第17話 「王と姫、父と娘」

「まったく……大事おおごとにするなと言ったのに」

「も、申し訳ございません」

 王室の床に伏せった王は、苦笑して兵士をたしなめた。

 俺は音を立てないよう、ゆっくり来たため遅くなったのだが、王は先ほどまで休眠をとり、今しがた起きたようだった。


 ついこの間見たときよりも、ずいぶんとやつれているな。白髪まじりの髪にハリが無く、目にも輝きが無い。


「……ブリガンディ、バスターク。二人とも忙しいだろうに、わざわざ来させてすまなかった。なに、かつては『獅子王ししおうグランデル』と謳われた身よ。この程度のこと、何ともないわ」

 はっはっは、と笑って見せる顔が、しかし痛ましかった。

 国王のフルネームは「グランデル・エル・ロストグラフ」という。

 「獅子王」という勇ましい二つ名は、この国では皆が知るグランデル王の愛称だった。


 王室に入るのは初めてだ。思っていたよりも、ずっと質素なんだな。

 けれど無駄に華美かびでなく、愛着をもって使い込まれたであろう家具は上品で、どれもこの部屋に似合っていた。場所こそ居館の最上階にあるが、王の謙虚な人柄が見て取れた。


「……軽い疲れだ。二年間英雄を相手に気を張ってきたツケが回ってきたようだ。少し寝ればすぐ治る──……ごほっ、ごほっ……!」

「陛下!」

 ブリガンディ、バスターク、従者や兵士らが慌てて駆け寄る。王は彼らを手ぶりで制した。

「……大袈裟だと言っているだろう。まだ五十にもなっておらんのだぞ。老人扱いするでない」


 この世界の五十代が若いのか老いているのか、俺には分からない。日本の中世だと五十歳くらいが寿命だったと思うが、もっと平均寿命は長いのだろうか。


 ブリガンディとバスタークは顔を見合わせた。当然、俺がいることが分かってしまうような素振りは厳禁だ。


「……陛下。このこと、システィーユ様にもお伝えを……」

 ブリガンディが言うと、王は首を振った。

「ならん。あれはじゃじゃ馬・・・だ。一年間隠し通してきた努力が無駄になる。私に何があろうと知らせるな。やがて国を背負う者ならば、いかなる逆境にも耐えねばならん」

 厳しいな。

 システィーユが「ムーン」相手に話したことを思い出す。

 「お父様は私のことが好きじゃないのかもしれない」、と……。

 もちろん厳しさも愛情の裏返しだとは思うが、そもそも触れ合う時間が少ない父娘おやこでは、すれ違うのも無理は無いのかもしれない。


「……アレクトロ様にも使者を飛ばしたのですが、城下の南部に滞在中とのことで、いつ伝令が届くか……」

 兵士が困り顔で伝える。

「使者を呼び戻せ。忙しい男だ、このような瑣事さじで、いちいち登城させることはない」

「は。そ、それとファンダリン様は寝ていらっしゃるようで、どうやっても起きる様子が無く──」

「いつものことだ。アレクトロには城下の視察を、ファンダリンには栄養ある食物の開発や魔法の研究を一手に担ってもらっている。多忙なのだよ」


 王は目を細めて、ひざまずくブリガンディとバスタークを見た。

「……ふう。……寂しくなってしまったなぁ。以前はここに、ルファードとヘイルデンがいたのに。六王兵のちょうたる一番隊のルファード。私の相談役でもあったヘイルデン……たった二年ほどのことなのに、もうずいぶんと前にいなくなってしまったような気がする。どちらもボドの命令で、満足な葬儀を上げられなかったな……無念だ」


