……昨日ついに音を消すことに成功したんだよ。ずっとファンダリン先生の仮説を意識してやってたから、その裏付けになるかなって教えてに来たんだ」
そう伝えると、ファンダリンは目の色を変え、ランプを片手にぴょんぴょん飛んできた。
がしっ、と抱きついてくる。
「逃がさん!」
「お、おう……逃げないって」
「くわしく!」
「教えるから、とりあえず座ってくれ」
いつものように床に座り込むと、ファンダリンは鼻息荒く目を輝かせた。まぶたが重そうでジトッとした目つきなのに、好奇心に光る紫色の目はいつもらんらんとしている。
昨晩自分の身に起きたことを打ち明けた。おそらくシスティーユ姫の歌声を聴き漏らさないよう、自らの音をシャットアウトさせたのだと。
「フムフム……やはりファンちゃんは正しかったか」
「ああ、多分な。魔素と潜在意識の関連性を説いてくれたおかげで、今後もこの力と付き合っていけそうだ」
「崇め奉ってもいいんだゾー」
「はいはいすごいすごい」
「心こめて、心!」
「すごーい」
「頭なでて、頭!」
「よしよし」
「えへへ……くるしゅーない」
なんだろう。
ニュトといい、やっぱ子供って頭撫でられるの好きなんだろうか。
子供と言っても、俺と三、四歳くらいしか変わらないけど。
いや、そんな疑問は置いといて。
「そういうわけで、そろそろボドの懐へ飛び込もうと思ってる。透明化に自信が持てるまで、充分待ったつもりだ。と言っても『消音』の方は完全じゃなくて、持続させられるのはせいぜい五分くらいだけど。虎穴に入らずんば虎子を得ずだ」
「ふーん、いつ行くの?」
「明日」
「明後日にしな」
「なんでだ? 今日を準備の日に当てようと思ってたんだが……」
「被検体は黙って言うこと聞けばいいんだよボケナスー」
「変な駄々のこね方をするなよ」
「ふふん。今日はファンちゃんが、つっきーの力の“体系化”をしてやるよ。その力は
なるほど、一理ある。
体系化か……。
「なーに、難しく考える必要は無いよ。体系化なんて、系統図とレッテル貼りの繰り返しさ。整理するのが目的なんだから、今より理解が難しくなったらそれは体系化じゃない」
「系統図とレッテル貼り」
「んじゃあちょっと書いてまとめっから、その間にファンちゃんの肩を揉めー!」
「へいへい」
ファンダリンは三分で書き上げた。
はっや。
「それじゃ始めるよ。いいかい、まずはこれまでのレッテルを全部はがす」
「レッテル? そんなの付けた覚え無いけど」
「付けてるだろー、『ツール・オフ』とか『クロース・オン』とか、あのダサいやつ」
え、ダサいか。超かっこよくね。
数か月以上使ってきて、ショックなんだが……。
まあ先生が言うのならしょうがない。
「オーケー、はがしました。とりあえず俺の力はまっさらだ」
「よろしい。続いてつっきーの力を
「えーと……やっぱり五感かな? 見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触って感じる……」
ファンダリンが「チッチッチ」、とまた人差し指を揺らす。
「細かいようだけど、それは相手側からの視点、つっきーにとっては受動的な言い方になるよ。アンタの力なんだから、自分の視点に立たなきゃ」
「自分の視点……ということは、見えない、聞けない、嗅げない、味わえない、触って感じられない……でいいのか」
「それでもまだ受動的さ。相手側の視点は変わらないまま否定の言い回しになっただけだ。
この場合は、『見られない』、『聞かれない』、『嗅がれない』、『味わわれない』、『
なんだかややこしいなぁ。
「そのへんはどっちでもいいんじゃないか?」
「ノンノン、ダメダメ。言ったろ? 自意識が力の核なんだから。どっちでもいい、なんて自分の中で濁しちゃったら、いざという時の判断に迷っちゃうよ。大袈裟じゃなく、勝負の世界で使うなら一瞬の迷いが生死を分けかねないだろ?」
むーそれはたしかに。
「それと忘れちゃいけない。
五感の前に、『魔素の流れ』……つまり世界の魔素に干渉するか、『つっきーの魔素そのもの』……自分の魔素に干渉するか、という
見られない、聞かれない、の二つは世界への干渉で、嗅がれない、味わわれない、触られても感じられない、または触られない──の二つは、自分への干渉だ」
「うあー。どんどん分かりづらくなってくる……」
