第16話 「夜の裏庭の密やかな作戦会議」

「実は俺、透明人間なんだわ」


「はい?」


 “うららかな”曇天、“爽やかな”ヒビ割れた空の下、俺はバスタークと筋トレに励んでいた。もちろん服を着込んでいるので、冬だというのに暑いことこの上ない。

「それってどういう……」

 不思議そうな顔をしていたバスタークに、被っていたマスクをすぽーん、と取って見せた。

「──うはっ!? 兄貴、か、顔が無いっす!」

「いや、あるよ。触るとちゃんとある。ただ見えないだけ。驚いたか?」

「そ、そりゃあ……」

「そんで、どうだ。感想は」

「兄貴、誰かにバレたらまずいっす。早く顔を戻して」

「怖くないか?」

「いや、怖くはないっすよ。だって兄貴は兄貴じゃないすか」


 うん。

 多分、こういう反応をしてくれると思った。

 バスタークと出会ってそろそろひと月になるが、思った通りに忠義に厚く、そして思った以上に口が堅い。俺にはペラペラと内情を喋ったが、本当に信頼した相手以外には案外寡黙なのだった。

 良く言えば一本気というか。

 まあだからこそ、システィーユ姫に「殴りなさい」と言われて、命令と忠君の間で混乱してしまったりする奴なんだが。

 ともかく、いいかげん事実を伝えてもいいだろうと考えていたのだ。これからボドを倒す作戦を組んでいく上で、俺の透明化は計画の核になる。そしてバスタークには色々な頼みごとをすることになるだろう。

 これまで騙していたことへの謝罪と、俺の本当の力、魔女であるニュトを助けることが英雄の支配に抗う一番の動機であることなど、包み隠さず明かした。


「──そんなわけで、ロストグラフを守りたい、なんて高尚な考えが最初からあったわけじゃないんだ。ずっと隠していて悪かった。少なくともお前を仲間にしたときは、まだこの国の行く末なんてぼんやりとしか頭に無かった。俺を慕ってくれるお前にしてみれば、ショックな話かもしれないが……──」


 と、はなをすする音が聞こえ、見るとバスタークは泣いていた。


「なんだ、どうした」

「……兄貴。俺、兄貴のこと尊敬してますけど、今、もっと好きになりました。……自分が護りたいと思うものを、全力で護る──それって、騎士道五か条が教えてくれることと全く一緒なんすよ。俺は未熟だから出来てなかったけど……兄貴はこの国に来たときから、ずっと誰かを護るために戦ってたんすね……」

「……護る相手が魔女でもか」

「魔女とか、よく分かんないっす。いくら俺でもちっこいガキが何かしでかすなんて思わないすよ」


 ぐすっ、ぐすっ、と、大の男がメソメソと泣く。

 ああ──こいつ、見た目はいかつい不良だけど、中身は結構純情なんだった。俺こそお前をもっと好きになったぞ。

 バスタークとは色々あったけど、今の関係になれて良かった。


「俺、たぶん女だったら兄貴に惚れてたっす」

「そういう告白はいらねえよ」


 これ以上深い関係になりたくはない。

 やっぱちょっと離れよう。


「まあ、だから不死身じゃないし、魔法も使えない。腕っ節じゃお前やブリガンディにまったく敵わないんだ」

「それなら俺らが兄貴の盾になるだけっす。それにしても、なんで今になって力の秘密を打ち明けてくれたんすか?」

「実は──いよいよ、英雄ボドの弱点を探ろうと思っている」

 俺は語調を強めた。自然と気合が入る。

「お前とブリガンディ、そしてファンダリンも仲間に引き入れて、足元が固まってきた。ボドは、特に慎重にならなければいけない相手だ。得体も知れない。たぶん、耳も良い。だから今まで近づくことを控えてきたんだが、もしも俺が『無音』をマスターしたら、ヤツの部屋に潜入することも出来るんじゃないかと思う」

「そ、それは……いくらなんでも危険じゃないっすか? 英雄の部屋はいつも親衛隊が見張ってるって話っすよ」

 そう、賑やかな食堂やお城の廊下、人気ひとけの無い空地などとはワケが違う。国王の配下にもあらかじめ手を回していたような用心深いヤツだ。当然部屋の周りも厳重に警備しているだろう。