 王は、さっきからずっと黙ったままのバスタークに目を向けた。

「バスターク、お前は特にルファードを慕っていた。寂しさも大きいだろう」


 しかしバスタークはゆるりと首を振った。

 グランデル王は、おや、と目をひらく。


「陛下……たしかに私はルファード将軍に師事し、『機王大戦』にて戦死の報を聞いて以来、ずっと腐っていました。陛下の目に余る行動もあったかと思います。多大なる温情で見守っていただいたこと、感謝に堪えません」

 そしてバッと上げた顔は、六王兵の名に恥じない精悍なものだった。

「──ですが、いつまでも落ち込んではいられません。ルファード師匠が願うことは、師匠が教えてくれた『騎士道五か条』を守ることじゃない。この国を──ロストグラフを護ることだと、教わったのです。

 陛下、我々だけでは心もとないかもしれません。しかしどうか安心し、ご静養にお努めください」


 王は驚きの眼差しで、バスタークと視線を合わせた。


「……なんと……──はっは。これは驚いた。二年の葛藤を経て、こんなにも頼もしい男に育っていたとは……。心強いぞ、バスターク」

「ありがとう存じます」


 続いて王は、ブリガンディにも顔を向けた。

「ブリガンディ。お前には娘のことを初め、色々と苦労をかけるな。英雄への不満を漏らさぬよう箝口令かんこうれいを敷き、余計なことでつけ込まれぬよう命じてくれたのもお前だろう。助かるぞ」

「いえ、箝口令はアレクトロ将軍の発案ですのですので、私は何も」

「そうか。ふふ……しかしどうした、珍しいな。お前が髪に飾り物とは」

 王は娘を見るような温かい目で笑った。

 ブリガンディは気恥ずかしそうに頬を掻く。

「あ、ええと、これはその……はい。こんな時ですが、素敵な殿方に出逢いましたので。……国の現状も、その方の心も変えてしまいたいと、そう思っているのです。はは……私のような粗野な見た目で恐縮ですが」

「何を言う。お前なら大丈夫だ。これからも頑張ってくれ」

「は」


 王室に穏やかな空気が流れた。

 偉ぶらず、部下の目線に合わせて喋り、最後は鼓舞をして締める。これこそ王の器だろう。


 ところでブリガンディの言う「素敵な殿方」って、俺のことだろうか? ……だとしたら、何というか。めちゃくちゃ嬉しいんだが。


 とはいえ「告白罰ゲーム」の被害者ゆえに、ちょっと気後れしてしまうんだよな。これは女慣れしてないからしょうがない。

 それに、今は自分のことは後回しだ。


 しかし和やかな空気も、王が激しく咳き込む音で途切れた。

「──ごほっ、ごほっ、げほっ……! ──……ふう、いかんな……久し振りに緊張が緩んだせいか、体が今の機会に休めと言ってきているようだ。二人とも、下がって良い。今しばらくは耐え忍ぶときだ。……この国を頼んだぞ」

「──はっ」

 そうして、バスタークとブリガンディは沈痛な面持ちで部屋を出た。


 俺もそのタイミングに合わせて出ようと思ったのだが、ふと王が従者を呼び、何やら小箱を持って来させたのが気になった。


 王は小箱をいじると、それを枕元に置いて目を閉じた。

 ゆっくりと小箱からメロディが聞こえてくる。

 オルゴールのようだ。


 それはどこか懐かしいような、温かいような、切ないようなメロディで、ゆっくりと体の奥に沁み込んでいくようだった。


 いや……──


 俺はどこかで、この旋律を聴いたことがあるような……──?

 なぜだろう、異常なほどに胸が締め付けられるというか。


 心の琴線に触れて苦しくなる。


**


 知らない誰かの顔が浮かんだ。

 淡い桃色の髪をした少女だった。


**



 ──二、三分が経って部屋からメロディが消えると、意識が現実に引き戻される。


 王はすでに眠りについていた。

 

 どこか落ち着かない気持ちを鎮め、少しだけ近づいて寝台を覗き込む。

 王の寝顔は安らかなものだった。


 しかし今は王以上に、オルゴールが気に掛かった。

 その木箱は手作りで、妙に拙い、可愛らしい花柄の模様が彫られていた。

 誰かからの贈り物だろうか?

