第15話 「ちょっぴりくちゃい。でも、」
まさか今日ファンダリンの部屋を訪ねようと思ったときは、自分の力を紐解く講義を受けることになるなんて思いも寄らなかった。
当の本人は相変わらず、本やら何かの実験道具やらに埋もれた椅子の中で、居心地良さそうに俺を見ている。
「つまりだね」
一気に情報を詰め込み過ぎてわけ分からん、という顔をしていたであろう俺に、ファンダリンは説明を続けてくれた。
まあ顔は見えていないわけだが。
「世界と自分の間に境界線を引くっていうことは、世界にある、ここのラインまでは自分のテリトリーにしてしまえる、って考えさ。
自分が着ている服までは自分、自分が持つコップまでは自分、って具合にね。
そして世界と自分の間の境界で、無意識的に光の魔素の流れを遮断させる。そういう
これが透明化の理屈だと考えると、色々なことが都合よく当てはまる」
おお……なんかよく分からんが、俺が「不思議だなぁ」程度に思っていた透明化を、ちょっと話しただけで、ここまで推測しちゃうのか。
これが天才か。
俺は後で復習しないと駄目だな。
せっかくこの力が把握できるチャンスなのに、よく分かってないんじゃいけない。
「……ええと……じゃあ、その仮定が正しかったとして、世界から俺の存在をシャットアウトしているのに、俺が出す音が聞こえて、触れて、味わえるのは何でだ?」
ついでに訊いてみる。
そこまで答えてもらえると思うのは、都合が良すぎるか?
けれどファンダリンは「これは完全に想像だけど──」と前置きした上で、独自の考えを披露してくれた。
「あくまで透明化という力が、つっきー自身で制御できるもの、という前提でね。
それはきっとつっきーが、世界に働きかけるのは上手でも、自分自身をどうこうするのは下手ってことなんじゃない?
他人を観察して評価したり、客観的に物事を見るのは得意だけど、自分のことは客観的に見られないっていうか……そんな感じかな」
うわ。
なんか当たってる気がする、それ。
「匂わないっていうのは、多分つっきーが自分の中で、それなりに気を遣ってるところなんだよ。年頃の男の子だからね。でも自分の手触りや味なんて気にしないじゃない」
「なるほど」
でも、もしも。
もしもファンダリンの予想が全部当てはまってるとしたら……。
これはすごいことなんじゃないか?
「つまり……やろうと思えば、『音も出ず』、『触れない』存在になれるかもしれない──……ってことか?」
「もちろん、魔素とか関係なしに、それはそういう呪いだとか考えれば、そこまでかもしれない。
でも今のファンちゃんの仮説だって、あり得ない話じゃないと思うよ。なにせこの世の秘密の九十九パーセントは解明されていないんだから。
つっきーのやり方次第じゃ、見えない、聞こえない、匂わない、触れない、味も無い、完全に無味無臭、無色透明のパーフェクト透明人間が出来上がるだろうさ!」
見えない。
聞こえない。
匂わないし、触れない。
それが全て実現可能になったら……
おい、マジですごくないか。
この前みたいに、うっかり音を出してボドに怪しまれることもない。
いざ襲われても、触れないなら武器も通らない。
む、無敵じゃないか!
しかし盛り上がっているところでファンダリンが水を差す。
水を差すというか、釘を刺す。
「──ま、上げて落とすようだけど、そう簡単には行かないだろうけどね。世界から自分の姿が見えませんように、って念じるのは簡単だけど、自分自身が消えますように、って思うのは難しそうだ。自分という存在は、どこまでも自分について回る」
「まあそれはそうだよな。あんまり都合よく行くとは思ってないさ」
我思う故に我あり、って言葉もある。
消えたいと思う自分がいる──イコール、思っている自分が消えていない、っていう堂々巡りになってしまうかもしれない。
「それに、好き勝手に力を使いこなせるなら、なんで姿を現すことは出来ないんだ、って話だしな」
「それは簡単な話だよ。つっきーが姿を見せたくないのさ。透明人間であることがアンタのアイデンティティにまでなっている。透明でなくなったら、自己が保てないかもしれない、なんて心の底では思っているのさ」
「反論出来ないな」
今の俺は、透明になることで成り立っている。その通りだ。
そうでなければ、ニュトの傍にいてやることも、バスタークに勝つことも、ブリガンディを仲間にすることも出来なかった。
「でもね、つっきー」
と、ここでファンダリンはこれまでと少し違った、いたずらっ子みたいな笑顔を見せた。
「長々と理論を並べたけど、ファンちゃんはひとつ提案をしたいんだよ。今度は実践さ。いいかい、世界に働きかけるのが上手なら……」
細い指をゆらり、と立てる。
好奇心が形になる瞬間を見たようだった。
「……触れない、は無理でも、つっきーの音が『聞こえない』、を世界に強いることは、可能かもしれない」
聞こえない、を強いる……
**
「ちゅきとっ!」
ニュトの牢屋に戻ると、待ちかねていたらしい彼女がダイビングしてきた。
俺自身は布の服とズボンを身に着け、クロース・オンで顔や手足の先以外が実体化している状態だ。
「ちゅきと、ちゅきと!」
ふんっ、ふんっ、と、しがみついたまま体を揺らすニュトから、健康的な汗の匂いがする。人間らしい臭さというか。
ずいぶんと元気になってきたな。
「なんだ、今日は甘えん坊だな。帰りが遅くなっちまったから、お腹が空いてるんだろう? スープはここだ」
革袋をどさっと置くが、ニュトは見向きもせずに俺の胸に顔をうずめていた。
「おーい、スープの良い匂いがしてるぞー」
「ちゅきとの方がイイにおいするよ」
「無いだろう、匂い」
何と張り合っているんだ、この子は。
「実際に体臭を嗅いでみたら、臭いかもしれないぞ?」
「くさくてもへーき。ちゅきとのにおいなら、ニュトの大しゅきなにおいになる」
「本当かー?」
なんてはぐらかしていたら、彼女の碧い瞳がじっと俺を見ていた。
ビー玉みたいな透明感だ。
「あのね、会ったばかりのとき、ニュトもくさかったでしょ。でもちゅきとは、つきはなさなかったでしょ」
「んー……まあたしかに、当時は少々におったが、それ以上に落ち着く感じがしたな。陽だまりでお昼寝中の犬猫の匂い、みたいな」
匂いは脳の最も深いところに繋がっているという。
単純に「この匂いは苦手」で割り切れず、「くさいけど嗅いでいたくなる」というものが誰しもあるのだ。
「だからニュトも、ゼッタイちゅきとのにおい、しゅきになる!」
甘えモードのときは、いつも以上に舌足らずなんだよな。
──そして、ふと思い出す。
ファンダリンに教えてもらった、俺の力についてだ。
匂いというのは俺自身の「魔素」に依存するもので、つまり俺の意志によって、世界から消されている。
この体が見えないのと同じに。
そうであれば、「世界との線引き」を調整して、逆に匂いを外に出すことも可能なはずだ。
少なくとも、「聞こえない」、「触れない」、よりは簡単な気がする。
「見えない」が、レベル1だとする。
世界に働きかける力で、かつ、透明人間といえば見えない人、という元々の認識がある。だから一番簡単だ。
それに対して、「聞こえない」は、レベル3くらいある。
世界に働きかける力、という点では同じだが、世にある透明人間の創作において、声も聞こえないというタイプはほとんど無いからだ。俺自身のイメージが邪魔をしてしまっている。
これが更に「触れない」、となると、最難関のレベル5をあげていいだろう。触れることは、自分がここにいると自分自身で認識するための、一番の証明だ。自分が見えない、ではなく、存在しない、と思い込むのはかなり難易度が高い。
だが「匂わない」、はどうだろうか。
自分に働きかける力ではあるが、まずすでに俺の匂いも、世界からの隔離に成功しているのだ。
透明人間だって匂う、なんてイメージは創作の世界でもあやふやなところだし、自分で「匂いたくない」という意識を強く反映させることが出来ている。
ならばレベル2──つまり、力のレベルアップを考えるに、次に実現できそうなのは、
役立ちそうな機会は限られているが、今まさに熱望している「無音」を可能にする前のステップアップとして、ちょうど具合がいいかもしれない。
何より、ファンダリンの講義に則ってこれを可能にすれば、あいつの言っていた仮説が真実味を帯びることにもなる。
理論として体系が出来れば、自分の力を把握しやすいし、これから出来ることも増えてくるだろう。
よし、いっちょやってみるか!
などと色々考えている間に、ニュトはスープを食べ終えていた。
匂いを、出す。
ああそうだ、かつての世界では、「ウザい」、「キモい」以外に、「クサい」なんて言われたこともあったな。
だけどニュトは、俺が臭くても良いと言ってくれる。
いや、実際には気を遣わせてしまうかもしれないが。
スッ、と──
ごく自然に。
気付けば自分でも懐かしい匂いが、鼻先をくすぐった。
俺自身の匂いだ。
萩野月人の、匂い。
成功だ。思ったより簡単だった。
匂いを出したり消したりする力。透明人間として、レベル2に到達したぞ。
名前はどうする。「セント(匂い)・オン」にでもするか。
いや、せっかくファンダリンが俺の力を体系化してくれているのだから、もう一度練り直そうか。
ああ、しかしやっぱり、うん。
ちょっと臭いな。
自分で意識しなかったから、体拭いたりとかがおざなりになっていたな。
もっと清潔にしよう。
「ちゅきと……」
自分の脇の匂いなんかを嗅いでいると、ピョコン、というオノマトペをくっつけてニュトが顔を上げた。
「ちゅきと! においすゆ! すゆ!」
またダイビングだ。
ぴょーん、と跳んで、へばりついてきた。
「……臭いだろ? 体拭かなきゃなぁ……」
「うん、ちょっぴりくちゃい」
ずーん。
「でも、ちゅきとのにおい、しゅき!」
それが嘘じゃないというのは、よく分かった。
ニュトは純粋で、嘘をついたりしない。
あまりにくんくん嗅いでくるものだから、もうやめてくれ、いい加減恥ずかしいと引っぺがしても、またにじにじと寄って来ては、俺の胸に顔をうずめて匂いを嗅ぐのだった。
俺は自分の力が発展していくことに頼もしさを覚えつつ、いよいよ覚悟を決めていた。
見えず、匂わず、そして聞こえない力を手にしたら、もはや存在を認識することは難しい。
そりゃもう、めちゃくちゃ難しいはずだ。
だから、その時は。
英雄ボドの部屋へ──忍び込むのだ。
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