「なんとかするさ。それよりまずはファンダリンの言うように『無音』をものにできるかが先だ」

「分かりました。俺に出来ることがあれば何でもするんで、命令してくださいね、兄貴」


 バスタークが目をきらきらさせていると、不意に足音が聞こえた。


「──しっ、誰か来ます」

 ジェスチャーで俺に知らせると、バスタークは腰の剣に手をかけた。俺もすぐに「クロース・オフ」で姿を消す。


「……おいおい、バスターク将軍。こんなところでひっそり筋トレとは、ずいぶん殊勝なヤツだなー」


 燃えるように赤いポニーテールを揺らして現れたのは、ロストグラフの赤鬼──ブリガンディだった。

 珍しく黄色のリボンなんかしている。可愛い。


「……なんだ、てめーかよ……ビビらせんな」

「はっはっは、相変わらず口が悪いなチンピラヤロー。せっかくトレーニングの手伝いでもしてやろーかと思ったのに、根暗なヤツだー」

「……何が手伝うだ。用件を言えよ」

「『今夜も月は雲に隠れているだろうな』?」

「おう」


 バスタークとそんなやり取りをすると、ブリガンディは草むらに腰を下ろした。

 実はこれ、俺を加えて作戦会議するときの合言葉である。彼女を呼んだのは俺だ。一応姿を消したが、この時間、この場所には見回りがいないことも調べてある。


「それにしても話し合うにはもってこいだなー。良いトレーニング場所じゃないか」

「集中したいから部下にも来させないし、木々が死角を作るから上からも見えない。出入り出来る場所は一か所で、誰かが来ればすぐに分かる。言っとくが、この場所をお前にも教えてやったのは兄貴に頼まれたからだぞ。普段は勝手に来るなよ」

「えー、ケチくさいなあ。アタシとお前の仲だろー」

「どんな仲だよ」

「主人と家畜?」

「殺すぞ」

 この二人は仲が悪いってわけじゃないが、いつも軽口を叩き合っている。どちらかというとバスタークがブリガンディのちょっかいにイラついて、それを茶化されるから余計に腹を立てる、という感じか。男女の仲かと訊くと、二人ともおぞましいと顔を歪めるだろうが。

 そうは言っても、互いに実力を認め合っているのは間違いない。


「よく来てくれた、ブリガンディ。お前たちやファンダリンのおかげで、ロストグラフ城の図面や警備兵の数、見回りの時間なんかもだいぶ把握できた」

 俺はすでに分厚くなった手元のメモ帳を見る。

 見えなかった。

 手に持ってはいるんだが。

 見えているときと見えていないときの頭の切り替えが結構難しいんだよなぁ。まだ混乱する。

 まあ、ともかくさっさとツール・オンでメモだけ可視化させる。

「……こほん。秘密の場所とは言え、六王兵が二人集まっていれば怪しまれるだろう。ボドは基本的に自分の部屋にいるそうだが、どういうわけか城中の情報を知り尽くしている。だからあくまでこそこそせず、二人で雑談しているというポーズを崩さないようにしてくれ」

「りょーかい、ツキト」

「うっす兄貴」


 それから三人で情報を交換し合った。

 バスタークもブリガンディも、今は兵士の教練に力を入れてもらっている。英雄の支配で覇気を失くしていた部下たちの尻を叩き、熱意を取り戻させるのだ。

 これには、以前の世界にあった「自分との闘い」という考え方が上手くはまった。

 中世、近世の歴史は戦争の歴史で、戦いとは他人とするもの、という考えが一般的だった。ロストグラフを見る限りは封建制で、近代の資本主義的な思想は浸透していないだろう。自分との闘いなんていうのは、誰かと戦う機会が減った余裕、あるいは「社会」なる、暴力が通用しない敵と戦うための自己防衛として生まれてきたものだ。


 前に俺がいた世界において、戦後、特に発展したスポーツが良い例かもしれない。闘う相手はいるが、あれは自分との闘いという側面も大きい。

 パボニカ大陸では、ついこの間まで「機王大戦」を繰り広げていたのだ。状況は近い。


 だから兵士たちにも、剣の振り方が上手くなればひとつ誉め、間合いの詰め方が素早くなればひとつ誉め、三つ誉めたらひとつ注意する。そんなやり方を、バスターク、ブリガンディの指導に混ぜてもらった。

 また、隊長から一本取る、あるいは木の棒を切り口なめらかに斬る──こうした具体的な目標も与えてやり、もう一度やる気を出させるようにしたのだ。

 そうして、兵士たちのモチベーションは大分アップしたらしい。


 それ以外にも、二人には色々な頼みごとをしている。

「ボドの親衛隊については探れたか?」

 これはブリガンディにお願いしていたことだ。

「ああ、全部で十四人。もともとロストグラフの兵士だった連中で、アタシら六王兵の部下だったヤツもいる。まあ実情は六王兵や数千の兵もボドの配下ではあるが、名目上、陛下がトップなことに変わりは無いからな。だが親衛隊は直接ボドに所属する選りすぐりの精鋭だ」

「つまり……国の体裁を保つための六王兵は残しつつ、それに次ぐ実力者たちを親衛隊にしているってことだな」

「ああ。でもアイツらを恨めねーんだ。これは噂だが、金で雇った闇商売の連中に親衛隊の家族を捕らえさせて、どこかに監禁してるって話だぜ」


 相変わらずあくどいな。

 噂というが、おそらく本当だろう。

 この前の食堂の一件でも、ランドという兵士が妻子を人質に取られていた。あの時はすでに妻子も殺されていたようだが、今の親衛隊たちはどうだろうか。親衛隊とするからには長く仕えさせる必要がある。まだ手は下していない――と、思いたい。


「……分かった。その件については俺も考えておく」

 そう返すと、ブリガンディは俺の声が聞こえる方へ頷いた。


 次はバスタークに問う。

「アレクトロの帰還はいつ頃だ? 彼が、ティナちゃん──炊事場で働くシスティーユ姫のところに現れたのは、この前伝えた通りだが、正式な登城のときでなければ会いづらいからな」

「アレクトロさんの帰参は週末らしいっす。紫曜しようっすね」


 ふむ。


 「紫曜しよう」というのは、日本でいう土曜日にあたる。

 というか、俺が勝手にあてている。

 ロストグラフがあるパボニカ大陸では、一週間が七日の馴染み深いこよみが採用されているのだ。

 虹の七色──これも日本風の数え方だが──である、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫から取り、

赤曜せきよう

橙曜とうよう

黄曜おうよう

緑曜りょくよう

青曜せいよう

藍曜らんよう

紫曜しよう──と言う。紫曜しようは週の終わりで、休息日とされている。

 今日は橙曜とうようだから、つまり火曜日。土曜日まではまだまだ時間があるな。アレクトロへの訪問はその他の仕事をした後だ。


「ところでファンダリンが言ってたとかいう、音も出ない透明化、なんてのは出来そうなのかー?」

 ブリガンディが好奇心半分といった表情で尋ねる。


「んー……色々やってみてはいる。ちょうどさっきバスタークにも説明したところだが、ファンダリンの仮説によれば、俺自身と世界の間に上手く『境界』を引けるかどうかが大事らしい。

 体から出る音を、これは自分のものだ、って強く思うことで世界から切り離すわけだな。

 でもそれには『透明人間だって声くらい出すだろう』、っていう常識が邪魔してる。ようするに意識の持っていき方ひとつだから、きっかけがあれば後は簡単だと思うんだが……」


「ふうん……アタシにはよく分かんないや」


「ていうか、それってあくまでもファンダリンの妄想なんすよね? 信用できるんすか?」

 なんか中途半端にぷりぷりした様子で、バスタークが訊ねてくる。


「そうだな……少なくとも俺はあいつの話を聴いて、自分が得体の知れない謎の存在Xエックスから、風変わりな力を持つ、いち青年だって思えるようになったよ。だから感謝しているし、人間性はともかく信用はしている」


「へーそーすか」


 なんかまだご機嫌斜めだな。


「にっひっひ、もしかしてオマエ、ファンダリンに妬いてんのかー?」

 ブリガンディがおちょくった。


「ツキトに透明化の力を教えてもらったのもついさっきなんだろ? ちなみにアタシはいっちばーん。自分の方が先に仲間になったのに、扱いは後回しだから新入りのお子様にまで嫉妬してんだなー。あはは、アホなやつ」

「バカヤロー。俺と兄貴の間にゃ、お前らじゃ立ち入れない男の絆があんだよ。ね、兄貴?」

「えっ? てことは、やっぱファンダリンて女なのか?」

 個人的にはそっちの方が気になるんだが。


「それならアタシとツキトの間にも、バスタークが立ち入れない男女の関係作っちゃう? えへへ、むぎゅう」

 するりとしなやかな腕を伸ばし、透明な体をまさぐるようにブリガンディが絡みついてきた。

 おうふ。おっぱいが。


「てめーこのメスオーガ、兄貴を誘惑してんじゃねーぞ」

「いいだろー。今まで女扱いされたことないんだから、良いなと思った男にアピールするくらい。ほれほれ、なー、今日のアタシはちょっと違うだろー? なー、なー」

「お、おう、リボンだろ。似合ってるよ……」

 素直なブリガンディといると、こちらまで率直にさせられる。

 思ったままに言うと彼女は「にひっ」、と笑い、

「うれしー。もっと言えー、似合ってると言え―」

 と、いっそう強く抱きしめてきた。


「……こら、そろそろ離れろブリガンディ。アピールはともかく、透明なものに抱きついているこの光景はまずいだろ」

 動揺しながらも辺りに目を配りつつ、おっぱいの感触はしっかりと味わうという器用なことをやってのける俺だった。

 ごめんごめん、と離すブリガンディ。ああ……以前の世界じゃ、ついぞ味わうことの無かった貴重なおっぱいの感触が。


 ──と、我欲がよくに打ち勝ってブリガンティを突き放したことが正解だったと知るのは、その直後のことだった。


 不意に大きな足音が聞こえ、バスタークのトレーニング場所に二人の兵士が飛び込んできた。


「バスターク様、ここにおられましたか。──あっ、ブリガンディ様も! どうぞ王室へ足をお運びください」

「何かあったのか」

 バスタークの鋭い視線がギラリと光る。

 急報を届けに来た兵士は、息を喘がせながら答えた。


「陛下が──グランデル王が倒れました!」

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