 眠るときに枕元に置くなんて、よほど大事なものなんだろうな。


 従者の一人が部屋を出るタイミングと同時に、俺も王の間を後にした。

 オルゴールが流れている間に浮かんだ少女のことは、ひとまず頭の片隅に留めた──。



**



「陛下が倒れられたようです」


「そんな……お父様が……なぜ?」


 バスタークとブリガンディに挨拶をして、ニュトと夕食をとってから片付けが終わった食堂へ来てみると、早速すれ違いが起きていた。


 人気ひとけの無くなった部屋には、システィーユ王妃とローブの男──アレクトロ将軍がいて、また密やかに報告をしていた。


 うーん。

 王が気遣って娘への連絡を絶っていたというのに、体調不良を伝えてしまったのか。

 まあアレクトロはあの場にいなかったし、システィーユからすれば教えてほしかっただろうから、仕方ないすれ違いと言えるかもしれないが。


「私は王の命令にて城下視察中の身、老婆心からブリガンディ将軍にも内密で姫に情報を伝えていますが、さすがに謁見することは出来ません」

 ということは、アレクトロがシスティーユ姫に会いに来ているのは、姫自身から願い出たことじゃないのか。


 アレクトロ将軍、結構な世話焼きのようだ。くそ真面目の自己評価は間違いないらしい。

 将来ハゲるぞ。

 というかあれか? ひょっとして姫様に部下以上の感情を抱いてるとか? 本来は王族同士で結ばれるものだと思うが、六王兵ともなれば不足は無いだろう。扱いも貴族と同等のようだし。


 ……って、いかんいかん、シリアスな場で人間関係を邪推するのは良くないな。


「ですが」アレクトロは続ける。「姫様、今なら貴女を王の──お父上の元まで連れて行くことが出来ます」


 おっと、そう来るか。


「実は姫様も知らない、六王兵だけが使える隠し通路があるのです。そこを通れば月明かりにさらされることもなく、英雄にも知られず王室へ行くことが出来ます」


 すみません、俺も使ってます将軍。


「清潔な場所とは言いがたいため、本来は王族の使用も禁止されていますが、緊急の時は別です。大袈裟かもしれませんが……今を逃すと、後で後悔することになるやも……」


 アレクトロ将軍は心配そうに眉根を寄せた。

 たしかに。

 こんなことを考えたくはないが、グランデル王の病状は素人の俺が見ても良くないようだった。すぐに亡くなる、ということは無いと思うが、まだ気力がある内に話せるなら、それに越したことは無いだろう。

 王と姫である前に、父と娘なんだから。


 アレクトロはシスティーユ姫をじっと見つめた。

 姫は食堂にひとつだけある窓から、星の見えない夜空を仰いでいた。


「……ありがとう、アレクトロ。でも私、やめておきます」

 えっ。

 と、思わず前のめりになる。

 アレクトロ将軍も同様の反応で、ポカンとした表情を浮かべた。


「だって私とお父様は、父と娘である前に──王と姫ですもの。お父様のことは愛しています。でも、私たちが一番に考えなくてはならないのは自分のことではなく国のこと。英雄ボドが今も私に興味があるようなら、生きていることを知られれば何をしでかすか分からない……。肖像画と本人では印象も違うし、私と気付かないかもしれませんが、王室に見舞ったことを隠し通せはしないでしょう」


 これはたしかに、あの王の娘だ。

 グランデル王はじゃじゃ馬と評していたが……三馬鹿やバスタークとの衝突ではそんな面もあったが、なかなかどうして覚悟のある立派な女性じゃないか。


「そうですか……これは失礼しました。今回もまた、余計なお節介をしてしまったようですね」

 アレクトロは困り顔で頭を下げると、フードを目深まぶかに被った。

「……夜回りを部下たちに任せてきてしまっているので、そろそろ戻ります。また大事だいじがありましたら報告に上がります。それでは、お休みなさい」

 そう言って、風のように窓から出て行った。

 あの身のこなしは、やはり只者じゃないな。バスタークやブリガンディの人外な動きを見るようになり、目も肥えてきたようだ。特に彼の俊敏さは二人以上だろう。


 それはともかく。


「……ムーン、こんばんは。出てきても大丈夫よ。アレクトロは行ってしまったわ」

 やはり、というか……システィーユ姫は今日もまた独り芝居を始めた。

 「ムーン」は、彼女の心が弱っているときこそ現れるのだ。それは気丈な王女を務めるためのバランサーなのだろう。


「今夜も来てくれたのね。あなたはいつも私が落ち込んでいるときに出てきてくれるわ……。あのね、ムーン。……お父様が倒れたんですって……」


 存じております。


「私……分からなくなってきた……さっきアレクトロに言ったことが本音かどうか……」


 と言いますと?


「本当は王女としての立場なんかじゃなくて、お父様に反抗したいだけなのかもしれない……。アレクトロからの密告じゃなく、お父様の使者から正式にブリガンディを通して、『どうか娘に来てほしい』って言われるのを待っているのかもしれないわ……」


 ふーむ……。そういう気持ちもあるのかもしれないが、王女の矜持きょうじも嘘じゃないと思ったが。

 人の心はどちらかへ極端に振れるものじゃない。


 って、言いたい。

 口に出したい!

 だってこんなにも健気な子なんだ。何かしてあげたいって思うのは当然じゃないか。

 でも声を上げたらアウトなんだよな……。あ、ほら、今ちょっと尻の位置をずらしただけでも、環境音に紛れる程度の音は出るし。

 きっとこんな風に、自分から出る音を消そうと思い切れない気持ちが、「消音」の邪魔をしてるんだろうな。透明人間の常識云々以上に。


 まあ、だから今はただ静かに、姫の話を聴く幻になろう。

 そっと溜め息をついて、彼女の顔を見る。

 と──ぎょっと驚いた。


 システィーユは泣いていた。

 碧い瞳がうすぼんやりとした外の明かりに揺れて、白い頬を濡らしていた……。


 可哀想だと思う前に、俺は。


 綺麗だ──


 ただ綺麗だ、と……


 ……彼女に目を奪われていた。


 システィーユの唇が小さく動く。それはやがて、ひとつの旋律を紡ぎ始めた。

 美しい音色だ。


 というか、昼過ぎに聴いたばかりだった。


 俺は納得する。やはりグランデル王とシスティーユ姫の間には、たしかな父娘おやこの愛が存在するのだ。

 同時に、王が枕元に大事そうに置いていたオルゴールの作成者にも想像が及ぶ。あの拙い花模様は、きっと幼い頃のシスティーユが彫ったものなのだろう。

 二人にとってこの歌の存在が、互いの絆を示しているのだ。

 ようするに、どっちも不器用なんだな……。


 姫の歌声は囁くようにとても静かで、俺くらいにしか聞こえなかったと思う。

 俺は彼女の歌を聴くため、物言わぬ岩にでもなりたかった。

 それほどに美しい歌声だった。


 そして──それは、きっかけ・・・・だった。


 気付いたのは、もう彼女が歌い終わったときのこと。

 それまで意識していなかったが、服の布ずれや、自分の呼吸音さえ聞こえなくなっていたのだ。


 試しに少しずつ体を動かしてみるが、いっさい音が出ない。

 おそるおそる息を吐く。「はぁーっ」という音が出ない。

 小声でつぶやくが、やはり声も出なかった。


 俺と世界の間に出来た、新たな線引き。


 どうやら。


 どうやらついに、俺は──「音」も消し去ったようだ。

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