「整理ってのは全てをテーブルの上にぶちまけて、そこから分けていく作業だからね。最初はごちゃごちゃしてるけど、すぐ分かりやすくなるとも」
この部屋の有り様で整理を語るのか。
もちろんそれを口にしたりはしないが。
「前につっきーの力を『世界に線引きする力』だと言ったね。これも少し曖昧な言葉だ。そこで、『世界の定義を変える力』というのを前提に置いたらどうだろう」
「定義を変える……?」
ファンダリンはやはりこういう話が好きなのか、歌うように喋る。
「ファンちゃんの知る限り、透明化なんてのは魔法でも呪術でもありえない。
つまり世界の
つっきーが力を行使することは、その時だけ世界の法則を書き換えているってことになる。
……もちろん、天才ファンちゃんにだって世界の知らない仕組みはあるだろうけど──これはファンちゃんによる体系化だから、ファンちゃん自身の知識内で定めている」
法則を書き換える……。
なんだか、すごく
でも……世界の
いや、だからこそなのかもしれない。
俺がこの世界の人間じゃないから、この世界の法則に当てはまらない力を得たのだ。
これも言葉遊びだが、そう考えるとなんとなく納得できる感じがするぞ。
「レッテル貼りは後回しにするとして──とにかく、この『世界の定義を変える力』が、一番外の大枠だ。
その中に『世界に線引きする力』がある。
こうやって考えると、なんだか分かりやすく感じないかい?」
「うーん、それでもイマイチ、世界に線引き、っていうのがピンと来ないなぁ。だって世界はモノじゃないから線なんて引けないだろう?」
「モノだよ。
『モノ』であり、『コト』なんだ。
ファンちゃんやつっきーという『モノ』も存在してるし、二人で話してるという『コト』も存在してる」
「ふむ」
「線引きっていうのは、今僕らがやってる作業と同じだよ。
人々は世界のあらゆる『モノ』や『コト』に呼び名を付けた。
ファンダリンやツキトという『モノ』の名前、会話や疑問といった『コト』の名前。
そうして色々なものを
つっきーがやっているのは、世界に干渉して、自分と、その区分けしている境界を変えるということだ」
ふむ……。
「すまん、全然分からん」
一体いつになったら分かりやすくなるんだ。
「それじゃあ、どういうものが線引きが、を考えるより、どうやって線引きをしているか、を考えてみよう。
ファンちゃんの仮説だと、透明化は二つの要素で成り立っている。すなわち、『つっきーの意識下、もしくは無意識下における区分けの変更』と、『それを可能にするための魔素への干渉』だ」
「全然分からんて」
「『透明化するための準備』と『実行』と言えばいいかな。
まあもう少し聞いてよ。ここから簡単になっていくからね。
いいかい。『つっきーの意識下、もしくは無意識下における区分けの変更』っていうのは、つまり『これを透明化させたい』っていう意識的な思いと、特別そうは思っていないけど無意識的に透明化させてる、っていう二つのことだよ」
「あーあー、なるほど。つまりもともと体が透明なのは無意識下、道具を透明にするのは意識下ってことか?」
「そのとおり!
そしてつっきーは──ここが大事なんだけど──なんでもかんでも透明に出来るわけじゃない。
対象のモノを、透明な自分の一部だと思うことで、そのモノも透明にさせてる。
言い換えればつっきーが透明に出来るのは自分だけで、その他のモノを透明には出来ない。
見えなくなった道具は透明になったんじゃなく、
「なるほどなるほど……ようやく分かってきたぞ。区分けっていうのは、自分とその他の境界に線引きをしてるってことか……。
──あっ、つまり、世界の線引きか」
たしかにこうして逆順に考えていくと分かりやすいな。
「そういうこと。
そんで、魔素の流れに干渉することで『自分』の範囲を広げ、またその姿を見られないようにしている。
見られないようにする、っていうのも、自分と世界に線を引いて、自分だけを世界の外に置いたと考えれば分かりやすい。具体的な方法は知らないけどね。
区分けの変更と、魔素への干渉。
噛み砕けば、『透明化の有効範囲を決める』のと、『実際の不可視化』。
これがつっきーの『透明化』の正体」
ひと区切りついたっぽいところで、俺はスッと右手を上げた。
「すまん、ここまではなんとか理解できたが、ちょっとティーブレイク入れていいか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます