第14話 「ファンダリン先生の透明人間講座その1」

「なるほど……『透明人間』か。うーん、なんとも興味が尽きない研究対象だ!」


 ファンダリンは俺の話を聴いて、それはもうキラッキラに目を輝かせた。


 慎重に過ぎるかもしれないが、俺はさっきまで、まだファンダリンが英雄派かどうかを疑っていたのだ。

 しかし考えあぐねた結果、全てを話すことにした。


 訊けばまだ十四歳という若さにも関わらず、部屋に溢れる資料は尋常じゃない。人生の多くを研究に費やしてきた証拠だろう。

 この子にとっては、研究が何より大事なのだ。


 もしも英雄派だった場合、この子が受けられる恩恵は何か。

 当然、研究の継続だ。

 ロストグラフの頭がすげ替わっても、研究費用と研究場所の提供をしてくれる人がいること。


 だが、姿が見えない俺に嘘をつくのは難しい。

 バレてしまえばそこで研究は終わりになる。常に俺という存在に怯えなければならない。

 これが英雄ボドに忠誠を尽くしているから、という理由であれば話は別で、俺を敵に回すことも怖くないのだろう。

 いかにリスクを負わず自分のやりたいことをやれるか──それが、ファンダリンの行動指針なのだ。


 つまりはこの子の気質こそが、逆説的に彼の中立派という主張を証明しているのだ。


 そういうわけで、俺のことは打ち明けた。

 一応まだバスタークやブリガンディ、そしてニュトと繋がりがあることは喋っていないが、追々話すことになるだろう。

 仲間というよりは、交渉で懐柔した味方、という方がしっくり来るかもしれないな。

 裏切られる可能性……無くはないかもしれないが、透明人間である俺は、相手の本性をいつ何時でも確かめることが出来る。だからどんなときでも大胆に動ける。


「ねえねえ、触ってみてもいい?」


 ファンダリンは鼻息をふんすふんす、と鳴らして俺を見上げた。


「まあいいけど……」


 俺はあれこれ考えているのだが、対してファンダリンは、終始一貫、俺の異常な体質にしか興味が無いようだった。


「えいや!」


 がばっ、とファンダリンは思い切り飛びついてきた。

 予想外の行動に思わず倒れ込む。


「いてて……何するんだ」

「ふっふっふ……交渉成立で味方についてあげるんだから、隅から隅まで調べさせてくれないと。つっきー、安心してくれ。ファンちゃんは研究者だ。つっきーの全てをさらけ出してくれていい」


 あ、ダメだこの子。

 目が据わってる。


「ではでは、こちょこちょこちょ……」

「あひゃひゃ!」


 いきなり脇をくすぐるな、脇を!

 ブリガンディといい、なんでくすぐりたがるんだ? 透明人間を前にすると、そんな絡み方をしたくなるものなんだろうか。


「次はこっちをくしゅくしゅくしゅ……」

「いひひひひ!」

「足の裏をついついついー」

「おほほほほ!」


 くすぐったいが、我慢だ、我慢。

 この体のことが少しでも解明されれば、それは俺にとっても大きなメリットになるわけだし……


「……って、くすぐるのが関係あるかー!」


 ──べりっ。


 俺はファンダリンを引っぺがした。


「ふぅ……ふぅ……笑い死ぬところだった……」

「もう、つっきーってば何するのさ」

「俺のセリフだ。なんて危険な子なんだ……」

「ふふん。まあ今日のところはこれくらいでいいか。いくつか興味深いことが分かったよ、つっきー」

「きょ……興味深いこと?」


 今のちょっとしたおふざけで分かることなんかあったのか?


 肩で息をしながら、ランプに照らされたファンダリンの妖しい横顔を見る。


「そうさ。天才研究者のファンちゃんが、ただの遊び心でアンタの体をくすぐっていたとでも思うのかい?」


 そうとしか見えなかったが。


「結論から言うと、つっきーは、おそらく透明人間としてかなり曖昧な・・・存在みたいだ」


「……曖昧?」


「調べさせてくれたら協力するって約束したからね。アンタの力になってあげるとも、つっきー」


 そう言うと、小悪魔は天使の笑顔でニッコリ笑った。



**



「まずは感覚・・の勉強から始めようか」


 場所をファンダリンの机に移して、講義が始まった。

 俺は床に座っている。

 椅子に座るファンダリンを見上げる形だ。

 ランプの光が、幼い輪郭を逆光でなぞる。


「……カンカク? 何のことだよ」


「人の感覚さ。見たり、聞いたり、そういうのだよ。まずね、人間の感覚っていうのは五つに分けられるんだ。見る、聞く以外に、嗅ぐ、味わう、触って感じる──などなどがある。その中でつっきーがシャットアウトさせているのは、『見る』、『嗅ぐ』の二つだね。声はちゃんと聞こえるし、体も触れる。さっきどさくさに紛れてちょっと舐めてみたけど、汗の味がしたよ」


 舐めてみたんかい。


「だけどこれはずいぶんとおかしな話だ。なぜか分かるかい?」

 ファンダリンは唇に人差し指を当てて、楽しげに訊ねた。

「そりゃ……見えない、匂わない、なんてのはおかしいだろうな」

「半分正解。というよりも、触れるのに匂わない・・・・・・・・・──のが、おかしいんだ」


 見えないより匂わない方がおかしいのか?

 俺は首をひねった。


「感覚は五つをひとまとめにされるけど、実際はちょっと違うものなんだよ。もっとも、ファンちゃんの説によれば、だけど」


 どう違うんだ?

 俺は逆方向へ、また首をひねる。


「『魔素まそ』って、分かるよね?」


「……マソ?」


 いきなり全然分からんが。


「えっ……嘘、分かんないの? つっきーって、ひょっとしておバカさんなの……」

「ちょっと世間知らずなだけだっつーの! 説明してくれりゃ分かるわ」


 ファンダリンは俺をオモチャか何かだと思っているのか、同情と嘲笑を滲ませた憎たらしい笑顔で、ぺしぺし、と俺を叩いた。

 やめろ。


「うふふ、魔素っていうのはね、世界を構成する最小単位のことさ。人の体も魔素で出来ている。魔法を操るのも魔素を操って行うんだ」


 ふむふむ。元素みたいなもんか?


「で、

『見る』っていうのは、光の魔素の流れを目で受け止めて、それを脳みそに伝えることだ。

『聞く』っていうのは、空中を渡る魔素の流れを耳で受け止めて、やはり脳へ伝達すること。ここまでは分かる?」


 大丈夫だ、とうなずく。


「オーケー。前言撤回、あんがい賢いんだね。『見る』と『聞く』は、魔素の流れ・・を感じること。色んな説があるけれど、とりあえずはこのファンちゃん説で納得しておいて。

そして次に、

『嗅ぐ』は、対象の魔素を鼻の中に取り込んで、脳で感じること。

『味わう』は、対象の魔素を舌につけて、脳で感じること。

『触って感じる』は、対象の魔素に触れて、脳で感じること。

……さあ、ここまでで、さっきの二つと今説明した三つの違いが分かったかい?」


 えーと……


「……『見る』、『聞く』は魔素の流れを感じることで、『嗅ぐ』、『味わう』、『触って感じる』は、魔素そのものを感じること……かな?」


 おおーっ、とファンダリンは声を上げると、嬉しそうに拍手した。


「正解正解、大正解! なんだ、つっきーってばやるじゃん!」


 まあ、この辺は一般的な知識に当てはめただけだからな。

 けれどそうした常識が普及してないっぽいこの世界で、そこまで辿り着いたファンダリンは、やっぱり天才なんだろう。


「いいかい、きっとこれはつっきーの透明化に際して、とても重要な意味を伴ってくるだろう予測だ。だから多少ややこしくても、ちゃんと聞いてほしいんだ」


 たしかに、今までそうした視点から俺の力を解明しようと思ったことは無かったな。

 ファンダリンと組んだことは、大きなメリットになりそうだ。


「まずは『見る』と『聞く』の例外的な側面から考えようか。

 『見る』には光の魔素が関係しているが、光の魔素は個人から発生しているものじゃない。もともと世界にあったという説が有力だ。つまり、つっきー自身から発生していない。

 続いて、『聞く』。

 人が『音』と呼ぶものが、魔素の流れの一つだとする。そうすると、例えば手を叩いたり、声を出したりでつっきー自身から発生させることは可能だが、それは世界に魔素を影響させただけで、つっきー本人の魔素でないことが分かるだろう。

 つっきーの歌を耳で聴いても、それはアンタそのものじゃなく、世界に残された魔素の揺らぎに過ぎない」


 ふむう……。

 難しくなってきたが、とにかくその二つを他人が感じることは、直接、俺自身の魔素を受け取っているわけじゃないってことだな。


「それに比べて、『嗅ぐ』、『味わう』、『触って感じる』は、全て人や動物、モンスターの魔素を、直接的に受けて感じている。つまり、つっきー自身が存在しなければ感じられないものだ。さあ──ここまで言えば、ファンちゃんがなぜアンタの透明化が曖昧だと評したか分かるだろう?」


 ──なるほど。

 たしかにこれは変な話だ。


「つまり……見えない、というのは、最悪本人がいなくても成立する。光の魔素に依存する感覚だから。けれど匂わない、というのは、個人の魔素に依存するから、ありえないんだな。さわれて、味わえるということは、ここに俺という個人がいる証明に他ならない」


「そのとおり! 理解が早くて助かるよ。ファンちゃんの助手にならないかい?」


 ファンダリンはパチパチと手を叩く。

 これはからかっているのではなく、素直に賛辞を送ってくれているんだろう。


「だから曖昧だと言ったのさ。さわれるのに匂わないのはなぜ? これはきっと、つっきーの透明化を紐解く鍵になるだろう」


 ……すごいな。

 今まで「なんとなく」で考えてきたことに理屈が付いてきたぞ。


「その原因は想像もつかないけれど、実はちょっと面白い仮定がある。だいぶ飛躍した発想だけどね。

 さっき透明化を説明する際、つっきーは面白いことを言っていたね。透明化の対象となるものは、『自分が自分だと認識したもの』だ、と。

 言い換えれば、それは『世界の一部を自身に取・・・・・・・・・・り込む・・・』ということにならないかい?」


 世界を……


 ……そんなぶっ飛んだことは、さすがに思いも寄らなかったぞ。


「さあ、ここでもう一度さっきの議論に返ってみよう。

 『見る』は、世界にある光の魔素の流れを感じること。『聞く』も、世界にある魔素の流れを感じること。

 どちらも、個人じゃなく、世界を対象にしたものだ。

 そこで、『世界の一部を自分に取り込む』ということを前提にして、こう言い換える。

 つっきーの力は、透明化というより、世界と自分の間に境界・・・・・・・・・・線を引く・・・・能力だと──」


 ……。


 ……世界と自分の間に境界線を引く能力……。


 ……俺の本当の力……。


 …………。


 ……やばいぞ。

 なんかすごそうなのに、全くピンと来ない。


 つまりどういうこっちゃ? 教えてファンダリン先生!


つづく!

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